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徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

2013シーズン始まる/第5節 鳥栖戦

2013-04-08 12:16:20 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
土曜日、スカパーで鳥栖戦
先々週、先週とチーム、クラブに対する抗議が起こり、様々な思惑が交差する中での今シーズン初勝利。
いかにも、そして期待通りのバレーのゴールとしか言いようのない振り向きざまのゴール(実況のアナウンサーがシュートの直前「バレーがターンするぞ!」と叫ぶのは何回観ても笑える。スカパーを観ていた人たちもバレーがボールを受けた瞬間、きっと同じことを思ったはずだ)、勝った瞬間の高揚感というのはちょっと言葉にならないものだった。何てったって公式戦では13ゲームぶり、昨年10月の鹿島戦以来の勝利なのだ。
思えば先週の広島戦終了後の抗議にはもう後には引けないような危機感があった。抗議の主張のほとんどは同意できるものではなかったとはいえ、目の前であれほどの罵倒を受け止めたアフシンがトレーニングを完全非公開(報道陣には冒頭のみ公開)という決断を下したのも当然だったと思う。アフシンと彼のチームが勝つことだけに集中するのならば、こちらもサポートに集中するだけである(しかしゲーム前日のスポパラで女子アナが「アフシンとチームとの間に溝がある(んじゃないか)」と発言したのには呆れたけれども)。

「相手が鳥栖だったから」というのは、90分間途切れることのない運動量で走り続け、ホームで強い鳥栖に対してあまりにも失礼な感想だとは思うが、3月の戦いの中でアフシンがハーフタイムに言い続けた「コンパクト」が実現できていたのは確かだっただろう(ミスを誘発させるのもまた戦術的なディシプリンがあってこそだ)。
負ける続ける中から学ぶこともあるだろう。そこから学習能力を問う(批判する)ことは容易い。しかし勝つことで思い出すことだってきっと大きいはずだ。
得失点差-8はあまりにも大きな代償だったけれども3月の戦いが無駄でなかったことをこれから証明していきたいと思う。この日の戦いを高めていけばきっと結果はついてくるはずだ。
まあ正直この状況では、勝つならアウエイだろうとは思っていたけれども…。

次は水曜日、等々力でナビスコ予選の川崎戦。必ず参戦する。

そして皆、深く傷ついた/第4節 仁義なき広島戦

2013-04-02 04:30:07 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


さて時間は土曜日まで遡る。
<君がどこの誰であろうとも>という言葉は土曜日の広島戦で改めて思ったことだ。サポーター、そしてゴール裏こそ「君がどこの誰であろうとも清水エスパルスを愛し続けるのならば」という一点(シングルイシュー)だけで成立している集団であり、「社会」ある。

サッカーはエンタテイメントで、ショーという見方もできるのだが、サポーターはお客さん(ファン)ではなく当事者(プレーヤー)である。ボールを蹴っていなくとも、ピッチを走っていなくともオレたちはプレーヤーだ。
エンタテイメントでショーであるということは「フィクション」なのだが(フィクションならば目くじらを立てて怒ることもないのだが)、そのフィクションに対していかに向き合い、シリアスに付き合っていくのかがサポーターだと思っている。そのフィクション=理想が現実に拡がっていくことを祈りながら。
勿論サッカーそのものを愛してはいるが、オレにとってエスパルスを応援するということは、フィクションだがリアルで、限りなく理想主義的な行動なのだ。四半世紀も離れてみるとやはり静岡はいい土地で、愛してもいるが、本当に全力で、無邪気に静岡を愛しているというだけならば東京よりも静岡に住む。オレが抱いているのは、素晴らしい土地であるが故に自己完結しがちな静岡的なるものへの愛憎で、エスパルスを通じて、そしてエスパルスに託しながら静岡がポジティブに変わっていくことも願っているのだ(ああ、めんどくせえ奴…)。
というわけでオレはJリーグ理念厨でもある。

広島戦前、地元衆のサポーターの告知行動は素晴らしかった。サッカークラブが単なるエンタテイメントの消費物ではなく、サポーター自らが当事者を自覚していること、そして行動が自発的であることを身を持って表現していたと思う。
危機感で突き動かされる行動や自己表現は、決して広島戦後に起こることになるバス出入口封鎖のようなネガティブな怒りだけではないのだ。
当日には先週のナビスコカップ磐田戦での惨敗を受けて、選手バス到着時にバス待ちが行われた。オレもいつもよりも早めにスタジアムに到着すると駐車場に集まった集団に合流してチャントを繰り返した。
諦めるのはまだ早い、どこまでもオレたちは信じている、いつまでもオレたちが支えているというわけだ。さらにキックオフ前には珍しくメインスタンドに巨大な横断幕が掲示された。勿論キックオフ前のプレーヤーたちにしっかり目にしてもらうためだ。
しかもこのゲームの最中、普段はチャントやコールがほとんど聞こえないメインスタンドからつぶやくようなチャントやコールが聴こえて来た。まるで「ポジティブではいられない」状況でスタンド全体から「ネガティブではいられない」といった雰囲気が感じられた。



しかし今回もものの見事にチャンピオンチームに手酷く蹴散らされてしまった。
計ったようにワンタッチで清水のプレーヤーを交わしていく広島のプレーヤーとの戦術理解度、成熟度の差は明らかで、時間が経つごとに完敗以上の絶望感が拡がった。それでも岡根の退場までは「ボール泳がせながらカウンターチャンスを狙う」といった広島のプランに拮抗していた時間帯もあったのだが、それも数的不利な状況になってからは立て続けに崩れ始めてしまった。
勿論内容的にはポジティブに思える局面も少なくはなかったのだが、これで今シーズン4点差以上の大敗は3回目を数える。開幕一週前のPSMを含めれば、一ヶ月で実に4回である。
プレーヤーやクラブは勿論、これはさすがにサポーターにとってもキツい。
「勝ちなし」よりも、何が状況を悲惨なものにしているかといえば、それは汲めども尽きぬ大量失点に尽きる。そもそも清水はシュートも少ないが、シュートを打たれるのも少ない「ディフェンスは悪くない」チームだったはずだ。これは去年の岩下離脱以降、CBの問題を放置し続けたツケがいよいよ歯止めが効かなくなってきたと言わざるを得ない。ベテラン云々ではなく、CB問題は見続けてきた人ならば誰だって感じていたことだと思うのだ。



ゲーム終了後には選手バス出入口前をサポーターが封鎖する事態になった。
残念ながらそういう「愛情表現」をしてしまうのもサポーターなのだ。
しかしオレは、強化責任を一手に負うはずの強化部長の原さんの見解こそ直接聞きたかったものの、そもそもアフシンを責める気はほとんどないし、フロントが出て来さえすれば選手バスはすぐにでも出発させた方がいいと思っていたので、封鎖を主導していたサポーターの主張の90%は同意できない。それどころか、封鎖組のほとんどはアフシンへの怒りを剥き出しにしていた…いた、のだが、その一方で、あの場所のすべての人がフロントと真剣に話し合うといった雰囲気があったのかといえば、それはそれで疑問でもあったのだ。だからオレも心ならずも某サポーターと一瞬揉めたりしたんだけれども(「たかがサッカー」だからこそオレは真剣に喧嘩したいと思う)。

広島の選手バスを拍手で送り出すと、社長、強化部長、そしてアフシンと通訳の遠藤さんがバスの前に出てきた。
アフシンの言葉は予想通りで、これまで彼の言葉を読み続けてきた人ならば「そう言わざるを得ないだろう(≠言い訳)」という言葉しか出てこない(フロントに対して辞任要求をしたところで、あの場所で、あの瞬間に辞任を認めるフロントがどこにいるというのだろう…いたらその方が嫌だな)。
しかし座り込み中心部はこれまた予想通りに「言い訳」と受け取った。
これではもう話し合いなどできるはずもなく、ただの晒し上げといった状況になってしまった。座り込みの中には、アフシンの目の前で発売したばかりの『ゴトビ革命』を破り続ける若者もいた。アフシンにとっては酷い屈辱であり、侮辱だと思うが、あまりにも直接的に怒りを表現した彼は、気の毒だがもう後戻りができないだろうと思う。
「結論ありき」の似非話し合いなどお互いが不幸になるだけだ。
真摯な話し合いの場が成立しない場所では、後戻りできない傷つけ合いしか起こらない。もうあの場所には批判、要求というよりも、時間が経過すればするほどオレだって耐え切れないほどの罵倒、嘲笑が渦巻いていた(時にはアフシンだけを矢面に立たせることに対して異議を唱える発言をした「仲間」さえ嘲笑したのだ…これではまるで現在の“しみじみ”スレである)。
その場にいた人間がエスパルスを愛していることは確かだろう(たぶん)。しかし愛情表現が違い過ぎた。

じゃあお前は何でほとんど最後まで居残っていたのかと言われれば、あの寒風の中、アフシンがぎりぎりまで立ちながら説明を続けていたことと、オレたちのリーダーが目の前に出てきてしまった以上、どうしたって最後まで見届けなければいけないと思ったのだ。辞任要求も結構だけれども、彼が自ら戦うことを止めない限りはオレたちのリーダーであることは間違いがないのだ(クラブにとっては13時キックオフが仇になったと思うけれども)。
監督の辞任要求なんてリアリティのない主張や要求は、スポーツ新聞のネタを提供するだけで、あの場で主張するのなんてまったくナンセンスだ。首の挿げ替えをしてでも計算できる豊富な戦力がある、選手層の厚いチームならばともかく、清水というチームは計算できない、しかし可能性だけが残されているいうチームなのだ(戦力批判、移籍批判はまた別の話でシーズン終了後にでもやればいい話だ)。開幕一ヶ月の現時点でのリーダーの変更は明らかにリスクの方が高い。
それにしても限られた条件の中で戦うしかないアフシンに対して、「限られた」という意味では同条件とはいえ予算問題の弁明に終始した強化部長の原さんこそもっと説明を求めるべきだったと思う。オレは「これから先」を原さんに問いかけたつもりだったが、答えてはもらえなかったと思う。



ゲーム終了後のバス出入口封鎖が2時間ほど経過したところで飛び出した「誠意がない」というあるサポーターの言葉を聴いたときには耳を疑った。それはサポーターがいうべき言葉ではないだろう。
しかしその発言が出たということは、またこの「話し合い」の状況があまりにも混沌とした、ぐだぐだの状況に入ってしまったということだった(ほとんど最初からそうだけど)。あえてクレーマーとは言わないけれどもオレたちは決して「消費者運動」をやっているわけではないのだ。フロントは当事者だが、オレたちだって無責任な消費者ではなく当事者でありたいと思う。
もう、その瞬間、この抗議も終わったと思った。
アフシン、遠藤さんと原さんがミーティングのため立ち去り、社長の竹内さんがひとり残ると一部サポーターが詰め寄った。

竹内さんは、この場の意見を受け止めると同時に「そうではないサポーターの意見もある(多い)」という言葉を繰り返した。
それはそうだろう。その「そうではない意見」の人間が目の前にいるんだから(少なくともオレはこの場の意見に矢面に立って答えるべきだったのは原さんだと思うので)。
オレはやはりアフシンと彼のチームが戦い続けている以上は、少数派になったって支えていきたいと思う。
彼らがかろうじて戦えるのは、周囲がいくら批判したって、それでも応援(サポート)し続けてくれる人たちがどこかにいると信じていることに他ならない。
勿論批判や批評は必要だが、オレはアフシンやプレーヤーたちを孤立無援にはさせたくない。たとえその批判や批評で、こんな風に互いを傷つけ合ったとしても、それが「大事なもの」を守るってことだろう。

19時頃にアイスタを後にすると、坂下でタクシーを拾って新清水へ向かった。
タクシーの運転手さんはかつて柏戦でオフサイドインチキゴールに激怒して柏の選手バスを座り込みで止めた猛者だった…あの頃の方がもっと暴力的で、直接的で、牧歌的だったかもね。
しかし、まったく何ていう週末だったんだろう。

次は鳥栖戦。行けっかなあ…行きたい。

書き込まれないストーリー/「ゴトビ革命」

2013-03-30 06:03:13 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


まず、このタイミングの悪さは何なんだろう。
アフシンは勿論、ライターの田邊雅之氏も扶桑社も、まさかこんな状況で発売日を迎えるとは思ってもいなかっただろう。開幕一ヶ月の清水は同書でも取り上げられている2011年夏の0-4三連敗と並ぶ一触即発の状況になっている。
勿論スコアを抜きに内容を見てみれば、勝てないとはいえリーグ戦は2分1敗で連敗はない。ナビスコカップ予選も1分1敗である。しかし開幕直前のPSMで新潟に0-4で負けてから派手な負けっぷり、閉塞感漂う勝ち切れなさっぷりが尋常ではない。これでは<今、日本サッカーが清水エスパルスから変わっていく。彼は組織にいったい何をもたらしたのか?>という帯文も虚しい。
なぜなら清水は今なお変わり続けることを余儀なくされ、「もたらす」も何も、まだ「もたらす」ものを手にしていないのだ。

しかしサブタイトルの<人生とサッカーにおける成功の戦術>という言葉は、来日前のアフシン・ゴトビという人物のキャリアを指すものとしてはそれほど違和感はない。
所々に自画自賛が強く出ている部分は彼のキャラクターだとしても、エンジニアを志して入学したUCLAでのプレーヤーとしての挫折、NASL倒産によって余儀なくされたサッカーキャリアを経て、「全米初の本格的」サッカースクールの成功(シドニー五輪の日本戦ではスクール出身者がスタメンとして3人出場したという)、さらにビデオとPCを駆使した戦術分析・プレーヤーの管理が評価され、ボラ・ミルティノヴィッチ、ビム・ファーヴェーク、フース・ヒディング、ディック・アドフォカードといった指導者たちと出会い、共に仕事をしていく。
指導者、スタッフとしてはUCLA女子チーム時代、経営するサッカースクールを経て、<フットボールアナリスト>の肩書きで韓国チームスタッフ(分析スタッフ)として参加した日韓ワールドカップで、それまでワールドカップで勝てなかった韓国を準決勝にまで導くことに成功。さらに水原三星、LAギャラクシーでのアシスタントコーチを経て、母国イランでペルセポリスの監督に就任し優勝に導く。直後に南アフリカワールドカップ予選の最終局面でイラン代表監督に就任。北朝鮮、UAE、韓国を相手に3試合を残して2勝1分のミッションで与えられながら1勝2分の結果に終わりつつも、その後のアジアカップまで指揮を取る(その後、清水エスパルス監督就任)。

結果は事実なのだが、ちょっと盛っているような気がしないでもない。
いや、成功部分は盛っているだろう(たぶん、きっと)。
しかし13歳でアメリカへ渡ったサッカー好きのイラン人少年が手にした「成功」としてはかなりものであるのは間違いない。
ここまでで本書のほぼ2/3を占める。組織論、マネジメント論、メンタリズムをベースにした、実にビジネス啓発書ライクな内容である。その意味では帯文に書かれている文章に偽りはない。<数奇な運命>というのはあまりにもロマンチック過ぎると思うけれども、「ビジネスマン」としてのアフシンのバックグラウンドはよく見えてくる。

本書には「日本(韓国、東アジア)のタテ社会」についての言及がある。これ自体はずいぶん古臭い論点だと思うのだが、ピッチに送り出された若手がベテランに頼るあまり、時に萎縮し、時に自分で判断が下せない、リスクを恐れてチャレンジしない、という話につながっていく。きっとこれは2012年に伸二や岩下が移籍していく中でアフシンが痛感したことなのだろうと思う。
ナビスコカップファイナルをピークにこのチームのコンセプトは、それまでのように徐々に若手へシフトチェンジすることを前提にした「ベテランと若手の融合」から、きっぱりと「若手中心のチーム作り」へ切り替えていく根拠となっているようだ(それが本書での「最新型エスパルス像」の前提)。

しかし、そんなものは傍から見ていても想像がつく。
問題はアフシンが清水に何をもたらし(もたらそうとし)、この2年間でどう軌道修正を繰り返してきたのか、なのだ。
ストーリーの構成にしても、エピソードのチョイスにしても、この内容では欲求不満が残る。
<2012年の「ローラーコースター」も7月のマリノス戦で「底を打」ち若手に切り替えることで好転した>となっているが、問題は、というか語られるべきなのは、それ以前の2012年前半戦のピークであったベストゲームのひとつホーム鹿島戦(成功)であり、マネジメントの問題を内包しつつ乱れ打ちで力負けした2012年ホーム柏戦(失敗)であるはずだ。彼がもたらそうとしている「理想と現実、そして成功への意志」がそこにある。
勿論、柏戦などは移籍問題にも関わってくるだろうから、現時点で内幕を語れるはずもないのだろうが、だからと言って触れないのも不自然過ぎる。いくら過去を雄弁に語ろうとも、今アフシンは清水の監督なのだから。
というかですね、アフシンと清水が過ごしたこの2年、もっとチョイスすべきエピソードはあるはずだ。
「まだ何ももたらしてはいない」という意味では清水のストーリーを書き込めないことも理解できるけれども、この点をビジネス書ライクに構成したら本当に誤解されると思うのだが…まあ、これは構成の問題かな。

2012年にチームを若手中心に切り替えたアフシンは、今揺れ動いている。いくら揺れ動いてもほとんど若手しかいないチームで、それでもまたベテラン(のようなもの)と才能ある若手の融合というコンセプトに再シフトチェンジする可能性がある。
今週アフシンは「生きるか死ぬか、ではない」とコメントしていたものの、今日の結果次第では「生きるか死ぬか」の状況になりかねない。
運命の広島戦まであと6時間。

オレたちは水原になるのか、それともペルセポリスになるのか。
これから起こるアフシン・ゴトビのストーリーに清水エスパルスの章がしっかりと書き込まれることを祈っている。

勝利の時も、敗北の時も

2013-03-25 16:08:17 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
もし周囲の人がみな度を失って あなたを非難しても 落着きを失うことがないなら
もしみんなの者があなたを疑っても 自分に確信を持ち 人の疑いを思いやることができるなら
もしあなたが待つことができ 待ちくたびれることがないなら
もし偽りを言われても 偽りを返さないなら
そして善人ぶったり りこうぶったりしないなら

もし夢を持っても その夢に振り回されないなら
もしよい思いが浮かんでも それを最後の目標としないなら
もし勝利を得ても 敗北をなめても 勝利に酔わず 敗北にくじけないなら
勝利と敗北のふたりの詐欺師を同じように扱えるなら
もしあなたの語った真理のことばが 無頼の徒によって
愚か者をとらえるわなとしてゆがめられるのを聞いても 耐えることができるなら
もし心血を注いだものが破壊されるのを見て 腰をかがめてそれを拾い 古い道具で再建するなら
(中略)
地はあなたのもの そこにあるすべてのものもあなたのもの
--私の子よ もうあなたは一人前だ
(ラドヤード・キップリング「もし」/『人生の訓練 新版』V・レイモンド・エドマン/海老沢良雄・翻訳/いのちのことば社)

<自分としては、サッカーの試合の結果などにできるだけ影響されないようなふりをしています。しかも本当はふりをするのではなく、実際そういうことに影響されないよう心がけたいと思います。キップリングの有名な詩があります。

あなたがそれら二人のペテン師とうまくつきあうことができれば、
勝利と時も敗北の時も
あなたがそれら二人のペテン師と同じようにつきあうことができれば
あなたは男なのです

しかし現実はそう簡単なものではありません。私はまだサッカーを生きているからです。>
(『勝利の時も、敗北の時も』オスヴァルド・アルディレス/鍋田郁郎・構成/NHK出版)

昨日にまさる今日よりも/ヤマザキナビスコカップ Aグループ 甲府戦(磐田戦)

2013-03-24 21:14:15 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


2011年の0-4での三連敗も、去年夏の柏戦前後の未勝利ロードにも相当な焦燥感があったが、今季は開幕からとんでもない3月になっている。
予兆はあった。開幕前週の2月のPSM新潟戦もそうだし、その二週間前のPSM磐田戦も伏線だったのかもしれない。
むしろ3ボランチを試運転し、1-0で勝利したPSM磐田戦は出来過ぎだったのだ。しかし、あのゲームを観てポジティブにならない方がおかしい。開幕2週間前とはいえ磐田相手に積極的なプレスを繰り返しゲームを支配してほぼ完勝。アフシンでなくとも仕上がりは上々と思っても当然だったのだ(実際にそういう発言もしている)。
課題は今年もゴールの問題、誰もがそう信じて疑わなかったと思う。
しかしその一週間後のPSM新潟戦で序盤に失点してしまい0-4の惨敗。開幕の大宮戦は2点先制されながらパワープレーで追いついたものの、ホーム開幕戦のマリノス戦は5失点。建て直しを誓った湘南戦は辛くも1-1のドローに持ち込み、リーグは代表ウィークに入った。攻撃力が取り沙汰されていたものの、実際はキャラの奮闘で誤魔化されて岩下の離脱以降、CBの問題は棚上げにされていたのだ(アレックスもディフェンス面でも実に献身的なプレーヤーだった)。

シーズン序盤はどのクラブも戦い方は安定しない。それでも、いくら惨敗しようとも、誰だって今日より明日には「建て直し」は進むと考える。最優先であるリーグのために、ナビスコカップ予選がある程度「テストマッチ」的な要素を含みながら戦われた20日のアイスタでのナビスコカップAグループ1節甲府戦は、それなりの、その「前進」が見えたのは確かだっただろうと思う。何が起ころうがオレたちは段々にしか進めないのだから、オレは甲府戦を評価している。Always Look on the Bright Side of Lifeだ。
しかし、2節 磐田戦である。残念ながら現場には行けなかったのだけれども、思えば2月のPSM磐田戦がボタンの掛け違いの出発点だったとするならば、この結果はあまりにも残酷で象徴的なものになってしまった。たった1ヶ月の間に清水は後退し、磐田が前進したことがはっきりと結果として表れてしまったのだ。いくらテスト的な要素があったとはいえ、そして甲府戦の犬飼がそれなりにポジティブに評価されていたとはいえ、彼を使い続けたことはチームにとっても、犬飼本人にとってもあまりにもリスキーなチャレンジだったと思う(他にも問題のありそうなプレーヤーはいるのだが…)。

今週クラブからのアクションがない限り、次節アイスタでのリーグ広島戦は文字通りアフシンの進退問題に係わるゲームになる。今のアフシンはクラブのヴィジョンにあまりにも多く、深く関わっているのですぐに結論が出るとは思えないのだが、「結果がすべて」のプロならばもはや言い逃れができるような状況ではないことは確かだ。去年のナビスコカップ決勝以来、公式戦勝ちなしという状況はあまりにも酷い。
ただし一部マスコミ、一部サポーター(かどうかはわからないけれども)の意見として、すでに解任、更迭が目的化したような批判や罵詈雑言にはまったく同意することはできない。アフシンやプレーヤーのひとつひとつの発言は、本質や真意が無視され、揚げ足を取られ続け、恣意的に捻じ曲げられるだろう。生前のバーケンさんは「メディアリテラシーを持て」と書き続けたが、残念ながら清水コミュニティはもはやそんな状況ではなくなっている。
オレは彼(ら)がまだ戦い続けるのならば、少なくとも戦っている間は共に戦い続けたい。

菊田一夫の「鐘の鳴る丘」にはこんな歌詞がある。<昨日にまさる 今日よりも明日はもっと幸せに>。昨日よりも今日が、今日よりも明日がマシであることを信じたいし、清水というクラブ(チーム)や清水コミュニティがそうであるように願っている。

それどころじゃない/第3節 湘南戦

2013-03-17 23:12:18 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


土曜日はBMWスタジアムで湘南戦
63分にようやく八反田の同点ゴールが決まった瞬間、ゴール裏の誰もが「それどころじゃない」と思っただろう。
ゴールが決まるのは「それどころ」だし、ハチにとってはめでたいリーグ初ゴールであるからしてもっと「それどころ」なのだが、祝福する暇もなくプレーヤーはセンターサークルに駆け戻り、ゴール裏は必死でコールを続けた。
前節のショッキングな完敗、昨年10月27日の鹿島戦以来リーグ戦で未勝利が続く「それどころじゃない」状況なのは誰もが感じていたはずだ。思えばアフシンのチームは他クラブならばもっとシビアな責任問題に発展してもおかしくないような状況が毎年起こる。一昨年は3ゲーム連続で0-4で負けるという怪記録を作り、昨年の夏も未勝利記録を更新しかけた。
それがよりによって今起こっているわけだ。

とはいえシーズンが始まったばかりのこの時期、スタートダッシュに全力を傾けなければいけない類のチームを除けば、まだ戦力的にも戦術的にも不安定なチームが少なくないのも仕方がない。「今のうちに(今の)清水と対戦したいチームは多いだろうなあ」と思うのも、まあ自虐的な意味だけではなく、当たり前だと思うのだ。この日の湘南などはまさにそんな類のチーム(戦力が安定しない序盤に勝ち点を稼いでおきたい降格候補)で、そんなチームが対戦するには(まったく戦力と戦術に安定感のない)今の清水は格好のカモだったはずである。
2トップ2ボランチで役割の明確にし、ロングボール主体でとにかくゲームの主導権を奪いたい清水とそれを受けて、ゲームバランスの重心は重く(低く)、前線のカウンターチャンスを狙う湘南。戦術というよりも戦略といった方が相応しい、闘争心だけが問われるゲームになった。批判を受けて…なのかどうかはわからないけれども、結果が出ない状況に、アフシンは戦術に微調整を加え、ある意味でプレーヤーに「譲歩」した。もはや、アフシンを言い訳にはできない。彼ら自身がそこで戦う気持ちを見せられるのか、ということである。
前節のようにアフシンにスレトス解消の罵声を浴びせるような野暮な闖入者はいないゴール裏で歌い、コールし続けた。
それが彼らをもう一歩動かす力になると信じている。これは精神論ではない。いかに自分たちも走って(声を出して)いるのかということである。声を出すこと以外にゴール裏の存在意義はないのだから。
(しかし、この日のお隣さんがとんでもなく音痴で正直難儀した…)

タイムアップ後のゴール裏は静寂のあと、拍手とブーイングが入り混じった。
前節のショッキングな完敗はひとまずこれで払拭できただろうか。基本的にロングボールという形にはなってしまったが、ゴール前の迫力は増した。しかし、とにかく10月27日の鹿島戦以来リーグ戦での未勝利は継続している。
リーグ戦次節は30日の広島戦。来週はナビスコカップ予選が2ゲーム組まれている。ということで、20日のナビスコカップ予選も行かんとなあ…一応指定シーチケだけど、やっぱし状況が状況だけにゴール裏行こうか。
まだ「それどころじゃない」わけです。

八反田「そうですね。初ゴールだったのでもっと喜ぶかなと思ってましたが、それどころじゃなかったです。僕自身はゴールを決められてうれしかったですが、チームが勝てなくて残念です」(J's Goal 3月16日付

何だか緩いアウエイ感のある平塚駅前でホルモン焼きで呑んでから地元へ。
焼肉屋の兄ちゃんは「湘南の暴れん坊」みたいな感じの兄ちゃんだったし、商店街の喫煙所近辺には如何にもな感じのヤンキーがたむろしていたりしていたんだが、彼らみたいな人たちは湘南のゴール裏には行かないのかなあ。

男になるということ/第2節 横浜マリノス戦

2013-03-11 21:00:31 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


土曜日はホーム開幕でマリノス戦。IAI日本平スタジアムの初披露だったわけだが、実にショッキングな結果になってしまった。
2011年には神戸相手に1-5という似たようなスコアで大敗を喰らってしまったことがあるが、震災直後、ゴトビ体制1年目だった、あの時の「サポート感」はスタンドにはなかった。
前島さんのレポートにもあるように、このゲームのゴールの匂いの無さっぷりは凄まじいもので、ボンバーと栗原には完敗(本当にハイボールを競り勝った記憶がない)、俊輔にはいいように捌かれ、37歳のマルキにハットを文字通りプレゼントしているようでは失点ごとに客席を立つ人が増えて行っても仕方がない。
時間はまだ残されているのにスタンドから観客が次々と去っていく光景は、ゲームの完敗以上に屈辱的である。
もちろんとても最後まで観て下さいとはとても言えないような内容ではあるが。
やはり付け焼刃の「劇的」のツケはこうして後からやってくるもんなんだなあとつくづく思うのである(WBCのような短期決戦ならば、それはまた「勢い」に変換されるんだろうけれども…)。

タイムアップ前後に目の前で2人の男がアフシンに向かって罵声を飛ばす。オレのシーチケはベンチの真上なので、そのやり取りはしっかり見える。その瞬間、振り返って男を見たアフシンの顔が忘れられない。
オレも腹が立って仕方がなかった。
そのふたりの男に、である。
ふらふらと柵を乗り越えていく男を見て、警備員に向かって「しっかり止めろ」と声を挙げずにはいられなかった。
言うまでもなく最終的にチームの全責任を負うのはアフシンである。しかし2010年に崩壊したチームを、さらに2年かけてリフレッシュした挙句に、目先の結果でストレス解消の矛先をアフシンに向けてしまっては、この2年がまったく無駄だったことになる。ましてや、0円移籍は勿論、最初の契約でチームを離れていってしまうプレーヤーもいる中で、監督は結果を受け止めるだけではなくチームのヴィジョンを描かなければいけない立場にある。オレは、とてもじゃないがクラブのヴィジョンを描く途上の監督に唾を吐きかけるような真似はしたくない。



「若さ」というのは良くも悪くもエクスキューズになるし、アドバンテージにもなる。だからと言ってオレは桜宮高校のようなコーチは求めていないのである。それがサッカーであり、プロであるのならば、彼らは自分たちで「男」にならなきゃいけない。

「自分の役割を果たせ! 100%のエネルギーを注げ! 下げるんじゃない! 恐れるな! 闘え! 男になれ!」(J's Goal ハーフタイムコメント

彼らは本当に「どうしたらいいのかわからない」のだろうか。もちろん彼らが「若い」ことは知っているが、それならばあまりにもナイーブ(Boy)過ぎるというものだろう。男(Men)になるってことは、どう考えたって自分の頭で判断して、「役割を果た」して「100%のエネルギーを注」ぎ、「恐れ」ずに「闘」うことである。役割の果たし方に関してアフシンの問題があったとしても、100%のエネルギーの出し方や失敗を恐れない闘い方は自分自身で掴み取るしかない。
それはサポーターも同様、いつも誰かの責任に押し付けようとする自分との戦いでもある。
それでもサポーターはいくら怒声や罵声を飛ばしても結果が変われば舌を出しつつ勝ちロコを踊れば済む。プレーヤーだって、仮に失敗したも最終的に責任はアフシンが取るのである。予備校のCMじゃないが、やるなら今しかないぜ。

ホーム開幕戦でシーチケのご近所のおじさんが遂に「陥落」していた。
もしかしたら不買なのかもしれない。
おじさんとご近所になったのは健太体制と同時なので、もう8年の付き合いだったが、死んでなければきっと日本平のどこかの座席で観ているんだろう。あれほど熱心なおじさんがシーチケを買っていないんだから、アフシンとクラブを取り巻く状況は厳しいと思わざるを得ない。
まあ、オレは観続けるし、サポートの声を挙げ続けますよ。ここで。

今週16日は湘南戦。

荒れたゲームの意味

2013-03-08 15:11:50 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
大宮戦のゲーム中、ずっと思っていながら、大宮戦レビューで書き漏らしていたことがあったので、マリノス戦プレビューのつもりで書く。
昨季の清水は驚くべき頻度で「荒れたゲーム」をしていた。カードの多さが即ち荒っぽいチームという評価は、レフリーとの相性も考慮に入れなければそれ自体が荒っぽいと思うが、とにかく清水はカードの多いチームで、それ故にゲーム中の退場者も少なくなかった。そしてゲームは荒れる。言い方を変えれば、退場者その他、外的要因を呼び込みながら、90分の間にジェットコースターのようなゲームをする。アフシンはシーズン終了後に「ジェットコースターのようなシーズン」と評したわけだが、何のことはない、ゲームだって「それ」に近かったわけだ。ちなみに本来の意味で荒っぽいゲームと言えたのは、あの運命の、ホーム柏戦ぐらいだろう。

一人少ない、二人少ない、先制点を奪われた、追加点を奪われた…とにかくこのチームはなかなか着火しない。自分たちの思うような展開にならなければ、ゲームに強力なストレスが掛からない限りはなかなか火がつかない。大宮戦だって、きっとよくわからない2失点を喰らわなかったらスイッチは入らなかったのだろうと思う。追いついた瞬間のイケイケ感は熱かったが、同時に正直「またか」と思ったのも事実なのである。

ジェットコースターのようなゲーム。
これが面白いか面白くないかと言えば、面白いに決まっている。面白いんですよ、おじいちゃん。アウエイFC東京戦のゴール裏など、タイムアップの瞬間、優勝でもしたかのような盛り上がりを見せた(確実に上位は争っていたが)。
しかし、そんな劇的なゲームがいつまでも続くわけがない。おじいちゃんの心臓にも良くない。故に前半戦のアドバンテージと夏からナビスコカップ決勝前半までの好調期を除けば、チームの成績はまったく安定しなかった。早い話が勝てなかった。今季をまたそんなシーズンにしてはいけない。

アフシンはボールの蹴り方に至るまで細かい指導が多いという。本当だろうか。今季、3ボランチがキーワードのように語られているけれども、これ実はプレーヤーの裁量ーー自由に委ねている部分も大きいのではないだろうか。システム論は一先ず置いておいても、サッカーというのは自由と規律で成り立っている。それはゲームを成り立たせる上で(つまり魅せて、勝つためには)相反するようで不可分なものだ。個人と組織と言い換えてもいいけれども、いくらアフシンが笛吹けど、プレーヤーが躍らなければ意味がない。「ちょっとシステムがよくわからなくて、プレーがうまくはまらなくて、気分が乗らないんすよね…」では駄目なのだ。いよいよ尻に火がついてから踊り出していたのが、昨季の清水だった。

自分の「主」は誰なのか、ベテランプレーヤーは知っている。
驚くべきことに次節の対戦相手のマリノスのスタメンは平均年齢が30歳を超えているらしい。俊輔、中澤は言うまでもなく、マルキが37、ドゥトラに至っては39である。今の清水からすれば信じ難いことである。
しかし彼らは自分たちの主が誰なのか知っているだろう。自分の主は自分自身に決まっている。彼らは自分の踊り方を知っている。まさに「お前はお前のロックンロールを踊れ」である。
だからマリノスは強いんだか弱いだかわからないが、何となく安定している(少なくとも今のうちは)。着火点を安易に外的要因に求めずに自分自身をコントロールしながら燃え上がせていくことができるのが本物ってことだろう。

しかしまだ成長途上で、自分自身に主を持たない清水の若きゴトビチルドレンたちを走らせる方法はある。オレたちがスタンドから要求すればいいのである。拗ねてないでオレたちと一緒に熱くなれと言えばいいのである。日本平、もといIAI日本平スタジアムというのは、ピッチに声が確実に届く、そういうスタジアムなのである。
大宮戦後半の炎を絶やさないようにスタンドは声を出して、プレーヤーには走り勝っていただきたい。

さっきまで昨季のホーム仙台戦を横目で観ていたら、そう思った。そう思っちゃったんだから仕方がない。良くも悪くもおっさん軍団には「若さ」で勝つしかないんだから。

熱狂/第1節 大宮戦

2013-03-08 02:33:36 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


ホーム開幕前日に今更書くのもあれなんだが、開幕戦の大宮戦
開門前のスタジアム到着時点でゴール裏待機列はすでに長蛇の列…相変わらず大宮の運営は意味不明にビジター席を削っているのでビジターチケットは完売、ということは席取り連中を計算に入れれば当然座席難民は出る。しかし、まあ、こっちは荷物はマフラー1本のみ、そもそも座る気もないし、声出してりゃ文句言う奴もいないだろ、ということで襷付近にもぐり込む。

ゲーム中にも隣の野球場から砂埃が大量に吹き込んでくるという強風がゲーム展開に影響したのは間違いないところだが、それは大宮の、というよりも清水の追い風となった後半に影響した。失点はキャラのオウンゴールとカウンターからの大宮・青木の見事なミドルシュート。青木のミドルは、あの形に持ち込ませてしまった時点で関与したプレーヤーは自省しなければならないと思うけれどもとにかくシュートが素晴らしかったとしかいいようがない。
問題はその後。一週間前のPSM新潟戦のように為す術もなく崩れてしまうか、それとも反発を見せてくれるのか。
アフシンは60分に調子の上がらない吉田と展開力に欠けた大輔に替えて内田、瀬沼を投入。パワープレーを批判する人がいるのは当然なのだけれども、あの強風(追い風)と、何よりもとにかく追いつかなければならない状況で、何が何でもゴールするという「形」はあれしかなかったのだと思う。そして、その「形」は選択肢の中から決して除いてはいけないものだ。
バレーがロングボールをすらして瀬沼、石毛が裏に走り込むという形を中心に熱狂的なゴールチャンスは何回も生まれた。
同点ゴールを決めた石毛はネットを揺らしたボールを抱えるとゴール裏を煽るような仕草をしながらセンターサークルへ走って行った。もう、それだけで失点後からタイムアップまでのピッチ上とゴール裏の熱狂がどういうものだったのか物語っていると思うのだ。
結果的には勝ち越しまでには至らなかったとはいえ、開幕戦で最後まで決して走り負けなかった「若さ」も評価したい。

彼らが決して走り負けないようにホーム開幕戦も声を出していきたい。明日、14時横浜戦。

「51ゲーム」を戦い切るために

2013-02-22 03:56:01 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
おそらく近年では最多のプレーヤーを擁して2013年シーズンが始まろうとしている。
元紀が海外移籍した、岩下がガンバへ完全移籍した、伸二が、タカが、と外野はビッグネームを単純に引き算して戦力分析、順位予想するわけだが、天皇杯まで戦った元紀はともかく、その他の離脱者はほとんど昨シーズン途中に移籍したプレーヤーがばかりだ。プレーヤーの年齢構成が極端に若くなったのは今始まったことではなく、去年の半ばにはそうなっていて、その後「残った若手」だけで晩夏から11月にかけてACL圏内に限りなく近づき、ナビスコカップ決勝まで駆け登ったのは紛れのない事実である(ナビスコカップ決勝から12月にかけては、いつもながらの「内容は悪くないが結果が出ない」状況に陥ってしまったが)。いくら「若い」からと言って、それだけで評価を下げるのはいかがなものか(エルゴラとかね)。

アフシンはこう言っている。
「もし開幕戦でスタメンにならなかったとしても公式戦は51試合ある」
リーグ戦は34節である。ナビスコカップ予選も各グループ7節(6ゲーム)である。トーナメントの天皇杯で確実に決定しているゲームは2回戦の1試合だけである。どう数えたって公式戦は41ゲームしかない。
「51試合」というのは、リーグ戦34ゲームに加えてナビスコカップ決勝まで、天皇杯決勝まで、を含んでいるのだ。
またしてもアフシンのビッグマウスと思うだろうか。しかし、おそらくアフシンにとっては、本気で「51試合」を戦い切るためにこの33人(+α)のメンバーなのである。

2013年シーズン開幕まであと一週間。
51ゲームあるんだから誰にだってチャンスはきっとやって来る。51ゲームを戦い切るための競争が始まっている。

強化部失格?/サッカー批評No.60「社長失格」

2013-02-09 18:41:51 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


遅まきながらサッカー批評60号「社長失格 『降格』は偶然の産物ではない」。
2012年降格組のガンバ、神戸を中心にレポート。さらにマリノスの現・社長の嘉悦朗氏、千葉の現・社長の島田亮氏、日ハム・セレッソの社長を務めたの藤井純一氏などインタビュー。しかしどうせならガンバか神戸のフロントのインタビューが欲しかったところか。経営=ヴィジョンなんだから大宮の“落ちそうで落ちない”経営美学あたりは読みたかったかな。まあ中心に据えられているのが降格=「社長失格」がテーマなのでなかなか拡げられなかったのかもしれないけれども。マリノスにとっての日産のように、大宮の超メインスポンサーであるNTTにとっては、どう考えてもタイトルはもちろん、成績云々よりもとにかくJ1残留が至上命題になっているはず…見込んでいるんだがどうなんだろう(それなりの補強はいつもするんだが…)。

ただし「社長失格」とはいえ、ガンバ降格に対して選手構成の問題に言及した部分が付け足しのように少ないのはちとおかしいと思うし(ほとんどあのまんまでJ2というのもいかがなものか)、もう少し拡げようのある企画だったとは思う。まあ、それだと「強化部失格」というテーマになるが、この特集でも具体的な経営について言及したマリノスの嘉悦社長インタビュー以外は経営以前の話に終始しているような気もしないでもない。監督問題や補強話なら、やはりこれは「強化部失格」と銘打つべきだろうし、ホームタウン云々の話ならば今更目新しいエピソードが出てくるだろうか(それならもっと取り上げるケースを増やすべきじゃないか)。マガダイと同じようなことサッカー批評がやっていても仕方がないと思うのだ。

翻って我がエスパルスである。幸いにも清水には故バーケンさんが立ち上げたSの極みという有料サイトが継続されていて、経営情報とまではいかないまでも、「クラブのヴィジョン」という意味では、監督なり強化部長なりスタッフなりがある程度の頻度で取材を受け、そのメッセージを読むことができる。ましてや毎日更新される情報の中でもアフシンは「言い訳」と揶揄されるほどメッセージを発するマネージャーだし(あれは決して「言い訳」ではないけれども)、先日の原強化部長のインタビューなんてのは実にタイミングが良かった。
ある程度の情報の透明性と明快なメッセージさえあれば誤解は生じようがない。それがないから目先の結果に惑わされて誤解が生じるのだ。

それにしても竹内社長は前・社長(現・特別顧問)の早川“イワヲ”巌氏に比べると影が薄い。まあ鈴与のやり手で、某アンチサッカー系夕刊紙には"独裁者”とまで書かれたイワヲ氏は逆にとても目立つタイプだったので比較することはないんだが、昨年4月の報道によると経営体制はイワヲ氏が特別顧問に就任し、会長に片山直久氏が就任し3頭「トロイカ体制」と話していた。特集で取り上げられた社長さんと比較すれば社長の個性はそれほど見えてこない。
メインスポンサーの鈴与は実に堅い会社なので(航空事業には驚いたとはいえ)、クラブ経営に極端なヴィジョンは描かないとは思うが、まあ、それが竹内社長とアフシンや強化部長との役割分担とも言えるとも思う。経営が「保守的」とは聞いたことはあるけれども、情報の透明度は割合高いのではないかと思うのだが…。何てったって清水というクラブは、言わなくてもいいのにアレックスが「クラブの経営」を慮って移籍したクラブなのである。

<清水を運営するエスパルスは26日、静岡市内のホテルで第17期(11年2月1日~12年1月31日)決算を発表した。売上高は前期を3億6800万円下回る31億1800万円。純損失は前期より200万円改善したものの、7700万円と2年連続の赤字決算となった。
 昨年は東日本大震災の影響もあり、集客の落ち込みが目立ち、リーグ戦の1試合平均は前期比12・2%減の1万5801人。カップ戦は前期比より3試合減となったため、69%減の1試合平均9290人だった。
 Jリーグは来年から5つの基準から成り立つクラブライセンス制度を導入。竹内康人社長(52)は「1試合平均17800人が今季の目標。累積損失の解消に向け売り上げの維持、拡大、費用面の見直しを行っていく」とするとともに、静岡市とも連携。ホーム・アウスタ日本平の「大幅な改修」へ協力を要請する。
 早川巌代表取締役会長(68)が特別顧問に就任し、日本興業銀行OBで鈴与㈱参与の片山直久氏(67)が新たに代表取締役会長に就任。竹内社長は「トロイカ体制になる」と話した。>(スポニチ 2012年4月27日付

クラブのヴィジョンに関しては納得、支持しているのだけれども、この報道での昨年の課題、クリアしていないような気がする…。

サッカー批評、次は「20年目のサポーター論」らしいです。これは楽しみ。
 
プロサッカークラブが果たす地域のシンボルとしての役割/㈱エスパルス・竹内康人社長(カンパニータンク)
新体制発表記者会見(13.01.25)(J's Goal 1月25日付)

旅の途中/原靖強化部部長インタビュー

2013-02-03 10:59:48 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
<エスパルスで一番大事な部分が失われてしまうと。そこを失ってまで選手を獲得しようとは思わなかったということが現実的な話しです。(中略)一番大事な部分をスポイルしてまで無理して獲得することは長期的に考えて良くないのではないかと思いました。>
<今回、実際にヨーロッパの選手も多く売り込みがありました。うちが点が獲れていないということを世界が知っている(笑)ということで、世界中のエージェントからセンターFWの選手の売り込みが来ていました。>
Sの極み BarKen2月1日付)

遅まきながらSの極みのBarKenに掲載された原靖強化部部長インタビューを読む。さすがに1月の無料(登録)期間を過ぎた直後にシモーネさんもデカいタマを投げてきたという感じの全エスパルスサポーター必読クラスの重要インタビュー(ということで現在は再び有料)。

それはともかく、それぞれの現場のディテールは判らないけれども、インタビューを読む限りチームの今後の方向性について、見立てはそんなに間違っていなかったかなという印象を持った。
「サッカーどころのサッカー文化」は優秀な若手を輩出(集結)し続けるのが文字通りの生命線であったわけで、それはこれまでの静岡、清水、藤枝を支え、全国に発信してきた原動力でもあったわけだ。
健太体制直前のエスパルスはそれまでの静岡サッカーのプロパーで何とか生きながらえてきた側面があったけれども、健太の功績のひとつは「健太だったらJ2に落ちても構わない」という“言質”を取ったことにある。そして健太はノボリを引退させ、2000年前後の黄金期のエスパルスを解体した。それは20年以上に渡る清水のサッカーの解体でもあったと思う。それと同時期に兵働、岩下、岡崎(はそれほど期待されてなかったが)、淳吾、矢島、本田といった優秀な若手選手が大量に加入し続けた。結果的にはタイトルは獲れなかったものの、その過程もさることながら彼らは実に魅力的なチームに成長していった。

このチームの成長が見えないなんて、魅力的に見えないなんて、どれだけ節穴なんだろうとずっと思っていた。
まあ、成長なんてのは「結果」が出ない限りは余程の慧眼の持ち主か、サポーターでない限りは見えないわけだが。

ということで、サッカーどころのエンタテイメントというのは、単に強さを誇るだけではなく、そういうヴィジョン(もしくは幻想)を抱かせるチームを指す。思えば静岡のサッカー文化というのは、ずっと“青田買い”の文化なのだ。
アフシンも健太のようにチームを解体した。解体したどころか就任前に大崩壊していたチームに参加しただけでもアフシンの男気を感じたものだし、コンセプトに合わないプロパーや稼働率の悪いスターを切ったところで逆恨みするなんて筋違いも甚だしいと思うのだけれども、とにかく、結果的に健太と同じようにアフシンもチームを構築する以前にまず解体せざるを得なかったのだと思う。勿論「体制」が整ってきたアフシンももはや簡単には言い訳できなくなった。

今年も節穴共の順位予想はきっと低評価だろう。
しかし、まあ、就任時のアフシンが自分のチャレンジを「旅」と表現したように、金に物を言わせたファーストクラスの旅よりもヒッチハイクの旅の方がエンタテイメントとしては面白いわけさ。水滸伝が「その後」よりも梁山泊に豪傑が集結するまでが「神髄」と言われるように。前のチームのように仲良しクラブで大崩壊した轍を踏まないように、チャレンジする連中が集まって欲しい。そんなわけで、オレたちはまだ旅の途中です。

<Put your boots on and Join me for an unforgettable journey.>(アフシン・ゴトビ 2010.12)

今年もジェットコースターに乗る/2013年シーズン始動

2013-01-27 00:28:20 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
エスパルスも今日から始動。
天皇杯敗退が早過ぎて結局シーズンをプレイバックするタイミングも(書く気も)なくなってしまったわけだが、だからと言って2012年シーズンがまるでしょうもないシーズンだったとは思わない。
アフシンは2012年シーズンを振り返って「ジェットコースターのようなシーズン」と表現した。乗っている人間にとっては心臓に良くないものだが降りてみれば(終わってみれば)それなりに面白かったと言えなくもない。今夜のスカパーの2012年シーズン再放送も、ようやく悪夢の9戦連続勝ちなしを潜り抜けて、ホームで無類の強さを見せていた鳥栖に走り勝ったアウエイ戦である。
ジェットコースター、それを「若さ」と言ってしまえば簡単な話なのだけれども、今季のエスパルスは昨季よりもさらに若返る。若返るも何も最初から若いのだから今更若返るもないのだが、とにかくさらに若くなる。
ジェットコースターになる可能性はまだ高い。

しかし、それが低評価につながるとは思わない。確かに伸二やタカといったビッグネームや敬輔や海人のような生え抜きはチームを去った。マスコミの皆さんに分かりやすい、計算できる戦力(要素)は少なくなっているわけだが、その分チームのポテンシャルは評価不能という意味で可能性を秘めている。これこそ「ジェットコースター」の所以。
それでもオレたちは清水エスパルスというジェットコースターに乗る。
サポーターはどうしたってクラブを乗り換えるわけにはいかないわけだが、チームやプレーヤーは絶え間なく動き続ける生き物である。移籍制度、クラブライセンス制度の過渡期に、エスパルスというチームは、チームの有り様として若手を中心にした、アフシンという運転手付きのジェットコースターになることを選択したのだ(もちろん、このチームの行き先とコンセプトはタイトル次第で微調整される)。
今年も六平、藤田、瀬沼、三浦といった、各カテゴリを代表するプレーヤーが新しくチームに加わった。ここまで有望な若手プレーヤーが毎年加入し続けるクラブは、はっきり言って他にはない。確かにサッカーはエンタテイメントではあるけれども、ピッチの上を走っているのは名前ではない。新しいプレーヤーが新しいエスパルスを作ればいいのである。
2012年途中のチーム解体を経て、2013年は健太エスパルスと完全に決別するシーズンになる。オレは何よりもそれに期待している。

アフシンに監督が交代してから2年目、3年目とチーム始動と同時のサポーターズサンクスデーは開催されていない。ということで魚町稲荷の必勝祈願もここ2年行けていないわけだが…今年は行きたかったなあ…。


まだ始まったばかり/アフシン続投の件

2012-12-07 23:22:15 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
アフシン・ゴトビ「我々の仕事というものはまだ始まったばかりです」(Sの極み12月7日付)

アフシン体制の3年目が決定した。まだ契約内容は伝わってはいないけれども、今日のSの極みではエスパルスと清水のブランドにまで言及して“4年目以降”のヴィジョンをボジティヴに示しながら来季の戦いを語っている。
サポーターやクラブ、プレーヤー、そしてもちろんアフシン自身だって、1年目、2年目(途中)の結果には満足していないだろう。契約1年目が健太体制崩壊後のほとんど一からの建て直しだったこと“2011年の日本”という実に特殊なシーズンだったことを差し引いたとしても、アフシンは少なくとも1年目にカップ(ファイナル)に手が届く程度のぐらいプランと自信は持っていただっただろうと思う。
“内容”は悪くないのだから、「足りないもの」はもう明らかになっている。
春先の絶好調からアウエイ仙台戦との頂上対決をピークに崩れ落ちるような長期の未勝利ロード(まるで2011年シーズンの「0-4」3連敗のような)、そしてナビスコファイナル以降の11月の悪夢のような4連敗も、そこに「足りないもの」があったのならば“結果”はまったく逆になっていたとしてもおかしくない。
アフシンは4年目以降のヴィジョンを語る。しかしそれは来週から再開する天皇杯と2013年シーズンの“結果”にかかっている。
2013年は2010年のような「勝負の年」になる。

これからしばらくは契約更改や補強にも注目しなければならないけれども、すでに勝負の2013年シーズンを楽しみにしている。

なぜ彼らは“若さ”を言い訳にしないのか/第34節 大宮戦

2012-12-03 02:08:08 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


土曜日は日本平で今シーズンのリーグ最終戦大宮戦
かたや11月の4連敗によってリーグ戦の“可能性”をすべて失ってしまった清水。こなた例年通りの残留ラインのコントロール役をきっちり果たして前節残留が決定した大宮。今シーズンはガンバが巻き込まれているだけに残留争いが例年以上に注目を集めている。
ざっくり言うと、まるっきり消化ゲーム以外の何ものでもない。
そうなると、このゲームは自分たちとの戦いになる。どういうテーマを設定してこのゲームに臨むのか。
大宮のチョヨンチョルは「両チームともミスが多くて、パスがつながらなかった」とは言うが、ゲームの主導権は、後半30分過ぎを除けば、どう見たってほとんど清水が握っていたのは間違いがない。大宮の人たちには悪いが、格は確実に違っていたと思う。
ちなみにチョは「グラウンドが濡れてたのもミスの原因になったと思います。アップのときは濡れてなかったのに、始まってみたら濡れててボールがすごくすべった。いつもだったらつながるパスがつながらなくて、ストレスのたまる試合でした」というが、高速パスワークを活かすために雨が降っていなくてもゲーム前やハーフタイムに散水するのは日本平の恒例で、そんなものは大宮のスカウティング不足というものだろう。
ピッチの状態が悪いのを有効利用するチームがほとんどの中、日本平は管理の行き届いた最高のピッチを最大限に活かしているのである…と勝ったのならば(キリッと誇ることもできたのだろうが、またしても「内容は悪くないが」という結果になった。
ということで後半30分過ぎあたりからのスタンドは野次が怒号に変わりはじめ、実に雰囲気が悪かった。ある意味、花試合ともいえる最終節なのに、だ。

アフシン「それは選手たちがミスをしたくない、ミスを恐れてしまうという点が出ていたと思いますが、そこはまだ若さがあるからだと思います。チームでボールを回すということ、そして片方のサイドで詰まったときは、ボールを下げてまたサイドを変えていく。ただ、それは前にボールをつなぐという意図を持って下げるようにしています。しかし、多くのポジションにはまだ新人の選手が多く、プレッシャーがかかると力を抜いてプレーできないのかもしれません」(J's GOAL 12月1日付

アフシンは「100%のプレー(パス)」を求める。それはリスクマネジメントに他ならないのだけれども、矛盾するようだが、その一方である程度のリスクを負ったチャレンジがなければゲームを動かす両輪にはならない。今シーズンのベストゲームのひとつであるホーム鹿島戦は確実にそれができていた。このチームは状態さえよければそれができるチームだと信じて疑わないのだが、現状のように“ワンタッチ”と言いながらリスクを避けるための手数の多いパスを繰り返していてはゲームは動かない。悪いことにミスも増える。一見ゲームの主導権を握り、コントロールしているように見えて(事実大宮にはカウンターしか“手”はなかった)、実はその「100%」のはずのパスにミスが頻発してしまうのは、やはりリスクを恐れるメンタリティが抜け切っていないからではないか。
チャレンジした上でのミスならばスタンドだって納得するだろう。例えアフシンが怒ろうがスタンドは擁護する。リスクを恐れた上でのミスだからスタンドから怒声が上がるのだ。チャレンジには拍手で応えるし、それでも野次るような馬鹿にはそれをかき消すような声援で応えよう。
そんなときの“若さ”は言い訳にしたって構わない。リスクを恐れたり、ミスを若さの言い訳にするのではなく、チャレンジを若さの言い訳にして欲しい。むしろ言い訳にしろと言いたいのだ(本人が言わなくたってオレが書く)。

ベルデニック(大宮)「今日はリーグの中で一番アグレッシブなチームと対戦したと思っています。そういう相手に対してはクイックにプレーすることを選手たちには試合前に求めていましたが、(中略)なかなか自分たちの思うような形には持って行けませんでした。タッチ数が多くなり、相手のプレッシャーを受けることで、我々が勝利をたぐり寄せるような状況になりませんでした」(J's GOAL 12月1日付

要するに清水は、アグレッシヴなチェイスや高速パスワークはある程度できていたものの、シンプルで大胆な展開に欠けたという意味では大宮同様“タッチ数が多”かったんだよなァ…と思う。
スタンドが盛り上がったのが、サポーターに熱くアピールし盛り上げ続けたキャラのロングスローだけというのでは寂しい。
川崎戦に続いて勝たなければならなかった内容だったと思う。

清水、新潟、大宮はオレンジ互助会と呼ばれる。この対戦はほぼ毎回、焦れるような展開でエンタテイメント性に欠けるゲームになる(見方によっては実に熱いゲームなんだけれども)。今シーズンの新潟の残留はやっぱり、どう考えたって清水戦の勝利が大きかったよなあ、とつくづく思う。本当にオレンジ互助会だ。

ゲーム終了後は拍手の少ないセレモニーになった。思ったよりは野次は少なかったけれども、ちょっとした寒々しさが漂っていたのは事実だろう。それでも、やっぱり社長やアフシン、浩太が「天皇杯」という言葉を口にしたとき、オレは拍手せずにはいられなかった。これだけいろんなことが起こったシーズン(今年も!)に、やっぱり何も残らないなんて我慢できるわけがない。
シーズン振り返りは天皇杯終了後。
オレたちには元日の国立に立つべき理由がある。