前にも書いたが、私は小学五年の二学期から、中学卒業までを、父親の仕事の関係で、四日市市羽津町に住んでいた。 ここでは育ち盛りの時期を過ごし、今も同級生達と交流を持ち続け、第二の故郷とも思っている。
ここには、「羽津郷土史と民俗研究会」なるものがあり、その一員に同級生がいることから、同人誌を数年前に¥1500で買わされたが、最近になり第2集が発刊されたので、再度買う嵌めになったのであった。(今回は¥1000)
その本には、古くまた由緒正しき神社があり、その特集になっていた。私は名前は聞いていたが訪れたことはなかったので、近くを通った時に立ち寄ってみたのであった。 なお、この本には同級生が羽津を通る旧東海道の風景の水彩画を載せている。
「伊賀留我神社(いかるが神社)」
下の写真、右の道が旧東海道で、写真は北の方向を写しており、この先は桑名、名古屋方面になる。 幼少時代をこの少し南方ですごしたので、道はほとんど通ることはなかったし、この神社は今回が初めての参拝である。 (2019.03.17(日)撮影)
このあたりは一般には「鵤(いかるが)町」と呼んでおり、 羽津町では北の端に位置する。
現在、この神社と道路をはさんで、北隣に「総社伊賀留我神社」というのがある。 先ほど書いた歴史書によれば、この辺りは鵤(いかるが)という一つの村であったが、寛政年間の大風水害で真ん中が削られたので、北鵤(今の茂福)と南鵤(今の羽津)と二つの村に分けられ、神社も二分されたようだ。
・・・であるから、北の神社が「本社」なのであるが、何故か南のほうが、広く立派であると思うのは私だけだろうか?。
「総社伊賀留我神社」
「はづ」第二集 ~ 神社その1 (伊賀留我神社)~
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