伏見区にある寺田屋を出て、濠川の美しい柳に見とれながら、川の上流方向(南東方向)に少し歩くと、数分でこじんまりとした古寺に到着する。
「長建寺」 (ちょうけんじ) 正式には「弁財天長建寺」 島の弁天さん
真言宗 東光山
京都市伏見区東柳町511
拝観境内自由 駐車場無料
桃山城の塔頭、「多聞院」から移された寺。八臂弁財天は太閣秀吉の守り本尊で、伏見の弁天さん(島の弁天さん)と呼ばれ親しまれている。
豊臣秀吉没後、徳川3代まで使われた伏見城は元和5年(1619年)廃城後、伏見の町は衰退し、13代目伏見奉行 建部政宇(たけべまさのき)は元禄12年(1699年)、壕川を開拓するとき、深草大亀谷の即成就院の塔頭多門院を分離して現在地に移築した。建部姓の一字と長寿を願いと名づけたのが寺の起こり。
伏見の名水「閼加水(あかすい)」
手水の大きな石槽は、平安時代中期の即成就院から移されたものといわれる
「長建寺」を出て、濠川を渡って、北の方向に10分ばかり歩き、「大手筋通り」のアーケード通りから直接入ると、ここにも古寺がある。
「本教寺」 (ほんきょうじ)
日蓮宗 福昌山
京都市伏見区東大手町778
参拝境内自由 駐車場なし
本教寺は、文禄三年(1594)、日新上人の法孫・教行院の日受上人により創建されました。
日受上人は当初は西浜堺町(伏見区)に小庵を創建したのですが、徳川家康の第二女・良正院督姫の篤い帰依を受けて、慶長十九年(1614)に、督姫が十六才で姫路城主・池田輝政の令室として嫁ぐことになった際に、その館と敷地を寄進されて現在地に移転しました。当時は広大な敷地を持っていたようです。
督姫は幼少時より、当時伏見城にいた太閤豊臣秀吉に寵愛され、池田家との媒酌も秀吉が自身買って出たとも伝えられます。当時秀吉から督姫が賜ったという伏見城の牡丹は、現在も境内で花を咲かせていることから、本教寺は、豊公遺愛 督姫手植えの牡丹のある寺、「慶長牡丹の寺」として親しまれています。
「楠」の大木が・・・。
この後は、月桂冠の本社前の駐車場に戻り、車に乗って「西運寺」に向ったが、その記事は次回にしたい。