木燃人の波止場

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938 勤めていた会社・同期生の集い

2013-05-21 08:00:00 | その他

昭和31年4月2日に高校を卒業して正規入社したのは、男子12名、女子4名であった。この”サムライ達”は「仲良し会」と名乗る程に仲が良く、入社以来すでに半世紀以上時々今も会合を続けている。 今や”後期”に突入しているので、多くは何らかの病歴はあるし、1名はもうこの世にいないのである。

その会合が久々にあって出席したのでこれはその記録である。 妻と私が相次いで初めての手術と入院そしてその後遺症によって、二回は欠席せざるを得なかったので、私にとっては数年ぶりの再会となったのであった。今回はゴルフ場での会合の為か、女性陣の出席はなく、男子9名が集まった。 

この会は入社以来十数年間位は、殆ど全員参加で旅行などをしていたが、バブル最盛期には、夫々が役職に着くなどして忙しくなったりして、一時は途絶えていたが、定年(60才)が近づくに従い、集まる機会が増えて来て、最近は二年毎位に集まっているのである。

 

今回の集合場所は三重県津市白山町にある、リゾートクラブである。

ここはもともとはゴルフ場からスタートしたが、ゴルフ離れが激しくなり、ホテルや色々な楽しみ方の出来るようになったが、周囲に確たる集客施設も無いことから、平日ではあるが閑散としている。お客も殆どが中国、韓国人で日本人は極僅か、それも半数はゴルフをしない人達、これでは三つあるゴルフコースも閉鎖と変わりがない状況。

入口はゴルフ場とホテルなどと同じになっている。

 

ゴルフのフロントと別のホテル。

ゴルフ場の横を通り奥に進む。

 

下がもうひとつのホテル。食事と風呂はここに来なければならない。

 

下の写真はガラス越しで撮ったので、解り難いが写真右奥が今夜我々が泊まるコテージである。

同期生は、男子は電気科が5名、機械科が3名、商業科が4名、女子は商業と普通科であった。この内、私を含む技術系の5名は”ジャンキチ五人組”と言われたほどに、土曜日は夕方から、一人の下宿先でのマージャンと決まっていたし、マージャンに付きまとう、傑作な話を数多く残している。

そのひとつは、ある土曜日の夕方、当然翌朝までの完全徹夜麻雀が始まった。 その第一回目の第一局、親が最初の牌を切り(捨てる)、次いで私が「西」を切った所、何とK君が”テンパイ”(上がり待ち状態)でしかも、悪い事に「西」のタンキ待ち(同牌二枚で頭になる)だったのである。

この”当たり”は「チーホー」と言って「役満」(満貫の最高峰)に、いきなりぶち当たったのである。始まったばかりで、しかも殆ど出る事の無い「役満」に当たってしまったのである。これは精神的ダメージも大きく、いくら懸命にやるも回復ならず、この夜は初めての20万点を負ける結果となってしまった。

”タンキ”は「西」で待てというが、まさにそれがぴったりはまったのには、愕然としたものであった。長い雀歴ながらも「役満」で上った経験が10回も無いと言うのに、東の第一局で当たるなんて、これは不運と言うほかは無いが、私の雀歴に今も鮮明に残る、不幸な(?)出来ごとだったが、今になると懐かしい思い出であった。

 

かつては全員ゴルフをしており、集まれば昼間はゴルフ、夜は麻雀と決まっていたが、今回は昼間はグランドゴルフとなった。 私は初めてであったのと、重いカメラを首にぶら下げての参加となった。ここは、フラットなコースは一つも無く、ゴルフ場と同じくアップダウンがあり、芝目もきつく結構難しく”平均ボギー”に近かった。

この後、昼食をとり、午後は今夜宿泊するコテージに入り、カラオケもあったが声はなく、自然の成り行きの如く、マージャンが始まった。何と麻雀台はメンバーが自作の物を持参したものであり、また、”麻雀牌”は何と30年以上前に、この会での懐かしく面白い思い出のある品であった。

その話とは、この会が、昭和40年前後に、伊豆方面に旅行した時の事であるが、沼津の旅館に着くや否やマージャンをしようとしたら、台はあるが牌が無いと言うので、ならばと街に出て牌を買って来て始めたのであった。旅館は台があって牌が無い事はあり得ないと思うから、意地悪をしたものと私は思った。

そして、翌日伊豆に向う船室のテーブルの上で麻雀が始まったが、間もなく船員から注意を受けてしまったので、止めざるを得なかったが、それで止めてしまうほど”やわ”ではない。 多数のお客さんが乗る、カンカン照りの甲板の少し高くなった所で始まったが、その暑いのには流石に参ったのであった。

そして、この沼津で買った牌は、その後の麻雀で勝った者の所有となり、その後も度々この仲間で使って来たものである。今の牌と違って、本物の象牙であり少し小さくて軽いし、使いこんであるから滑り易くまた、久々の麻雀故に”山積み”もはじかれるので、少しずつに分けて載せるる始末であった。

私は10年近くやってないから、初めは”チョンボ”したりもしたが、座った場所がよかったのか、次々と大きな手が来て、勝ち進むことが出来たのは極めて予想外の事であった。後半負け込んで、トータル少し+で終えることになった。その上に、このメンバーで平均的に強く私も多く降り込んだ男が、一人沈みとなったのも珍しいことであった。

夜の丁度12時に終えたが、結局私は9千点の勝ちとなり、大負けの予想が大きく外れたのであった。最後まで、笑いの絶えない楽しい一日を過ごす事が出来た。こうして今も会える喜びを改めて感じると共に、翌、朝食後、次回全員が元気での再会を約してお開きとなった。

 

私はこの後、折角津市まできたのだからと、30分程で行ける「松阪農業公園ベルファーム」に向ったのであった。