木燃人の波止場

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917 京都伏見を撮る⑤ 寺田屋 濠川

2013-05-03 08:00:00 | 資料館

 「月桂冠大倉記念館」に車を止めて、そこから徒歩数分歩いて次の訪問地に着いた。そこは余りにも有名な幕末の大舞台のひとつに数えられる地にやってきた。

 

 旅館「寺田屋」

     京都市伏見区南浜町263

寺田屋は伏見の船宿。文久2(1862)年4月23日、薩摩藩急進派有馬新七(1825~62)以下35名が関白九条尚忠(1798~1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり、有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬(1835~67)も伏見奉行所の捕方に襲われたが、難を逃れた。寺田屋は鳥羽伏見の戦(1868年)に罹災し、焼失した。現在の建物はその後再建されたものである。

 

今も泊まれる旅館「寺田屋」

     宿泊料 ¥6500   見学 ¥400

     二軒長屋の左隣は”質屋”になっていた。

寺田屋の右脇にある、坂本竜馬碑を中心とした庭。

「お登勢明神」:坂本竜馬とお龍を結んだ寺田屋の女将お登勢の百年祭を記念に神と祭られ将来の若き男女の守り神となったとある。・・・おかみさんが神様に・・・・!。

大河・竜馬伝では草刈民代がお登勢役をやってたなあ確か!。

竜馬碑は意外に小さかった。大きいのは場所的に無理とした事が伺える。

 淀川を上下する乗客はまず船宿に入り、それから乗船していた。寺田屋も有名な船宿のひとつで、この付近には多くの船宿が並んでいた。淀川は平安時代以来船運が盛んであった。「三十石船」は長さ17m幅2.5m船頭4人で定員28名の旅客専用の船で上りは一日又は一夜、下りは半日又は半夜で、伏見と大阪天満の間を往復していた。明治4年まで続いたそうだ。

 

柳が美しい!!。

 

この後は、更に徒歩にて「本教寺」「長建寺」に向ったが、それは後日に紹介する。

 

 

 

コメント (4)
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