マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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歴史の視座から見た大和の農耕儀礼

2012年08月19日 08時57分20秒 | 民俗を聴く
二上山博物館で武藤康弘奈良女子大学文学部教授が語る『歴史の視座から見た大和の農耕儀礼』の聴講に出かけた。

座学は時間がある限り出席したいものだ。

今回は何を話されるのだろうかと思っていった。

地下の駐車場はとても狭くてすぐに満杯になる。

南側の市役所駐車場へと誘導されて停めた。

次男が子どものころに拝観したことがある博物館。

主な展示物はサヌカイトなど旧石器時代の産地だけに石の文化を知らせる。

発掘された古墳、石棺、埴輪など学習に役立つ展示である。

ボランティアガイドもおられるそうだが、古代史、歴史、有形文化財どまり。

無形民俗の部類はと尋ねてみても答えがなかった。

講座は「奈良は古い祭礼が記録に残されている。大和名所図会、諸国図会、春日大宮・若宮御祭、和州祭礼記などさまざまだ」と話される。

春日御祭はかつて11月26日であったことが記録にある。

数々の史料を通じて歴史を遡ることができる大和の祭礼。

形としては存在しないお祭りや儀礼。

祈りといったものは信仰の姿である無形民俗文化財だと語る。

農村の社会は変貌してきた。

少子高齢化の時代・・・。

現在に行われている祭礼は記録、収集、保存、教育に繋げていかねばならないと話す。

奈良の祭礼は農業や林業の生業と密接に結びついていることが多い。

映像を映しながら解説されたので列挙しておこう。

水口祭り、レンゾ、サビラキ、ノガミ、オンダ、虫送り、夏越し、雨乞い、風の祈祷、念仏踊り・・・の事例である。

ヒイラギ、イワシの頭が描かれている鎌倉時代の春日権現霊記。

それは魔除とされる。

蘇民将来(そみんしょうらい)。

チマキ(粽)、祇園祭で名高い京都八坂神社。

京都の壬生寺境内遺跡に蘇民と書かれたお札が出土した。

急々如律令。クジのゴイッポウ、呪文・・・道教の呪文。

平城京跡。呪符木簡に「八百急々如律令」がある。

おまじないは古い時代からあった。

水口に祀るお札の事例。

桜井の箸中は須佐之男命の牛玉宝印。

水路を通じて苗代に疫神が入らないようにと祈祷するお札。

稲の育ちに対する魔除けとも。

奈良市都祁馬場の水口はウルシ棒。

金龍寺のお札である。

奈良市都祁友田は木の枡を置く。

そこにはアラレを入れたようだ。

桜井の小夫ではアラレがあった。

添える花はイロバナと呼んだ。

田原本町の伊与戸は花だけであった。

天理の藤井ではオコナイがある。

その弓矢を苗代に立てる。

川西町の下永では唐招堤寺の宝扇であった。

この扇には疫神除けの梵字が書かれている。

奈良市都祁針の観音寺のオコナイは動画で紹介される。

ランジョーの在り方は特殊である。

ゴーサンを持って堂内を走り回るのだ。

平成17年には私も取材させていただいたからその様相はよく判る。


(H17. 1.12 EOS KISSⅢ撮影)

牛玉宝印書は版木で摺る。

祈祷を終えれば、ごーさんの朱印を額に押してご加持を受ける。

そして、フジの木に挟んで水口に供える。

生駒市の往馬大社の牛玉宝印。

レンゾとされるダケノボリ。

岳と呼ばれる山に登って咲く花を見る。

花が咲けば田植えを始める。

小夫のサビラキも動画で紹介された。

モミを包んだクリの木を田植え前に挿す。

豊作の象徴とされるクリの木である。

東山中ではフキダワラが見られる。

下永での牛玉宝印書の版木摺り。

かつての神宮寺とされる白米寺の名残である。

ノガミまつりは耕作地の外れ。

昭和40年頃まであった二毛作。

麦の収穫を今に伝えるノガミまつり。

奈良北部は牛回し。

角を赤く塗って連れて回る。

チマキを作って牛に食べさせていた。

牛や馬の絵馬を奉納する。

その姿は大和名所図会に残されている牛小屋の絵。

なんと小屋に絵馬があるのだ。

牛神信仰の一形態とされる。

江戸時代までは祇園系の神社は牛頭社と呼ばれていた。

仏教色が色濃い。

雨をもたらす蛇。

それがでてくるノガミのまつり。

橿原上品寺のシャカシャカ、田原本町今里・鍵のジャマキなどが有名だ。

オンダ事例の一つに大和郡山植槻のオンダがある。

天保十年(1839)正月の銘があるクワが残されている。

大宇陀平尾のオンダではオヒネリ桶に延宝四年(1676)とある。

御田植目録は天保十五年(1844)だ。

手向山八幡のオンダで用いられる桶では文政二年(1819)。

図絵によれば、昔は鈴の神楽舞があったそうだ。

吉野山のオンダには応永二十年(1413)の『当山年中行事条々』が残されている。

古い時代を遡ることができる貴重な史料である。

太鼓と鉦を打ち鳴らして虫を追い出す虫送り。

奈良では見られないが、愛知県で行われているサネモリ。

サネモリは平安時代末期の武将である斎藤実盛を表したとされる騎馬武者人形だ。

京都府相楽郡の和束(わつか)にも虫送りの人形が登場する。

かつて十津川村においても人形が出たそうだ。

夏越しの祓え。飛鳥坐神社に茅の輪がある。

春日大社の茅の輪は町屋にもある。

十津川の風の祈祷が念仏踊りと繋がった。

香芝市狐井の板仏も雨乞いだそうだ。

先生の出生地は東北。

その一つにあげられる豊作占。

ワラを立てる秋田の雪中田植え。

小正月に倒れたワラの本数は月数に数える。

その年の出来不出来を占う行事だそうだ。

第二部は今年の4月に就任された松田真一館長との対談。

前職は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館館長だった。

『弥生の里~くらしといのり~春季特別展』への協力をしたことがある。

その際に学芸員より紹介されて挨拶をした方だ。

忘れもしない、東北関東大地震が発生した3月11日のことだ。

地震、津波が発生したというラジオニュースを車中で聞いた1時間後に附属博物館会っていたのだ。

それはともかく、対談は農業、農耕の在り方は知らないからと質問形式で進められた。

その対談話を列挙しておこう。

盆地部と東山中の違いは・・・。

牛の貸し借り、田植えの時期、農事の相違。

山間は盆地に比べて気温が五度も違う。

11月に稲刈りをしていた盆地部。

サビラキは田植え初めの儀式で山中にある。

サナブリは盆地部で家サナブリと村サナブリがある。

ノガミの行事は山間にない。

母親の出里は都祁村だった。

友田、白石はウラ毛が採れない。

気温の違いが如実にでる。

蘇民将来・・・急々如律令。

急々如律令は台湾民俗。

道教の影響が色濃い。古来から日本は何でも受け入れてきた。

日本の信仰、文化がある。

一つのものにお願いするだけでなく、神さんであろうが、仏さんであろうがあらゆるものにお願いをする。

天王の名がついていた牛頭天王社。

明治の初めに八阪神社、杵築神社、スサノウ神社の名に替えられた。

お田植えは予祝の行事。

神さんを先に迎える。

秋の収穫後はイノコがある。

ワラの棒で地面を叩く。

高田のイノコでは叩くことが見られない。

川に出かけて石を拾うオナンジ参り。

それを社に置く。

禊の在り方である。

ノガミやマツリの痕跡は弥生時代にあったのか。

動物との関わりはどうか。

川魚のコザカナは水田で飼っていた。

ノガミにワカメ汁が見られるが・・・。

吐山のエビス神社のマトウチはシカウチ、それともオンタイジなのか。

吐山は成人儀礼。

播磨国風土記には動物の血を畑に入れれば育ったという話がある。

それは再生への儀礼である。

などなどの対談。

短時間であるゆえ質問も難しかったと思う。

会場に集まったのはおよそ60人強。

数人からも質問があった。

これも列挙しておく。

映像で紹介されたハナカズラはどこでしているのか。

小夫のオンダであるが、シキビが供えられることから仏教的。

祖霊信仰との関係は。

オモチを供えることが多々ある。

モチは人を表す。

ヒトミゴクとも呼ぶ行事がある。

東北のオンダは。あまり見られない。

東方では奈良に近い東海地方ぐらいまで。

ミナクチの鳥とか獣を供えることはあるのか。

そのような事例はない。

長時間に亘った講演、対談を終えて博物館展示を拝観した。

その一部に発掘された木簡が展示されていた。

それには「和世種三月六日 小須流女十一日蒔 種蒔日 伊福部連豊足解 申進上御馬事 今日□ 可命死依此御馬於飼不堪」などの文字がある。

9世紀初頭の井戸から発掘された下田東遺跡だ。

平安時代における種蒔きを示す木簡は聞いたことも見たこともない。

「和世種」は現在でいう「早稲」種。

「小須流女」は品種であろうとされる。

裏面には「小支石田刈」もある古代の文字。

「七月十二日十四日十七日」「田苅五日役」と稲刈りの日を表していたと解説されていた。

(H24. 6.10 聴講)


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