この日は実に気持ちが良い。
病院のリハビリ室から眺める矢田丘陵が見える。
その先、右の方角には生駒山の遊園地も見える快晴の日だった。
リハビリ室で筋肉マッサージをしてもらったおふくろは新館側の階段を降りていく。
左手は手すり。
右手が杖つき姿。
降りる速度は割り合いに早い。
階の段数は1階分に10段。
4階から降りて病室のある2階まで。
一段、一段降りに慎重さは求められる。
リハビリ療法士が付き添って見守ってくれる歩行訓練は当然である。
一歩間違えれば転倒。
退院された自宅で転げて再入院になったという事例はままあるようだ。
病室からずっと杖つき歩行も慣れてきた。
階段登りもラクラクの様子。
住まいする市営住宅はエレベーターのない建物。
住居は4階にある。
今まで難なく、といいたいところだが、手すりに掴まって上り下り。
4階までの階段数は47段。
それを見越したリハビリ運動。
1カ月前はリハビリ室の水平棒を掴まり歩き。
病室フロアーはよたよた歩行器ぐらいの状態だったが、見る見るうちに回復してきた。
この1カ月間の身体状況の変化はどうであったのか。
忘れないように記録したメモを遡って回復に向けた経過状況をみる。
前日の11月27日。
服用薬分包はご自身でしてもらいます、と看護士さんから伝えられた。
薬の服用は個数など誤りが多いと聞く。
防ぐには予めに分包をして容器などに振り分けておく。
骨折入院するまでは自分でそうしていたが、入院ともなれば看護士の手によって分包される。
食事を済ませたら、看護士はその食べた量を目分量でチェックして記録する。
それから分包した薬を患者さんが食べているテーブルに置いて指示をする。
確かに服用したかどうかも見ている。
いつも診ている看護士さんから忠告を受けた。
おふくろは人が良いものだから隣り合わせた患者さんが訴えることに耳を貸す。
耳だけで良いのだが、品物まで貸してしまう。
これは院としては問題である。
何度も目撃されたらしい。
患者さんの声を聞いてあげて話しをしてあげる。
好意的な話しでよければいいが、徐々に親交もできてくるからついつい「出来る」ことを勝手にやってしまう。
貸したつもりが、相手は「私のんや」ということになりかねない。
若干の痴呆症がある患者さんもいる。
そうなればいらんトラブルになってしまう。
そこで云われた「勝手にしたらあかん」で、ある。
それにしてもこの日は見舞いが3組も。
従妹姉妹の2人に実弟夫婦、もう1組はおふくろが生まれた実家母屋の従弟の嫁さん。
元気づけてくれた。
先週16日は入浴日。
25日の今日は機械入浴も除外されて一人で入浴できるようになった。
浴槽に入る、出るは自分の力で跨ぐ。
もちろん手すりを掴んでのことである。
入浴は浸かるのも、身体や頭を洗うのは自分である。
看護士が見守る中、数人の患者さんとともに入浴するが、背中洗いだけは介護士さんの手を借りる。
院内の浴槽は段差が少ないが、若干の跨ぎがいる。
こうして、あーしていると身振り手振りで説明してくれる。
21日は、従妹のねーちゃんにその娘の姪っ子も見舞いに来てくれた。
先月の10月26日に受けた2度目の介護認定調査。
その認定審査された結果が届いたのは3週間後の17日だった。
結果は要介護4。
初回認定は要支援の2であったが、一気に繰り上がった。
そのことを伝えた住之江敷津浦地域包括支援センターのB主任が云うには、次回は半年後になるという。
そのころは予想もつかないが、下がることはないような気がする。
14日。午前中に行われたリハビリ運動は杖つきの階段上り下り。
10段をラクラクとこなしたのでリハビリ療法士もびっくりしたらしい。
ただ、実際は5段階段の6往復。
片道30段の倍ということらしい。
らしいというもなんだが、実際の動きを見てみたいと思った。
ところで、本日は1カ月の入院費用の支払い。
請求金額は10万3千円ほど。
医療費は91歳の高齢者であるから一割限度額負担額の57,600円。
それ以上の医療費はないが、これまでお世話になったオムツ代と食事代がある。
オムツ代は4,400円で済んだが、食事代は別途ということで37,680円。
食事は完食しようが、しよまいが毎日3食。
多額な支出は予想していたが・・。
請求金額の内訳はそれだけでなく、口腔ケア費用の1,344円もあれば、診断書発行料もある。
私が入院していた天理の病院は手術代も検査、診療費、薬代に食事代も込みこみの医療費算定。
1カ月分の医療費は高額医療費申請をしていたから限度額の67,800円で済んだ。
特に大きい食事代が別料金となれば生活費が圧迫する。
政府にお願いするのはこのような不公平さをなくしてほしいわけだ。
12日。病室ベッドの横に配置するお丸形のポータブルトイレ。
夜のもよおしは寝ていたベッドから離れて用を足す。
その際にはナースコールをする。
コールをするのはそれだけになった。
病室フロアー内であれば、別室のトイレに行くとか、食事する共用コーナに行くとかは自由に行動してください、ということになった。
ただ、自由といっても歩行器を利用した上でのこと。
リハビリ運動は階段の上り下りも始まっている。
杖をついて5回もしたというが、段数はよくわかっていない。
なんとなく6往復の計30段のようだが・・。
リハビリ運動はリハビリ室が主。
何回も往復する杖歩きの速度は早くて、すたこらさっさという感じだ。
この日にKリハビリ療法士が私に伝えた目標感は病室フロアーの自由歩行を杖歩きができるように、ということだった。
11日。階段の上り下りを3回もチャレンジした、という。
左手を添えるのは階段の手すり。
右手にステッキ風の杖で身体を支えて上り下り。
おふくろの姿をみたリハビリ療法士は目をむいたように驚いたらしい。
歩行器利用であるが、病室内にあるトイレの行き来も可能になった。
ここT病院の新館は見舞客も利用できるトイレがある。
病室廊下に数か所。
それに病室内トイレである。
これまで私が見聞きした病院で見たことのない病室内トイレはありがたい。
ただ、念のためということでナースコールをしてからになるから、用足しコールは早い目に、ということである。
7日。明日からは病室内移動は歩行器になると云われたそうだ。
ずいぶんと長い間をお世話になったオムツもようやく卒業になった。
6日。実弟夫妻に姪っ子が見舞いにきてくれた。
4日。この日は初の杖歩き。
おふくろ人生初の杖歩きである。
8月に発症したときは初の介護認定をした。
そのときに受けた介護認定聞取り調査に答えていた杖歩き。
あんなんしたくない、といっていたが難なくこなしているのが嬉しい。
そういえば、介護のデイサービスに介護施設利用の入浴がある。
何度かの院内入浴に慣れたのか、嫌がっていた入浴デイサービスもOKサインを出した。
人と人に間近に出会っては嫌がっていたが、院内経験のおかげであろうか、嫌がることもなくなっていた。
この日は従妹ねーちゃんの娘夫婦が見舞ってくれた。
2日。午後3時にリハビリ運動が始まると聞いて、共用ルームの食堂で待っていたが、前の患者さんの治療が遅れている関係で、もっと遅れそう。
買い物があるし、待ちきれないから病室を出た。
11月1日。前夜というか、この日の夜中の午前3時。
排尿に尿管をつけている部位が痛くなったそうだ。
あまりの痛みに耐えきれずのナースコール。
痛みを伝えた看護士さんは尿管を外してくれたのですっきりした、と開口一番に話す身体状況。
先月の10月2日に入院してずっと装着していた尿管がやっとのことで外された。
排尿が自由になれば、車椅子移動ができるようになったが、看護士立会の下である。
この日は気持ちもよくなって院外につれだしてくれたという。
連れ出してくれたのは看護研修生のOさん。
コンビニ際の外アプローチ道から門扉を抜けて看護学校が見えるところまで連れてくれた。
それが嬉しくて楽しそうに話してくれる。
天気も良かったので、そこに15分間も佇んでいたそうだ。
この日は口腔外科医による細菌感染予防。
歯間ブラシで歯を掃除してくれたという。
次回は11日。
定期的にしてくれるようだ。
こうした経緯もあったこの日もリハビリ運動がある。
病室に着いたとき、おふくろはリハビリ療法士とともに廊下に出ていた。
リハビリ室に向かおうとした矢先。
突然にもよおした大の便。
用を足して身体の状態を整えている、という。
それから出かける4階のリハビリ室への移動はリハビリ療法士が押す車椅子だ。
リハビリ運動は膝を高くあげて跨ぐ訓練。
これを2往復する。
測った血圧は120台。
まったく問題のない血圧に続行する。
次は車椅子から離れて立つ場合である。
まずは車椅子の手すりに手を添えて、その手を支えに立つ。
そして、歩行機械の水平棒の手すりに手を添えて、その手で身体を支えて移る。
力はそれほど入れていない。
移動動作は特にしんどさはない、という。
主治医の石崎医師も見にきた状態観察。
それを見て医師は云った。
判定は順調である。
こうして1カ月間を振り返ってみれば、いかに回復は順調であったことがよくわかる。
しかも、その回復時期が想定していたよりも早かったのだ。
(H29.11. 1、2、4、6、7、11、12、14、21、25、27 記)
(H29.11.28 SB932SH撮影)
病院のリハビリ室から眺める矢田丘陵が見える。
その先、右の方角には生駒山の遊園地も見える快晴の日だった。
リハビリ室で筋肉マッサージをしてもらったおふくろは新館側の階段を降りていく。
左手は手すり。
右手が杖つき姿。
降りる速度は割り合いに早い。
階の段数は1階分に10段。
4階から降りて病室のある2階まで。
一段、一段降りに慎重さは求められる。
リハビリ療法士が付き添って見守ってくれる歩行訓練は当然である。
一歩間違えれば転倒。
退院された自宅で転げて再入院になったという事例はままあるようだ。
病室からずっと杖つき歩行も慣れてきた。
階段登りもラクラクの様子。
住まいする市営住宅はエレベーターのない建物。
住居は4階にある。
今まで難なく、といいたいところだが、手すりに掴まって上り下り。
4階までの階段数は47段。
それを見越したリハビリ運動。
1カ月前はリハビリ室の水平棒を掴まり歩き。
病室フロアーはよたよた歩行器ぐらいの状態だったが、見る見るうちに回復してきた。
この1カ月間の身体状況の変化はどうであったのか。
忘れないように記録したメモを遡って回復に向けた経過状況をみる。
前日の11月27日。
服用薬分包はご自身でしてもらいます、と看護士さんから伝えられた。
薬の服用は個数など誤りが多いと聞く。
防ぐには予めに分包をして容器などに振り分けておく。
骨折入院するまでは自分でそうしていたが、入院ともなれば看護士の手によって分包される。
食事を済ませたら、看護士はその食べた量を目分量でチェックして記録する。
それから分包した薬を患者さんが食べているテーブルに置いて指示をする。
確かに服用したかどうかも見ている。
いつも診ている看護士さんから忠告を受けた。
おふくろは人が良いものだから隣り合わせた患者さんが訴えることに耳を貸す。
耳だけで良いのだが、品物まで貸してしまう。
これは院としては問題である。
何度も目撃されたらしい。
患者さんの声を聞いてあげて話しをしてあげる。
好意的な話しでよければいいが、徐々に親交もできてくるからついつい「出来る」ことを勝手にやってしまう。
貸したつもりが、相手は「私のんや」ということになりかねない。
若干の痴呆症がある患者さんもいる。
そうなればいらんトラブルになってしまう。
そこで云われた「勝手にしたらあかん」で、ある。
それにしてもこの日は見舞いが3組も。
従妹姉妹の2人に実弟夫婦、もう1組はおふくろが生まれた実家母屋の従弟の嫁さん。
元気づけてくれた。
先週16日は入浴日。
25日の今日は機械入浴も除外されて一人で入浴できるようになった。
浴槽に入る、出るは自分の力で跨ぐ。
もちろん手すりを掴んでのことである。
入浴は浸かるのも、身体や頭を洗うのは自分である。
看護士が見守る中、数人の患者さんとともに入浴するが、背中洗いだけは介護士さんの手を借りる。
院内の浴槽は段差が少ないが、若干の跨ぎがいる。
こうして、あーしていると身振り手振りで説明してくれる。
21日は、従妹のねーちゃんにその娘の姪っ子も見舞いに来てくれた。
先月の10月26日に受けた2度目の介護認定調査。
その認定審査された結果が届いたのは3週間後の17日だった。
結果は要介護4。
初回認定は要支援の2であったが、一気に繰り上がった。
そのことを伝えた住之江敷津浦地域包括支援センターのB主任が云うには、次回は半年後になるという。
そのころは予想もつかないが、下がることはないような気がする。
14日。午前中に行われたリハビリ運動は杖つきの階段上り下り。
10段をラクラクとこなしたのでリハビリ療法士もびっくりしたらしい。
ただ、実際は5段階段の6往復。
片道30段の倍ということらしい。
らしいというもなんだが、実際の動きを見てみたいと思った。
ところで、本日は1カ月の入院費用の支払い。
請求金額は10万3千円ほど。
医療費は91歳の高齢者であるから一割限度額負担額の57,600円。
それ以上の医療費はないが、これまでお世話になったオムツ代と食事代がある。
オムツ代は4,400円で済んだが、食事代は別途ということで37,680円。
食事は完食しようが、しよまいが毎日3食。
多額な支出は予想していたが・・。
請求金額の内訳はそれだけでなく、口腔ケア費用の1,344円もあれば、診断書発行料もある。
私が入院していた天理の病院は手術代も検査、診療費、薬代に食事代も込みこみの医療費算定。
1カ月分の医療費は高額医療費申請をしていたから限度額の67,800円で済んだ。
特に大きい食事代が別料金となれば生活費が圧迫する。
政府にお願いするのはこのような不公平さをなくしてほしいわけだ。
12日。病室ベッドの横に配置するお丸形のポータブルトイレ。
夜のもよおしは寝ていたベッドから離れて用を足す。
その際にはナースコールをする。
コールをするのはそれだけになった。
病室フロアー内であれば、別室のトイレに行くとか、食事する共用コーナに行くとかは自由に行動してください、ということになった。
ただ、自由といっても歩行器を利用した上でのこと。
リハビリ運動は階段の上り下りも始まっている。
杖をついて5回もしたというが、段数はよくわかっていない。
なんとなく6往復の計30段のようだが・・。
リハビリ運動はリハビリ室が主。
何回も往復する杖歩きの速度は早くて、すたこらさっさという感じだ。
この日にKリハビリ療法士が私に伝えた目標感は病室フロアーの自由歩行を杖歩きができるように、ということだった。
11日。階段の上り下りを3回もチャレンジした、という。
左手を添えるのは階段の手すり。
右手にステッキ風の杖で身体を支えて上り下り。
おふくろの姿をみたリハビリ療法士は目をむいたように驚いたらしい。
歩行器利用であるが、病室内にあるトイレの行き来も可能になった。
ここT病院の新館は見舞客も利用できるトイレがある。
病室廊下に数か所。
それに病室内トイレである。
これまで私が見聞きした病院で見たことのない病室内トイレはありがたい。
ただ、念のためということでナースコールをしてからになるから、用足しコールは早い目に、ということである。
7日。明日からは病室内移動は歩行器になると云われたそうだ。
ずいぶんと長い間をお世話になったオムツもようやく卒業になった。
6日。実弟夫妻に姪っ子が見舞いにきてくれた。
4日。この日は初の杖歩き。
おふくろ人生初の杖歩きである。
8月に発症したときは初の介護認定をした。
そのときに受けた介護認定聞取り調査に答えていた杖歩き。
あんなんしたくない、といっていたが難なくこなしているのが嬉しい。
そういえば、介護のデイサービスに介護施設利用の入浴がある。
何度かの院内入浴に慣れたのか、嫌がっていた入浴デイサービスもOKサインを出した。
人と人に間近に出会っては嫌がっていたが、院内経験のおかげであろうか、嫌がることもなくなっていた。
この日は従妹ねーちゃんの娘夫婦が見舞ってくれた。
2日。午後3時にリハビリ運動が始まると聞いて、共用ルームの食堂で待っていたが、前の患者さんの治療が遅れている関係で、もっと遅れそう。
買い物があるし、待ちきれないから病室を出た。
11月1日。前夜というか、この日の夜中の午前3時。
排尿に尿管をつけている部位が痛くなったそうだ。
あまりの痛みに耐えきれずのナースコール。
痛みを伝えた看護士さんは尿管を外してくれたのですっきりした、と開口一番に話す身体状況。
先月の10月2日に入院してずっと装着していた尿管がやっとのことで外された。
排尿が自由になれば、車椅子移動ができるようになったが、看護士立会の下である。
この日は気持ちもよくなって院外につれだしてくれたという。
連れ出してくれたのは看護研修生のOさん。
コンビニ際の外アプローチ道から門扉を抜けて看護学校が見えるところまで連れてくれた。
それが嬉しくて楽しそうに話してくれる。
天気も良かったので、そこに15分間も佇んでいたそうだ。
この日は口腔外科医による細菌感染予防。
歯間ブラシで歯を掃除してくれたという。
次回は11日。
定期的にしてくれるようだ。
こうした経緯もあったこの日もリハビリ運動がある。
病室に着いたとき、おふくろはリハビリ療法士とともに廊下に出ていた。
リハビリ室に向かおうとした矢先。
突然にもよおした大の便。
用を足して身体の状態を整えている、という。
それから出かける4階のリハビリ室への移動はリハビリ療法士が押す車椅子だ。
リハビリ運動は膝を高くあげて跨ぐ訓練。
これを2往復する。
測った血圧は120台。
まったく問題のない血圧に続行する。
次は車椅子から離れて立つ場合である。
まずは車椅子の手すりに手を添えて、その手を支えに立つ。
そして、歩行機械の水平棒の手すりに手を添えて、その手で身体を支えて移る。
力はそれほど入れていない。
移動動作は特にしんどさはない、という。
主治医の石崎医師も見にきた状態観察。
それを見て医師は云った。
判定は順調である。
こうして1カ月間を振り返ってみれば、いかに回復は順調であったことがよくわかる。
しかも、その回復時期が想定していたよりも早かったのだ。
(H29.11. 1、2、4、6、7、11、12、14、21、25、27 記)
(H29.11.28 SB932SH撮影)