この日の取材メインは奈良市月ヶ瀬の嵩の行事である。
それが始まるまでの時間帯に訪れた地域は嵩よりすぐ近くの桃香野である。
桃香野の八幡神社の祭礼は平成15年の11月23日に取材したことがある。
かれこれ14年前のことである。
下見もせずに訪れた地の状況もわからず、お渡りに出発される当家の場を求めて歩いていた。
急な坂道にこれから当家の家に集まろうとしていた紺色素襖着用烏帽子衆に遭遇したことを覚えている。
お家はあそこだと云われて急行した。
しばらくすればお渡りが始まった。
行列の中でひと際目立った御供担ぎ。
先頭は紅葉を差したイモガシラ(芋頭)。
その次は白餅を差して放射状に仕立てたハナモチ。
その次は餅ではなく平たく切ったイモガシラ(芋頭)だった。
お稚児さんに出会った烏帽子衆に神輿がついていく。
撮った写真の映像は今でも鮮明に覚えているが渡り並びに祭礼の行程はあやふやだ。
2年前のことだ。
撮った風景写真をFBで紹介している写真家がとらえた茶摘み景観を拝見していた。
その画像に映っている男性のお顔ははっきりと覚えている。
FBをされていると知って当時の祭礼写真を送らせてもらったら喜んでいただいた。
男性はそのときの祭礼当家だったことをあらためて知ったのである。
男性はまた、氏神祭礼に奉納する芸能能狂言保存会の一員でもあった。
また、桃香野には写真家のKさんもおられる。
例祭前日は当家御供の調製や能狂言舞台の設営作業もある。
例祭渡御は午前11時半ころ。
それまでの時間帯であれば調整された御供を拝見できると思って出かけた。
平成15年の氏神祭礼は11月23日だった。
平成2年11月に月ヶ瀬村(現奈良市月ヶ瀬)が発刊した『月ヶ瀬村史』に記載されている祭りの日は10月20日である。
それが11月に移った。
取材日以降の数年後に10月になったと聞いている。
いつしか10月半ばに移った。
移ってからは固定日でもなくなった変則日。
その後は10月20日に近い日曜日に移ったことは風の便りに聞いていたが、もしかとすれば前週であるかもと思って出かけたが、やはりであった。
掲示してあったポスターにタイムスケジュールが書いてあった。
前日は午後3時から子供餅つき。
本日は朝10時半から出発する子供神輿の巡行。
神事が行われる直前、お渡り衆に続いてやってくる。
午後0時半からはバザーである。
バザーに無料のおでん振る舞いもあればフランクフルト、駄菓子、ビールなどの販売もある。
神事を終えた午後2時半から桃香野自治会が主宰する奉納能楽もある。
早めに着いてできる限りご挨拶と思ってやってきた。
時間帯は午前9時半。
神事の準備に忙しく動き回る村神主代表のUさんにお礼だ。
バザーの振る舞いおでんはもう出来上がっているから食べていってやと云われるご相伴に預かる。
大釜で煮込んだおでんの香りが境内まで漂っている。
桃香野の若い女性たちが心を込めて作ったおでんはたっぷり盛ってくれた。
朝ご飯は家で食べてきたのにお腹が欲しがる旨そうなおでん。
カラシも付けてもらって口にほうばる。
出汁が浸みこんだおでんはとにくかく美味しい。
そのことを伝えたら満足げな笑顔で返してくれた。
早い時間帯に訪れたのは渡りの人たちが抱える当家御供を見るためだ。
前日に調整し終わった当家御供は地区の集落センター(自治会館)の和室に保管している。
村神主や集落センターにおられた人たちの了解を得て御供を拝見する。
屋内の座敷に整然と置いているわけでないのでありのままの状態で撮らせていただく。
一つは緑色の紅葉を添えた芯芽がにょきっと突き出したオカシラと呼ぶカシライモ(頭芋)である。
二つ目は長めの竹串に白餅を挿したハナモチ(花餅)。
上から見ればぱっと花びらが開いたように見えるからハナモチの名がついたのだろう。
そのハナモチは太い藁棒に刺してある。
倒れないようにしているのか、それとも担ぎやすいようにしているのかわからないが、竹で編んだ籠に納めている。
三つ目は平たく切ったカシライモ。
これもハナモチと同じように花が咲き誇ったような形であることからハナイモ(花芋)の名がある。
室内に置かれた御供はそれだけであるが、他にも数々の品物がある。
それらは渡りの人たちがそれぞれの御供を担いで渡るのである。
順番が決まっている役とともに列挙しておく。
お渡りの先頭は当家身内の兄息子が抱えるオカシラ。
皿に盛ったオカシラである。
2番手は一升五合の青豆大豆を盛った籠を担ぐ中息子。
3番手は弟息子が担ぐハナモチ。
4番手は中与力が担ぐハナイモ。
5番手は弟与力が担ぐハナモチ。
それぞれのハナモチ、ハナイモの竹串は122本ずつ。
三つ合わせて360本の御供は一年間を表しているという。
大量の本数を準備しなくてはならない作業の中で一番に挙げたい手間のかかる道具作りである。
ここまでの登場人物の衣装は紋付き着物に袴。
足は白足袋で下駄を履く。
6番手は濃紺色の素襖を着て烏帽子を被る「烏帽子」。
「ヨボサ」の別名がある烏帽子は12人。
この日に参集された烏帽子役がそう云っていた。
ラストの7番手は締め手の一升酒樽を抱える兄与力。
烏帽子を役目する人たちが定刻の集合時間に衣装を身に纏ってやってきた。
これより始まるのが御札渡しと呼ぶ儀式であるが、隣村の嵩の調理具合を取材するために一旦は桃香野を離れる。
戻ってきた時間帯は午前12時20分ころ。
お渡りの一行はすでに出発していた。
その様子を道中で拝見したのか、村の人たちは祭りの場にやってくる。
その時間帯ともなれば大勢のカメラマンが集まっていた。
その中には知人のカメラマンが5人も。
うち一人は村のカメラマン。
行事の進行役を務めるそうで裃姿になっていた
そろそろお渡りの一行が神社に戻ってくる。
お渡り行列はまだ着いていなかったが、神事が始まろうとしていた。
嵩の行事が始まる時間帯に最も近づいたころを見計らって桃香野を離れたから祭りの一部始終は翌年廻しにするが、平成2年11月に月ヶ瀬村(現奈良市月ヶ瀬)が発刊した『月ヶ瀬村史』に大字桃香野の宮役のことが詳しく書かれているので参考にされたい。
なお、お渡りは雨天であっても決行する。
その場合は番傘をさしてのお渡りになるようだ。
(H28.10.16 SB932SH撮影)
(H28.10.23 EOS40D撮影)
それが始まるまでの時間帯に訪れた地域は嵩よりすぐ近くの桃香野である。
桃香野の八幡神社の祭礼は平成15年の11月23日に取材したことがある。
かれこれ14年前のことである。
下見もせずに訪れた地の状況もわからず、お渡りに出発される当家の場を求めて歩いていた。
急な坂道にこれから当家の家に集まろうとしていた紺色素襖着用烏帽子衆に遭遇したことを覚えている。
お家はあそこだと云われて急行した。
しばらくすればお渡りが始まった。
行列の中でひと際目立った御供担ぎ。
先頭は紅葉を差したイモガシラ(芋頭)。
その次は白餅を差して放射状に仕立てたハナモチ。
その次は餅ではなく平たく切ったイモガシラ(芋頭)だった。
お稚児さんに出会った烏帽子衆に神輿がついていく。
撮った写真の映像は今でも鮮明に覚えているが渡り並びに祭礼の行程はあやふやだ。
2年前のことだ。
撮った風景写真をFBで紹介している写真家がとらえた茶摘み景観を拝見していた。
その画像に映っている男性のお顔ははっきりと覚えている。
FBをされていると知って当時の祭礼写真を送らせてもらったら喜んでいただいた。
男性はそのときの祭礼当家だったことをあらためて知ったのである。
男性はまた、氏神祭礼に奉納する芸能能狂言保存会の一員でもあった。
また、桃香野には写真家のKさんもおられる。
例祭前日は当家御供の調製や能狂言舞台の設営作業もある。
例祭渡御は午前11時半ころ。
それまでの時間帯であれば調整された御供を拝見できると思って出かけた。
平成15年の氏神祭礼は11月23日だった。
平成2年11月に月ヶ瀬村(現奈良市月ヶ瀬)が発刊した『月ヶ瀬村史』に記載されている祭りの日は10月20日である。
それが11月に移った。
取材日以降の数年後に10月になったと聞いている。
いつしか10月半ばに移った。
移ってからは固定日でもなくなった変則日。
その後は10月20日に近い日曜日に移ったことは風の便りに聞いていたが、もしかとすれば前週であるかもと思って出かけたが、やはりであった。
掲示してあったポスターにタイムスケジュールが書いてあった。
前日は午後3時から子供餅つき。
本日は朝10時半から出発する子供神輿の巡行。
神事が行われる直前、お渡り衆に続いてやってくる。
午後0時半からはバザーである。
バザーに無料のおでん振る舞いもあればフランクフルト、駄菓子、ビールなどの販売もある。
神事を終えた午後2時半から桃香野自治会が主宰する奉納能楽もある。
早めに着いてできる限りご挨拶と思ってやってきた。
時間帯は午前9時半。
神事の準備に忙しく動き回る村神主代表のUさんにお礼だ。
バザーの振る舞いおでんはもう出来上がっているから食べていってやと云われるご相伴に預かる。
大釜で煮込んだおでんの香りが境内まで漂っている。
桃香野の若い女性たちが心を込めて作ったおでんはたっぷり盛ってくれた。
朝ご飯は家で食べてきたのにお腹が欲しがる旨そうなおでん。
カラシも付けてもらって口にほうばる。
出汁が浸みこんだおでんはとにくかく美味しい。
そのことを伝えたら満足げな笑顔で返してくれた。
早い時間帯に訪れたのは渡りの人たちが抱える当家御供を見るためだ。
前日に調整し終わった当家御供は地区の集落センター(自治会館)の和室に保管している。
村神主や集落センターにおられた人たちの了解を得て御供を拝見する。
屋内の座敷に整然と置いているわけでないのでありのままの状態で撮らせていただく。
一つは緑色の紅葉を添えた芯芽がにょきっと突き出したオカシラと呼ぶカシライモ(頭芋)である。
二つ目は長めの竹串に白餅を挿したハナモチ(花餅)。
上から見ればぱっと花びらが開いたように見えるからハナモチの名がついたのだろう。
そのハナモチは太い藁棒に刺してある。
倒れないようにしているのか、それとも担ぎやすいようにしているのかわからないが、竹で編んだ籠に納めている。
三つ目は平たく切ったカシライモ。
これもハナモチと同じように花が咲き誇ったような形であることからハナイモ(花芋)の名がある。
室内に置かれた御供はそれだけであるが、他にも数々の品物がある。
それらは渡りの人たちがそれぞれの御供を担いで渡るのである。
順番が決まっている役とともに列挙しておく。
お渡りの先頭は当家身内の兄息子が抱えるオカシラ。
皿に盛ったオカシラである。
2番手は一升五合の青豆大豆を盛った籠を担ぐ中息子。
3番手は弟息子が担ぐハナモチ。
4番手は中与力が担ぐハナイモ。
5番手は弟与力が担ぐハナモチ。
それぞれのハナモチ、ハナイモの竹串は122本ずつ。
三つ合わせて360本の御供は一年間を表しているという。
大量の本数を準備しなくてはならない作業の中で一番に挙げたい手間のかかる道具作りである。
ここまでの登場人物の衣装は紋付き着物に袴。
足は白足袋で下駄を履く。
6番手は濃紺色の素襖を着て烏帽子を被る「烏帽子」。
「ヨボサ」の別名がある烏帽子は12人。
この日に参集された烏帽子役がそう云っていた。
ラストの7番手は締め手の一升酒樽を抱える兄与力。
烏帽子を役目する人たちが定刻の集合時間に衣装を身に纏ってやってきた。
これより始まるのが御札渡しと呼ぶ儀式であるが、隣村の嵩の調理具合を取材するために一旦は桃香野を離れる。
戻ってきた時間帯は午前12時20分ころ。
お渡りの一行はすでに出発していた。
その様子を道中で拝見したのか、村の人たちは祭りの場にやってくる。
その時間帯ともなれば大勢のカメラマンが集まっていた。
その中には知人のカメラマンが5人も。
うち一人は村のカメラマン。
行事の進行役を務めるそうで裃姿になっていた
そろそろお渡りの一行が神社に戻ってくる。
お渡り行列はまだ着いていなかったが、神事が始まろうとしていた。
嵩の行事が始まる時間帯に最も近づいたころを見計らって桃香野を離れたから祭りの一部始終は翌年廻しにするが、平成2年11月に月ヶ瀬村(現奈良市月ヶ瀬)が発刊した『月ヶ瀬村史』に大字桃香野の宮役のことが詳しく書かれているので参考にされたい。
なお、お渡りは雨天であっても決行する。
その場合は番傘をさしてのお渡りになるようだ。
(H28.10.16 SB932SH撮影)
(H28.10.23 EOS40D撮影)