マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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花まつりの伊与戸大師講

2011年05月30日 06時45分50秒 | 田原本町へ
田原本町の村屋神社の北側にある地区が伊与戸(いよど)。

40数軒の集落のうち5軒のI家が神社の綱掛けを担っていた。

農家の営みはモチワラを作ることもなくなり1軒ずつ脱退していった。

小人数ではそれを作ることもできなくなり、その行事を止めざるをえなくなった。

40年ほども前のことだと1軒のI家の奥さんは話される。

昭和59年発刊の「田原本町の年中行事」にはそのころの綱掛け講の様相を写真で残されていることからその後もしばらくは続いていたのであろう。

そんな話をする8人の尼講たち。

毎月21日には昭和61年に改築された公民館に集まって大師講を営んでいる。

この日は花まつりでもある。

かつてはお釈迦さまの誕生日であった4月8日だった。

いつしかそれは大師講の日にまとめてするようになった。

小さな花御堂の屋根の上には奇麗なお花を飾っている。

大和川辺りで採ってきたタンポポに花や栽培しているマーガレットなどの花を添えた。

御堂の内には産ぶ湯に浸かる釈迦像。

「天上天下唯我独尊」と言った姿だ。

木製の桶は年代物だがそれを示す記録はみられない。

湯がそのまま浸かるにはもったいないからと地区に住む人がピッタリはまる金属製の桶を作ってくれた。

湯は甘茶。



参拝する人に飲んでもらう湯でもある。

原材料はアマチャ。

小さな花をつけるアジサイのようだというからアマチャアジサイかもしれない。

以前は自宅などにあったアマチャヅルだった。

たくさんあったが、それは随分前のことで先代のおばあちゃんたちが作っていたので製法はわからないという。

現在は薬局で買ったアマチャを使っている。

お菓子や果物を供えて参拝者を待つ間に始まった大師講のお勤め。

まずは百万偏数珠繰りで法要をする。



本尊や弘法大師像の前にある祭壇にはローソクを点している。

なんまいだー、なんまいだーを繰り返す唱和とともに月当番の導師が叩く鉦の音。

大きな数珠玉がくるたびにそれを上にあげて拝む。

一回回るたびに算盤の珠のような数取りで回数を数えていく。

それがなくなればようやく終わり。

なんまいだと手を合わせて終えた。

大師講のお勤めはそれだけではない。

鉦を叩いて唱える香偈、木魚を叩いて開経偈(かいじょうげ)。

佛説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)、一枚起請文(いちまいきしょうぶん)、発願文、別回向文などなど。

最後は拍子木を打って般若心経で締められた。

お年をめしたわりには声が大きくリズムも早い。

「唱えるお念仏は腹式呼吸をしているから力強く発声できるのです」と話されるおよそ40分間、延々とお念仏を唱えられた。

浄土宗の五重相伝(伝法)を授かった人で組織されている尼講たちはすこぶる元気がいい。

伊与戸の集落はかつて(室町時代とも)三輪さんに向かう門前町だった。

東西には行き交う人が多かったと先代から聞いている。

面影は見られないが街道は商店街のようでコンニャク屋、アブラ屋、トーフ屋、ワタ屋、ゲタ屋、ス屋、ローソク屋、サケ屋、スミ・マキ屋、ショーユ屋、センベイ屋、アメ屋、アンマ屋、カジ屋、サンパツ屋などなど。

今でもその屋号でその家を呼ぶらしい。

(H23. 4.21 EOS40D撮影)


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