マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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八島町檀家参りのチャンカラカン

2013年12月13日 09時04分31秒 | 奈良市へ
8月14日の午後はすべての檀家の家を回ってお念仏をする奈良市八島町のチャンカラカン。

かつては36戸であった檀家も26戸になった。

新仏の家にはアラタナがありハシゴを掛けている。

客ダナを設けた家も映っていた。

そして、かつて家があったとされる広場で「ヤシキ念仏」。

夕方近くには戦没者墓地で「地獄・地獄」で、御陵の池の傍の地では「シゼン」の鉦念仏。

陽が落ちた夜は太鼓念仏。

広場に移ってゴザを敷き「ヤシキ念仏」。

最後の家でお布施開きとなる14日のお勤め。

すべての檀家参りを終えれば、道中で太鼓のウチコミ(打ちこみ)をしながら共同墓地へと向かう。

7回繰り返す「墓念仏」に最後は「ハクマイ」で終える。

墓地では持参したシキビをお墓に供えて各自が鉦を叩いて戻る。

それは23時ごろ。

長い夜であった。

「兄貴に生まれたおかげで苦労しなあかんねん」と語って結ばれた県立民俗博物館で開催された映像にあった八島町の講員は現在、15、6軒で営まれている。

チャンカラカンを申す融通念仏宗派の檀家各家をお盆に巡る八島の講員。

「八島鉦講」の文字を染めた揃いの法被を着て町中を巡る。

暑い盛りの時間帯である。

八島町は下と上の地区に分けて毎年交互に巡っている。

この年は下の地区から始まった。

講員の都合もあって当初は11人で出発した。

時系列にその記録をしておこう。

1. 申し合わせた時間に出合った最初の家はM家。

八島町の特徴であるムエンサンは軒下に吊るしている。

太鼓念仏の「念仏行者」が始まった。

鉦念仏は「バンド」である。

「バンド」の鉦念仏は長丁場。

14時から始まって終わったのは14時25分ころだ。



当家のムエンサンは軒下に吊るしている。

八島町の特徴である吊るしである。

キョウリ・ナシ・リンゴを供えて花を添えていた。

湯呑にオガラの箸もあるのはムエンサンに食べてもらうためであろう。

2. 次の家は昨夜の新仏の念仏も申されたⅠ家。

「念仏行者」と「シゼン」で終わったのは14時45分。

3. 次の家もⅠ家と同様に新仏の念仏も申されたY家。

「念仏行者」と「ハクマイ」で終わったのは15時10分。



大小の胴長太鼓を担ぐ。

手には檀家でいただいたお下がりを持つ。

重さはおよそ20kgの太鼓。

檀家すべてを巡る講員にとっては大切な役目だが、重さが堪えると云う。

4. 次の家のY家からは太鼓念仏だけを申して「「念仏行者」の1曲。



ほぼ4分間の太鼓念仏で終わったのは15時16分。

5. M家は15時20分。



八島の集落を巡る鉦講。

一軒、一軒を訪ねて念仏を申す。

6. Ⅰ家は15時42分。

7. M家は15時50分。



村内にある下地区のお地蔵さんには名はないが、申す太鼓念仏は打ちこみであてウタヨミはしない。

15時52分に終えて次の家に向かった。

8. M家は15時58分に終えた。

9. 次の家ではお布施もないが、太鼓念仏は打ちこみをする。

16時丁度のころには都合を付けて合流した講員。12人になった。

付近の融通念仏家にあがって太鼓念仏を申す。

10. Y家は16時 7分。

11. Ⅰ家は16時12分。

12. M家は16時18分。

13. Ⅰ家は16時25分。

14. Ⅰ家は16時30分。

15. 国道に出たⅠ家は16時38分。

いつの間にか講員は13人になっていた。

16. Ⅰ家は16時44分。

当家においてもトーシで吊るされたムエンサンにお供えがあった。



ハスの葉を敷いてウリ・カキ。アンモチも見られたムエンサンにはササゲマメやオガラの箸も置いてある。

吊るしのムエンサンはすべての檀家が祭っているようではなかった。

貴重なムエンサンを拝見し、思わず手を合わせた。

17. Ⅰ家は16時49分を終えて国道沿いの歩道をゆく講員たち。

そろそろ西日が差しかかるころだ。

数体が建ち並ぶ地蔵石仏。

六字名号ではないが、明らかに地蔵さんでもない石仏群である。

おそらくどこからか寄せた石仏群には湯呑が置かれている。

そこから南にすぐ近くにある尼寺は円照寺。

バス停留所前辺りのわずか前である。

隣村の山村の境界地であろう。



そこでも太鼓念仏と打ちこみを行う。

16時55分のころだ。

西日があたって影が長くなる時間帯。



国道を戻って再び集落に入った。

18. N家で念仏行者を終えた時間は17時10分ころ。

下地区での檀家参りを終えて一旦は小休止。

しばらくの時間は自宅に戻って一時的に休息をとる。

数えてみれば同性のM家、Ⅰ家が多い。

M家は5軒で、Ⅰ家は6軒もあった。

18時半から再開した檀家参りのチャンカラカンはこれより上の地区を巡る。



19. 太鼓念仏のリズムが心地よい。

およそ4分間の「念仏行者」を申したあとは小休止。

続いて鉦念仏の「シゼン」を終えた時間は18時59分であったⅠ家。

20. 次は元々村の人ではないが、奥さんは当地生まれ。

旦那さんとともに八島町に移住した融通念仏宗の家はK家。

行者念仏を申されて、終った時間は19時10分。

21. 次の家もⅠ家で19時18分。

22. 次の家のⅠ家は講員の会長宅だ。

行者念仏を申してもう1曲。

太鼓念仏の打ち込みをされた。



太鼓念仏の太鼓は大と小がある。

小太鼓はカンコと呼ぶ。

充てる漢字は間鼓だ。

間をとるバチは竹製。

しなりがあるバチで打ち続ける。

小休止を挟んで太鼓念仏を申す。

かつては当家の前にある広場であった。

その場にゴザを敷いて元々あった講家を弔うヤシキ念仏である。



Ⅰ家の座敷で行うようになったが、弔う屋敷跡に太鼓を置き直して念仏を申す。

ここではもう1曲が行われた。

南の山のほうにある地蔵さん(向山地蔵)に向かって、である。

かつてはそこへも出かけて念仏を申していたが、蚊が多い、暑いとかで場を替えたそうだ。

終えた時間は19時55分。

23. 次の家もⅠ家で20時 1分。

ムエンサンは玄関をあがった処に置いてあった。



ついさっきまでは吊るしていたというムエンサンには巻きずし、稲荷寿司などもお供えした豪華な盛りである。



念仏のお礼にお布施を手渡す。

24. 次の家もⅠ家で20時11分。

25. そして次の家もⅠ家で20時21分。



両家とも孫男児が団扇で煽いでくれる。

26. この年の檀家参りの最後は昨夜も勤めた新仏の家。

M家である。



逆縁であるゆえ太鼓念仏は「地獄・地獄」である。

小休止を挟んで弔った鉦念仏の「ハクマイ」で締めくくられた檀家参りを終えて共同墓地に向かった講員たちの姿を見送った時間は20時58分だった。

(H25. 8.14 EOS40D撮影)