マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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ホオノハベントウのホオの葉から

2012年08月09日 06時31分45秒 | 奈良市(東部)へ
度々訪れる誓多林のN家。

この日はミトマツリとサビラキ取材のお礼である。

お話を伺っていたところ、「ホオノハベントウ」の話題になった。

田植えが終わればホオの葉の若葉が出だす。

それがある場所は家の近く。

採ってきてはホオノハベントウを作っている。

ホオノハを十字に置く。

熱々のご飯を置いて、コンブ、(ハナ)カツオに醤油を垂らす。

ホオノハを折ってワラで十字に縛る。

それを持って田畑に出かける。

ケンズイの時間になればそれを食べる。

朝とか晩とか、ご飯が熱いうちに作っておく。

作っておけば、ご主人は朝な夕なに食べていると話す。

今でもいっぱいあるからと採ってくださった。

その間に婦人が話す子どもの涅槃。

「ネハンスズメ ジュッパトッテ ホーイ」と声を掛けてお米を貰いに村中巡った。

お金を貰う場合もあったという。

上のほうにはお店があった。

大きい子どもが仕切って、集めたお金でお菓子を買いに行っていた。

それをしていたのは中学生までの男、女の子だった。

親が連れてきた子どももおった。

当番の家ではオゼンをよばれていた。

膳の料理には椀に盛ったジャガイモ、アブラケ、センギリダイコンもあった。

ダイコンはワリボシダイコンとかワラボシダイコンとも呼んでいた。

水菜のおひたしもあったが、いつしかカレーライスになった。

トーフやカモボコが入ったすまし汁のオツユもあったが、子どもがおらんようになって中断したという。

それは50年も前のことだと婦人は話す。

子どもはちょちょと生まれたが、一旦、止めたら復活はしなかった誓多林の子どもの涅槃である。

当番の家のオゼンは吉野膳であった。

村の子どもの人数分を作った。

子どもと云っても赤ちゃんは食べられない。

残した膳は風呂敷に包んで持ち帰った。

持って帰って食べた膳は法要のときに返す。

それを「送り膳」と呼ぶ。

その当時に掲げられていたとされる涅槃の掛軸は春の彼岸のときに萬福寺で掲げて法要を営んでいる。

続けて話されたのは家の風習。

大晦日に作ったモチはエベッサン、アマテラスに供える。

ツキノカズノモチは例年なら12個だが、閏年は13個。

オオバン、コバンの重ねモチをウラジロの葉を広げて載せる。

今はマルモチになったが、お膳の前にはお金も並べた。

お金に不自由せんようにと、1円、5円、10円、50円、100円、500円、千円、5千円、一万円とそれぞれの貨幣を並べた。

お膳は「センマイ センマイ」と云いながら、頭の上にあげた。

向ける方向はアキの方。

家人一人ずつ、順にその行為をする。

男性が先で次に女性の順だ。

床の間の「トクトクシン」に向かって「いただきしょうか」と云って始める正月の作法である。

(H24. 5.27 EOS40D撮影)