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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

下笠間のアラタナ

2010年09月28日 07時39分31秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
昨年の暮れに事故に遭遇された息子さんは正月明けに亡くされた。

この年の8月は新盆を迎えた下笠間のM家。

盆入りの7日にアラタナを作って縁側の角に祀られた。

ヒバ(ヒノキの葉)は山で刈り取ってきた。

竹も近くで伐採した。

それらを組み合わせて作ったのはズシと呼ばれる舘だ。

太さを揃えた竹を四方に立てる。

上部には竹で編んだ家型の舘を設えた。

屋根や壁はヒバを埋め込んだ。

中にご位牌が納められる。

白い色の長梯子は買ってきたオガラだ。

その前には「お膳」が揃えられる。

家族と一緒で朝、昼、夜の三食。

このときの膳はメシ椀にゴボウ天の煮物、シイタケなどの煮染め、中央はトウモロコシ。

みそ汁とお茶がセットされている。

肉料理はださないいわゆる精進料理になる。

友人たちがお参りに来てくれたときは亡くなった方が好きだったバーべキューも供えられたが膳にはのせない。

13日はアラタナの新盆、14日はご先祖さんの法要に春覚寺の住職が参られた。

アラタナは8月末まで祀られたあと、翌日の八朔の日に解体して川原で燃やされる。

煙とともに天に昇っていくのだという。

位牌は先祖さんの仏壇に納められる。

その先祖さんのお参りは毎朝な夕なにお経をあげる。

この日も祖母が融通念仏衆在家勤行式にあるお念仏を唱えられた。

合掌。

(H22. 8.23 EOS40D撮影)

下笠間の籾撒きと水口祭り

2010年05月03日 07時44分12秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
下笠間のIさん夫妻は農作業を営んでいる。

今朝は苗箱作りに勤しむ。

箱の底に紙を敷いて土やって、籾を撒いて、また土をやって作った苗箱は200枚。

ジョーロで水をやってヒーターで温める。

先月の26日に半分作った苗箱はビニールハウスで育苗。

5日間経ったら新芽も伸びて青々している。

60反の田んぼに植える苗が無事に育ちますようにとごーさん(牛玉宝印)を挿す。

正月初めに行われた九頭神社のオコナイでたばったごーさんだ。



昔は玄米をここに供えた。

今はキリコモチ。

ぷぅと膨らんだモチを供えた。

大安の日だった昨日に供えたそうだ。

今年は小さいアラレにしたが、早々にカラスが食べてしまったという。

ちなみに苗箱は、JAで1箱750円の価格で売っている。

200枚買えば15万円もかかる。

手間暇かかるが年金暮らしにはこれがいいと仰る。

(H22. 4. 1 EOS40D撮影)

下笠間I家のトシハジメの膳

2010年02月05日 08時10分35秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
伊勢の神さんの前に祭壇を設えて供えた二段重ねのモチはダイジングウサン(大神宮さん)。

座敷に置かれているのがイタダキサン。

お正月の迎えた午前0時、若水を汲んできた家長は財産目録や通帳を膳に乗せて、アキの方角に向かい両手で頭の上に捧げて拝むモチの膳だ。

この膳は「紫式部日記」に「ことし正月三日まで宮たちの御戴きもちひに、日々まうのぼらせ給ふ」と記されている宮中の行事だった。

山添村の春日や奈良市日笠町や茗荷などの東山中では、広く今でも行われている家の行事である。

宇陀市室生区下笠間のI家ではイタダキサンを始めとする年始めの膳は神棚に供えたダイコクサン(大黒さん)、エビスサン(恵比須さん)の膳がある。

神棚に吊された干したタイの「カケダイ」が一際目立つ。



竈にはサンポコウジンサン(三宝荒神さん)。




仏壇にセンゾサン(先祖さん)、ミズコサン(水子さん)。

いずれも4日の朝にアズキのお粥さんを添えている。

庭の稲荷さんにはイナリサンを供えている。

(※1)御杖村では「イタダキノゼン或いはオガミゼン」

(H22. 1. 4 Kiss Digtal N撮影)

下笠間の正月行事

2010年01月23日 08時47分30秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
イタダキの膳に敷いていた半紙は、字が上手になりますようにと書き初めして小正月のどんどで燃やす。

書き初めでは「あらたまの としのはじめに 筆とりて」と唱える。

燃やすのは成人の日になったので、どんどは9日(平成22年)に作られる。

心棒は太い竹を使う。火を点けてじわっと燃えてきたら恵方のアキの方角へ引っ張る。

燃えた竹は倒れてから細かく割って家に持ち帰る。

それをお味噌を作った瓶、樽などの器の上に置く。

機嫌よう使わしてもらうのだと上に置く。

それでこの竹を「ミソダケ」と呼んでいる。

(H21.12.30 Kiss Digtal N撮影)

下笠間I家の正月のモチ

2010年01月22日 07時30分17秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
下笠間のI家では年も押し迫った暮れの28日に正月に供えるモチを作る。

翌日の29日は「苦」が付く日なのでモチはこしらえない。

朝早くから搗いたモチは家のそれぞれの神さんに供えるもので膳に並べる。

膳には長い髭のような根があるトコロイモ、ゴマメの田作り。

昔は雑魚を川で採って来てそれを炊いたという。

コウジミカンにクリと決まっている。

モチの上には串ガキが置かれる。

いつもニコニコ、仲睦まじくの語呂良く10個の干し柿だ。

膳はイタダキサン、ダイジングウサン、ダイコクサン、エビスサン、サンポウコウジンサン、センゾサン、ミズコサン、イナリサンの8種。

イタダキサンはモチを四つ並べられた。

家族が増えますようにとモチの数は家族の人数に一つ加えた数にする。

サンポコウジンサン(三宝荒神さん)は竈に供えるもので三段の重ねモチ。

福の神とされるダイコクサン(大黒さん)、エビスサン(恵比須さん)(※1)の一枚モチは大判小判の形にする。二段重ねのモチはダイジングウサン(大神宮さん)で、二つ作る。

同じく二段重ねのモチにはセンゾサン(先祖さん)、ミズコサン(水子さん)、イナリサン(稲荷さん)がある。(※2)



膳以外に真ん中にヘソ(※3)と呼ばれる突起したモチをくっつけているミカヅキサン、ゴヤサン、ジュウゴヤサン、ニジュウサンヤサン、ニジュウロクヤサンがある。

正月明けの三日に食べるミカヅキサン(三日月さん)(※2)、旧暦五日はゴヤサン(五夜さん)、十五日がジュウゴヤサン(十五夜さん)、ニジュウサンヤサン(二十三夜さん)、ニジュウロクヤサン(二十六夜さん)と続く。

ヘソが無いのがツキノカズノモチ(月の数のモチ)(※5)で、一年間の月の数だけ作られる。

閏年の場合は13個になる。

ヤマノカミ(山の神)(※6)は平べったいモチで山の神さんに供える。

大晦日の午前0時を越えたときといえばお正月。

当主はイタダキサンに財産目録や通帳を膳に乗せて、アキの方角に向かい頭の上に持って拝む。

「健康で働かしてもろうたおかげで一年間、これだけも増やすことができた。今年も増えますように」と祈る当主の膳は「イタダキの膳」と呼んでいる。

ダイコクサンとエビスサンには「カケダイ」と呼ぶ干したタイがつきもの。

まさに恵比須さんが釣った鯛のようで、豊作始めとされる11日に食べる家があったという。

I家では田植え始めと4月末頃の田植え仕舞いに食べるそうだ。

このように古来より万物平穏の願いを込めて、家族繁栄の願い正月さんのモチを供えてきた。

(※1)御杖村では「コバンノモチ」と呼ぶ。
(※2)御杖村では「ミズノモチ」がある。水神さんに供えるモチで、初水を汲む時に供える。
(※3)御杖村では「チョボ」、淡路島南淡では「ホシサン」と呼ぶ。
(※4)御杖村では「ミカヅキサンノモチ」と呼ぶ。
(※5)御杖村では「十二ガツサンノモチ」と呼ぶ。
(※6)御杖村では「大判小判ノモチ」と呼ぶ。

(H21.12.30 Kiss Digtal N撮影)

下笠間の伊勢講

2010年01月07日 05時42分35秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
江戸時代に流行ったお伊勢参り。

お参りは行きたいがお金の工面がいる。

当時の庶民にとっては旅費負担が重みであった。

いきなり大金を工面できるはずもなく、少しずつお金を積み立てて用立てした。

それが伊勢講の仕組みである。

気のおうた者どうしが集まって組織された伊勢講は数少なくなった。

現代でも続いている伊勢講の大半はお伊勢参りのパックツアーになっている。

室生区下笠間には数組の伊勢講や個人宅で営む家がある。

そのうちの一組は6軒の講中で営んでいる。

12月16日と決まっていた伊勢講の日は、集まりやすい16日に近い日曜日になった。

かつて当番の家に集まって飲食していた。

お寿司、オードブル、茶碗蒸し、すき焼きをして食べていた。T家が新婚時代だった50年前はダイビキがあった。

大きな平皿に盛った丸ごとの鰤。

食べやすいように切り身の刺身料理にしていた。

長机を座敷に2列並べて席についてよばれた。

大きな皿鉢料理をダイビキと呼んでいた。

七品で作った料理をメンメンボンという。

講の家に行くときは空の重箱を持って行って、帰るときにメンメンボンの料理を詰めて持ち帰った。

お寿司やオードブルに茶碗蒸しがご馳走だった。

それらはいつしかすき焼きに代わった。

そんなたいそうなことはかなわんということで、お金を集めて名張の料理屋に行くようにした。

飲食は大きく変化したが、伊勢講の舘は今でも祀っている。

当番の家で一年間、床の間で祀ってきた舘は、この日に次の当番の家に渡される。

普段の日は炊いたご飯と水を供えている。

祝いの日であれば御供は七品になるが、それをしなければならないというような、特に決まりはない。

今日は、祀ってきた舘を布巾などで埃をはらって美しくして、お頭付きの魚(サバかアジ)とキノコ(シイタケがなかったのでシメジ)にダイコン、洗米、御神酒を供える。

次当番へ行く時間が迫ってきたのでそろそろ行こかと舘を抱えた当主。

隣家の主とともに次当番の家に向かった。



受け入れ当主は、舘を迎えて祭壇に祀って灯明に火を点す。

集まった講衆は手を合わせて拝む。



受け入れの式典は瞬く間もなく終わった。

料理屋のお迎えマイクロバスが来るまでは、今年の会費を集めて会計報告の場。

数年後にはお伊勢参りができそうな金額になったと話された。

なお、下笠間ではお伊勢神楽を拝観に行く村行事の代々講がある。

同じように年会費を集めているが金額は少額。

それでも70軒もなれば相当な金額になる。

通帳を確認した会計はおよそ10年の間隔で行っているなとおっしゃる。

(H21.12.13 Kiss Digtal N撮影)

下笠間春覚寺十夜法要

2009年12月11日 07時31分25秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
「じゅうにちじゅうや」と呼ぶ「十日十夜」の法要はその名のごとく十日間、十夜に亘って念仏を唱える法会である。

十日法要すれば、佛の世界では千年間も善行したことになるそうだ。

近年は数日間、或いは一日に短縮されるところが多い。

室生下笠間の春覚寺は17日の夜に法要をお勤めされる。

祭壇には住職が作られた生御膳が供えられる。



細長いドロイモを細工して作ったマッタケ。

ダイコンに挿して松を飾った。

もうひとつはニンジン三本を立てた色物御膳。

パセリの葉が妙に似合う。

生御膳は収穫したものを使い、閃いたインスピレーションで作り上げるから毎年同じ物とはならないという。

一番鉦が15分前に鳴らされた。

いわゆる呼び出しの鉦だ。

そのころから風呂敷に包んだ重箱を抱えた村人が集まってきた。



中には収穫した新穀一升で佛さんに納め供える。

法要後によばれるのっぺ汁の接待も収穫したもの。

十夜は、勤労に感謝し収穫を喜ぶ夜でもある。

オヒカリが点され二番鉦が鳴ると法要が始まった。

約70人も集まった堂内。

読経のなか導師が入堂する。

「願わくばー、ゆうーずーねんぶつ、ナムアミダー、ナムアミダー」と協奏曲のように和音が響き渡る。

しばらく時が経ったころ焼香が始まった。



永代、追善供養など回向が続く。

新穀献上の方々の名前を詠みあげ「ぶっしょうけんじょう」。

「家内安全、身体堅固、五穀豊穣、ナームアミダブー」と祈りを捧ぐ。

法要後は数珠繰りが行われる。

集まった人は輪になって数珠を手に持つ。



大きな房が目印がぐるぐる回る。

心経一巻で一回り。

大勢の手で繰られていく数珠がは二回りになった。

その後は数珠を束ねて肩にあてていく身体堅固が行われる。

ひといき休憩したのちは恒例の法話時間となる。

お寺の外は竹灯りが並べられている。

蝋燭の灯りが雨に濡れた石畳を厳かに映し出している。

堂内は暖かな村人の温もりで満ちている。

天得如来さんの掛け軸を戻し、法要を終えればのっぺ汁が振る舞われる。



お勤めの十夜は一緒によばれて収穫に感謝する日でもある。

なお、九頭神社の秋祭りに振る舞われるのっぺ汁は同じ材料であるが名称は「にごみ」と名が替わる。

「にごみ」は煮込みが訛ったものである。

(H21.11.17 Kiss Digtal N撮影)

室生染田の植え初め

2009年09月03日 06時58分16秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
県内山間部の田植えは平野部より一ヶ月早い。

室生区染田でもそうしている。

染田ではイナギさんと呼んでいる大切な稲。

最初にはじめる農作業はモミマキ。

煎ったモミ米に同じく煎った大豆にキリコ(キリコモチのこと)やトウモロコシを一升桝に入れてミトサン(水戸さんであろう)に祀ってモミを蒔いていた。

昭和30年代の後半、40年には入っていただろう、ミトサンはマメになりますようにと家の田を豊作祈願していた。

そのころのミトサンはモミマキを終えると子どもたちがやってきて祀った供えものをもらいに来た。

あっちこっちの田へ行ってはもらってきた。

懐かしいことだがその風習は耕運機が入ってからなくなった。

現在はJAで苗を買っている。

それを敷いて苗代を作る。

作り終えるとウルシ棒に括り付けたゴーサンを供えてミトサンを祀っている。

お米がうまいことできますようにと祈る。

ゴーサンは十輪寺で営まれる初祈祷でいただいたものだ。



ミトサン祀りは三月の社日(しゃにち)の日と決めている。

苗がすくすくと育ってきたらいよいよ田植えが始まる。

田植えをする前には豊作を祈るウエハジメ(植え初め)の儀式が行われる。

ウエハジメはウエゾメ(植え初め)とも呼んでいる。

田んぼの端にサシガネ(差し金)を置いて正確に長さを測る。

サシガネはFさんが考案した田植えの道具。

他の家では一本の竹を用いる。

これだと直角にならないので差がでるのだという。

サシガネの長さは約1m40cmほど。

その間に六本のカヤの葉を挿す。

その間は丁度一升枡が入る間隔だ。

それが苗を植えていくほどよい足場の間になる。

六本のカヤ場はもう一段設けられ合計12本になる。

一年を意味する数だといい、いつまでも固いカヤは安定した耕作ができるようにと込められている。

その傍らには初祈祷の一週間後に営まれるオコナイで授かったヤナギの枝が挿される。

GWの翌週に行われていたウエハジメの習慣もなくなっている。

(H21. 8. 8 SB912SH撮影)

下笠間美仏桜

2009年06月06日 07時43分01秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
樹齢600年ともされている室生下笠間の上の墓地にある安土山の美仏桜(みほとけざくら)。

幹は太く、そこからさらに四つに分岐した幹から枝が伸びて、大きく羽根を広げるように咲き誇っている。

宇陀のペーパーに紹介されたことから桜見客が多くなったと里人はいう。

(H21. 4.10 Kiss Digtal N撮影)