サイバネティックスな目で世界を見るということは、
現象のひとつひとつのステップに、マッピング、翻訳、変換といった形式を
持つプロセスの存在を見ることにほかならないのだ。
――G・ベイトソン『精神の生態学』佐藤他訳
光と影と色彩のランダムな差異の連なりに
タクトを振う超越的な存在がいるわけではない
だれかのまなざしが風景に接続されるといつも
差異の連なりは情報としてピックアップされ
非線形的な変換とマッピングが起動していく
写像された視覚像は即時に変換規則と交わり
固有の電荷を帯びて相転移へと導かれ
錦繍とも呼ばれる意味とパターンの構成――〝紅葉〟が創発していく
汲み尽くせない世界の現われはいつも
ランダムな差異の連なりにおいて変化し
同時にまなざしが携える変換規則も変化していく
ときに〝うつくしさ〟のアンサンブルとして
ときに〝みにくさ〟――アンサンブルの乱れとして
まなざしが担う志向性と意味的統一の作用に誘われ
世界の色あいと表情は変幻していく
そこには遥かな面影と重なりあうなにか
世界を一つの構成へ導く密やかな
シグナルが明滅しているようにもみえる
季節の遷移と差異のゆらぎのなかに
だれかのまなざしが向かうとき
新たな意味とパターンの配置が織り上げられ
またひとつ、固有の響きが奏でられていく