【不在の歴史】
「マトモであること」「寛容であること」「科学的であること」――
言いかえると、「外部や未規定性に開かれた構え」あるいは「善き心」。
この国において、そうした政治的結節点が示された歴史は存在しない。
人びとの「善き心」はつねに行き先を見出せず、根を張るべき拠点もなく、
表出はいつも散発的あり、属人的で例外的なものとして片付けられてきた。
そして、あらゆる政治的事象は内部に閉じた「全体の空気」が担ってきた。
行き場を見出せない「善き心」が、いま、かたちと存在の位相を必要としている。
「よびかけと応答」の回路をつくり、みずから歴史を形成していく場所――
いわば一つの「観念の原郷」として構成される非空間的位相が創発を求めている。
「未規定なもの」に開かれるとき、閉じた全体性への根底的批判が生まれると同時に、
その全体性が提供する神話的な包摂性に依存することの安心が消えていく。
このとき、未規定なものに開かれる「信」と、安心にとどまる「信」の分岐が浮上する。