イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

芝居の「集金旅行 (井伏鱒二作)」 を観て

2016-07-24 16:19:08 | 演劇
 演劇鑑賞サークル例会の「集金旅行(劇団民芸)」を観ました。
この作品は井伏鱒二の原作だったので必ず観ると以前から狙っていました。
思い通りの観劇( 感激 (-_-;) )でした。

永くゆるい時間の流れの中に、我々にもよくあるような心理をヒョイと垣間見せてくれるそんな作品でした。
フツーの会話や仕草・出来事が心の奥にスッと溶け込んでくるものが旨く散りばめられていた芝居でもありました。

日常生活でとかく忙しく暮らしていると、私たちの会話も実務的な趣になりがちです。
はるか昔、何気なく通り過ぎてしまったけれど、あの時の友人との会話の真の意味合いが、「ああ!そうだったのか・・」と数十年経ってから理解出来たりする事があります。
子どもの頃に父親から指摘された一言が当時は大した事ではないように思えたのですが、いま自分が父親の歳になってみた時に全く同じ言葉を息子たちに無意識のうちに言っている自分に気づきハッとさせられたりするのです。

集金人が着ていた古い背広は家賃をためて払わずに出て行った男が忘れていったものでした。
『その背広、それオレのだよ!』
集金人は最初から盗む悪意が在った訳では無いけれど、所有関係をちょっと曖昧にしていたが為に、最悪の事態では無いが、心理的には芳しくない事態を招いてしまう。こんなことって仕事上の事でも、生活上の事でもよくあることですよね。
ちょっと冷や汗をかいちゃったけれど、いま思えば自分のものでもない背広なんか着て来なければよかった、と内心反省するのですね。

その意味では、この芝居は決して数奇な「集金旅行」ではなく、日常の中で湧いては消え起きては消える、フツーの人たちの「人生営為」への見つめ直しなのです。
そうですね!我々も自分探しなんて言う重い言葉では表現仕切れない、謂わば、自分の人生の中にある借金を集金でも良いし返金でも良いからしてみたい。
そんな気持ちにさせられた芝居でした。
樫山文枝が好演していました。

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