イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

映画ラッキーを観て(2) まるで禅宗のよう

2018-04-28 00:28:24 | 映画
 ラッキーは夜ごと通いなれている「エレインの店」でブラッデイ・マリアを飲むのが習慣だ。店には一癖も二癖もある馴染の客も居て自由気ままに時間の経つのも忘れて話し合う事がある。

ラッキーの言葉はくどくどしていない。言い切り調で修飾語も少ない。しかし、それは一見すると虚無的に見えるが、イワン・アサノヴィッチには哲学的というより禅問答のような気がしていた。

スタントン自身は二次大戦では海軍に所属し沖縄戦を経験している。そして実際に戦勝して沖縄に上陸している。力の差は歴然としているのに最後まで戦う日本人の不思議を語る。そこへ同じく海兵隊員として沖縄に上陸した客は『激しい戦禍のあとに日本の女の子と出くわしたが、ニコリと優しい笑顔を見せてくれた。感動した。』と噎(むせ)んで居る。戦争というものの無意味性を語っているのだろう。

裕福そうな客としてD・リンチが登場する。スタントンとの個人的な友情出演である。リンチの役どころは、ペットの陸ガメが逃げてしまったが『カメはきっと大切な用事が有って出かけたのだ。今まで俺がそれを邪魔していたんだ。だから探すのを止めた。私はいつでも門を開けておくだけだ。執着は止めた。』 現代の人間社会の物欲・所有などへの執着の否定をD・リンチに語らせてもいる。

圧巻は、『誰もが真実を受け入れるべきだと思う。宇宙の真理が待っているから。それは俺たち全員にとっての真理だ。君も俺もあんたもお前も、タバコも何もかも真っ暗な空へ。管理者も居ない。そこに在るのは無だけ。空だよ。無あるのみ。』
――無ならどうする?
『微笑むのさ 』
先日、読んだ禅僧・南直哉氏も『人生を棒に振る、そんな生き方で良い』と断じていた。現代の人間社会の中で蠢(うごめ)く物質至上主義への批判なのである。

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