イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

住みやすく、死ぬまで住みたい街づくりとは

2016-12-11 01:07:33 | 社会・経済
  (FB投稿。S市議に返信。2016・07・12より抜粋しました。)
全国で弱小都市が消滅していく時代になりました。弱小なんて言うと何かネガテイブな感じのする言葉になってしまいます。
生産世代人口が減らない「街つくり」は必ずしも”特産品”や”イヴェント企画”が必要なわけではありませんよね。 誰もがフツーの生活を終の棲家として、死ぬまで暮らしていける街、主要な公共施設などが2kmと言う徒歩圏内に位置しているコンパクトな街でいいのだと思います。暮らしやすい街ってそういう事なんじゃないでしょうか?
果たして50年近くも経ってしまって、「列島改造」やバブル経済のさなかに練られたような行政の「都市計画」などは、どんな意味があるのでしょう?
当時は日本中の自治体が競うようにして「遠大」な都市計画なるものをつくり上げました。人口10万人にも満たない我が町の都市計画道路は実に26路線にも上りました。50年近く経ったいま完結している都市計画道路は、僅か6路線に過ぎません。従って残りの17路線を仕上げるには何と120年かかると言う計算になります。都合170年と言う気の遠くなるような計画なのです。
従って、この際にはきちんと当初計画に見直しを掛けて、街としての機能をハードだけではなく、Sさんも関与して、毎年恒例の「ソーラン」祭りサークル活動などが活発になるような街、そしてFさんが関与している「市民ミュージカル」活動が受け継がれていく街。そんな多様なソフトウェアが活発に動いていて、普段着の気軽な生きがいが身近に在る、そんな街づくりが必要なのではないかと思います。
「選択と集中」と言う言葉が、出回るようになって久しいのですが、国や財界の意図するところは兎も角としても、「切り捨て」が無く且つ丁寧な、これからの街づくりの骨格となるフレイズだと思います。

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