注目の裁判員裁判の初判決が8月6日の午後に出た。
判決は懲役15年。求刑16年より1年少ない。
人は人を裁くことができるのか。
そんな問いを抱えながら読んだ一冊の本。

なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか
(今枝 仁 /扶桑社 /2008)
わたしたちが、日々、見聞きしている犯罪報道について、
刑事弁護人の存在意義について、深く考えさせられた。
著者の今枝仁氏自身が、「答を簡単に求めてはいけない」と述べているが、
なにが真実か、わたしにもよくわからない。
きっと見えている事実は、ひとによって違うのだろう。
安易な報道に振り回されることなく、自分で考え続けることはしたい、
読んだ人に「あなたはどこに立つのか」と問いを突きつけ、たじろがせる
という意味のある、良書だ。
この本を読んで、晩年の親鸞の和讃の結びのうたを思い浮かべた。
とめるものゝうたえは いしをみづにいるゝがごとくなり
ともしきものゝあらそひは みづをいしにいるゝににたりけり
写真をクリックすると拡大。その右下のマークをクリックするとさらに拡大
人気ブログランキング(社会・経済)に参加中
応援クリック
してね 


『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』を読んで
janjan 黒井孝明2008/07/18
「光と影」光市母子殺害事件弁護団の300日(東海テレビ)
最後まで読んでくださってありがとう
「一期一会」に
クリックを 
記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね
もよろしく
判決は懲役15年。求刑16年より1年少ない。
裁判員裁判:初の判決 被告に懲役15年 裁判員、会見で重圧語る 毎日新聞 2009年8月7日 ◇主婦にできるか不安だったが皆と成し遂げた 東京都足立区の殺人事件を巡る全国初の裁判員裁判で、東京地裁(秋葉康弘裁判長)は6日、隣家の女性を殺害したとして殺人罪に問われた藤井勝吉被告(72)に懲役15年(求刑・懲役16年)を言い渡した。公判を終えた裁判員6人、補充裁判員1人は、判決後に全員が匿名で記者会見。ピアノ教師の女性(51)は「いろいろ話し合う中で(判決を)決めた。不安というか心が揺れて大変だった」と、重い選択に市民が加わることの難しさを語った。一方で裁判員らは重責を果たした充実感もにじませた。 裁判員と補充裁判員を務め終えたのは、38~61歳の男性3人と女性4人。5人が撮影にも応じた。 女性契約社員(38)は「私みたいな一般の主婦が裁判に参加できるか不安だったが、皆さんと一つのことを成し遂げた」と語った。 一方、補充裁判員として選ばれ、3日目から裁判員として審理に加わったアルバイトの男性(61)は「人のすべての自由を奪う重大な結論を出さなければならない」と重圧を説明した。そのうえで「被告、被害者のことを考えた。こういった社会がどうしたら少しでもなくなるんだろう。興奮してきてちょっと泣きました」と、判決前夜の心境を振り返った。 検察、弁護側の立証や、判決を決める「評議」の雰囲気に関しては、高く評価する声が相次いだ。補充裁判員の男性会社員(38)は、双方の立証方法を「(必要な)情報を漏らすことなくまとまっていた。ビジネスに使うプレゼンテーション用資料に近い」と話した。評議も「堅い雰囲気と予想したが、(大学の)ゼミのようで素直な意見交換ができた」などの感想が続いた。 公判日程については「4日あれば理解できる」「与えられた時間でやるしかない」と受け止め方は分かれ、男性会社員(43)は「複雑で証人が多い事件や死刑が絡むようだと4日間では日数が少ない」と指摘した。裁判員は生涯、評議の内容を話してはならない守秘義務が続くが、全員が「守ります」と述べた。【銭場裕司】 ◇求刑16年に懲役15年 判決は、最大の争点となった殺意の強さについて、検察側の主張を全面的に採用した。「『ぶっ殺す』と言う被告の声を聞いた」などと証言した近所の住民3人の証言について、判決は「信用性が高い」と指摘。「強い攻撃意思を持っていた」と強固な殺意も認定した。 藤井被告は「被害者から『やるならやってみろ』と言われた」と主張したが、判決は「信用しがたい」と退けた。動機は「被害者に憤りを感じていた中、文句に言い返されて怒りを爆発させた」と認めた。 量刑の理由について「身勝手で短絡的。遺族は厳罰を望んでいる」と指摘。反省の弁を述べたことも酌んだとしている。 判決によると、藤井被告は5月1日、自宅近くの路上で、韓国籍の小島千枝(本名・文春子)さん(当時66歳)をサバイバルナイフで3回刺し殺害した。【安高晋、岩佐淳士】 ◆同じくらいの年なら理解されたかも--被告 ◇主張認定されず--弁護側 「被告の言い分が認定されなかった」。弁護側の伊達俊二弁護士らは記者会見で、残念そうな表情を浮かべた。 伊達弁護士は判決直後に被告と接見した。6人の裁判員は被告よりすべて若かった。藤井被告は「裁判員が自分と同じくらい人生経験を積んだ人だったら、考えを分かってもらえたかもしれない」と話したという。 ◇理解得られた--検察側 判決後、東京地検の谷川恒太次席検事は東京・霞が関の庁舎で記者会見し、「新たな制度の下で工夫に努めた検察の主張、立証に裁判員のご理解が得られた。今回の経験を踏まえ、分かりやすく、迅速、的確な主張、立証に一層努めたい」とのコメントを発表した。 ◇裁判員に感謝--裁判長 秋葉康弘裁判長は判決後「裁判員・補充裁判員の方々には熱心に参加いただき、大変感謝しています。制度の目的にかなった充実した裁判であったと考えています」とのコメントを発表した。 ============== ◇おことわり 裁判員法は裁判員や補充裁判員を特定する情報の公表を禁じており、公判中は匿名で報じるなど配慮してきました。裁判が終わり任を解かれると、本人の同意があれば、氏名や写真などを掲載することが可能になります。同意が得られた範囲で報道します。 毎日新聞 2009年8月7日 |
初の裁判員裁判、殺人罪被告に懲役15年判決 東京地裁 朝日新聞 2009年8月6日22時24分 東京地裁(秋葉康弘裁判長)で3日から始まった全国第1号の裁判員裁判は、最終日の6日、殺人罪に問われた無職藤井勝吉被告(72)に対し、裁判員6人と裁判官3人が一緒に話し合って決めた懲役15年の判決が言い渡された。市民の常識や感覚を刑事司法に反映させることを目的に導入された裁判員制度。初めての判決で裁判員らが選択したのは、検察側が求刑した懲役16年を1年下回る刑だった。 裁判員らは3日午前に選任され、午後から連日の審理に臨んだ。5日午後から判決を決める非公開の「評議」に入り、6日まで評議を継続。午後、法壇に再び9人全員で並び、裁判長が被告に判決を宣告した。 判決は、藤井被告が5月1日午前11時50分ごろ、東京都足立区内の自宅の斜め向かいに住んでいた整体師小島千枝=本名・文春子=さん(当時66)を口論の末にサバイバルナイフで刺殺したと認定した。審理では「殺意の強さ」をめぐって検察側と弁護側が争ったが、判決は検察側主張に沿う形で事実を認定。「ぶっ殺す」と叫んで被害女性の胸や背中を深く突き刺したことなどを挙げて「強い殺意」があったと認めた。 そのうえで「人の命を奪った結果は誠に重大」「遺族の悲しみは深く、厳しい処罰を望んでいる」と量刑にあたって考慮した点を述べた。 被告・弁護側は量刑を不服として控訴する方向で検討している。控訴審には市民が加わらず、裁判官だけで審理される。最高裁の司法研修所は「一審の結論を控訴審はできるだけ尊重すべきだ」とする研究報告書をまとめている。(向井宏樹) 朝日新聞 2009年8月6日 |
人は人を裁くことができるのか。
そんな問いを抱えながら読んだ一冊の本。

なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか
(今枝 仁 /扶桑社 /2008)
わたしたちが、日々、見聞きしている犯罪報道について、
刑事弁護人の存在意義について、深く考えさせられた。
著者の今枝仁氏自身が、「答を簡単に求めてはいけない」と述べているが、
なにが真実か、わたしにもよくわからない。
きっと見えている事実は、ひとによって違うのだろう。
安易な報道に振り回されることなく、自分で考え続けることはしたい、
読んだ人に「あなたはどこに立つのか」と問いを突きつけ、たじろがせる
という意味のある、良書だ。
この本を読んで、晩年の親鸞の和讃の結びのうたを思い浮かべた。
とめるものゝうたえは いしをみづにいるゝがごとくなり
ともしきものゝあらそひは みづをいしにいるゝににたりけり
写真をクリックすると拡大。その右下のマークをクリックするとさらに拡大
人気ブログランキング(社会・経済)に参加中

応援クリック




『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』今枝仁 私たちこそ何者なのか 2008年6月2日 読売新聞 「魔界転生」「復活の儀式」等の荒唐無稽(こうとうむけい)な新供述に、日本中が牙を剥(む)いた光市母子殺害事件の差し戻し控訴審。その弁護団を途中解任された今枝仁弁護士が、この事件と大弁護団、そして加害者の元少年とどう関わり、何を見てきたかについて自ら書き綴(つづ)ったのが本書である。 この陰惨な事件の加害者を守るという職務に、著者は終始悩み、葛藤(かっとう)しながらも、元少年と接見を重ね、同じ人間としての立場でその声に耳を傾けてきた。父親からの凄(すさ)まじい暴力と、それに生涯脅かされて自殺した母親との、性愛関係すれすれの結束とにがんじがらめにされた彼の生育環境がつまびらかにされ、「不遇な生い立ち」という平板な表現から想像されるレベルをはるかに凌(しの)ぐその悲惨さに、震えが走る。 何が真相かは、本書を読んでも認定できるとは言えない。しかし一連の報道を通じて私達はすでに全ての事実を把握しているかのような錯覚に陥ったまま、すんなりと被害者側に自分を同一視し、怒り、吠(ほ)えた。そのことの奇妙さが、読むごとに浮き彫りになってくる。 仮に、元少年が被害者宅を訪れた目的は「人と話がしたかった」からだ、という新供述の中にも真実の断片があるとするならば、虐待に晒(さら)された子供が、健康な精神的成熟も為されないまま、人恋しさを引き金に二人の命を奪うという蛮行に至るまで、何の手を打つこともできないような社会を支えている私達は、一体何者だろう。私達が自分を重ねるべきは「怒れる被害者遺族」の側ばかりではなかったかもしれない。 4月22日、広島高裁は新供述を「信用できない」とし、死刑判決を下した。職務とはいえ結果として遺族の心を傷つけてしまったことへの謝罪を繰り返しながら、今後も全力で元少年を支えると誓った著者の決意は揺らいではいないだろう。いつの間にか「私」を見失い、非のない立場に乗り移ってやりすごそうとしていた自らの欺瞞(ぎまん)と危険性に気づかされる一冊だ。 ◇いまえだ・じん=1970年、山口県生まれ。広島弁護士会刑事弁護センター副委員長。 扶桑社 1500円 評・西川美和(映画監督) (2008年6月2日 読売新聞) |
記事書評『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』今枝仁著、扶桑社 内外タイムス 2008年06月25日(水曜日) 4月22日に広島高裁より死刑判決が言い渡された「光市母子殺害事件」。事件を担当した弁護団は、この裁判を死刑廃止運動のために利用し「復活の儀式としての遺体レイプ」とふざけた主張を展開し、各メディアから“悪魔の扶助者”として徹底的に叩かれた。橋下徹大阪府知事にテレビ放送で「あの弁護団に対して懲戒請求をかけてもらいたい」とまでいわれた弁護団の一員であった著者が、今すべてを口にする。 当時18歳だったF少年との出会いから始まり、少年を狂気の犯行へと駆り立てた複雑な生い立ちを紹介する。乳児期の事故から斜視となり、学校ではイジメの対象に。家庭に帰れば、父による母と自分へのDV。 それは文中で語られる著者の過去とも重なる。模試では全国3位のエリートだった著者も、中学校で挫折を味わってからは、引きこもり、入院、自殺未遂…。泣き虫弁護士が自分をさらけ出しながら、事件の真相をつづった。(税別1500円) 内外タイムス 2008年06月25日 |
『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』を読んで
janjan 黒井孝明2008/07/18
「光と影」光市母子殺害事件弁護団の300日(東海テレビ)
最後まで読んでくださってありがとう

「一期一会」に



明日もまた見に来てね


