早咲きの椿の花が咲きました。
赤花大輪で一重咲きの椿「紅妙蓮寺(べにみょうれんじ)」。

樹が大きくなって、毎年、真っ先に咲いて、
長い間、花を咲かせます。

今年もつぼみをたくさんつけています。

椿・西王母(さいおうぼ)。
ふっくらとした薄桃色の一重咲き大輪です。

季節外れの久留米ツツジ。

春から夏にかけて花を咲かせた木々も
実りの秋を迎えています。
マユミ

エゴノキ

ピラカンサ

クチナシ

白芙蓉

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わたしもブログでとり上げましたが、
萩生田文部科学大臣の「身の丈」発言で反発を招き、
当事者の高校生からも批判を浴びた英語民間試験制度は、
「導入見送り」となりました。
五年後、ということですから、ほぼ廃案でしょう。
いずれにしても、
このような人を大臣にした安倍首相の責任は重大です。
最後まで読んでくださってありがとう
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赤花大輪で一重咲きの椿「紅妙蓮寺(べにみょうれんじ)」。

樹が大きくなって、毎年、真っ先に咲いて、
長い間、花を咲かせます。


今年もつぼみをたくさんつけています。

椿・西王母(さいおうぼ)。
ふっくらとした薄桃色の一重咲き大輪です。

季節外れの久留米ツツジ。


春から夏にかけて花を咲かせた木々も
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わたしもブログでとり上げましたが、
萩生田文部科学大臣の「身の丈」発言で反発を招き、
当事者の高校生からも批判を浴びた英語民間試験制度は、
「導入見送り」となりました。
五年後、ということですから、ほぼ廃案でしょう。
いずれにしても、
このような人を大臣にした安倍首相の責任は重大です。
社説:英語民間試験 混乱招いた責任は重い 2019年11月2日 中日新聞 大学入学共通テストへの英語民間検定試験の導入が一日、見送られた。受験に必要なID(識別番号)の申し込みの初日。まさにぎりぎりの決断だ。混乱を招いた国の責任は重い。 四年制大学の七割が、出願資格や加点などの形で民間試験の利用を予定していた。それが見直されることになる。受験生の不安に最大限配慮し、なるべく早く、かつ分かりやすい周知が必要だ。 「会場確保を(試験を実施する)各団体任せにしていたのも反省している」。延期を明らかにした会見で、萩生田光一文部科学相はそう話した。収益を度外視できない民間団体に任せれば、会場は人が集めやすい都市部が中心となる。どこにどれだけ集まるか分からないから、会場や日時の詳細の公表も遅れる。分かりきった話だ。 今回、萩生田文科相の「身の丈」発言に対する世論の反発の高まりが方針転換を促すことになった。なぜそれまでに立ち止まることができなかったのか。まずは厳しい検証が必要だ。そうしなければ同じ過ちを繰り返す。 民間試験導入は、安倍晋三首相が設置した政府の教育再生実行会議が二〇一三年に提言した。グローバル化への対応を迫られる産業界からの要請で始まった「教育改革」だ。 翌年、教育関係者などを集めて開かれた文科省の協議会の議事録を見ると、現在問題となっている点はすでに指摘されている。大学関係者は高額の受験料と地域格差を懸念し、大学入試センターの関係者は、複数の試験を同列に並べて点数化する困難さを挙げた。 懸念が解消されない中、昨年、東京大学は、民間試験を出願資格とするものの、それ以外の手段で英語力を証明できる余地を残すことを明らかにした。今年に入り民間検定試験「TOEIC」は参加を取り下げ、全国高等学校長協会は延期と見直しを求める要望書を文科省に提出した。 「黄信号」「赤信号」と受け止めるべきサインを過小評価した背景には、一度決めたことは後戻りできないという官僚体質が透けて見える。民間試験導入を推進した文科相経験者など「身内」への配慮が優先し、思考停止に陥っていた側面がなかったか。 今後、二四年度の新制度導入に向け、抜本的な見直しに入る。受験生が十分に能力を発揮できる環境が第一だ。今度は、耳を傾ける対象を間違えてはいけない。 |
社説:民間試験延期 入試の見直し根底から 2019年11月2日 朝日新聞 急転直下、大学入学共通テストへの英語民間試験の導入見送りが決まった。きのう萩生田光一文部科学相が表明した。 準備してきた受験生や保護者、高校の教員らには、振り回されたことへの怒りや戸惑いがあるだろう。だが大きな欠陥を抱えたまま強行すれば、どれほどの混乱を招いたか計り知れない。見送りの結論は妥当だ。 むしろ問題は、決断が遅すぎたことにある。 今回の構想に対する疑義の多くは、昨春、東京大学の五神真(ごのかみまこと)総長が国立大の会合で「拙速は避けるべきだ」と提起した時点で広く認識された。家庭環境や居住地がもたらす不平等や、複数の試験の成績を比較して合否判定に使う難しさなどだ。そして今夏は全国高校長協会が問題点を詳しく列挙して「不安の解消」を求め、さらには「延期」を文科省に申し入れた。 それでも政府は耳を貸さず、予定通りの実施に固執した。根底には、改革は正しく、支持されているという独りよがりの考えがあった。柴山昌彦前文科相が「サイレントマジョリティは賛成です」とツイートして反発を招いたのが象徴的だ。 もし、後任の萩生田氏の「身の丈」発言によって社会の注目が集まらなかったら、文科省は突き進んでいただろう。実際にぎりぎりまで与党幹部らの説得に動いていた。混乱を拡大させた責任は極めて重い。 注目すべきはきのうの会見で萩生田氏が、民間試験を使う今の枠組みを前提にせず、抜本的に見直す考えを示したことだ。新しい指導要領で学んだ受験生らが受ける24年度をめざし、1年かけて検討するという。 だが、50万人超が受ける試験に「話す力」を測る仕組みを組み込むのは至難の業だ。1年で万人が納得する解が出るとは到底思えない。取り組むべきは、共通テストの一環として話す力を試す必要が本当にあるのか、一から議論し直すことだ。 入試は大学の教育方針に応じて課すのが原則だ。英語に関しても、会話の力がどこまで必要かは大学や学部によって違う。選抜方法は各校の創意に委ね、国はその後押しを通じて全体の底上げを図るべきではないか。 文科省の本来のねらいは、小中高の英語教育を実践的なものに変えることだったはずだ。だが読解中心の授業からなかなか脱却できないとみて、入試をテコにしようとした。けれどもそれは、やはり順番が逆だ。 まず話す力を含む総合力が学校で身につくよう、授業改革を徹底する。そのうえで入試を見直す。正攻法を貫くことが、格差助長などの弊害を生まず、結局は目的達成の近道になる。 |
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