みどりの一期一会

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特定図書排除に関する住民監査請求 補充書(特定図書リストについての分析-1)

2008-12-31 00:00:00 | 「ジェンダー図書排除」事件
「特定図書排除に関する住民監査請求」で
12月9日に陳述で提出した「補充書(意見書)」です。

わたしは、監査請求提出後の事実経過などを「補充書」として提出・説明し、
この意見書は寺町知正さんが説明しました。

排除された5706冊の「特定図書リストについての分析-1」で、
内容は研究者や当該書籍に詳しい人たちがリストを分析したもので
非常に詳細な講評です。
全部で25,000字ほどありますので3回に分けてアップします。
今日は大晦日なので、今年中に一挙公開です。

分量が多いですが、関心のある方はお読みになってください。


(特定図書リストについての分析-1)
特定図書排除に関する住民監査請求  補充書
2008.12.09

堺市から情報公開された今回の排除本のリスト(9月11日分)につき、恣意的なリストアップがされているので、研究者や当該書籍に詳しい人たちが分析した講評を補充の一部とする。
 自治体図書館が公費で取得した書籍等を、下記分析で明らかなように安易に「排除リスト」もしくは「排除すべきかどうか検討するリスト」として整理すること自体が財産の管理を怠る事実というべきである。
以下は、基本的には熱田敬子さんがご自身の意見や他の方の意見をまとめる形で構成されており、他の方の意見は氏名やペンネーム等を記載している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下、意見の本文)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※いただいたご意見に関して、熱田個人の意見とは異なるものも、原文ママで掲載し、それぞれの項目につけたタイトルで、その意見にから何が読み取れるかを示している。

※本文中作品名など以外で「」をつけている語句(例えば「BL」)については、その語句の示す範囲が極めて曖昧であり、本文の記述上便宜的にその後を用いるに過ぎないという認識を示す。

1. 選定基準の不明確さと非一貫性
 堺市のリストを確認した複数の意見を総合すると、本リストは統一された基準のもとに選ばれたのではないことがほぼあきらかである。
 個別の作品、シリーズを見ていくと、選別の基準とされたと推測可能なのは下記の通り。

・表紙と挿絵
・タイトルの与える印象
・ノベルズ・文庫
・作家(いわゆる「BL」作家とされているか否か)
・出版社
・性描写の程度や有無
・ジャンル(ライトノベルズか「文学」小説かなど)
・男性同性愛描写であるかないか(性描写の程度・有無と関係なし)
・女性読者向けであるかないかという、出版社の指定するターゲット・セグメント
・本の形態。ハードカバーかソフトカバーかなど。

 ただし、個々の基準はそれぞれ部分的に適用されているのみで、貫徹されているとは言いがたい(後の項目に実例を示したとおり)。
これらの基準が適用されたことにより、実際に問題のある排除が行われている例は後に示すが、すこし考えても次のような問題がある。

・表紙と挿絵…
今回のリストには、絵での性描写が全くないものも多い。
また、「BL」として指定された本の表紙や挿絵の描き手は、少女漫画やライトノベルズの挿絵との描き手と重なり合う部分がある。絵柄や画家での指定が難しいことは次の項目の作家と同様である。実際に、後の項目では、男性二人が表紙に描かれた少女小説が誤って排除されたと思われる事例(画家は波津彬子 )があがっている。(3節・項目(6))
また、同じ性行為描写を暗示する表紙があっても、3節の項目(15)にあげたような作品は、「有害」指定を受けない。「漫画」的絵画表現に対し、偏見があるのではないだろうか。

・作家…作家ごとに排除図書指定率を出してみると、蔵書が100%指定されている作家も数多く存在する 。ある作家の作品だから問題があるという発想だとすれば、表現の自由の抑圧以外の何者でもない。

・出版社…
 いわゆる「BL」を主力商品とする出版社が高い指定率を軒並み誇っている。同じ作家の男性同士の性行為描写を含む作品でも、出版社が変われば指定されていない例もある。(3節項目(3))ある出版社からでている本だから、図書館に置かない/開架に置かないという指定がされるとしたら、それは検閲に等しいのではないか。

などなど…。
そして、上記のような多様な要素が「BL」を判断する基準として、用いられ、その適用のされ方に統一した基準が無い中で図書を排除することが許されれば、非常に多くの本を恣意的に「BL」として排除することも可能になってしまう。実際に、今回のリストでは、排除された理由さえ分からない本が多数ある。3節に具体例を挙げてあるが、図書館はそれぞれの作品に関して、何故この作品を指定したのかを説明する必要があるのではないだろうか。

2. 「BL」を定義すること自体の恣意性

 「BL」という本の範囲を決めることは、一体誰に可能なのだろうか。今回、TV番組「ムーブ」(大阪・朝日放送、2008年11月20日)に見られるように、「BL」をゾーニングすることが問題の解決になるという意見もあるようだが、「BL」というジャンルは、そのようなゾーニングを問題なくおこなえるほど、はっきりした定義を持っているのだろうか。「文学」の範囲に関する誰もが納得する定義が未だおこなわれていないのと同じく、「BL」に関しても定義は難しい問題だ。今回のリストを検討した結果、この定義の曖昧さが引起す、様々な問題が明らかになっている。(3節で詳述)

しかも、今回は、従来の猥褻表現に関する議論とは異なり、個別の本、個別の表現に関して問題が提起されたのではない。「BL」というジャンル自体が問題とされたのである。「BL」に関しては、「文学」よりもはるかに批評が少なく、表現に関する議論がつくされていない。それにしては、堺市における「BL」定義の仕方はあまりにもナイーヴであり、少女小説、同性愛を描いた文学作品、ライトノベルズなどの若者向け小説、官能小説など、隣接する様々な分野の表現までを抑圧する可能性に満ちている。「BL」とされる作品、今回のリストに掲載された作品の書き手、挿絵画家、出版社などは、こうした隣接分野と弁図のように重なり合っている。ある作品は「BL」であって、「少女小説」ではないという基準はなんだろうか。

例えば、「男性同士の性行為描写を描いた、女性向けの作品」を排除したのだとしよう。しかし、「男性同士の性行為描写」があればすべて排除されているというわけではないことは、後に載せる項目(6) (4) (9) (10) (14)からわかる。この差異は何によるものなのか。項目(6)であげた作品など、少女小説の中にも、同性同士の思わせぶりな仲のよさを描く、いわゆる「耽美的」とされる描写が存在する。今回のリストを見る限り、「BL」が、性表現のほぼ皆無な作品までリストアップされ、「耽美的」描写が不問にふされる理由は不明である。

もちろん、「男性同士の性行為描写」をもって本が排除されるとしたら、これはセクシュアル・マイノリティへの差別に他ならないことは、項目(7) (8) (12) (14)、また千田有紀さんの具体的な作品に基づいたご意見からも明らかだ。また、「女性向け」という部分を持って排除したとすれば、図書館が本の読者層を規定する行為であり、やはりするべきではないだろう。

 また、今回、性行為描写の「過激さ」の程度によって「BL」が問題とされたのではないことは、項目(2) (3) (9)(10)(13)(15)から分かる。ほとんど性行為描写の無い作品も、作家・ノベルズ・シリーズなどで判断されて、もしくは「男性同性愛」である、図書館の想定する読者層が女性であるという理由で排除されているとしか思えない事例がある。

 これは、リストを精査していないことによる一時的な混乱、混同なのであろうか? そうではない、と信じる理由がある。仮に、性行為描写が問題なのであれば、それこそ(12)にあるような男女の性描写も問題とするべきであろう。また、「文学」の性表現を問題の無いものとし、若者向け・女性向けとされる小説の性表現のみを問題とする、ジャンル差別が今回のリストからは透けて見える(項目(10))。ジャンル差別をおこなわないのであれば、「文学」の男性同士の性表現も問題とされるはずである。しかし、そのように、「BL」・「ポルノ」…と図書館が本に「有害」レッテルを張り、書庫にしまいこんでいくことが、「表現の自由」を侵すことは明らかであるはずだ。

 このような恣意的としか言いようの無いリストに対し、図書館の言う、「内容に踏み込んだ」精査が仮に今後おこなわれるとすれば、その「内容」とはなんだろう。「性表現」を基準に作中の行為者の性別や、出版社、ノベルズ名などを問わず「精査」するのだろうか。その際に、その性表現が作中のストーリーに不可欠なものであったとしたらどうなのだろう。3節の項目(14)や、千田有紀さんご意見では、男性同士の性行為表現がストーリー上不可欠と思われる事例が挙げられている。しかし、こうした「不可欠かどうか」の判断は、常に読み手にゆだねられるべきではないか。その本に性行為描写を必要とする、ストーリー性や文学性があるかどうかを、図書館が判断するのだろうか? (例えば、渡辺淳一の『失楽園』や『愛の流刑地』のsex描写はストーリー上不可欠で、「BL」のsex描写はストーリー上不可欠ではないのだろうか。)

また、図書館の使命の一つであるはずの、資料収集についても、後に掲載する千田有紀さんが述べておられるように、「BL」という消費され、消え去ってしまう本を、資料として留めることは必要であろう。同時代的に評価されない作品が、時間の経過とともに資料的価値を高める場合が少なくないことは、大宅荘一文庫などの例を挙げるまでも無い。

今回の、堺市での「BL」本排除に関して最大の問題は、この「BL」というジャンルを、図書館が一貫性を持たず、公の議論も経ていない、独自の基準によって、恣意的に定義し、かつそれを排斥したということにあると思われる。「BL」作品の中に、問題の無い表現が無いわけではない。男性同性愛を描きながら、書き手の同性愛嫌悪と受け取れる表現を含んでいる事例や、既存の極めて保守的で抑圧的な結婚・恋愛観を再生産していると受け取れる表現も存在する。こうした表現については、個別に取りあげて議論をおこなうことが必要であるかもしれない。しかし、「BL」作品の表現について、生産的で実りある議論をするためには、作品が誰にとってもアクセス可能であることが必須条件であろう。(Butler1997=2004)
ジャンル自体をいわば、「禁書」にするという発想、そして3節で詳述するリストを検討していた際に明らかになった問題群からは、大変残念なことに、今回のリストを作成した者の(おそらく無自覚な)偏見や差別意識が透けて見える。

3. 今回のリストに見られる具体的な問題例

下記、16項目にわたり、リストをご覧になった方からの実例を挙げた問題点の指摘や、ご意見をまとめておく。今回の分析にあたっては、ぶどううり・くすこさん、加納真紀さん、匿名のご協力者の方のご意見を参照させていただいた。それぞれの方のご意見については、ご本人に了解を取った上で、誰の発言かが分かるよう表記している。
また、社会学者の千田有紀さんからもご意見をお寄せいただいたが、これは一つのまとまりある主張となっていたために、切り張りはせず、末尾に掲載した。図書館の役割や、指定された作品の背後にある思想や主張を問わず、リストが作られている状況へのご批判など、大変貴重なご指摘がある。参照されたい。



特定図書リストについての分析-2につづく。

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