福田の雑記帖

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医療の時代と死生観(15) 医療の時代はいつからか? やはり国民健康保険以降だろう

2015年09月15日 02時40分55秒 | 医療、医学
 人間及び他の生物体は外傷の他、ウイルス、細菌、寄生虫他の多くの感染症に苛まれてきた。しかし、具体的に記述されるようになったのは日本書紀、古事記などの記述によってである。

 以下に、縄文時代以降に日本人を苛んだ疾病の代表をあげた。

 # 縄文時代(骨や異物から推定);慢性関節炎、ポリオ、結核、回虫、横川吸虫など。
 # 古代人の病気(日本書紀);疫病と飢饉の悪循環、痘瘡(器量定め)、麻疹(命定め)、結核、マラリア、住血吸虫、ツツガムシ、らい病、糖尿病
 # 源氏物語以降;物の怪、赤痢
 # 江戸時代前後:梅毒(1512年以降)、乳ガン、インフルエンザ、脚気、コレラ(1822年以降)、白内障
 # 明治時代:ガン、ペスト(1896年以降)
 # 現代社会:生活習慣病、公害病、医原病、新興感染症、高齢者に特有の疾患(要介護状態、寝たきり、認知症、孤独死・・など。

 医療はいつ頃から行われていたのか?
 さすがに縄文時代のことはわからない。しかし、墓から下半身の発達障害のある成人の骨が発見されている。幼少時にポリオに罹患し歩行も出来ないような状況の中、成人まで生きながらえた、と推定される。おそらく、家族や一族によって手厚く介護されていたのであろう。この時、超原始的な医療行為もなされていたと思われる。
 
 施療は仏教の中でも取り分け重要な行事であった。日本に仏教が伝来してきたのは6世紀と考えられているが、このころの医療は仏師によって行われたが、同時に読経も行われた。例えば鑑真和尚は有能な医術師でもあった。
 聖徳太子は難波に施薬院、療病院ほか施療をする4院を建立したとされる。光明皇后の時代には医・針の師が患家を巡っていたと言うし、聖武天皇の死去(755年)に伴い光明皇后から東大寺に薬品が奉納され、それが正倉院に納められている。薬品として60種含まれ、「大黄」、「人参」、「甘草」などが含まれる。これらは今でも使われている薬物である。
 感染症の蔓延は感染によるものと分かったのは近代になってからであるが、長い間、天皇を中心に祈祷が中心であった。その天皇の多くも次々と罹患し死去している。

 明治維新後、ドイツから科学的な西洋医療が輸入された。その理由は富国強兵策であるが、感染症の制御の分野で一長があったからである。その後の我が国の発展は目覚しい。これ以降の足跡は医学文献としてみることができる。

 歴史的に見て、一般大衆がどれだけの施術、医療を受けられていたのか??施術や原始的な医療、専門家による治療は高貴な方々しか受けられず、一般大衆は恐らくは神仏に願うしかなかった、と思われる。
 
 医療が国民に門戸を開いたのは昭和34年に施行された国民皆保険制度以降である。私の子供の頃、貧しい農家の高齢者達が医師にかかることが出来たのは死亡する直前であった。
 私の講演の演題の「医療の時代と死生観」の「医療の時代」とはこれ以降を指す。
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