福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

秋田の雪(4)今冬の雪の事故は昨年同期より多い

2013年01月31日 10時48分33秒 | 秋田の話題
 今年は雪が多い。平成18年豪雪を上回るかもしれない。
 ただ、ここ2週間ほどは年末年始の頃と異なり、降るには降ったが間歇的に寒波が緩み、秋田市の主幹道路の路面からは雪が消失した。ただ、道路脇にうずたかく積まれた雪は排雪作業が進んでおらず交差点などでは視界を著しく悪くしている。私もここ一週間は朝の除雪が不要でとても嬉しい。

 先週25日の金曜日の午後、大曲の降雪は滅多に経験することのないほどの激しさであった。この日の19:00のNHK-TVニュースは近隣の横手市の降雪の映像から始まっている。

 帰路、タクシーで駅に向かったのだが先行する車の赤いテールライトがやっと見えるだけであった。こんな中、秋田に向かう下りの新幹線はわずか数分遅れで運行されていた。大曲近辺では降り続く激しい雪と新幹線車両が巻き上げる雪で窓外の景色は殆ど見えなかった。

 秋田県内の雪下ろしや除排雪による今冬の死傷者は28日午後4時の時点で141人に上り、前年同期を33人上回っている。このうち65歳以上の高齢者は約6割の83人。
 県総合防災課によると、死傷者141人の内訳は死者7人(前年同期比1人増)、重傷67人(同22人増)、軽傷67人(同10人増)。市町村別の死者は横手市と大館市各2人、羽後町、東成瀬村、由利本荘市各1人。由利本荘市の方は自宅敷地内で家庭用除雪機のロータリー部分に頭部を巻き込まれ、脳挫傷などで死亡した58歳の方である。作業中に転倒して巻き込まれたらしい。
 事故の形態では家の屋根やはしごからの転落78人、除排雪時の転倒など31人で、いずれも前年同期比9人の増。屋根からの落雪事故は32人に上り、同18人の増と言う(この項さきがけ新聞、一部改変)。

 私も除雪機を使用している。その便利さを享受している。早朝、まだ誰も通っていない道路の除雪はやりやすいし、やりがいもある。しかし、小形とは言えパワーがあり、走行可能状態では決して除雪機の前に出ないようにしている。細かいところの除雪の際には頻繁に前後に方向を変える必要があるが、時に前進後進のギヤチェンジを失念し思いがけない方向に進むことがある。
 何かあると65歳の高齢者の事故に分類されてしまう。心しなければなるまい。
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池永満氏 「患者の権利」の著者 元福岡県弁護士会長が死去された

2013年01月30日 04時01分04秒 | コラム、エッセイ
 池永満氏、元福岡県弁護士会会長が12月1日、肝癌で死去された。1月下旬に新聞に紹介があって知った。66歳であった。私は氏の講演と氏の著作である「患者の権利」から大きく影響を受けた。


 患者の権利に関する世界宣言である「リスボン宣言」は1981年に採択された。これに触発されて、わが国でも消費者運動の一つとして「患者の権利」宣言等が次々と発表されていた。私は患者の立場に立って医療を行ってきたという自負を持っていたから、それらに触れた際、患者側の一方的権利のごり押しと言うべき主張、医療の場に「権利」という言葉を使われる事に抵抗があった。今から見れば、一人よがりの、自己満足的感覚で医療を行っていた,と言うべきだろう。

 そんな中、具体的期日は忘れたが秋田で池永氏の講演を聞き、私はショックを受けた。その後、「患者の権利」(1994年 九州大学出版会)が出版され私は何度も読み返した。私は真に患者の立場を考えた医療を展開できるようになったと思っているが、池永氏の講演とこの著作に追うところが大きい。
 
 2003年中通総合病院の「医療・福祉宣言」について、病院友の会の会合で解説した。2005年には秋田県放射線技師会総会特別講演「患者の権利について」と題する講演をする機会があった。その際「患者の権利」の高揚=「医療者の権利」の高揚と同義なのだと言う立場で講演した。


 1999年横浜市立大学付属病院で、2人の男性患者を取り違えて手術した忌まわしい医療事故がおきた。この事故以降、医療事故等の処理過程や裁判過程で医療界の閉鎖性等の古い体質が次々と明らかにされ、「患者の権利」の考えが一層高まった。ただ、その矛先が「患者 vs 医師」と言う如くに矮小化された形で語られた。その後、医療事故は決して医療関係者の個人的な判断ミスによるものではなく、その背景が広く考慮されるようになった。「人は誤りをおかす存在である」という基本にたち、医療の安全が語られるようになった。そのために1999年は医療安全元年とも呼ばれている。

 私は医師会で「危機管理」の担当として,また病院管理者として医療の安全に配慮してきた。私の書架には常に池永氏の「患者の権利」があった。氏は20年以上も前に今の議論をしていた。この著作は少しも色あせていない。
 氏は生涯を市民運動に捧げ、数々の業績を上げてこられた。私よりも若い。まだまだこれからの活躍が期待されていた。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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日本語(2)日本語をやめて英語に、フランス語にしよう ローマ字表記にしては?など

2013年01月29日 08時15分26秒 | コラム、エッセイ
 私は英語は医学論文はなんとか読める程度で、医学部で習ったドイツ語はからきしダメ。だから、日本語しか知らない、と言って良い。だから、こよなく日本語が好きである。

 日本語の文章はひらがな、カタカナ、漢字が混じって雑だからこそ視認性がとても良い。サッと目を通しただけでも大体どんなことが書いているか理解出来る。本や新聞等、文字を読む、文字を追っかけることを好む私にとっては最高の言葉だと思う。他を知らないからだが、アルファベット然り、ハングル、イスラム社会等の何だか分からない文字の羅列は整然としすぎて、文脈など現地ではどう判断しているのだろうか。多少理解出来る英文ですら長文になると私にはなかなか分からない。

 私は諸外国の言葉を見て奇異だと思う。だが、逆に日本語がムダに難しいから他の言語に変えるべきだとの提言を受けたことがある。明治維新の時と、GHQの占領下においてである。

 1872年(明治5年)森有礼(もりありのり)が日本語を止めて英語にすべきと、1874年(明治7年)に西周(にしあまね)は日本語をアルファベット表記にすることを提案した。たったの26文字で言葉を表す他国の合理的な文化に触れて驚いたと共に、日本語の複雑さを改めて認識して衝撃を受けたからであろう。

 幸いこれらの意見は実現しなかった。こんなことになっていたら大変であった。
 1946年にあの志賀直哉がフランス語を採用すべしと提言した。これは驚きであった。同じく1946年、GHQの占領下において日本の教育問題を改革すべく派遣された米国教育使節団は■漢字を減らすか、■漢字を廃止し仮名にするか、■ローマ字を採用をすべし、と提言している。
 文部省はこの提言を受けて国語審議会を設け、漢字数を減らす方針を採用し、当用漢字として1850字を制定した。この後も日本語に関していろいろ変遷していく(歴史的部分はWikipedia、Britanicaによった)。

 これで日本語は助かった。もう二度と日本語廃止論は出てこないだろうと思う。外国人が日本語の会話、文章、独特の表現法を超難解として意見を述べたのは理解出来るが、あの文豪の一人で、きれいな文章を書いた志賀直哉氏まで日本語の廃止論を述べていたとは、私は無学にしてつい最近まで知らなかった。
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日本語(1)漢字、ひらがな、カタカナの混在が心地いい

2013年01月28日 02時07分26秒 | コラム、エッセイ
 歳を重ねてくるにつれ、いろいろな事に興味を持ち始める。

 興味の対象は徐々に広がっていくが、その中の一つに日本語に対する興味も増してきた。かつては多少間違った使い方があろうと無視してきた。自身が書いた文章等を見ても、私もずいぶん間違った使い方をしてきた、と思う。

 同時に、最近は日本語の乱れにも気付く機会が増えてきた。かつては他の人に注意することなど無かったのであるが、最近は外来等で若いスタッフ達が妙な表現を使ったりしている場合、いろいろ気になってソフトに注意している。

 私たちは3種類の文字、すなわち、漢字、カタカナ、平仮名を駆使して日本語を書いている。これに加えて医学論文などは最小限ながらアルファベットも適宜用いている。厳密には日本語とは言えないだろうが、外来語としてカタカナで表記するよりも原文に沿ってアルファベットをそのまま用いる方がニュアンスが伝わり易いからである。

 この様に3種類、ときに4種類の言葉を表している国は恐らく日本だけではないのだろうか。
 韓国の事情はよく分からないが、ハングルと漢字は別々に使用されているらしいが、両者を混在させて用いることはないとされている。公式な廃止はされていないが、独立以降、漢字教育は重要視されておらず、今では国民の多くが漢字を読めなくなっているとのこと。ベトナムは漢字を廃止した。北朝鮮は公式に漢字を廃止し、国民には漢文の教育のみが行われている。

 漢字、カタカナ、平仮名はそれぞれ辿ってきた歴史がある。今ではこれを適宜駆使して文章を書いている。この混在がとても心地よい。現代人にとっては漢詩等の、趣味の世界を除けば漢字だけでは記述は不可能である。平仮名だけでも、カタカナだけでもとても読みがたい。カタカナだけで書かれた文学作品は森鴎外にあったと思う。瘋癲老人日記だったと思うがとても読みがたかった。

 この3種類の混在が言葉のニュアンスを伝えるのにとてもよい。私も「いのち」、「命」や、「心」、「こころ」、「ココロ」など、標記を適宜使い分けている。 
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なんか変だが,まあいいか(15)マグロ初売りの狂想(2)

2013年01月27日 14時20分21秒 | コラム、エッセイ
 古くなったニュースであるが、東京・築地の魚河岸で1月5日、マグロー本に1億5540万円の値がついてマスコミを賑わした。

 私はこのニュースをバカらしい、何処の世界のことか、と無視していたが、最近の景気対策、デフレ脱却への厳しいニュース、生活保護の減額等のニュースに触れているうちに疑問がわき、若干ながら調べてみた。

 東京・簗地の魚河岸は新年早々マグロの競りがおこなわれるが、二つの寿司チェーン店が6年連続で競り合って毎年高値を更新してきた。それの動きを見ていると異常としかいえない。
 いつもこの競りで注目されるのは「青森・大間産」のマグロであり、今年は200Kg台の大物に視線が集まった。築地を中心に50店舗を展開する「すしざんまい」と香港を中心に日本でも5店舗を出す「板前寿司」の2店が競った。2009年から4年連続で後者が高値を更新し、咋年は「すしざんまい」が5649万円で競り落とし大きな話題になった。

 年初はご祝儀相場として高値が付くのは例年のことである。
 しかしながら、1Kgあたりの値段の推移を比較すると、今年は70万円、2012年21万円、2010年と2009年が7.5万台、2008年は2.2万円で、私の手元のデータでは2000年から20008年までは2万円程度だったから、2009年以降年々急騰し、しかも、倍々と高値をつけ、かなり異常な経過を辿っている。「板前寿司」は2008年からこの競りに参加しているから、この異常高値は両店の競り合いによってつり上げてきたと推定できる。

 競り勝った「すしさんまい」は、大トロ2ヶの握りで4-5万円はするということであったが、通常と同じ値段の300円ほどで客に提供されたという。
 今年の競りには「青森・大間産」のマグロが他にも3本でていたというが、サイズが小さく、1Kgあたり2.8-4.3万円だったと言う。高値がついたこの大型1本のマグロの値段は狂乱としかいえない。通常の競りは数秒で値段が決まるというが、この1.5億の値ですら2分程度だったという。
 釣り上げた漁師には手数料を引いて1.45億円ほど支払われたという。

 日本は世界のマグロを食い尽くしているとも言われている。恐らく全世界的に話題になったと思われるが、どういう感覚でこのニュースを見たのだろうか。
 ご祝儀相場としても高すぎる。しかも、通常の値段で客に振る舞われたと言うからマグロ自体の価値の問題ではなく、マネーゲームそのものである。それにしてもあるところにはあるものだ、と思う。
 2つの私企業が展開したお遊びだから勝手にせい、と言うべきだろう。誰も口を挟めない。しかし、ちょっと引っかかる。
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