「平和」は誰もが希求する。民主的政治もそうだ。まして戦乱の地であれば、その思いはひときわ強いに違いない。
しかし、これは日本にいるからの第三者的論理なのではないか。
国際社会を見ていると、平和の希求、正義感、戦争による犠牲、指導者たちの倫理観、人道性など、日本に居て期待するような事項は国際社会では通用しない様に思える。だから、侵攻問題は日本の地で軽々に語るべきではない。
それでも、私は1日も早く平和が戻ってほしい、と思う。
(1)プーチン大統領の非人道性
ウクライナ侵攻1年を前にプーチンは年次教書演説を行い、今回の侵攻は西側が始めたもの、ロシアはこれに対抗している、などと信じ難い論旨で国民に「祖国防衛」を呼びかけ、ウクライナ侵攻の責任を欧米になすりつけた。
「戦争を始めたのは彼らだ」、 「西側は18世紀から、今ではウクライナと呼ばれ歴史的な領土を我々から引きはがそうとしてきた」。プーチン氏は演説でそう訴え、ウクライナ侵攻の責任を何度も欧米になすりつけた。
プーチン氏はウクライナ政府を一方的に「ネオナチ」と糾弾。「彼らを前に我が国の存続がかかっている」とまで主張した。
プーチン氏は昨年来、欧米の脅威をあおり、自ら始めた侵攻を正当化し続けてきた。
昨年2月24日の侵攻開始時の演説では、ウクライナを「非ナチ化して、非軍事化をしなければならない」 を侵攻の目的に掲げ、短期間でゼレンスキー政権を転覆させ、 ウクライナに自らの意思に従うロシアの傀儡政権を打ち立てる計画だったとされる。
だが、侵攻によってゼレンスキー政権に対する世界の支持と支援が高まった。
追い込まれたプーチンは、国民の支持をつなぐ必要に迫られている。そのために侵攻した側のロシアが、欧米諸国から集団的な攻撃を受けているかのような構図を描き出した。これが、国内で発揚するのだから恐ろしい国である。
(2)ウクライナの世論調査 「平和」より「正義」の希求
昨年11月にウクライナで実施された世論調査では、ロシア軍による占領が続く状態での停戦を求めた人は、わずか1%だった。停戦の条件として、93%が「クリミア半島を含むウクライナ全土からのロシア軍撤退」を挙げた。
多くのウクライナ国民は、現在の状況では平和を得るよりも、戦う道を選ぶ。つまり一般的「平和」希求とは異なる価値観を有している。その価値観の中心は「正義」なのではないだろうか。
なぜロシアから攻撃されるのか。あまりに理不尽ではないか。このような市民の怒りが、「いのち」を賭しても「正義」を望む意識に結びついているのだろう。
ウクライナの弁護士たちはロシア軍が占領期に手を染めた戦争犯罪行為に対する訴追活動を、ボランティアで続けている。国際司法裁判所(ICC)には被害者救済制度が設けられており、損害賠償への道も開けるという。この動きの効果は不明瞭であるが、ロシアを糾弾することにも結びつく大事な活動である。