福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

映画 さだまさし作「解夏」 監督:磯村一路 東宝 2004年

2021年05月11日 19時02分52秒 | 映画評
 今年のGWは飯川病院で日当直として3日間過ごした。時間が長いこともあって読書三昧で過ごし得た。時間があるだけに、久々じっくり見せていただいた。
 その時に読んだうちの一冊が本書さだまさしの「解夏」(幻冬舎文庫)で、余勢をかってアマゾンで見たのがこの映画である。

 表題の「解夏」とは仏教用語で、昆虫などが繁殖期に入る陰暦4月16日から7月15日までの三か月間、無駄に殺生しないよう僧が出歩かず、一か所にこもって修行するが、その最終日のことらしい。さだまさしが用いる用語は難しい。
 
 難病ベーチェット病であと数ヶ月で視力が失われていく若い主人公とそれを支える婚約者、母、友人たち。
 舞台は坂の町長崎。長崎の階段と海と空に美しい風景。この映画で長崎の風景を見、改めて美しい街だと思った。長崎の老人たちは足腰が丈夫なのではないだろうか。

(東宝関連HPより借用)

 主演は、大沢たかお、石田ゆりこ、富司純子、松村達男他。富司純子氏は映画「フラガール」で見たばかりであるが、他は私にとっては初めての方。脇を固めた配役は絶妙の動き。印象深かったのは、富司氏の表情。母の強さ優しさ。誰でも持っている当たり前の立場を的確に表現する演技力に感じ入った。偉人・変人・奇人を演ずるのはむしろ楽で普通の人を演じるのが最も難しいとされている。もう一方、松村達男氏はこの映画出演を最後に亡くなられたとされるが、氏の存在感も大きい。

 人物、風景ともに絶妙のカメラワークで示される。バックグランドミュージックもいい。 淡々と、長崎の雰囲気が心地よく入ってくる。

 作品そのものはいわゆる難病の闘病記にあたる。視力が段々と落ちてくる主人公の心の葛藤と、それを支える女性の物語であるが暗くならず静かにストーリーが進み全体的に静寂感を感じる。決してお涙頂戴ではない。

 爽やかな印象を持った名作である。
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映画 「FUKUSHIMA50」 監督:若松節朗(2)

2021年04月14日 05時39分25秒 | 映画評
 この映画は基本的にはドラマである。記録映画ではない。
 かなりの部分で事実に基づいていると私は思うが、全体を2時間にまとめ上げるために、また、被災者の立場、スタッフたちの家族への思いなども重視して詰め込んだために後半は尻切れとんぼ的になっているのは否めない。

 とにかく炉心は冷却しなければならない。自衛隊による空からの水の散布は当てにならない。吉田所長は海水の注入を決断する。海水を注入することは廃炉することである。海水注入で不十分ながら原子炉の冷却は成功したが、原子炉格納容器の圧力が設計強度を超えて上昇、ここが破裂したら一貫の終わり。残された方法は減圧廃棄、即ち、ベントしかない。世界的にも前例がない。作業は高放射能の原子炉内に突入し手作業で行われた。ベントは成功したが、その後1号機、3号機、4号機で水素爆発が生じた。

(水素爆発を起こした原発 原発事故写真集より引用)

 ベントが遅れた件では、首相の視察と住民避難の2つで遅れたとされる。なんでこんなときに首相が視察、と怒り狂う吉田所長。
 次に海水の注入が遅れた件については、待てと官邸から指示。吉田が激怒する。
 事故対応する現場と政府や東京本社の人々が怒鳴りあう姿を嫌という程繰り返し見せられる。渡辺謙の演技がいい。

 この映画を通じていろいろ考えることがあった。実際に現場に残り命がけの作業に従事した人達には敬意を表したい。最終的には福島原発事故は「奇跡的に難関を乗り越えた」ということになる。つまり、全てが論理的に進められたということではなく、不運と幸運と努力と偶然の賜物である。

 大事故が生じた際に、放射能汚染で東日本を壊滅させる可能性のある、結果として日本の崩壊に結びつく可能性のある危険な原発システムは、「この世に存在してはならない」のだ、と思う。目に見えない放射線は怖い。それだけでない、使用済み燃料の処理方法も決まっていない。

 事故原因の掘り下げなどは確かに甘い。何故、設置する丘を削って低くしたのか、予備電源を地下に設置したのか、問題点はいくらでも挙げられるが、人災因子は「想定外の津波」にかき消されてしまっている。
 それぞれにドラマ的な誇張もあるが、実に壮大な作品に仕上がっている。
 
 このような作品の欠陥や問題点をいちいち挙げることよりも、放射能汚染のために5000万人が住めなくなり、次いで日本破綻の瀬戸際まで追い込まれた事実を、後世に遺す価値はとてつもなく大きい。

 火山帯の上にあって地震が絶えない日本は、自然の前にして人智に完璧はなく、放射能汚染は超長期間にわたって故郷の全てを奪う。今回は奇跡的に危機を脱出しただけなのだ。その現実を示した意義は大きい。
 脱炭素社会が叫ばれる中で原子力とどう向き合うのか、老朽化した原発をどうするのかを考えるために本作の存在意義は十分にある。

 最後は吉田所長の葬儀の場面で終わる。遺影は渡辺謙ではなく吉田所長自身のものであった。とてもいい演出であった。
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映画 「FUKUSHIMA50」 監督:若松節朗(1)

2021年04月13日 06時52分43秒 | 映画評
 東日本大震災・原発事故から10年を迎えた。
 10年という時間の経過は貴重である。私はこの間に原発事故関連のニュースを集め、文献を多数読んできた。やっと、より冷静に原発事故問題を考えることができるようになった。

 しかし、10年立ったと言え、まだ避難民が4万人もいる。しかも、帰還困難域の問題、地域のコミュニティ再構築の問題、核のゴミ処理問題、汚染水問題、再稼働問題、東電の隠蔽問題など問題は必ずしも解決に向かっていない。
 10年立ったからこそ、沈静化していた諸問題がクローズアップされ始めた、といえよう。

 原発事故は、事故そのものの内容がよく知られていないだけでなく、一歩間違えば東日本が壊滅状態に、すなわち日本壊滅になり得た原発事故の恐ろしさすら、風化しかかっているように思われる。

 原発事故を学ぶ資料の一つとして、映画「FUKUSHIMA50」を視た。アマゾンのプライムヴィデオに紹介されており興味を持っていたが、私のネットの知識では観ることができず半ば諦めていた。それがヒョンとしたことからネット内でレンタル可能と知りやっと視聴できた。
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 作品は、監督は若松節朗、上映時間2時間2分、 2020年3月に公開された。配信は松竹。
 原作は、既読の門田隆将氏のノンフィクション 「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫)。これも資料としては大いに役立った。
 事故発生時、第一原発に留まって対応した約50名の作業員たちを、海外メディアは「Fukushimaフィフティ」と呼んだがこれが題名となっている。
 主演は佐藤浩市、渡辺謙ら。

 最前線で日本崩壊を守った男たちのドラマ。困難に立ち向かう勇気、犠牲を厭わない姿、事故後の5日間に予測不能なアクシデントが次から次へと起こり、すべて緊急対策を要する状態で、観る者にも息もつかせない。

 制御不能の原子炉と対峙したのは現場のスタッフで、本社と官邸の命令を無視して、現場が信じる方法を推し進めた。
 あの時、現場で何が起き、スタッフたちは何を思い、どう対策したのか。人間の弱点とそれを乗り越えた英知を描いている。

 2011年3月11日午後2時46分。M=9.0、最大震度7の地震発生。大津波が福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲う。浸水により全電源を喪失したイチエフは、原子炉を冷やせない状況に陥った。原発は常に水で冷やしておく必要がある。水がなければメルトダウンを起こし、連鎖的に想像を絶する甚大な被害をもたらしていく。

 全体指揮を執る吉田所長は、現場を知らない本社や官邸からの指示に怒りをあらわにする。渡辺謙の怒りの演技が素晴らしい。
 しかし、現場の奮闘もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は避難を余儀なくされてしまう。
 官邸は、最悪の場合、放射能被害範囲は東京を含む半径250㎞、その対象人口は約5,000万人にのぼると試算。それは東日本の壊滅、即ち日本の壊滅を意味していた。それでも政府は積極的対応は決断できなかった。
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映画:「フラガール」(2) 制作:2006年 監督 : 李相日  

2021年03月19日 06時15分52秒 | 映画評
 映画「フラガール」の紹介記事を新聞で見た30分後には、残務をかたずけAmazon Prime videoでiPadで観始めていた。部屋に寝転んだまま映画を観れるなど実に便利な世になったものである。
 監督を始め、出演者たちは私にとって初めて見る方々。

   1965年(昭和40)、福島県いわき市は炭鉱の町として栄えていたが、石炭から石油へエネルギー源が変わり、閉山が続いていた。その危機を乗り越えるために炭鉱会社が変身を図ったのが観光業で、いわき市にレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」を計画した。閉鎖の迫る炭鉱のまちを救うため、北国をハワイに変えるという、起死回生のプロジェクトであった。

 目玉はフラダンスのステージだったが、一流のダンサーを集める経済力はなかった。地元で養成することになったが、募集に集まったのは素人の娘4人だけ。ダンス教師として東京からプロのダンサーを呼んだが、教師は田舎をバカにし、素人を前に教える気がない。しかし、生きるためにひたむきに練習を積む少女たちの姿に、いつしか忘れかけていた情熱を思い出す。

 しかし炭鉱のまちは男世界である。世間の風当たりはつめたく、教える相手はドシロウト。炭鉱の町の危機をフラダンスで救おうとするけなげな女性たちを受け入れることができなかった炭鉱の男たちから次々と迫害を受け続ける。
 地元の娘たちの熱心さに心を開いていくダンス教師、厳しい生活環境に陥ったダンサー志望者の家庭のエピソードなどにも、胸が打たれた。

 内容はど素人が努力を重ね 実力をつけていくと言う普遍的なサクセスストーリーだが、現在にも繋がる社会不安を背景にしているからこそ、時代を超えて愛される作品へと昇華していったといえる。

 昭和40年に、衰退する常磐炭鉱で街の再生を賭けて取り組まれた「常夏のハワイを丸ごと持ってくる」と言う壮大な常磐ハワイアンセンター計画が凄い。温水プールドームやリゾートホテルを建設し、ヤシの木を植え、そして日本人のフラガール、その全てを外国資本に頼らずにゼロから地元で創った。その圧倒的なエネルギーこそ、当時の日本人が持っていたエネルギーの根幹なんだ、と感じさせる作品となっている。

 日本経済が農林水産業や製造業等からサービス業等の第三次産業化が急速に進む過程で女性の活躍の場が広がって行った。いつの時代も未来を信じて飛び込む人々が歴史を造ってきた。多くの地方テーマパークが行き詰まる中、3.11震災後の今も、コロナ蔓延後の今も「スパリゾート」として元気に営業を続けている。

 映画「フラガール」のラストシーンはフラガールたちのデビューステージでその映像は一回だけの撮り直しなしの真剣勝負の撮影だったと言われている。高い完成度でここだけでも視聴の価値は十分価値ある。私はフラダンスを堪能した。

 ダンス終了後の俳優陣の頬を伝うえ涙と笑顔が、この作品にかけた彼女らの意気込みと達成感が感じられる。
 いい作品であった。
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映画:「フラガール」(1) 制作:2006年 監督 : 李相日 

2021年03月18日 18時09分35秒 | 映画評
 映画「フラガール」を観た。


   現在「スパ・リゾート・ハワイアンズ」に改名した元「常磐ハワイアンセンター」誕生実話を映画化した2006年の古い作品。出演 : 松雪泰子, 豊川悦司, 蒼井優, 山崎静代, 池津祥子ほか。

 新聞文献、雑誌記事をチェックしている最中に、地方紙である秋田魁新聞に映画「フラガール」の紹介記事があった。
 私は福島の地に全く異質の常磐ハワイアンセンターが建立され、存在も存在し続けていること、フラダンス、フラガールの踊りそのものにも興味があり、機会があれば現地を訪れたいとも思っていたが実現は無理と諦めている。

 映画「フラガール」に興味を持ったもう一つの理由は、日本のエネルギー革命の世相であった。その地の一つが福島県常磐炭鉱であり、その地が迎えた厳しい現実の上に作品が作られた、と言うこと。

  1965年(昭和40)、福島県いわき市は日本有数の炭鉱の町だったが、石炭から石油へエネルギー革命があって常磐炭鉱は続々と廃坑に晒された。さらに、石炭から石油へエネルギー革命は時を同じくして原発が導入され、福島県が原発の地になった。
 さらに2011年3月11日に東日本大震災で原発事故が生じ、世界的に有名な地になったことである。

 日本の原発の歴史は石炭から石油へ変わっていく中で、その時期にほぼ近く、同時に原発が導入されていた。炭鉱の廃坑が一気に進んだのは国策であった。石炭産業はその影響をもろに受け、住民の生活は一気に厳しくなった。

日本のエネルギー産業の変遷
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 ■1965年(昭和40)、常磐炭鉱は続々と廃坑に晒された。
 ■1966年7月 英国から導入した東海発電所が営業運転を開始。
 ■1970年11月 福井県に関西電力美浜発電所1号機。
 ■1971年3月 福島県大熊町に東京電力福島第一原発1号機が営業運転開始。
 ■2011年3月11日 東日本大震災、原発事故の地になった
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 石炭産業の衰退とともに原子力発電が本格化した。
 この映画は原発については触れてはいないが、石油、原発へのシフトも始まり、石炭産業が一気に斜陽化したものと思われる。世相に翻弄され地域の生活は一気に厳しくなっていった。そんなこともあってこの映画に興味を持っていた。
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