福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

介護難民が増えていく 療養病床の廃止、再編問題

2007年10月31日 06時30分34秒 | 医療、医学
 政府は2011年末で介護療養病床の廃止を決定した。
 療養病床を老健施設等へ転換する施策を進めているが実質的進展はみられない。厚労省は先に「医療機能強化型老人保健施設」と呼び、更にこれを「療養病床から転換した老人保健施設」すなわち「転換型老健施設」と名称を変更した。マア、名称などどうでも良いのだが、こっちの方が分かりやすい。

 高齢者医療の提供体制は目まぐるしく変わる。何故、今「転換型老健施設」を作って無理矢理移行しなければならないのだろうか? 
 その理由は、既に介護療養病床の廃止は国会で決定しているから、何としてでも、例え、同じ機能のものを創設してまでもやりきらなければならない、と言うことなのだろう、と解釈する。この「転換型健施設」の機能は「夜間対応や看取り機能を強化し、医師のオンコール、他の医療機関の医師の往診も可能」としているが、この役割は何も目新しいものでなく、今の介護療養病床の機能と大差ない。現在の介護療養病床をそのまま残せば解決する問題である。

 現場を知らない厚労省の連中が立案し、現場を知らない議員達で議決するから後でつじつまを合わせるのに苦労することになるのだ。

 また、「転換型老健施設」の創設は基準の異なる老健施設の並存となり煩雑となる。診療報酬もまだ未解決で先行きも不透明である。転換型施設等に積極的に転換するほどのメリットは何処にあるか、全然見えてこない。だから、早々と転換を表明など出来るわけがない。

 また、転換型老健施設の療養室の面積は一床当たり8平方m以上を満たす必要がある。これは今の基準よりも広い。低い診療報酬の中で増改築などしての転換は土台無理だから、大幅に病床数を削減しなければ適合しない。だから、転換しても経営は困難となる。施設に入れない老人は増加し、介護難民が増えていく。

 これらの施策の目的は医療費の軽減にあり、厚労省は介護療養病棟の廃止により医療費4000億円減と介護給付費1000億円増の差引3000億円の削減効果を見込んでいる。結果として医療費は若干減るものの介護給付費は増加し、国民の介護保険料は増加するだろう。

 団塊の世代はこの施策の影響をモロに被ることになる。国の医療・福祉政策を良くして行くには国民のパワーが必要である。
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秋田県健康福祉部と県医師会との医療行政懇談会 

2007年10月30日 06時27分22秒 | 秋田の話題
 秋田県医師会と秋田県の健康福祉部は年に2回、懇談の場をもうけている。秋田県の医療の維持、発展に両者の協力が欠かせないからである。約2時間の懇談の後、会費制で質素な情報交換会もある。

 医療行政に携わっている県庁の方々は特別な医療・福祉関係の訓練や教育を受けたエキスパートでは無い。定期的人事移動で数年ごとにメンバーが替わっていく。県の行政の守備範囲は極めて広い。時には医療福祉と全く関連の無かった部署から移動してくる方もおり、新しくこの分野に配属された方々は一から勉強し直す事になる。

 私は県の医師会の役員になってから感染症危機管理、障害福祉、医務薬事関連部門等を通じて県との対応をずっと身近に感じてきたが、これほど多忙に働いているのかと感心してきた。端から見て感じて抱いたイメージと全然違っていた。特に最近は県庁も職員数を減らしている様であり、一方では厚労省から次々と新しい指示が飛び込んでくるから一層大変そうである。

 私にとって特に身近な部署である健康推進課のうち感染症等の危機管理を担当する部署は実質2名+αで対応している。インフルエンザあり、新型インフルエンザあり、ノロウイルス感染、0-157感染、麻疹あり・・と目まぐるしく対応している。とても事務職のみで対応できるものではない。出来ることであれば秋田県も医療職の職員を採用して配属する事が望ましいが現実的には困難である、だから県にとって県医師会との連携が必須である。

 県医師会の立場にとっても、系統的に機能的に秋田県の医療を支えていくのに行政とのタイアップは欠かせない。

 要するに医療行政懇談会はお互いが求め合っている情報交換の場であるという事であり、懇談会と言えどもその位置づけは高い。
 次回の医療行政懇談会は来月13日に開催される。その場で私は「がん診療連携拠点病院」と「新しい循環器医療供給体制」の二つについて質問をする予定である。良い情報交換が出来ることを期待している。
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台風20号の暴風雨の中の着陸、実にスリリングであった 

2007年10月29日 06時33分53秒 | 季節の話題
 10月26日夕方、小笠原諸島の南方で突然台風20号が発生した。通常、台風は赤道付近で発生するもので、進路予想を聞きながら心の準備も出来るのであるが、こんな事もあるのかと驚いた。これも温暖化に関連した異常気象の一つなのだろうか?

 秋の台風の特徴はスピードが速いことがあげられる。折しも翌10月27日は東北医連打ち合わせ会議のために15:00発のANAを予約してある。当日午前の予報を聞くと夕方から関東地方は暴風圏に入る予定となっている。これは拙い事にもなるかな?と思いつつ空港に向かった。秋田は小雨であるが平穏な天候である。

 機種はB767-600Rで、カウンターの表示は満席だという。とはいえ私の席は4列シートの通路側で、両脇が空いておりその点では快適であった。こんな嵐の時は事前に着陸できなかった場合の進路変更等についての説明があるものだが一切無かった。

 上空に達してからの機長のアナウンスによると、高度8000m、秒速50m程の逆風の中を時速800Kmで向かっているとのことで若干の遅れが予想されるとのことであるが、着陸についてのコメントはなかった。羽田は横風用の滑走路もあるから地方空港とは違うのだろうと理解した。

 羽田に近づき高度を下げ始めた頃から大揺れ状態となった。窓の外は雲で翼の先端すら良く見えないほどで海面は一切見えない。今どんな状況なのかはフラップの下げ音と車輪の下げの音から類推するだけである。そのうち前方スクリーンの左隅に滑走路の光が見えた。機はかなりの雨と横風を受けて機種を右に向けて進んでいることが予想された。通常より速めのスピードで、いつもより若干きつい降下かなと思える状態で、通常の着地時点をかなり過ぎた所に着地した。エアブレーキ、逆噴射はきつく、身体が前のめりになるほどであった。

 実にスリリングなフライトであった。空港ビルからは強風と横なぐりの雨の中、出発便が5-6機、整然と離陸順番を待っており、何事もないように次々と飛び立っていくのが見えた。大したものである、と改めて感心した。
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中通看護学院戴帽式 2回目の出席、祝辞

2007年10月29日 02時58分25秒 | 未分類
 本日は法人立の中通看護学院戴帽式であった。昨年、初めて戴帽式に招待され、祝辞を述べた。今回は2回目だったから物珍しさはなかったが、昨年同様に厳かな雰囲気の中で良い気分を味わった。

 昨年、式の進行をじっと見ながら、改めて何故戴帽式では「周囲を暗くする」のか、「何故ロウソクなのか」の意味を考えた。学院長の祝辞の中で暗闇の中でのロウソクの光はナイチンゲールが夜に患者を見回るときの姿を表しているのだとのことであったが、私は、この暗闇は、「病に悩む患者の揺れ動く不安な心」を、一筋のロウソクの光はそこを訪れる「看護師の心」を表し、患者にとっては「希望の光」なのだ、と解釈した。

 折しも私は本年8月1日に泌尿器系の手術を受けた。術後鎮痛剤の使用をせずに過ごしたので襲ってくる痛み中、深夜に懐中電灯を片手に私の状態を確かめに訪れた看護師さんの姿を私は寝たふりしつつ逆にじっと観察した。多くはマスクを付けているので目元だけしか見えないのが残念であったが、みんな良い雰囲気である。不安で眠られない患者達は本当に安心するのではないだろうか。看護記録には準夜、深夜とも「熟睡中」と書かれてあった。

 昨年、祝辞の準備のために若い看護師数人に聞いたところ、「毎日の業務に追われ、戴帽式の時の感激なんかはとっくに忘れました」と予想外の返事が返ってきて戸惑ったが、こんな事は祝辞では言えない。だから祝辞の中では、内心ちょっと心苦しかったが、先輩達は「戴帽式の時の感激は到底忘れられません」と述べていた、とねじ曲げて話した。この時の挨拶内容は後に「院長室の扉の隙間から」に掲載する。

 なお、戴帽式の雰囲気とは直接関係ないが、私は病院でも自宅でも日中から窓のカーテンを引き、部屋の照明を点けずにスポットライトの下で過ごしている。私にとって明るい室内環境はストレスだからである。

 
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キャッシュディスペンサー そんなに独り占めしないでよ

2007年10月27日 06時52分01秒 | コラム、エッセイ
 本日の午前,病院のキャッシュコーナーで。

 私の前にほぼ中年になりかかっている女性がピッピとボタンを押している。間もなく私の番だろう、次のヒトのために早く終わらねば、とカードを握りしめていたが、なかなか終わらない。何と、通帳を10冊近くも目の前に重ねている!! まさか、それ全部はやらないよね、と思っていたが次から次とピッピッピで、なかなか終わらない。

 キャッシュディスペンサーは,次々と入れられる通帳に必死で記帳している。記帳は結構時間がかかる。「預金もしないでこんなに沢山、ただ記帳のみですかい?後には何人か待ってますよ。良いんですかい?」と言っているようにも聞こえる。そう聞こえると言うことは聞く者がそう思っているからである。

 月末ということもあり,私の後にも4人ほど並んで順番を待っている。ディスペンサーには安全のために後の状態が分かるように大型の鏡がついている。操作している本人は後の状態が分かっているはずである。逆にこちらからは本人の顔が見えることになる。無表情に次々と、悠然とやっている。えらいものだと関心、次いで諦めの境地となった。

 待つこと約10分、やっと終わった。一言「お待たせしました」言うかな?とも思ったが、われわれを一瞥しただけで去っていった。見事である。
 私は単純な作業だったからワンアクションで1分もかからずに終了した。

 こんな時どう考えるべきなのか?と思う。
 ある時には若い女性の事務員が会社の通帳の処理をキャッシュコーナーでやっていた。この時は諦めて出直した。自分の番になったらどんな使い方をするかは本人の自由であると言うのが正当論なのかも知れないが、混んできたら一端止めて順番を譲るとかの配慮をするのが私の正当論である。しかし、これは押しつけは出来ない。
 一昔前には公衆電話で似たような思いをしたものであった。くだらん会話を聞きながらじっと待ったものだが、その時もほぼ全員女性であった。ある時、一端終わったものの、そのまま新たに掛けようとしたので注意したことがある。この時は後に並ばずにムッとした表情で憮然と去って行った。もともと重要な電話でなかったのだ。
 私は、いまだに女性の心理が分からない。
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