東京美術KKは、歴史・美術を中心に専門書を出版してきたが、近年はよりわかりやすい入門書も出版している。その中でもアート・ビギナース・コレクション「もっと知りたい」シリーズは2000円以下で購入できるオールカラーの美術書で、私の本棚にも何冊か並んでいる。
このシリーズの中に藤田の号がある。
画家の作品は世界的に著名であればあるほどその作品は世界中の美術館に収蔵されており、いかに興味を持っていてもその多くに接することはできない。それを補ってくれるのが画集である。その点この画集はその目的のために十分な価値を持っている。
この画集は留学前の婦人像、自画像から始まり、ほぼ年代順に作品が提示される。
1921年パリ在住の間に藤田の画風が確立していった足跡を見ることができる。乳白色の肌色を持つ女性像が多数生み出されはじめる。1937年秋田の行事を書き上げた後、戦争画に手を染める。
1949年藤田はフランスに戻り洗礼を受けレオナール・藤田となる。その後は宗教画、子供達の表情、パリの市井を描くが、本画集に収納された作品はいずれも見応えがある。藤田が愛してやまなかったネコたちの描写も素晴らしい。
1966年、ノートルダム=ド・ラ・ぺを自らの設計で建立し、人生の集大成となる壁画を完成させた。1968年に81歳で永眠し、この礼拝堂に眠っている。
明治半ばの東京に生まれた藤田は、27歳で渡仏、翌年勃発した第一次世界大戦にもめげず現地で生活する中で、「乳白色の下地」という独自の技法を確立し、日本人として初めて油彩画の本場パリで自活しうる作家となった。
太平洋戦争下で描いた「作戦記録画」の問題が大きく影をさし、死後もその不信感が消えることはなかったが、1968年に81歳でこの世を去り、夫人か2009年に亡くなり、手元に残していた藤田の遺品や作品、蔵書、日記や写真類が美術館や大学に収蔵された。これ以降、作品を核とした研究が行われてきた。それによって藤田の名誉が回復していることは喜ばしいことである。
このシリーズの藤田の巻は、約60年間にわたる藤田の生涯、創作活動を概観できる作品となっている。見応えのある画集である。
このシリーズの中に藤田の号がある。
画家の作品は世界的に著名であればあるほどその作品は世界中の美術館に収蔵されており、いかに興味を持っていてもその多くに接することはできない。それを補ってくれるのが画集である。その点この画集はその目的のために十分な価値を持っている。
この画集は留学前の婦人像、自画像から始まり、ほぼ年代順に作品が提示される。
1921年パリ在住の間に藤田の画風が確立していった足跡を見ることができる。乳白色の肌色を持つ女性像が多数生み出されはじめる。1937年秋田の行事を書き上げた後、戦争画に手を染める。
1949年藤田はフランスに戻り洗礼を受けレオナール・藤田となる。その後は宗教画、子供達の表情、パリの市井を描くが、本画集に収納された作品はいずれも見応えがある。藤田が愛してやまなかったネコたちの描写も素晴らしい。
1966年、ノートルダム=ド・ラ・ぺを自らの設計で建立し、人生の集大成となる壁画を完成させた。1968年に81歳で永眠し、この礼拝堂に眠っている。
明治半ばの東京に生まれた藤田は、27歳で渡仏、翌年勃発した第一次世界大戦にもめげず現地で生活する中で、「乳白色の下地」という独自の技法を確立し、日本人として初めて油彩画の本場パリで自活しうる作家となった。
太平洋戦争下で描いた「作戦記録画」の問題が大きく影をさし、死後もその不信感が消えることはなかったが、1968年に81歳でこの世を去り、夫人か2009年に亡くなり、手元に残していた藤田の遺品や作品、蔵書、日記や写真類が美術館や大学に収蔵された。これ以降、作品を核とした研究が行われてきた。それによって藤田の名誉が回復していることは喜ばしいことである。
このシリーズの藤田の巻は、約60年間にわたる藤田の生涯、創作活動を概観できる作品となっている。見応えのある画集である。