福田の雑記帖

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医療の時代と死生観(12) 人間の特性 知能が高いゆえの不安

2015年09月12日 02時58分12秒 | 医療、医学
 最近の遺伝子学の発達はすごい。最近分かってきたことは、人間は時間をかけて少しずつ進化してきたのではなく、ある発達過程でウイルス感染によってDNAが修飾され、一気に進化してしまった様である。
 かつて、私は小さくて未分化であったわれわれの先祖が悪性腫瘍に罹患して個体の巨大化、次いで知能の発達が生じ、そのガン遺伝子の活動がブロックされて生じたのではないか、そのために人は多数のガン遺伝子を持っているのだなどと空想していたが、ちょっとそれに近い現象が生じていたらしい。興味深いが、この辺の詳細の勉強は今後の課題にとっておく。

 人として発達を遂げ、知能を有し、経験は記憶され口述によって次世代に伝達されるようになった。また、情感、感情、愛や憎しみ、不安などの幅広い精神活動も身につけた。
 進化の結果、二本足で立位で行動できる様になり手を自由に使える様になったことも大きい。そのために下半身の筋肉は大きく発達し、骨格、内臓も含めて立位の生活に順応した。筋肉の60%以上下半身に集中している。

 立位での生活は、特に女性の骨格、内臓機能に大きな影響を持った。安定して胎児を維持するために骨盤底の構造がより堅固になったが、それによって出産が困難になった。結果として胎児はより未成熟な状態で娩出される様になり、母親一人では出産・育児が困難で人手が必要になった。ここで家族が形成された。

 人は有史前から家族を作り、共同で生活してきたが、その時期の人間にとって最も大きな関心事は「飢え」と身近な「家族の死」であったことは容易に類推できる。
 古代の日本人にとって、死という現象は魂が肉体から離れることを意味していた。当時生命現象など何だかわからなかったであろうが、魂が肉体を支配していたと考えていた。

 縄紋人の平均寿命を推測すると、20歳前後と考えられている。多くの縄紋人が生後間もなく死亡したであろう。あるいは無事に育ったとしても若くして病気や事故で死亡していたと考えられる。当然、悲しみに悲嘆する家族たちは長老や霊能者に依頼して魂を呼び返そうとしたであろうが、死者の魂がかの国から帰らないと分かると諦めて死を認識し、魂の抜けた亡骸を葬ったのだろう。その背景には一見死者と見まがう様な仮死状態の人が祈祷の最中に息を吹き返す様な事例が少なくなかったと推定している。

 この時代の生命現象は魂が中心であって、魂の抜けた亡骸はいずれ腐敗して消え去る不要なものであり、したがって埋葬はそれほど丁寧ではなかった。鎌倉時代まで屍体は路傍に捨てられていたとされる。

 古い記述を文献でたどりながら振り返ってみると、医療が未発達の頃は身体より魂の方が重要視されていたことが分かってくる。実際、魂、こころの存在は身体以上に大きい、と思う。これに対して近代医療は魂、こころをそっちのけにして身体の方を重要視して発展してきた。そのために現代人は高度の医療を受けながら、こころは決して満足していない。それよりも不安はますます高じている。
 近代医療を通じては魂、こころはほとんど救済されない。
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