福田の雑記帖

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医療の時代と死生観(16) 医療と医学の発達 死を語らず遠ざけた時代に

2015年09月22日 02時48分32秒 | 医療、医学
 医療が国民に門戸を開いたのは昭和34年に施行された国民皆保険制度以降である。それまでは農家の高齢者達が医師にかかることが出来たのは死亡する直前だけであった。
 皆保険以降は日本の経済成長期にあたる。盛岡郊外の農村地帯の祖父の診療所にも患者が増えた様に思ったが、それでも医療費を払えない貧しい患者が多数いた。

 日本の敗戦までは国民は天皇の臣民であり自分の身体、いのちは自分のものではなかった。国民のいのちは実に軽々しく扱われた。戦後は身体も心も個人のもになったと同時に、いのち=死に関して時代に対する反動なのか、何者にも代えがたい貴重なものとみなされたと同時にいのちそのものを話題にすることもなくなってきた。

 医学医療の進歩は人間の身体状況を科学的に分析し生命現象を科学的に説明できる様になりつつある。現代人はもう完全に科学の信者である、というか科学の奴隷でもある。
 この様な状況は、しかしながら人類の長い歴史の中では極めて特殊である。
 日本人はつい先日まではなんらかの宗教を信じていた。そして、死後人間の魂はあの世に行くと信じられていた。最近は仏教の世界ですらあの世を語ることはない様だ。今はあの世に関する説法などは恥ずかしくでできない、という。

 あの世についての信仰を失い、あの世について語らなくなった現代人は、死についても語らなくなった。現代人は死について深く考えることをやめ、努めて死について語ることを忌避する様になった。
 医学医療は完全に身体医療になってしまった。

 私はこの時代を見ながら育ち、医師となった。幼少のことから寺の行事に親しみ、あの世の存在を信じていた。その頃、私が垣間見た人の死は今でいう自然死に近いものであった。私にとって臨死状態は決して地獄の苦しみを伴いようなイメージはなかった。考えてみれば、医療が一般人のものにならない時代、つい先日前までであるが、いろんな死に方があっただろうが、医師に管理された人工的な死ではなかったはずである。

 しかし、私が学んだ医学教育は完全に科学的論理的な内容であった。患者は身体的な存在であり、不安・悩みを抱える弱い存在である全体の人間像はそこにはいなかった。
 私も若い時の10数年にはかつての印象を離れ、出来るだけ長く生かすことを金科玉条に医療をやってきた。
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