福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

平成最終日、平成最後の日当直 ラジオで雰囲気味わう 不快なラジオでの大笑い

2019年04月30日 10時30分05秒 | 時事問題 社会問題
 本日は平成最後の日。大晦日と言っていいのか分からないが平成の大晦日。
 何となく新年を迎えるような厳粛な気持ちになる。人の気持って分からないものだ。物理的には何ら端境などなく淡々と過ぎていくのであるが、人にとって、特に今回は日本国民にとっては特別な日である。
 今上天皇陛下の退位があり、明朝0:00をもって元号が平成から令和に変わり、新天皇が即位される。世界中で元号という制度があるのは日本だけである。私は元号は好きである。歴史を学ぶのにそれなりの区切りがあるのが嬉しい。

 本日は飯川病院の日当直で9:00からずっと院内である。解放されるのは明朝9:00。いつものごとく入院患者対応、外来レセプトのチェックはあるが、読書、蓄積データの整理、iPadで読む本の工夫など、マイペースで過ごせる時間もある。

 本日は平成から令和に変わり節目の日で、TVでは数々の特集番組が組まれているが、私にとっては画面がない方がいい。私はNHK第一放送を終日流しておいた。

印象に残った番組
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■午前10時05分-10時55分(50分間)
    子ども科学電話相談「天文・宇宙」「植物」「鳥」。今の子供たちはレベルが異なる。昔は「バナナは何で曲がっているんですか??」レベルであった。
■午後0時30分-午後0時55分(25分間)
    忘れじの洋楽スター・ファイル ▽カーペンターズ
■午後1時05分-1時55分(50分間)
    クリス松村セレクト 平成最後の日に聴きたい歌
■午後2時05分-3時55分(110分間)
    路上の平成~貧困・格差のむこうへ~生活者の視点で平成の課題を問う。
    出演 湯浅誠(東大特任教授)安田菜津紀(フォトジャーナリスト)近藤博子(こども食堂店主)滝沢秀一(マシンガンズ)司会 真下貴
    30年に渡る「平成」時代の終わり、新たな時代「令和」のはじまりを“生活者の視点”で見つめた。市井の人々が浮き彫りにした「平成」は、格差が拡大し、貧困が暮らしを追いつめる厳しい時代でもあった。平成から令和へ、その課題を解く鍵をさぐる。
■午後4時00分-5時55分(115分間)
    天皇陛下 退位へ~「平成」と私たち~ 野村正育 御厨貴 片山杜秀 中江有里
    本日、天皇陛下は退位され、平成の時代は幕を閉た。「退位礼正殿の儀」の中継、識者とともに天皇陛下の歩みをたどり、私たちにとっての平成の意味を考える。陛下は、平成に「象徴」としてのあり方を模索し続けてこられた。新たな令和の時代には、何を受け継いでいくべきか。私たちにとっての「平成」の意味を考えた。
■午後6時05分-6時50分(45分間)
    お笑いコンビ「アインシュタイン」が送るラジオバラエティー。午後7時20分から続きあったが、不快な二人の大笑いに耐えられずラジオを切った。
    二人でかわす大笑いの声は、少なくとも私の心を逆撫でした。異常な笑いの連続、このような馬鹿笑いは基本的にTVよりもがなり立てないラジオには不向き。表情が見えるTVでやればいい。私はすっかり不快になりスイッチを切った。
■午後11時05分-5月 1日午前1時00分(前後で110分)
    平成から令和の一瞬を意識。『ラジオ深夜便』も新時代へ
    ▽美智子さまと子どもの本について
    ▽美智子さまと子どもの本 後半  
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 馬鹿笑い番組以外は色々な意見が聞けて参考になった。
 
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本;「二人で紡いだ物語」 米沢富美子著 出窓社 2000年

2019年04月29日 03時54分55秒 | 書評
 日本を代表する女性物理学者・米沢富美子の半生記。
 2000年7月に刊行されて評判を得たが、2011年に新章と口絵を加え、「定本 二人で紡いだ物語」として再刊行された。私が入手していた本は旧版(朝日文庫)である。

 「かけがえのない人をなくしたとき、ひとは物語を紡ぎ始める」こんな帯つきで出版された本書は、最愛の伴侶を亡くして茫然自失に陥った著者が、夫との出会いと共に過ごした日々を綴ることによって再び立ち上がっていく生き方が共感を呼んだ。その後、文庫化され、朝日文庫、中公文庫に収められ多くの人に愛読されている。

 以下のごとくの8章からなり、さらに5-10の細項目にから成る。
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 ■ 一年間の新婚旅行 ■ 夢のような日々 ■ フルハウス ■ 実りの季節 ■ 悠々自適 ■ 素晴らしい人生をありがとう ■ 思い出の物語 ■ また会う日まで
      
 ■目次の後には、「夫・米沢允晴の遺した最も大切な宝 三人の娘たち ルミ子 恵美 美由樹 に本書を贈る」とある。
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読後感。
■人柄がにじむ文章も魅力的。
■2005年女性科学者のノーベル賞と位置づけられているロレアル・ユネスコ賞を受賞。このような偉人がいたことを知る意味において素晴らしい資料である。
■夫婦のつながりこそが大切なもの、と再確認できるがこれは米沢氏にとっての話。一般論にはなり得ない。
■氏は優秀な能力を持っていた他に、超人的行動力。全部を引き受けて,全部をこなし,全部で達成を得る。だから、疲れ果てて,落ち込んでいるときに読むべきではない。むしろ、落ち込む。仕事との両立に悩む方にも不適。
■当時このような超人的女性でなければ、社会は受け入れてはくれなかった。
■家庭を持ち、子を産み育て、家事もこなし、自らの病とも立ち向かい、夫の看病と見送り、そして母の介護。何事からも逃げない姿勢。さらに、専門の分野で業績を上げ続けるという密度の濃い人生。
■圧倒的な業績と成功の陰には並外れた苦労と努力が伺えた。
■氏の前向きな生き方には、ほとほと感心。こういう生き方もあるのだと思わされた。ただし氏以外の人に適応してはならない。
■夫婦の信頼関係を紡いできた歴史。しかし夫婦のあり方には共感できない。家事、育児にノータッチの夫に愚痴も言わない本人にも問題。「最近、君の勉強している姿をみなくなった、なまけているのじゃないか」という言葉は問題。
■しばしば文中、亡き夫に「のろけ」表現が見られる。それだけに、夫に先立たれた喪失感が痛いほど伝わった。しかしながら、このような夫婦関係には疑問も感じる。
■女性は、仕事・学問も、家庭を持つ喜びも、二者択一ではなく、どちらも手に入れることができるのだ、という事を自らの経験をもって示し、「あなたにもできる」と呼びかけている。しかし、真にに受けてはならない。
■手を差し伸べて助けあうだけじゃない、互いに信頼し、高めあった夫婦の物語。氏の本当の気持ちは??・・立場が違うから私には理解不能。夫の感想も聞きたいものだ。
■「お父さんは最後までお母さんを幸せにしてくれたね・・・」と娘達がつぶやく。娘たちの「母を語る、父を語る・・」が何らかの形で出版されないか?期待している。
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物理学者 米沢富美子氏の生き方

2019年04月28日 23時47分46秒 | コラム、エッセイ
 物理学者の米沢富美子氏は1月17日に心不全で死去された。享年80歳。

 氏について、高名な学者としてお名前だけは知っていたが、より詳しく知ったのは2013年02月にラジオ深夜便で2時間にわたって放送されたインタビューを聴いてからである。氏の死去を受けて、本年3月下旬に再放送があり、再度関心した。とてもチャーミングな話し方をされる方である。

 氏はアモルファス(非結晶物質)の研究を続けながら、3人の娘を育てあげ、母親の介護にも前向きに取り組んだ。この頃のことは著書「二人で紡いだ物語」2000年、「朗朗介護」 2011年に詳しい。

 氏は1938(昭和9年)大阪府に生まれる。父は戦死し、妹とともに母に育てられる。子供の頃から幾何が得意で小学生のときIQは175!!!だつたという。ちなみに平均IQは90-105、最高IQは特別な人を除いて135-145程度、と言う。驚くほどの高さであった。

 湯川博士に憧れて京都大学に進学し物理学を学ぶかたわら、英会話やエスペラント語でも活躍する。研究か結婚かで悩んだ時期に、決断に踏み切らせたのは「研究も結婚もすればいいじやないか」いう、後に夫となる米沢允晴氏の言葉だつた。米沢氏とは大学入学した日に初めて出会った、と言う。
 
 大学院生の時に米沢氏と学生結婚、迷うことなく最先端のアモルファスの研究を続けなながら家庭を切り盛りした。
 
 23歳のとき、夫が社命で単身英国に留学したときには、英国の30の大学に書類を送り自分の留学先を決めて英国に渡った。この行動力もすごい。 
 帰国後、京大基礎物理学研究所の助手となる。胞状奇胎を経験し、長女、次女の子育てに苦んだ時期に書いた綸文が米沢氏を非結晶物質研究の世界的な最前線へと押し出した。つらくなつたときはあの時期のことを思い出すことで乗り切った、と述べている。

 三女を出産した翌々1972年から、今度は夫のニューヨーク赴任に合わせ米国ヤシバ大学の客員研究員を務め、1976年には京大基礎物理学研究所の助教授として招聘される。 
 1981年、京大から慶応義塾大学理工学部に移り、2年後には教授として後進の指導にもあたった。以来、ずつと忙中にあつても毎年何本もの論文を発表したが、1996年だけは一本も書けなかつた。この年に女性として初めて日本物理学会の会長に就任し、夫が肝臓癌で亡くなつた。「危篤の床で夫は私を抱きしめてくれた。あのとき、私は幸せでした」、と語っている。夫は育児家事は一切することの無いマイペース人間であったが、氏はそのことを口に出したこともなく、すべてを自分でこなした、と言う。驚異の人である。

 その後も物理学会の会議を主催するなど指導者としての手腕を見せた。
 「物理学は楽しい。新しい発見に遭遇したとき、このことを知つているのは私だけだという感動は何ものにも代えがたい」、と語っている。
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第116回日本内科学会総会(2) 二日目、座席でガッカリ

2019年04月27日 15時24分20秒 | 医療、医学
 新幹線は1時間余り遅れ、乗り換え含め約6.5時間の行程。
 この間、ノイズキャンセリングヘッドフォンとiPad2はおおいに役立った。前者のおかげで新幹線の中でもほとんど無音状態を確保出来、これにBlueToothを介して音楽を流した。ヴェルディのオペラを数曲堪能。後者では最近自炊した数10冊の書籍、小説等を入力してきたので適宜切り替えて楽しんだ。
 ホテルは名古屋ストリングスホテル、21階ツインで比較的新しい?快適であった。朝食時窓から比較的大きな、美しい教会が見えた。

 (レストランの窓を通して見えた教会 ノートルダムの火災があったこともあり特に目を引いた)
 
 学会は「あおなみ線」で約30分、名古屋港近くの「ポートメッセなごや」。

 第116回日本内科学会総会(2) 日本内科学会総会二日目 聴講した講演会は以下のごとく。
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■ 会長講演:呼吸器病への挑戦一これまてそして未来に向けて 長谷川好規会長
■ パネルディスカッション:How Doctors Think----臨床医の診断思考過程とピットフォールを探る  
■ 特別講演:新産業革命の時代におけるり一ダーシップ 
■ 教育講演:我が国の非B非C型肝細胞霧の現状
■ 教育講演:家族性地中海熱の診断と治療
■ 教育講演:骨髄腫類縁疾患の診新と治療の進歩
■ 教育講演:喀痰の科学と臨床一咳嗽・喀痰の診療GL2019をふまえて一
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 私は日本内科学会総会の講演会が大好きである。座席が快適ならば朝から夕方まで聴いている。
 現役の頃はほぼ毎年出席していたが、この6年ほどは出席していなかった。私の記録では2012年の第109回、次は昨年の第115回総会が最後となっている。だから、今回を逃せば認定医更新はできない。

 ところが、今回も座席に問題があった。会場は多目的施設でメインの講演会場はだだっ広い平場に置かれたパイプ椅子席であった。パイプ椅子は狭くて固い。背もたれ機能もチャチで姿勢が限定される。本日は5時間ほど座っていたが、好きな微睡すらも出来ず、姿勢も限定され、背部痛・腰痛が生じ苦痛であった。そのために最終日はキャンセルとした。健康のために勉強を諦めた、と言う感じ。

 今回の学会に関しての感想。
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■会場へのアクセスはよくない。名古屋駅から30分もかかった。もっと便利な会場はないのか?
■座席はパイプ椅子と最悪で、高齢者にとっては辛い。貸し座布団が用意されている事も問題。座布団など用意しなくてもいい会場を用意して欲しい。
■会場には大型ディスプレイは3ケあり、どの座席からも視認できた。
■会場の音響は低域がカットされておりとても聞きやすかった。
■開催期間の設定に一考要する。いつもは4月上旬であるが、GWにかかると移動が大変。特に今年は10連休になったために移動が大変であった。―――――――――――――――――――――――――――

 明日の最終日は秋田到着時間を考慮する1時間余しか聴講できない。学会は諦め、ホテルでちょっとのんびりして帰路についた。
 名古屋駅、東京駅はまっすぐ進めないほどの大混雑であった。早く秋田に戻りたかった。
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第116回日本内科学会総会(1) 名古屋に移動 こまち遅れJR東海接続予定車に乗れず 

2019年04月26日 06時38分26秒 | 医療、医学
 本日4月26日から名古屋にて第116回日本内科学会総会が開かれている。

 しばらく日本内科学会をご無沙汰していたので認定医更新手続用の蓄積点が不足。今回出席すれば何とか足りるので出席を決めた。
 もう私は引退も考えている。だから認定医の更新など不要と考えていて血液関連の資格は返上したが、この学会だけは維持しておこうと考えた。まだ生き長らえて仕事をさせて頂いている以上、もっとも基礎的な資格である内科学会の認定医は維持しておくべきだろう。

 初日の参加は勤務の関係で無理。昨年同様二日目から参加とした。大曲の診療応援終了後、12:50新幹線で東京に向かい、JR東海のぞみに乗継ぎ名古屋に向かう予定であった。

 大曲駅は異常に人が多くざわついていた。秋田新幹線が一時不通になっていて11時発の列車が未到着だ、という。理由は掲示されていなかったが、駅員に確かめたところ秋田駅付近のポイントの不具合らしい。

 私が席を確保していた列車の前の便は運休が決定、予定の便は80分ほど遅れて大曲到着、乗車出来た。
 この場合、JR東海の「のぞみ」への乗り継ぎは??
 駅員に聞いたところ「個別の調整は車内できるので車掌に相談を・・」、とのことであった。車掌の持つ小さな端末で可能か否かは疑問であったが、一応納得した。

 しかしながら、車中で乗務員に確認したところ車中では不可能で、「東京駅に着いた時点でみどりの窓口て変更が可能である」とのことであった。想定内の答えであったが、「大曲駅の窓口でそのような説明があったことは問題である・・」と呆れたような表情であった。

 東京駅のみどりの窓口に並んだが連休直前で大変な人だかりであった。
 指定券は4時間後の20時頃の列車まで全席完売、普通車での移動を勧められた。やむなく「こだま」に変更、静岡まで立ち席であった。名古屋には20時過ぎに到着した。

 前日名古屋入りしている家内からの連絡で、ホテル付近には店がないから名古屋駅で食事を済ませてから来るのが賢明とのこと。駅ビル内の福岡ラーメン店に入り辛いラーメンを注文した。5段階中4番目の辛さを選択したが、中途半端でなく、若干残してギブアップした。私は辛い味が好きであるが、今まで経験した中で最高の辛さであった。

 新幹線に関しての感想。
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■故障・不具合はやむを得ないし、事故を防ぐために十分な対策が必要。
■運行開始予定時間の提示は頻回あったが、遅れ・運休に関する原因などは提示なかったが適宜出して欲しい。
■発券窓口の、乗り継ぎ列車の関する説明は正しくなかった。社内で徹底されていない印象を受けた。
■2時間以内の遅れは払い戻し対象外であった。後続列車の普通席への変更は払い戻された。
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