福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

私の外傷歴・疾病歴(12) 疾病歴(10) 鼠径ヘルニア手術(5) 本日でちょうど1ヶ月経過

2017年10月07日 16時38分08秒 | 自己紹介・自伝
 ひと月前の9/7日私は鼠径ヘルニアの手術を受けた。ちょうど本日で1ヶ月経過した。

 当初は腹腔鏡による手術を施行したが、今までの病歴からそれは困難ということで従来の術式で全身麻酔下で受けた。

 傷そのものは、感染の徴も出血の徴もなく自発痛や圧迫痛はないが、もっとも処理に難渋したと思われる鼠径靭帯部分は1.5x4cm程度のしこりが触れ、その部分は押せばそれなりに痛い。手術は通常のコースより1時間ほど長くかかった、と説明を受けたが、テニスボールほどに広がったヘルニア孔の処理に手間取ったのだろう。

 私の受けた術式は、ヘルニア嚢を切除後に、開いた筋肉の穴に手術用立体メッシュを用いて栓をするMesh-Plug hernioplastyと言われるものだろうと思う。私は外科的知識、特に個別の術式などは知らないので詳細は記述できない。
 しかし、立体的なメッシュは手術後硬い塊となるため、痛みの原因となったり、再発を起こすといった問題が指摘されている。症状から見ればまさに今の状態の一部がこれに相当する。

 今後のことを考えて鼠径ヘルニア手術の合併症をまとめてみた。
 手術は無事終了した、と説明受けたが、手術の成否はこれらの合併症の恐れがなくなった時期に判断されなければならない。

■感染、化膿:稀であるが、術後数ヶ月で発症する場合もある。頻度は1.5%ほど。
■創部の腫脹、硬結:多くは2週間から1ヶ月ほどで改善するが、半年から1年程かかる場合も。
■違和感:一般的に数ヶ月で軽快。
■術後疼痛、知覚異常、神経痛様疼痛の痛み:数ヶ月から半年ほど。
■再発:全ての患者のうち、約2-5%に生じる。
■漿液腫:自然に吸収されて消えることが多い。1.5%。
■術後の慢性疼痛:術後3ヶ月以上続く慢性疼痛が10-40%の患者に認められたといった報告が見られるが、術後60日から1年を過ぎる間に軽快。

 まあ、私の場合はまだ1ヶ月であるが、現在のところ順調な術後経過を辿っているといえよう。
 今回の治療も、振り返って見れば、私の勝手な自己判断で治療時期を遅らせてしまったようだ。反省を要する。

 術後再開した外来で、私が外科の主治医に紹介した鼠径ヘルニア患者のうち2名が私と同じ日に手術を受けていた。2名とも経過良好なようである。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の外傷歴・疾病歴(11) 疾病歴(9) 鼠径ヘルニア手術(4) 術当日-本日まで

2017年09月14日 15時53分20秒 | 自己紹介・自伝
■ 術当日 
 8:45手術室に向かった。入室とともに直ちに麻酔導入が開始された。すでに昨日点滴ルートが確保されていたから痛みは一つも感じないままに私は意識を失った。
 12:30前後だった、と思う。私は意識を取り戻した。主治医、麻酔科医、担当看護師の笑顔が見られ、大げさながら、無事この世だった、と安堵した。家内への説明では癒着とヘルニア孔のサイズが大きく予定よりも術時間は1時間ほど長くかかったという。

 そのまま病室に移動した。13:00家族の来訪あり、本日の新聞が届き、そのまま読み入った。疼痛はないといえば嘘であったが自制内、鎮痛剤の必要はなかった。時折の微睡を挟みながら、終日、新聞、文庫本など、録音データを楽しんだ。

 本日丸一日は絶食、ベット上安静である。
 手術関連疼痛は自制内であったが、同じ姿勢で寝ていると腰痛が生じてくる。こちらの方が辛かった。対位変換を頻繁に繰り返しながら夜通し何とか耐え忍んだ。
 
■ 術後1-3日 退院
 術後初日、朝5:00さわやかな夜明けである。私が入った個室は東向きの5階の個室。東の空には天高く秋雲が散在した。そのために陽が山々から顔を出す前から太陽光が秋雲に反射し地上は遥か前から明るくなる。雲ひとつない晴天の朝の夜明けの方が暗く、遅い。

 
 (高い秋雲に反射し地上を明るくする陽光)

 朝食の時間前に、ベッドが角度を変えられる電動ギャジベットであることに気づいた。昨日気付いていれば腰痛はなかっただろうに。気がつかずうっかりしていた。今後は多分腰痛からは解放されるだろう。

 朝食から普通食が出た。ダイエット中でもある。主食は多いので昼食から半量のにしてもらった。退院まで副食は完食、主食はほとんど食べなかった。
 食後に外科回診である。主治医の指示で恐る恐る立ち上がってみたが、めまいふらつき等もなく全くなんともなかった。これ以降ベット上安静の縛りは解かれ、持続点滴、尿管カテーテルも抜去され自由の身となった。創部の疼痛は自制内で鎮痛剤は必要なかった。

 私の食べ方は他の患者と比較すると異常に早いようだ。
 前の入院の時もそうであったがほとんどが下膳第一番で、一部の病室ではまだ配膳が終わっていない。側の看護師はもう終わったのか!!と信じられない表情していた。

 術後二日目から傾向抗凝固剤が再開となった。
 それ以降も特に変化なく創部周辺にはまだ熱感があり、立位や歩行時には若干の疼痛を感じたが、感染や出血の兆しはなく、主治医の許可を得て術後三日目の9月11日午前に退院した。
 退院時、いつもボランティアしている飯川病院で静脈確保と尿管カテーテル挿入の希望があったために対応し、飯川病院医局でしばらく過ごし、夕方帰宅した。

 本日は術後6日目である。創部周辺にはまだ熱感があり、立位、歩行時には若干の疼痛を感じるがまずヘルニア手術としては順調な方だと思う。
 病院には多少回り道した時のことを考えて25日から復帰の予定と申請してある。次週からでも出勤不可能ではないが、せっかく得られた療養休暇である。大事に遣いたいと思っている。

 しばらく続けたが、これで私の外傷歴・疾病歴疾病歴のまとめは終了とする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の外傷歴・疾病歴(9) 疾病歴(7) 鼠径ヘルニア手術(2) 術前検査 術前日

2017年09月13日 15時11分47秒 | 自己紹介・自伝
■ 術前検査 
 8月中旬から術前検査を開始した。項目は、全身麻酔を前提として、循環器科関連項目、泌尿器科項目、採血一般、尿検査、心電図、心臓エコー、胸部レ線検査、腹部CT、呼吸機能検査であった。

 採血一般、尿検査、胸部レ線検査には異常見られなかった。
 心電図は心房細動があったが、心臓エコーで心機能は正常範囲、心房内血栓等は見られなかった。
 腹部CTでは腹壁にヘルニア孔、副睾丸水腫が認められたが膵臓を含め腹部臓器に大きな異常は認められなかった。1年前からの不明の腹痛の原因は画像としては捕らえられなかった。
 呼吸機能検査は同年代平均値よりは低値であったが、全身麻酔に問題が生じるレベルではなかった。

 上記の所見を得て循環器科、泌尿器科も受診したが抗凝固療法一時中止、ヘルニア治療に問題なしとのことであった。大事をとって生殖器ガンの腫瘍マーカーも追加されたが問題は認めなかった。

 数々の既往症と合併症、抗凝固療法中の高齢者の手術の準備は結構大変なものである。しかし、幸いなことに全身麻酔、ヘルニア修復術に対し禁忌となるような所見はかった。

 経口の抗凝固剤は6日以降中止とし出血に備えた。

■ 手術前日
 9月7日の内科外来は結構混雑し、ドックの判定などできなかった。13:30とりあえず外科病棟の個室に入院した。
 昼食摂取後から看護師のオリエンテーション、経静脈抗凝固療法開始、麻酔科オリエンテーション、シャワー浴と続いた。この間にやり残した人間ドックの判定をこなした。
 18:00家内共々主治医から術前・術後の注意事項などの説明を受け、輸血を含め同意書を数種作成した。説明を聞くよりもサインをする方が大変であった。医療安全に対しての時代の流れを感じた。

 今回の手術は腹腔内臓器にまでは及ばない予定なので夕食も通常であった。

 明朝は8:45手術室入室となっている。
 もうここまでくれば患者としては「まな板の鯉」に徹するしかない。手術の経過にもよるが、明日からの療養休暇の方が楽しみである。手術自体の心配は特にしていない。
 夕食後は特に予定なく、持ち込んだ文庫本、iPad、iPodを駆使して資料をこなした。
 いつものパターンと同じ、20:30就眠した。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の外傷歴・疾病歴(8) 疾病歴(6) 鼠径ヘルニア手術(1)ヘルニアの成長、手術判断

2017年09月12日 12時41分00秒 | 自己紹介・自伝
■ ヘルニアの出現と成長
 私の右下腹部には数年以上前から立位時に突出する小さなヘルニアが現れた。当初は小学生の時の盲腸周囲膿瘍の手術、2007年の膀胱頸部硬化症の手術のための手術痕腹壁ヘルニアと思っていた。

 2012年10月の自転車で転倒した際かなりの衝撃だったから、かなり強い腹圧が一瞬かかった、と思われる。それ以降ヘルニア部に現れる腫瘤が一段と大きさが増したような気がする。時に周辺部に疼痛を感じることもあった。
 以降、現在に至るまで徐々に増大してきた。

 特に2014年12月は急性気管支炎的状況に陥り、かなり体調不良で、約一月間ひどい咳嗽に悩んだ。咳嗽はかなり腹圧がかかる。咳のたびに出来るだけ手を添えたが、必ずしもそう上手くいかない。この時に一段とヘルニアが悪化したように思う。

 最近では、そのサイズがピンポン球程度からテニスボール程度にまでなった。腸が入り込む嵌頓は緊急手術にもなりうる重大な合併症であるが、その恐れは感じなかったが、歩行通勤時に疼痛があって右下腹部を圧迫しながら、腫瘤が大きい時には腸を押し戻した状況で歩かねばならなかった。それにしても立位時の腹圧の強さには驚いた。腸を持ち上げるのにかなりの力が必要である。

 特に私を悩ませたのは、昨年あたりから始まった腹痛である。月に数回、1-2日間続く原因不明の腹痛であった。症状から消化管自体の病変と思われず、上部消化管内視鏡検査、腹部超音波像にも異常なく、一時はすい臓ガンも疑ったが、そう考えても不自然である。おそらくはヘルニア孔に腹膜組織の一つである大網が陥入して生じているものだろう、と考えた。
 悪性の病態でないからなんとか手術は回避したいと思っていたが、ここまでくれば手術を回避出来ない。6月に決断し、準備を始めた。

■ 手術まで
 ヘルニアの手術は最近では腹腔鏡下でも可能となり術後の観察期間も短縮した、という。

 7月上旬に中通総合病院の、私の手術を担当してくれるであろう外科科長と面談し相談した。結論として、手術創ヘルニアではなく一般的な鼠径ヘルニアであろう。盲腸周囲膿瘍の手術、膀胱頸部硬化症手術の既往からみて傷周辺の癒着は強いだろうから腹腔鏡下修復術は困難で、通常の様式で間歇的にメッシュプラグ法という術式の手術になる、という。

 病態の判断と治療方針は私には異論ない。
 問題は、業務の整理である。私の担当する中通総合病院の内科外来は私が不在の際には休診扱いとなる。休めば他の医師、患者に迷惑がかかる。そのために手術予定は予約患者が少なくなり始める2け月後に、さらに主治医の都合で9月8日とした。

 順調なら10日後くらいで復帰できるだろうとのことであったが、ヘルニア自体が大きいし、心房細動があり、抗凝固剤を服用していることから何が起こるかわからない。多分術後の疼痛も遷延するだろうと考えて、もう1週療養休暇を取ることとした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の外傷歴・疾病歴(7) 疾病歴(5) 心原性脳塞栓症体験記

2017年09月11日 17時46分19秒 | 自己紹介・自伝
 私は2012年10月15日に腹腔鏡による腸閉塞修復手術を受けた。ところが復帰5日目の11月4日(日)朝に脳梗塞を発症した。意識障害も伴い、意識が戻るに連れ右半身が完全麻痺となっており、言葉が一切出なかった。改善傾向があったためにtPA療法は行わず、ICUにてヘパリンとエダラボン療法が行われた。
 約一週間でほとんど後遺症なく改善し、翌月曜日から通常業務に復帰した。

 今回の脳脳梗塞発症は自分で心房細動を軽視したことによって発症したようなものである。
 20日ほど前の腸閉塞の入院期間には循環器科的に再評価を受ける良い機会であったのに、自覚症状もなく、ものぐさもあって貴重な機会を失した。この時の判断は大いに悔やまれるところであった。

 11月4日午前9:00ころ、前触れもなく、激しい目まい、平衡感覚の喪失、脱力感が生じた。当初は何が生じたのか分からず、地震か、とさえ思った。そのうちに、自分の変調のためと理解出来た。居間までなんとかたどり着いたようであったが、意識がもうろうとしていたのであろう、詳しいことは記憶にない。

 家内は脳卒中と判断、救急車を要請した。救急車内の様子については記憶がない。救急室到着時は疼痛に対しては若干の反応があったらしいが、右片麻痺を伴っていたと言う。

 意識状態も徐々に改善し、右片麻痺も改善が顕著であった。
 発語に関しては、簡単な会話は理解出来たが、返答は困難で、伝えたい内容はあるのだが、ことばが見つからず、何としても話すことは出来なかった。思っていることを表現出来ない感覚、もどかしさは実に不思議であった。

 午後に次男が駆けつけてくれた。しかし、この時点では殆ど会話らしい会話にならなかった。彼は家族たちには、「医師として、患者の前に出るのはもう無理だろう・・」と話したそうである。

 ICU二日目の朝はMRI検査から始まった。スタッフに対して昨日よりは少しは会話できた。自分でも驚くほどの変化であった。まだ思ったことは表現できるとはいい難かったが、この調子で改善するならば・・とかなり希望を持った。

 言語障害は3日後にはかなり改善した。
 横浜在住の長女は6日の夕方到着した。「脳梗塞の患者はどこにいるの?」と言ったが、急速な病状改善を示している。

 6日からダビガドラン開始、7日からパソコンに生活記録を入力し始めたが、キーボードのブラインドタッチが上手く出来ないことに気づいた。ミスタッチも多くなったほか、変換キーを勝手に押したり、エンターキーを不用意に押したりなどのミスが多く入力に難渋した。言語障害があって適正な言葉を選べなかったときに、関係ない言葉が浮かんできたりした感覚に近い状況であった。この現象は1-2ケ月続いた。
 9日に退院、13日の外来から復帰した。当初は医師としての復帰を危ぶんだだけに、こんな劇的な改善、日常業務への復帰は考え難いことであった。

 今回の脳梗塞は経過を見れば、可逆性虚血性神脱落症状(RIND)+αという状況に近い。遠因として慢性心房細動と腸閉塞時の強度の脱水状態が関連していた、と思われた。

 それにしても今回の脳卒中も本当に運が良かった。初発症状としては結構厳しかったと思う。
 一般的に心原性脳塞栓は半身不随や四肢麻痺とか、あるいはそれ以上の重大は合併症が生じうる可能性が大きいを言われているだけに、自身の運の良さに驚くばかりである。
 今回も多くの方々に迷惑かけた。
 
 脳梗塞体験記
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする