ネットはだれもが自由に情報をやりとりできる場である。
少なくとも我が国ではほぼ自由である。自由すぎて私など逆に不安である。もちろん利用する人の倫理的・道義的規制があるのは当然である。わが国ではどんな規制があるかすらも具体的には私は知らない。
ネット上で個人を標的にした誹榜中傷の書き込みが氾濫している。
私は幸いその様な対象になったことはない。しかし、小・中・高校生を中心にネットいじめがあり、結果として不幸な転機を迎えている例は少なくない。そんな現実があるのに、これに対する対策は無きに等しいのではないだろうか。
私は、投稿者を特定するための通信履歴を保存する形式や期問を法律で定め、少なくとも数年間は保存を義務付けるべきだ、と思う。
私たちは日本国憲法で「表現の自由」を手にした。しかしながら、ネット空間では本来の目的と違った形の「表現の自由」が氾濫している。
匿名性はネットの特徴であり、その利点は否定しない。とはいえ、書き込みをした人物の責任が最終的に追及され得るという制限があってこそ、ネット上でも本当に意義ある情報交換が展開される、と思う。その上で、機器購入の際、プロバイダーとの契約の際にユーザーに周知すべきだと思う。
規制は最小限でなくてはならない。私はここまでは規制とは思っていない。
今月、中国では「インターネット安全法」が施行された。実質的に言論の自由を否定する内容で、従来の厳しいネット管理・統制をさらに強化する内容である。
習国家主席は、2015年の国際会議で「ネット空間は無法地帯ではない。良好な秩序を築かなければならない」、と述べたが主席の「良好な秩序」は我が国の考え方と意味が違う。ネットにおいても国家の安全・秩序維持を最優先させる考え方だ。
今回の法律は利用者の実名登録を徹底させ、ネットを通じた「政権転覆」や「国の分裂」の扇動を禁じている。ここまで制限せざるを得ないということは、「政権転覆」や「国の分裂」を強く恐れている、ということの表れだ、と思う。
世界で重きをなし、積極的な外交に打って出る大国がこんな状況にあるというのは恐ろしい現実である。
一部の知識人の考え方は発信した情報から知ることができたが、中国の市民達はこんな現実をなんと考えているのだろうか。自由を求める発想はないのだろうか。
少なくとも我が国ではほぼ自由である。自由すぎて私など逆に不安である。もちろん利用する人の倫理的・道義的規制があるのは当然である。わが国ではどんな規制があるかすらも具体的には私は知らない。
ネット上で個人を標的にした誹榜中傷の書き込みが氾濫している。
私は幸いその様な対象になったことはない。しかし、小・中・高校生を中心にネットいじめがあり、結果として不幸な転機を迎えている例は少なくない。そんな現実があるのに、これに対する対策は無きに等しいのではないだろうか。
私は、投稿者を特定するための通信履歴を保存する形式や期問を法律で定め、少なくとも数年間は保存を義務付けるべきだ、と思う。
私たちは日本国憲法で「表現の自由」を手にした。しかしながら、ネット空間では本来の目的と違った形の「表現の自由」が氾濫している。
匿名性はネットの特徴であり、その利点は否定しない。とはいえ、書き込みをした人物の責任が最終的に追及され得るという制限があってこそ、ネット上でも本当に意義ある情報交換が展開される、と思う。その上で、機器購入の際、プロバイダーとの契約の際にユーザーに周知すべきだと思う。
規制は最小限でなくてはならない。私はここまでは規制とは思っていない。
今月、中国では「インターネット安全法」が施行された。実質的に言論の自由を否定する内容で、従来の厳しいネット管理・統制をさらに強化する内容である。
習国家主席は、2015年の国際会議で「ネット空間は無法地帯ではない。良好な秩序を築かなければならない」、と述べたが主席の「良好な秩序」は我が国の考え方と意味が違う。ネットにおいても国家の安全・秩序維持を最優先させる考え方だ。
今回の法律は利用者の実名登録を徹底させ、ネットを通じた「政権転覆」や「国の分裂」の扇動を禁じている。ここまで制限せざるを得ないということは、「政権転覆」や「国の分裂」を強く恐れている、ということの表れだ、と思う。
世界で重きをなし、積極的な外交に打って出る大国がこんな状況にあるというのは恐ろしい現実である。
一部の知識人の考え方は発信した情報から知ることができたが、中国の市民達はこんな現実をなんと考えているのだろうか。自由を求める発想はないのだろうか。