福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

国民性、国民感情(5) 驚く中国の世論(3) 中国ネット事情

2017年06月30日 18時00分56秒 | 政治・経済 国際関係
 ネットはだれもが自由に情報をやりとりできる場である。
 少なくとも我が国ではほぼ自由である。自由すぎて私など逆に不安である。もちろん利用する人の倫理的・道義的規制があるのは当然である。わが国ではどんな規制があるかすらも具体的には私は知らない。

 ネット上で個人を標的にした誹榜中傷の書き込みが氾濫している。
 私は幸いその様な対象になったことはない。しかし、小・中・高校生を中心にネットいじめがあり、結果として不幸な転機を迎えている例は少なくない。そんな現実があるのに、これに対する対策は無きに等しいのではないだろうか。

 私は、投稿者を特定するための通信履歴を保存する形式や期問を法律で定め、少なくとも数年間は保存を義務付けるべきだ、と思う。
 私たちは日本国憲法で「表現の自由」を手にした。しかしながら、ネット空間では本来の目的と違った形の「表現の自由」が氾濫している。

 匿名性はネットの特徴であり、その利点は否定しない。とはいえ、書き込みをした人物の責任が最終的に追及され得るという制限があってこそ、ネット上でも本当に意義ある情報交換が展開される、と思う。その上で、機器購入の際、プロバイダーとの契約の際にユーザーに周知すべきだと思う。
 規制は最小限でなくてはならない。私はここまでは規制とは思っていない。

 今月、中国では「インターネット安全法」が施行された。実質的に言論の自由を否定する内容で、従来の厳しいネット管理・統制をさらに強化する内容である。
 習国家主席は、2015年の国際会議で「ネット空間は無法地帯ではない。良好な秩序を築かなければならない」、と述べたが主席の「良好な秩序」は我が国の考え方と意味が違う。ネットにおいても国家の安全・秩序維持を最優先させる考え方だ。

 今回の法律は利用者の実名登録を徹底させ、ネットを通じた「政権転覆」や「国の分裂」の扇動を禁じている。ここまで制限せざるを得ないということは、「政権転覆」や「国の分裂」を強く恐れている、ということの表れだ、と思う。

 世界で重きをなし、積極的な外交に打って出る大国がこんな状況にあるというのは恐ろしい現実である。
 一部の知識人の考え方は発信した情報から知ることができたが、中国の市民達はこんな現実をなんと考えているのだろうか。自由を求める発想はないのだろうか。
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国民性、国民感情(4) 驚く中国の世論(2) 中国知識人は抑圧されている

2017年06月29日 11時32分51秒 | 政治・経済 国際関係
 中国は私の常識的考え方が通用しない不思議な国である。
 中国の知識人はなんと考えているのだろうか?私は常に疑問に思っていた。幾ら何でも文化大革命の頃よりは発言が可能になってきていると思ってきた。

 最近のニュースで、中国の改革派の論客として民主化などを訴え続けてきた北京大学法学部の賀教授(56)が5月下旬、断筆を宣言した。統制を強める習近平指導部の下、これ以上言論活動は無理、と判断した、と言う。

 賀教授は長年、言論の自由や司法の独立を訴えてきた改革派知識人で、体制批判も恐れないことで知られ、人権派や民主活動家の間で大きな影響力を持っている。

 賀教授が自説の発信を諦めるほど言論の自由度はかつてないほど制限されている、と言うことだろう。 最近は改革派を「売国奴などと攻撃する動きもあり、発言を控える知識人が増えている、という。

 言論の自由よりも国家の安全を重視する国家主席は2015年の国際会議で「ネット空間は無法地帯ではない。良好な秩序を築かなければならない」と述べた。
 その後、政府はネット上の規制や取り締まりを強化してきた。新聞やテレピなど既存メディアヘの統制が行き渡った。
 言論上の取り締まりは過剰なまでに強化され、中国の言論界は萎縮している。

 中国政府は6月から「インターネツト安全法」を施行。ネツト上で国家の安全に危害を及ぼしたり、政権転覆を扇動したりする行為の禁止を明記。ネット管理者に利用者の実名登録や当局への情報提供を義務づけた。さらに、ソーシャルメディアでのニュース発信を許可制にした。実際には政府に批判的な言論を一掃するためとみられている。
 
 日本の共謀罪もこれに類している面がある。
     
 賀教授は断筆宣言にあたり、知人らに以下のメッセージを送った。
 『知識人の声を封じても、空は必ず明るくなる。じっと明るくなるのを待とう。少し休むのも悪くない。沈黙も一つの抵抗だ。昔はグーグル、ウィキペディアも読めた。今は鎖国時代だ。今の言論状況は文革以降40年間で最悪だ。
 ネット上の発言を止めても、出来ることはある。専門領域を研究し、その成果を新たな世代に伝えていくこと。政治や国家権力に対し、独立した人格を保つこと。国家の政策、法律、政治家、対象は何であろうが自分の基準で判断し率直に批判すること。政府や党の人間に「権力があれば何でもできる」と思わせないことだ。』

 私は文革後、少しずつでも民主化に向けての動きが進んでいると思っていたが、私が思っている様な民主化や言論の自由は、中国人にとっては異端なものらしい。 
 世界中に散らばっている中国の労働者や知識人はそこで触れる文化から前向きな影響を受けないものなのだろうか?

 理解不能な国である。  
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終活あれこれ(2) 庭の灌木類、「いちい」の撤去作業に着手

2017年06月28日 16時47分04秒 | 近況・報告
 現在住んでいる小屋は昭和54年に現地に新築した。
 敷地に余裕があったので、八重櫻、かえでなどの苗木を植え、クリと柿も植えた。後者は数年後から結実し、秋の味覚を満喫してきた。

 しかし、40年も経ち、柿の木を含む我が家の木々が大きくなり過ぎ、枝が隣家の方まで伸びた。私がいなくなる前に樹木のケア及びその後の方向を指示しておかなければならないが、庭木なんかのことは次の世代や家内はほとんど興味がないらしい。
 だから、まず、できる範囲までは私がやっておく必要がある様だ。

 私の終活の一項目として、昨秋プロの庭師にお願いして八重桜を始め5本以上の樹木を根元からバッサリ切断し、残した木々も大幅に枝を落とした。私は木々が鬱蒼とした環境が好きなのであるが、もはや私の趣味を主張できない。おかげで空が広くなった。これもなかなかいいものだ。

 庭の木々と言えば背の高い樹木だけでない。地を這うような、「いちい」、「ひば」などの灌木類も繁茂している。立木と違ってこれらの灌木類は根が複雑に地表を這い、枝も複雑に絡み合うためにメインテナンスが難しい。しかも、木々の間から笹竹も生えて見栄えも悪くなる。

 庭木に関する終活の第2弾として、今年のGW後はこれらの灌木類を私の手で整理し撤去している。まだ作業は一部だけであるが、灌木類がなくなると立木がすっきり見えてくる。

 これらの灌木類、「いちい」、「ひば」などは義父が我が家のために友人のところから運んで来たもので、手を加えれば加えるほど見応えが増した。平成10年頃までは、義父も元気で我が家の庭のメインテナンスを担ってくれたが平成12年に死去した。その後は、私が担当したが、時間的にも技術力も及ばず、十分対応できなかった。


(手入れ不十分な状態の「いちい」。クリと柿の幹の周囲に密集し、足も踏み入れられない)

 これらの灌木類は我が家のネコどもの格好の隠れ屋となった。プチたち3兄弟は約一年、他のネコどもは我が家に収容される迄の2ケ月間この「いちい」の下から這いずり出て来た。

 今回はこれらの灌木類のメインテナンスは次世代の家族たちには不可能、と考え、もったいないが撤去することとした。いま「いちい」を処理しているが、実に難しい作業となっている。電動ノコギリで地表の枝を取り除いた後、地中を張っている根を掘り起こし切断する。スコップ、ツルハシで根を掘り起こす。
 
 一つ一つの作業を進める度に、実直で勤勉で、酒好きであった義父を想い、その苦労を偲んでいる。


(現状の「いちい」。一部残して撤去、すっきりしたが伐採した枝葉の処理は難しそう。7月4日追記)
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終活あれこれ(1) 終活の対象は驚くほど広い

2017年06月27日 05時43分11秒 | 近況・報告
 インターネット調査会社が昨年11月に60-70代の1000人を対象に実施したアンケートによると73.6%が終活に前向きであるとの回答を寄せた。なかなか関心が高いようである。
 生まれた以上、死は遊けられない。
 死をどう迎えるかといったことについて、私はすでに家族たちに意思表示してある。しかしながら、準備に具体的に手を下すのはまだ元気な自分である。

 終活は、家の主役が老年期を迎えたらやるべき前向きな準備作業であり、終活が不十分だと家族が途方にくれる。だから、終活は家族と一緒になって進めておくことが大事である。

 終活の必要性は日本の家族関係の変化などの影響でその必要性が高まっている。すなわち、人間関係・家族関係の変化、高齢者単独世帯の増加、住宅が狭小化、平均余命の延長、世代間の価値観の乖離、物品が軽薄短小で寿命も短くすぐ当世風でなくなる、ことなどが関係している。

 私の代までは、祖父母も父母も終活なんて考えなかったと思う。次の世代に私が控えていて大抵のことは知っていたから、伝言など不要で、安心して旅立っていったと思う。

 ここ数年、私は「もしもではない、近々来るべき時が来る」と前置きし、積極的に準備を進めてきた。まず、とりあえずは物品の整理廃棄からでかなり進めたがまだまだ不十分である。

 私が元気なうちに解決しておかなければならないことをざっと挙げて見た。

 まだ整理過程であるが、以下の項目が挙げられた。

■住宅メインテナンス ■庭木・灌木などなどの整理 ■隣家との境界の線引き ■クレジットカード ■インターネット・メール関連プロバイダー ■各種団体の会員証など ■学会認定医・専門医 ■預金通帳の整理とまとめ ■経過した生命保険の整理とまとめ ■写真 ■蔵書 ■レコード、ミニディスク、CDなど ■延命治療について ■在宅医療の希望について ■死亡時の連絡先など ■葬儀について ■今後の墓の処遇 ■遺影 ■相続 ■各人一人暮らしになった際の生活準備 ■私が一人暮らしになった際の生きるための素養・生活準備 ■私の実母の遺品 ■パソコン関係の整理・廃棄など ■電子データ等の整理、▪️木工用資材など。
 まだまだありそうである。これだけあると簡単には世を去れない。

 かつては家族内で価値観や情報は次世代の代表者、すなわち跡取り息子との間でかなり共有されていた。
 今はどうか? 

 我が家の場合もまだ不完全である。重要な家の雑務はみんな私任せにして、各人が独立して好き勝手なことをやっている。だから、私が急にいなくなったら、その日から困ること必定である。

 基本的にはかなりのことはデータ化してパソコン内データとしてすでに作ってある。今のうちから見ようとすれば見れないことはないが、誰もあまり関心を持っていない様だ。それなりに独立できているからだろうが、そう甘くはないんじゃないか?

 ところで、今のうちに、何か言いたいことはないか?あれば準備しておくよ。
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国民性、国民感情(3)  和の心

2017年06月26日 17時39分28秒 | コラム、エッセイ
 日本人の心は、端的に言えば、「和と助け合いの心」、「寛容の心」、「おかげさまの心」である。日本人の心は、島国であること、諸国からの侵略を受けてこなかったこと、古くからの自然宗教観を背景に形成されてきた、と思う。

 実際、世界的に見れば、欧米諸国がリードしてきた資本主義、競争社会は自由主義経済を発展させたが、一方で格差社会を招来し、支配する側とされる側という2極化を生み出し、世界の人々の心は一層荒廃してきているようにも思える。ただ、今よりいつの頃の人間の心が良かったのか、明快に応えることはできない。なんとなく、のレベルである。

 国家レベルでも、例として上げやすいのは、トランプに見られる自国の国益や利権だけを考えた「米国ファースト」の考え方がある。確かに、当初は経済が再回転して一見して豊かになったように見えるが、資本主義経済は立場の異なる国家間の取引でGive & Takeがないと、時間とともに立ち行かなくなり、次第に経済に陰りが見え、再度失業者が増えていく。
  「自分だけ」といった弱肉強食の物質尊重のやり方では世界各地でいつまでたっても紛争が絶えない。 「共に生きる」といった発想がないとやっていけなくなる。

 相互扶助が重んじられた日本型経営は残念ながら非効率的とされて衰退した。代わりにグローバルスタンダード、能力主義、合理主義が台頭してきたが、これだけでやっていくと、いずれ立ち行かなくなる。
 そして、より競争力を高めるため、過重労働やリストラ、低コスト化のための仕入れ先や下請け企業への圧迫、企業買収、工場の海外移転などに至っていく。電通の女子職員の過労死問題、ヤマトの加重労働・賃金未払い問題などはその例である。

 このように、現在どちらかと言うともてはやされている平均的考え方の、自由競争、能力主義、合理主義、国際化、グローバルスタンダードなどの考え方でさえ、実際はその通りにやっていくと、他の人々を、周囲の誰かを、他の企業を踏み台にしない限り、いずれ立ち行かなくなるものと思われる。

 そして私なりの答えが、日本古来の和と助け合いの心で「中庸を持って是となす」の考え方に至る。もちろん、そうなると国際的競争力は陰ってくる可能性はある。これからの我が国の行き方は、過剰と思われる部分から不足の部分にシフトさせていかなければならない。何しろ、分配できるパイは限られているのだから。

 「日本人の心」を青てるためには「足るを知って」、自分のことだけを考えず、他の人々に対する感謝の心を忘れないことだろう。
 などなど、夢の一つを語って見た。
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