福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

避難勧告に反応しない住民(1)鹿角市の降雨の場合


2013年08月31日 05時20分34秒 | 時事問題 社会問題
 8月17日午後、私は墓参り後の家族小旅行で東北自動車道上にいた。厳美渓を観たあと宿泊の夏油温泉に向かうためである。

 奥州市水沢付近でそれまで晴天であったが、にわかにどす黒い雨雲が発生、突然バケツをひっくり返したような激しい降雨に遭遇した。ゲリラ的降雨である。こんな時は視界が濃霧の時の様に白く見え殆ど前が見えなくなる。ワイパーを最強にしても前が見えず、ハイドロプレーニング現象などで車のコントロールを失う可能性もあったために一時パーキングエリアで待機した。豪雨は15分くらいでさっと止み、晴天となった。1-2Km北上したらもう雨の痕跡も無かった。狭い範囲の降雨であった。これがゲリラ降雨の恐さでもある。

 8月9日の秋田の県北、仙北地方の豪雨は時間的にも長かったであろうが、一時的にはこんな降り方だったのではなかろうか。国道13号線で雫石町では土砂崩れが何カ所かあった。如何に激しい降雨であったか、と思った。

 この日、大館や鹿角市では避難勧告が出ていたと言うが、激しい降雨の下では避難行動自体が事故のもとになるのではないか、大雨による避難は激しい降雨や河川の増水などが生じてからでは危ない、前もっての避難でなければならない、と感じた。

 9日の豪雨で、鹿角市は増水した福士川流域の1150世帯、2707人に避難勧告を出した。市内では床上26軒、床下186軒の浸水被害があったが、市が開設した避難所に避難した住民はわずか31人であった。
 避難勧告は、市内でつながるほぼ全ての携帯電話にメールで送信、各自治会役員を含む約4千人の防災メール登縁者にも送られた。対象地域には広報車2台も出動した。にも拘らずこんな結果であった(データは魁新聞を参考にした)。

 避難しなかった人も、それぞれに理由があったのだろう。
 勧告警告を軽く聞き流した?家族の居場所が分からなかったなら、家を離れることをためらった?などなどあったのかもしれない。新聞から知る範囲では市はかなり真面目に対応した様に思われるが、今後の危機管理のために今回の避難の実態について市は詳しい事情調査をしておくべきであろう。
 この調査自体が大きな広報活動になると考える。
 民間の気象情報会社のまとめでは7月23日-8月15日間で、局所的大雨の発生回数は昨年比の2.7倍、東京では6.4倍になっている。秋田でも何時発生するかわからない。心していなければならない。
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徒歩通勤(18) 偉人伊能忠敬(8) 宮城県北部を通過中 津波被災状況

2013年08月30日 05時02分30秒 | 徒歩通勤 ウォーキング

 私は4月7日以降、伊能忠敬が歩いたルートを辿って歩いている。現段階で伊能式積算歩数計はΣ1340Kmで、宮城県北部に入った。
(地図はグーグルから引用させていただいた。クリックで拡大)

 宮城県に入ったのは7月21日で、東京からΣ963Kmであったからその後は377kmを39日かけて歩いた事になる。一日平均9.7Kmであった。一時、膝関節痛のために一日7Kmまでペースを落としたが、8月6日以降は再び往復徒歩通勤可能になった。

 福島県境から仙台港に至る県の南部の海岸線は地形的に単純であって距離も約40kmであるが、それ以北はリアス式海岸となるために海岸線は長く、仙台港から気仙沼市を経由して岩手県境まで約500kmもある。

 宮城県について地図上で多少勉強した。
 私にとって宮城県も仙台以外はあまり親しみがない。学会ほか医師会の仕事で毎月の様に行ったが用事のみでとんぼ返りであった。塩竈市、松島には小学校の修学旅行で訪れた。岩沼市は伝書鳩の岩沼盛岡間200kmレースのスタート地点で鳩を何度か送った事があって親しみを持っているが直接訪れたことはない。

 仙台以南の海岸線は福島まで広大な仙台平野が広がる。この平野に山元町、岩沼市、名取市、仙台市がある。仙台市中心部はやや内陸部にあるが、若林区、宮城野区は海岸により近い。

 東日本大震災について宮城県は全死亡者数の60%、1万人に近い。8月下旬時点での被害状況について調べてみた。

 死亡者数、行方不明者は、■宮城県 (9417名、2291名) 、■岩手県 (4649名、1927名)、■福島県 (1603名、245名)である。

 宮城県の津波による死亡者数、行方不明者数はリアス式海岸で複雑な地形である北部地域の被害が大きい。石巻市 (約3600名)、気仙沼市 (約1400名)、東松島市 (約1100名) 、女川町 (約900名)、南三陸町 (約850名) となっている。
 平野にある山元町 (約800名) 、岩沼市 (約180名)、名取市(約1000名)、仙台市 (約850名) と続く。
 市の中心にあると思われる役所の海抜を調べてみると、仙台市は46mと高いが、塩竈市、岩沼市、名取市、東松島市は海抜5m以下、石巻市の場合は約10mの所にある。これからも広い平野を津波が押し寄せてきた状況が推測できる。
 私は大震災の後一年ほど被災者の数を毎週調べていたがしばらく中断していた。いまそれを調べていて4463名もの方々がまだ行方が分かっていないのを知り、改めて被害の大きさに驚いた。

 宮城県の海岸線の長さは552Kmで、私の歩数計では岩手県境まであと150Kmほである。この付近と通過しながらその土地に関していろいろ調べてみたいと思っている。
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領土問題2013(3)中国を理解するために

2013年08月29日 05時38分47秒 | 政治・経済 国際関係
 中国の対応を理解するために、中国人を理解する為に、麗澤大学教授三潴正道氏は三つの側面から理解する必要があるとしている。■民族の歴史から、■商業民族、■礼儀、である。

 ■古くからの侵略の歴史ーー中国の歴史は異民族による侵略と占拠と言っていい。歴史に疎い私などとても覚えられない。そのために、何か事が起こると互いに連携して命がけの助け合いを行い、抵抗も行う。これが集団の抗議行動とかデモとか、破壊行動に結びつくのだろうか。中国人の絆の強さはいろんな場面で発揮されてきた。華僑の助け合いは有名である。

■商業民族であること。ただ、決して洗練された商売をする訳ではない。一部であろうが狡猾と言われかねない様相も持っている。贋作を本物と偽って販売する、会計の時に別物とすり替える、諸外国のコピー製品を作り販売する、製品の管理がずさん・・などなどである。

■人付き合いの礼儀に関しては、中国人の基本は、相手に自分の事を知ってもらうことにあり、自分の事を話し、相手の事を知り、その上での親密な付き合いと言う事になる。だから、中国人は自らを積極的に主張するし、初対面の相手であっても日本人では考えられないようないろんな事を微に入り細に入り質問して来る、という。この習慣は諸外国人には理解されがたい。北京五輪の際しては初対面の人に根掘り葉掘り聞き出すのは良くない、と人民日報の一面に注意を換気する記事が掲載された、と言う。 

 さらに、中国は周辺国とトラブルを抱えているが、国益がらみの内容に関してはかなり強硬であり、相手国によってダブルスタンダードを使い分けて迫っている。例えば、領海の設定は日本に対して大陸棚を主張し、ベトナムに対しては距離の中央を主張する。大陸棚を基準にすると不利だからである。このように、国益が絡んでいると中国は一貫性がない論理を上げてくる。

 このような国、文化を有する中国にわが国の論理がそのまま通用すると考えてはならないようである。

 尖閣諸島に関しては、時間を戻して結論をうやむやにして凍結するしか無いだろう。中国側は軍備増強で脅しをかけて来るだろうが、日本側の姿勢は変える必要は無い。中国側が一方的に強行に主張してきた以上、何処かで線引きしなければ解決しない。「中国は尖閣問題について日本に領有権を主張する権利がある」と表明し「未来永劫、請求権がある」と言うことを明確にすることが最低限の条件だろうが、日本は領土問題は存在しないと表明しており現状では解決の糸口は無い。
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領土問題2013(2)中国の対応を理解する困難さ

2013年08月28日 11時18分13秒 | 政治・経済 国際関係
 中国の対日対応はには理解を超えたものがあり驚かされる。
  私は中国人に友人も知人も居ない。だから中国人の考え方などはメディアから受け取っている知識しか無いが、中国人との付き合いは大変なようである。進出企業であっても中国を理解するのが困難で、いろいろな歪みや問題点が生じているようである。国家としての姿勢を見てもなかなか日本人には解りがたい。

 一例として2010年9月7日に起きた漁船の衝突事件を見る。この事件の対応においてわが国と中国の政府の対応に大きな違いがあった。多分、わが国の国民は中国の対応について驚きと不快感を抱いたことだと思われる。

 沖縄県の尖閣諸島は日本、中国、台湾が領有権を主張している。一方、現在は中国の沿岸漁業は乱獲で壊滅状態にあり、漁民は各国の領海で違法操業している。そうでもしなければ漁民は生活できない所まで追い込まれているのだ、と言う。
 違法操業していた中国のトロール漁船が、海上保安庁の巡視船の再三の停船命令を無視したばかりでなく、巡視船2隻に衝突した。後に明らかになった画像を見る限り故意で船をぶつけてきたとしか思えない。
 第11管区海上保安本部は8日、船長を公務執行妨害で逮捕した。25日に那覇地方検察庁は処分保留のままで船長を釈放した。中国政府は間髪を入れずわが国に対し謝罪と賠償を要求してきた。そればかりでなく、中国では逮捕直後、要人の訪日中止、東シナ海ガス田交渉の延期、レアアース等の実質的輸入禁止、などを表明し日本政府に揺さぶりをかけた。中国国内では大規模な反日デモが起った。観光や民間交流にも大きな影響が出た。

 中国には謝らない文化、罪を認めない文化がある。日本人にとっては「謝ること」は「トラブルの収束に向かう」ためのスタートである。中国人にとっては「争いの開始のサイン」ととる。だから、中国人は例え目撃されてたことでも誤らない。トロール船の船長は一切を認めなかったと言う。

 日本側は両国の関係を友好的に済まそうと考え、漁船の船長を釈放した。一切を認めなかった船長は帰国後英雄扱いであった。中国政府は謝罪と賠償を要求してきたが、その見解は「釈放されたことは罪が無いことであり、いわれの無い逮捕への抗議すると共に事件一切に関する損害を日本政府が負うべき」との立場であった。また、中国国民に対してその事実関係を毅然として表明した、と言うことである。勿論、日本側はこれには応じていない。中国政府はその数日後、「中国はこの問題について日本に賠償を要求する権利がある」と表明した。「権利がある」と言うことは「未来永劫、請求権がある」と言うことを公式に通達したこととなる。

 このような考え方を理解することは困難である。こんな思考をする中国を相手に領土問題で対峙することは、日本人側から見た正当な論理では通用しないと言うことである。大変な相手である。
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領土問題2013(1)昨年からの動き

2013年08月27日 03時23分12秒 | 政治・経済 国際関係
 
昨年7月、ロシアのメドベージェフ首相が北方領土の国後島を訪問し、領土問題は一切譲歩しないと明言した。ロシアでは日本の変換要求に対して首相や大統領による表明は時折見られるが、国民世論などどうなっているか、新聞レベルでは情報はあまり得られない。現在住んでいる住民の意見は時折伝えられることは、一般的に静かに見える。ロシア国民にとってそれほど関心のある話題ではないのでは?
 首相の訪問は世論喚起のためではないのだろうか。

 8月、韓国の李明博大統領が竹島を訪問した。さらに天皇訪韓の条件として植民地支配の謝罪を入れた。さらに、一連の行動に対して遺憾の意を評した野田首相の親書を送り返した。ことで大統領の支持率は一気に70%台にまで上昇し、両国の関係は一層悪化、高官協議や民間レベルの対話等が延期となった。
 一国のリーダーが、政治がナショナリズムをあおると危険である。韓国では朴大統領が誕生した。新大統領は日本との関係を重視すると言う発言が見られるが実際のところ関係改善の兆しは見えていない。
 韓国はむしろ中国と接近しつつある。

 尖閣に関して日本が国有化を表明してから台湾、中国で抗議運動が高まったが8月15日香港の活動家14人が接近し、うち7人が上陸した。沖縄県警は出入国管理法違反逮捕したが17日に強制送還した。これに対して台湾、中国で抗議行動が全土で起こり日本関連の商店、企業などが破壊された。9月11日に日本は尖閣諸島を国有化した。この後中国では反日暴動が激化した。

 領土問題は最もナショナリズムを刺激しやすい対象である。領有権を主張している国では異議を唱える国民は殆ど居ない。わが国の国民で竹島が、尖閣が日本の固有の領土でないと主張を展開している方を私は知らない。国土の領有権を否定することは国家としての主権を否定することに等しく、自らの立場の否定にもつながる。



 顧みてわが国の世論はどうだろうか。ロシア、韓国、中国、台湾の一連の行動をにたいして多くは不快の念を持っている
だろう。ヘイトスピーチ等問題になっているものの抗議行動などは少ない。領土問題を抱える二国間の歴史認識の差がなせる結果であろうが、いつまでも「認識」で論じているうちは両国間のずれは永遠に続く。

 解決のためには「史実」を解明する努力が二国間で必要である。
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