福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

自伝・中通病院(14) 私は歓迎されていなかったらしい(3)

2007年04月30日 15時54分01秒 | 自己紹介・自伝
 私が歓迎されなかったらしいことの理由は、一つは私の赴任が大学第三内科の関連病院の拡張方針に添ったものであるかのごとくの誤解があったこと、もう一つは私自身の性格的問題点が理由としてあげられたらしい。前者に関しては院長に「私の赴任は個人的なもので医局は無関係で、第三内科から人的援助は全くありません」とはっきり伝えて了承を得ていたが、うまく伝わっていなかったらしい。

 第二の私自身の問題点について言えば、私はいろいろ、例えば気が小さく言いたいことも上手く表現できないとか、一見当たりが良いように見えるが真から協調性があるとは言えず孤立を求める性格だとか、若干主張はするが論争を嫌って本心を隠して直ぐ相手に同調するとか、問題は無いわけではないが、集団の中で責任を果たすという意味では常識的な範囲に何とか収まると思っている。しかし、同僚達には必ずしもそう見えていなかったかもしれない。大学の医局会である同僚が「福田先生の意見も聞きたい・・・」と発言したのに対して別の同僚から「福田先生の意見なんて常識的でないから聞くだけ無駄・・・」と発言を遮られたことがある。このとき私は一種の評価をもらった、と嬉しくなったものである。

 マア、いろいろ凸凹のある個性の頂点だけを並べてつなげれば変な人間像が出来上がるが、そんなことで大きく(?)誤解されて伝わっていたのかな、と思っている。
 赴任後しばらく発ってからの病院の医局会では、私を民医連的でない、と批判めいた評価を受けたこともあった。その時は、全員が民医連的であったらこの病院はダメになるんじゃないですか、と居直った返答をした事を覚えている。

 そんなこともあって、私は仕事を進める上で気に入って長く居着いてしまったが、つい最近まで外様的感覚でしっくりしないものを感じていた事は確かである。
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チェリストで指揮者のM.ロストロポービチ氏が死去(1)「巨星墜つ」 

2007年04月29日 07時02分19秒 | 音楽談義
 現代を代表するロシアのチェリストで指揮者でもあるM・ロストロポービチ氏が27日死去された。享年80歳。卓越した技量と強烈な個性を備え持つことから氏の死は「巨匠の時代の閉幕」、「巨星墜つ」と表現するのが相応しい、と思う。

 氏は現アゼルバイジャンの首都バクーに生まれ、モスクワ音楽院でチェロと作曲を学び、40年代後半に各地の国際音楽コンクールで優勝、カザルスを継ぐチェロの巨匠としての地位を確立した。60年代後半から指揮でも活躍し、小澤征爾氏と親しく、親日家で来日も数多い。チェロに興味がある方で氏の存在を知らない方は恐らく居ないだろう。 

 彼は単に音楽的に優れているだけでなく、政治的運動にも積極的であった。これもすごいことと思う。70年代に人権や芸術表現への締め付けを批判して当局と対立して家族と出国、ノーベル賞作家ソルジェニーツィン氏を自宅にかくまったことで78年にソ連市民権を奪われたが、ペレストロイカと共に90年に回復したと言う経歴を持つ。91年8月の旧ソ連クーデター未遂事件では、エリツィン大統領らとクレムリンに立てこもった。その盟友エリツィン氏が逝って4日後に波乱の生涯を閉じた。 

 氏は昨年9月にショスタコービチ生誕100年記念演奏会を指揮した後、体調を崩され、今年2月にモスクワのがん関係の病院で手術を受け、3月に退院、4月12日に再入院していたとのことである。

 ヒトはどんな人生を過ごしたかにかかわらず、必ず死ぬ。そうと分かっていても偉大な才能を持つ方々が亡くなる度に、私は心から惜しいと思う。じゃあ、才能が無ければ死んでも惜しくないのか?と言うことになるから、惜しくとも等しく容認せざるを得ない。その才能は後継者に綿々と継がれていくことで生き続けるし、活躍は記録としても残っているし、・・・と納得せざるを得まい。

 私は、あまりにも恐れ多くて他言はしていないのであるが、チェロに関して氏の隠れ弟子なのだ、と言う妄想を持っている。だから、一入惜しいのだ。
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医師不足(2)絶対的不足と偏在のダブルパンチ  日医に方向転換を望む

2007年04月28日 04時44分34秒 | 医療、医学
 医師不足を論じる際の客観的指標としてOECD加盟諸国間の医師数の比較は有用である。OECD加盟国の医師数の平均は310人/10万人で、日本は200/10万人である。この医師数の違いは、各国毎の独特の医療事情を勘案しても、わが国の医師数は明らかに少ない、と判断出来る。

 目を国内に転じた場合、平成9年に閣議で医師数が将来過剰になると言う予測をもとに、引き続き医学部定員の削減に取り組む、との決定がなされた。この場合、何をもって医師過剰になるとの予測をしたのかが問題であり、その後、医師問題が次第に明らかになりつつあったのに、10年以上も再検討されてこなかったことは重大である。

 医師が決定的に不足していた昭和45年頃には、わが国に必要な医師数を150人/10万人と設定し、いわゆる「一県一医科大学」構想を推進し医師の充足につとめた。医師の数的充足が喫緊の目標であった当時は、徐々に医師数が充足して来たという実感はあったが、ここ10年近くは人口10万人あたりの医師数が170人、180人と増えつつあったのに、医療の現場では医師不足感が払拭しきれなかった。最近、医師数が200人/10万人にも達したが医師不足問題は一層顕著になってきた。
 これは、時代と共に、医療の質が変わり、医師・患者関係も変わり、医療制度が変わっただけでなく、女性医師の増加、医師の個人的なライフスタイルが多様化していく時代を迎えた事の関連している。その変化を評価分析することなく単純に医師数だけで医療供給のレベルを論じようとした、時代錯誤的な判断基準がもたらした結果である。机に向かって、図表を見ている連中に真の医療の姿が分かるはずはない。

 問題になっている医師不足、地域偏在、特定診療科医師の偏在・不足といっても各都道府県によって事情は大きく異なっており、さらに各都道府県内においては二次医療圏毎に大きなバラつきの問題を抱えている。即ち、多くの道県では道庁・県庁所在地では、医師は数の上では足りているものの、勤務医不足、特定診療科医師の偏在・不足が深刻となっており、郡市では医師の絶対的不足が相変わらず未解決である。

 我が国の医師不足を解決するには、何はさておき医師の絶対数の増加が必要である。
 だから、日医は過去を精算し、早急に方向転換すべきなのだ。
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医師不足(1)日本医師会『グランドデザイン2007--総論』の医師対策部分は疑問

2007年04月27日 03時00分28秒 | 医療、医学
 最近、日本医師会の動きがあわただしい。市民公開講座、日医総研セミナー、シンポジウム・・など次々に開かれている。来月も数件の企画が予定され、県医師会に動員要請がきている。

 今月、日医は日本のあるべき医療の姿を記述した『グランドデザイン2007---国民が安心できる最善の医療を目指して---総論』を公表した。その中で多くの視点からあるべき姿が論じられている。おおむね納得できる内容であるが、医師不足対策の部分の扱いは小さく、更に論旨に納得できないものがある。

 今、社会問題になっている、多くの地域の医師不足と、特定の診療科における医師の不足の原因は、医療費抑制の立場のみから医師養成を抑制してきた結果であることは、地域の医療をあずかる医師の立場から見て明確である。しかし、一般的には医師の絶対的不足ではなく、偏在が問題なのだ、と捉えられている。日医も従来からそのような見解を採ってきた。

 日医はその前に、昨年10月、「医師確保に関する見解」を公表した。その中で、医師偏在・不足の原因を、「国による永年にわたる医療費抑制政策の結果」と断じたことは当然のことで評価できる。しかしその中で医師が絶対的に不足しているから養成数を増やすべき、とは述べていない。

 一方、日医は『グランドデザイン2007- ---総論』の中で一項目として国際的視野から見たわが国の医師確保の問題についても論じている。まず、我が国の医師数をOECD加盟国のそれと比較し、OECD加盟国の医師数の平均は310人/10万人で、日本は200/10万人であり、日本の医師数は経済力に比してかなり少ないと評価している。ここまでは良い。
 問題は、そう言いつつも、医療費を据え置いたまま医師数を増やす施策は、医療の質を確保するという観点からも行うべきではなく、総医療費支出の増加が前提である、と論じている。この部分には矛盾がある。

 医師数をOECD諸国と比較し、不足しているという判断は十分納得できる見解であるが、医師養成の増加策は総医療費の増加を見てからという見解は、医療現場の医師不足の深刻さをくみとった考え方とは言えないばかりでなく、医療の質を確保する観点から行うべきでないと美しい言葉を並べてはいるが、裏を返せば、既得権、特に医師の収入確保に固執している、とも取られかねない。私にはそう感じられる。

 だから、日医の医師対策は私にはにわかには賛同出来がたい考え方である。
 大体、医療費抑制策を前面に出しているわが国が、簡単に方向転換するとは考え難いし、例え変換したとしてもレベルの問題がある。10%近くも総医療費を増やす状況を得てから医師増加策の実行を迫ると言うのだろうか。医師の養成には最低10年は必要である。医療現場はもう待てない、そんな余裕はない、のだ。『グランドデザイン2007---国民が安心できる最善の医療を目指して-』の副題にある「最善の医療を確保する」には医師の絶対数の増加が必要である。まず、日医が方向転換すべきである。その際、既得権の擁護に固執するようでは、社会の誰も支持しない。ますます孤立するだけである。


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外来カルテB5→A4への私の転換作業が受け入れられない 

2007年04月26日 04時53分13秒 | 近況・報告
 当院の外来カルテはB5版であったが、昨秋から時代の趨勢に合わせてA4版に移行しつつある。

 当院の外来カルテは一患者一カルテ方式で全診療科、全医師が使用する。原則的に途中で更新することはなく、長期間用いるタイプであるが、頻回受診で厚くなった場合、劣化した場合などは適宜更新しNo2カルテ、No3カルテとリニューアルしている。その作業は煩雑で結構大変であるが、新しいのに更新するとカルテが薄くなり、外来診察の能率も上がる。

 私は製本等の作業が好きなので、診療途中で気になったカルテは借用しておき、仕事の合間などに気分転換を兼ねてせっせと更新してきた。だから、私が担当する外来のカルテは大部分、薄くて軽い。
 中には私の目から見て驚くほど厚く、かつ劣化したカルテも流通しているが、私が診療していない患者の場合には手を付けたくとも我慢している。ホントは喉から手が出かかるのだが、我慢である。一方、見直すこともないであろう古い部分が厚く付いたままのカルテでよく診療できるものだと、その包容力に感心する。

 昨秋から始まったA4版化の作業は作業結果が目に見えるし、診療時の記載も楽になるから私は喜々として作業してきた。もう200冊以上更新した。B5版のカルテをA4版の台紙へ合本するのだからサイズ差による段差が出るのは当然である。私は殆ど問題にしないが、この段差が他の医師や医事課職員にかなり評判が悪いらしく、カルテ伝票委員会で話題となり、先週作業差し止めとなった。

 病院の方針ではA4カルテの後ろのポケットにB5カルテを挟むことにするとのことであるが、これだと一日に50-60人も診察する私の外来では非能率で耐え難い。私がやっている更新方法が最善と信じているから実に残念至極である。
 段差が少なければいいのであれば、作業は若干複雑になるが、そのようにも対応できる。再度、委員会に提起して更新許可を受けようと思っているが、今までの雰囲気では私の希望は通りそうもない。
 仕事の合間のストレス解消のための、ちょっとした、私の楽しみ、が一つ減りそうである。
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