福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

NHK健康番組「ためしてガッテン」で行き過ぎた表現で謝罪(1)

2017年02月28日 17時43分25秒 | コラム、エッセイ
 NHKは2017年2月26日夜、生活情報番組「ガッテン!」の22日の放送で、ある特定の睡眠薬を服用することで「糖尿病の治療や予防ができる」などと伝えた件について、批判を浴び、番組公式サイト上に謝罪文を掲載した。

 番組放送後、医療現場を中心に内容を問題視する声が相次いだ、らしい。今回の謝罪文でNHKは「行き過ぎた表現」、「誤解と混乱を招いた」と謝罪した。

 私はこの番組をわざわざ求めてみることはないが、家族が見るのに付き合うことはある。
 番組の構成に多少の問題を感じていた。

①「ためしてガッテン!」というビジュアルは構成はいい。
②最初から結論ありきの構成。無理やり結論を導きだす。
③実験?ためしてのサンプル数が少なすぎる、
④にもかかわらず Yes or No の判断が明快で単純すぎる、グレーゾンがない。
⑤医療関係者の監修は受けているのか疑問??
⑥人気の長番組ではあるが、毎週の放送で、マンネリ化し、取り上げる話題も乏しくなっているように見える。
⑦・・・

 今回の特集は、「血糖値を下げる!デルタパワーの謎」と題したもの。ある特定の睡眠薬に焦点を当て、この薬を服用することで血糖値が下がり、糖尿病が治療できるなどと説明していた。
 番組に出演していた医師は放送中、紹介した睡眠薬について「新しいので安全性が高い」として、糖尿病患者でも「わりと気軽に飲める」と持ち上げた発言。また、テロップでは「睡眠薬で糖尿病が治療できる」との説明が出ていた。

 睡眠薬の個別性など十分検討していないが、特定の製品を推奨した番組内容について、問題視する声が殺到、複数の専門医の見解も番組の内容に批判的だった、と言う。

 一般向きの健康番組の作成はとても難しい。
 医療問題、特に治療面においてはクリアカットに結論を説明できるものは少ないからである。臨床医学・医療はグレーゾンがとてもひろい。
 私も市医師会、県医師会役員の時に広報担当したことがある。その間、ラジオ番組、TV番組を作り、自らも出演したのは30本はくだらない。さらに、SARS、ノロウイルス、新型インフルエンザの流行期には頻回にTV出演した。
 私どもはいろんな可能性を想定できるが故に、作る番組は歯切れが悪い説明になることが多い。だからわれわれが作る番組は面白みに欠ける。

 NHK番組「ガッテン!」は純たる健康番組というよりはバラエティ番組である。
 ネームバリューのある医師が登場していたが、私の経験から推定するに、必ずしも思ったようは発言が出来なかったのではないかと思う。NHKの方針に合わせすぎたのではないか、と推定する。
 私の場合、用意した原稿にディレクターが大幅に修正を加え、その論旨に納得できなかったために収録をキャンセルしたことが一度ある。NHKはなかなか手強かった。  

 民放の場合はより自由度が高く、意見が異なっていてもその場で修正できた。
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徒然草から学ぶ(2) (157段) 心身一如

2017年02月27日 04時49分32秒 | コラム、エッセイ
 徒然草からはいつ読んでも新しい発見がどこかにある。
 157段も今まで何度か目を通したはずであるが記憶から薄れかけていた。また読んでみた。

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(157段)
筆をとれば物書かれ、楽器をとれば音をたてんと思ふ。盃をとれば酒を思ひ、賽をとれば攤打たん事を思ふ。心は必ず事に触れて来たる。かりにも不善の戯れをなすべからず。
あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むる事もあり。かりに今、この文をひろげざらましかば、この事を知らんや。これ則ち触るる所の益なり。心更に起らずとも、仏前にありて数珠をとり、経をとらば、怠るうちにも、善行おのづから修せられ、散乱の心ながらも、縄床に座せば、覚えずして禅定成るべし。
事理もとより二つならず。外相もし背かざれば、内証必ず熟す。しひて不信を言ふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。

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 (私の意訳)
 パソコン開けば書きたくなる。ヴァイオリンを持てば弾きたくなる。盃をとれば飲みたくなる。賽をとれば博打したくなる。心は必ず物事に触れて起こる。だから戯れ事をしてはならないのだ。
 仏典・経典を見れば、前後の経文も見える。一瞬にして長年の悪いことを改めることもある。今、この経典を広げなかったら、この事を知ることはなかっただろう。
 仏心がなくても、数珠をとり、経文をとれば、良い行いを自然に行う様になる。座禅を組めば、自然と禅定の境地に至る。
 外に現れる現象とその内にある真理は、もともと別物ではない。外部にあらわれた姿がもし道に背くものでなければ、心の内に真理を悟る機会は必ず熟してくる。
 だから、あながちに不平を言うものではない。仰ぎてこれを尊ぶのべきだ。
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 上記の意訳のごとく徒然草157段は「心と体はひとつである」ということについ手の記述と考えられる。手に取ったものによって心が動かされる。だから「心と体はひとつである」ということ。だから戯れ事をしてはならない、と諌める。
 私は診療において「心身一如」は常に念頭に置く言葉であり、個々の患者が必ず持っている心身の問題点まで考えている。しかし、言うは易しいが、医師としての能力不足もあってなかなか到達できる境地ではない。わかりやすい別の言葉「病は気から」、「病は気に」に置き換えるとわかりやすいが。

 「心身一如」は、曹洞宗を開いた道元禅師が説いた言葉。生も死も、身も心も一体であるというのが根本的考え方。最近読み始めた正法眼蔵に収められている。
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ふるさと納税2017(3) ふるさと岩手は春に向かっているだろうか

2017年02月26日 10時00分29秒 | 時事問題 社会問題
 ふるさと納税を考えながら、ふるさと岩手はいま頃春に向かっているだろうか、との考えが頭をよぎった。

 温暖化のせいか、近年は秋田の降雪もめっきり少なくなった。秋田はもう完全に春の雰囲気である。
 私のセピア色の思い出の中では岩手ではいま頃もこんこんと雪が降っていた。何しろ、私の小学校の入学式は降雪の中を母と一緒に歩いて行った記憶がある。

 自然の営みは偉大である。冬の間はぼんやりと雲をかぶっていたお日さまが、次第に明るくなりじわじわと雪を解かしなから環境を春へ近づけてゆく。
 ふるさとの春は水辺から始まる。日当たりのよい小さな池、農業用貯水池、川の土手や、小川の岸辺の縁から、待望久しい土がのぞく。それは子ども心にも感動的だった。心も明るくなる。やがてその土にふきのとうがいつの間にか首を出している。マンサクの花が咲いて春を告げる。雪国の春はモノクロの世界から黒い土と淡い緑と黄色のカラーから始まってゆく。

 戦後、団塊の世代が日本の高度成長を支えた。団塊の世代は私の人生とともにあった。社会は生き生きしていた。活気があった。「百年に一度」の経済危機、工場閉鎖なども乗り切った。
 その世代もいまやアラカン、アラウンド還暦と呼ばれ、現役からの退場と期を同じくして日本の活力は一層弱まってきた。

 いま、地方創生が言われている。都会の余剰人員、労働力を地方で吸収し、人口減、人手不足の農業にも振り向けようと画策しだした。これで地方と農業に人口と活力が戻るなら、それにこしたことはないが、今までの無策に対していささか釈然としない思いも残る。地方創世の動きも一時的でなかったか?一億総活躍社会と名を変えて細々生きているようであるが、求心力は失われた。

 地方は戦中はもちろん、戦後も一貫して人口の調節機能と労働力供給を担わされてきた。敗戦時、地方は多くの帰還兵、復員兵を受け入れた。高度成長期には労働力を供給した。その間、地方は少子化高齢化が進んでい行ったが、その対策は後手に回った。絶滅集落が話題になってから慌てて、地方創生、地方活性化と言われても釈然としない。
 そしていま、都会で役に立たなくなったアラカンの受け皿になってくれという。アラカン世代は地域でどう活躍できるというのか?地域に受け入れ態勢はない。

 ふるさと納税は、地方の活性化に対して、現役世代が果たすことの出来る数少ない方法の一つである。一定の効果はあるだろうが、ふるさと納税の理念が返礼品によって歪められているのは残念である。
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ふるさと納税2017(2) 私は返礼品などいらない 

2017年02月25日 01時54分40秒 | 時事問題 社会問題
 総務省は昨年4月、ふるさと納税の返礼品について、①金銭に近い、②資産性が高い、③高額、返礼割合が高い、に該当する返礼品は取りやめるよう通知を出した。ただ、強制力はなく、通知後に返礼品を増額した自治体もあった、と言う。

 一方で、総務省ではふるさと納税自体が下火になりかねないことを懸念している、という。また、「地方自治体がお互いに競争することも、地域活性化のために良い」との考え方もあるようだが、やはり何か変でないか。

 私はふるさと納税について、興味はあったが次第に納税の本質からずれていることから距離を置いて別の寄付を続けている。
 私は3.11の東日本大震災に対して、岩手県出身者として、何らかの貢献したいと思い、岩手県の会計管理者あてに、かつては年間100万円超、現在は収入が減ったからその半分くらい毎月送金を続けている。これに対し、岩手県知事から礼状が一枚届くだけであるが、私はそれで十分満足している。寄付金の捻出にはそれなりに苦労しているが、今の所欲しいものもない。少なくとも私の寄付金は岩手県の復興のために有効に使われている、と思っている。

 このような立場だからこそ、私はふるさと納税の、特に最近の返礼品競争の状況についてとても看過できない。

 私の場合は岩手県で生まれ、医療や教育等様々なサービスを受けて育ち、やがて秋田で収入を得てそこで納税を行っている。その結果、自分を育ててくれた故郷には税収が入らない。これを補う納税システムがふるさと納税である。自分の故郷に限らず、どの自治体にでも納税を行うことができる。

 ふるさと納税は、都道府県市区町村への「寄附」扱いなので、寄附金額の一部が所得税及び住民税から控除される。ふるさと納税では自己負担額の2.000円を除いた全額が控除の対象になる。したがって、節税対策にもなり、収入が多い人ほどこのメリットが大きい。

 だから、ふるさと納税には、①故郷への貢献、②節税対策、③返礼品を貰う、のメリットがある。
 返礼品についても、地域の特産品を用いるとすれば地産地消の趣旨に合致するから地域の活性化に寄与する、ので否定する必要はない。程度の問題だとおもう。

 総務省のデータからふるさと納税の納税額を調べて見ると東日本大震災・原発事故の罹災三県が特に多いと言うわけでもない。趣旨から言ってちょっと残念な結果である。

 ふるさと納税は今一度原点に立ち返って見直すべき、と思う。
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ふるさと納税2017(1) 何か変ですよ

2017年02月24日 16時06分06秒 | 時事問題 社会問題
 ふるさと納税がブームになっている。
 納税は、ブームというような言葉をかぶせるのに最も相応しくないと思うが、私も使う。
 納税者が豪華(?)返礼品に踊らされ、ふるさと納税は本来の趣旨から次第にかけ離れてきている、と思う。

 ふるさと納税は、自分が住む自治体に納める税金の一部を、2千円の手数料を払ったうえで、生まれ故郷や応援したい自治体に寄付する仕組みで、08年度にスタートした。私はこの時点では面白い試みと思っていたが、次第に返礼品が肥大化して疑問に思い始めていた。

 返礼品は当初は地域の特産品などが中心だったが、税収入を増やしたい各自治体が返礼品を競い合うようになった。次第に、高級食材や家電、商品券などが高額になり、納税者がそれらの返礼品入手を目当に、また、節税対策として利用する人が増えた。

 総務省のまとめによると、寄付総額は08年度は約81億円だったが、15年度は約1653億円に登った。このうち4割が納税者への返礼品の調達費などに使われている。返礼品が納税額の7割相当という破格の「還元率」が話題になったところもある。

 返礼品を変えたことによって納税が著しく増えた自治体もあることから、納税の目的が明らかに変わってきたことは確かである。返礼品コストが高ければ、住民サービスに充てる財源が減るし、実質的税収の減少になる。

 納税は「教育の義務」「勤労の義務」と共に国民の3大義務として憲法に定められている、国民として果たすべき最重要課題である。かつ崇高な義務である。
 それなのに、表現が悪いかもしれないが、国・自治体が半ば国民の義務を「オモチャ扱い」にしてそれに納税者が踊らされているのではないか、と思っている。

 当然、納税者の一人である私は返礼品競争に歯止めが必要、と考え、国が何で乗り出さないのか疑問に思っていた。やっと総務省が対策に乗り出すと言うが、遅すぎないか??

 それによって、ふるさと納税自体が下火になっては元も子もなくなる、という考えもあるが、何ということない、単に振り出しの頃に戻るだけ。いいじゃないか、と思う。本当にふるさとに貢献したいと考える納税者は納税し続けるだろう。それに、納税する場所が異なるだけで、国全体とすれば税収が減るわけでない。

 総務省は、税制などの専門家、地方団体の当事者らから意見を聞いて課題を洗い出し、今春をめどに改善策を取りまとめる方針だ、と言うが、あるべき姿に戻すことも独自に決められないのだろうか。

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