福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

生老病死2018(4) 自死は責められるべきか(3) 西部邁氏(2)

2018年03月31日 17時12分09秒 | コラム、エッセイ
 人には死ぬ権利がある。私は自分のいのちの使い方については最終的には誰からも指図を受けたくは無い。

 社会的には自死は悪、ととらえている。私はまだそんなことを個人に押しつけている社会のほうが悪い、と考えている。
 死はあらゆる苦痛、苦悩からの解放であり、安息の獲得と思う。
 むしろ、現代の死が、家族の価値観、他人の価値観、社会の価値観で、安易に医療に委ねられ、不自然な形で生きながらえなければならない現実の方に疑問を抱いている。

 最近、高齢者医療の中で、延命治療や過剰医療を排した自然死、平穏死、尊厳死など取りざたされている。一見格好いい考え方である。しかし、私はそうは考えない。
 どんな名称を付けたにしても、全て社会からはめられた枠の中で、その時を待つだけの死であり、個人の自由は無い。自由になるのは唯一、自死しかない。自死は弱ってからでは実行出来ない。

 私は自死をしなくて済むために、いわゆる安楽死も個人の自由と尊厳を守るために選択の中に入れていいと思う。

 西部邁氏は社会に認められた死の方法がないために「自裁死」と格好つけた自死を選んだ。死んだ結果は多分満足しているかも知れないが、死に至るまでの、意識を失う迄の過程は辛かっただろうし、やはり氏の死に方も不幸な選択の一つである。安楽死が許されていれば、苦痛無しに静かに意識を失うことが出来たはずである。

 いのちの使い方については最終的には自分という考え方に立っても、自死には他人から見て不可解なメッセージが込められているから、特に近親者にもたらす影響は余りにも大きい。 
「自裁死」であっても同様でる。
 
 西部氏の死について他人の私がとやかくいう筋合いではない。

 西部氏の記述や発言を追って「自裁死」への過程を推定してみる

 ■個人主義と技術主義に基づく米国流の近代主義は反対。
 ■「平凡なものにこそ非凡な歴史の英知がある」と伝統を重視。
 ■理想と経験、現実における平衡感覚の大切さを説き、「活力・公正・節度・良識」を規範とした。
 ■人間とは何か、どう生きればいいかを模素、良き人間とはどういうものかを訴えようとした。
 ■専門的狭い世界でではなく、総合的な知を志向、論理性と情感を併せ持った独特の文体で、自らの人生と思想を交錯させた。
 ■社会に蔓延する偽善や欺瞞の言説に我慢がならない。
 ■あらゆる社交の場で必要なのは場をわきまえた礼儀や節度であり、公正の感覚である。
 ■重要なのは、義の精神であり、自立の矜持であり、節度であり、優れたものを前にした謙虚さである。
 ■家族、特に夫婦の大切さを説いた。自宅で末期がんの妻をケアし「保守思想とは妻の看病をすること」と述べ、その死後は自身を「半死者」と呼んだ。

 これが西部流保守思想と言われる一部らしい。
 時代の現実を見れぱ情報化とともに日本社会の変容はとどまることを知らない。平成の末期まで生きて、西部氏の絶望も極眼まできて、許容することが出来なくなっていたであろう。

 氏は無神論者と言う。現実の世界から「無」の存在に移ったのだ。

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生老病死2018(3) 自死は責められるべきか(2) 西部邁氏(1)

2018年03月30日 16時29分10秒 | コラム、エッセイ
 「死に方は生き方の総仕上げ」と記し、普段から自ら命を絶つ「自裁死」に言及してきた評論家西部邁氏が、本年1月21日の朝、多摩川で入水死を遂げた。享年78歳。
 
 氏は北海道生まれ、東大在学中60年安保で指導的役割を果たした、と言う。経済字を専攻し東大教授になったが、大学と「けんか」して辞め、保守を代表する評論家として、数多くの著書を刊行、自ら立ち上げた論壇誌やテレビで言論活動を展開した。

 私は不勉強にして氏のことを訃報に接するまで知らなかった。いや、お名前だけはどこかで聞いていたかも知れない。全然ノーマークであった。
 それ以降、氏に興味を持っていろいろ調べている。興味を持ったのは氏の思想に対してではなく「自裁死」とまで言いかえた自死についてである。調べるといっても2008年以降全録音を録っているラジオ深夜便には一度も登場していないから、声や人となりを知ることは出来ない。いま出来ることは著作から氏が辿った死の捉え方と、最終的実行に至った道を類推するしかない。

  西部邁氏は高邁な理論を解く方である。記述は難しい。私は今の所、氏の思想にはあまり興味がない。死を意識してからの入水死を遂げるまで20年以上だったと言うが、その過程を類推するために以下の4冊を入手した。

■「世論の逆がおおむね正しい」 産經新聞出版、2012年。
■「生と死、その非凡なる平凡」 新潮社、2015年
■「保守の真髄―老酔狂で語る文明の紊乱」 講談社現代新書2017年12月。
■「保守の遺言―JAP.COM衰滅の状況」 平凡社新書 2018年3月。

 私は、自分より高齢の方々の死については病死であろうと、自死だろうと、事故死だろうといずれ逝くべき場所に行っただけ、良かったよかった、と思う。それ以上の感慨は持たない。原則としてお悔みもしない。○○歳以上の方の死に関心をもたない、と年齢で区切ってもいいのであるが、線引きの理由が見つからない。自分の歳を基準に考えるのが一番。何しろそれ以上の拠り所が無いからである。

 さらに、私は永く齢を重ねた高齢者は、可能であれば、自分の人生の終わりを自分で決め、自分で実行するべきだ、との考えを持っている。

 この点では私は氏の考え方に賛成である。私は氏に親しみを感じている。
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森友学園問題2018(3) 佐川氏喚問(3) 官邸と官僚の関係が歪んでいる??

2018年03月29日 04時29分36秒 | 時事問題 社会問題
 行政府の元官僚を、国会が証人喚問するのは異例のことらしい。

 今回の佐川氏の証人嗅問は、さっぱり役に立たなかったと思うが、他の官僚にいろいろ饗響を与えたのではないか。こんな事がしょっちゅうあるようでは官僚たちは事なかれ主義に走るかもしれない。
 今回の事件を機に官僚たちの一部は及び腰で、投げやりになっているとも聞く。これは国としても大きな損失になる。

 官僚は優秀な知的集団で日本の国を動かしてきた。日本の安定の背景には官僚の存在があった。
 政治主導は、過去の官僚主動政治に対するアンチテーゼとして台頭してきた。政治家が国民の利益のために官僚の能力を利用するというのは間違っていない。ところがいまは、官邸側への擁護や、同調があまりにも強すぎるように見える。

 最近、官邸に反論したり、別の選択肢を示したりするだけで、官僚はにらまれ、冷遇される、との意見を読んだ事がある。今回の佐川氏の辞職もその一環ではないだろうか?

 これは、自民党というより安倍政権の体質が大きい。政治が官僚に睨みをきかせている、と言えば言い過ぎだろうか。副総理は「佐川が・・」と呼び捨てにする。互いに礼を持って
官僚にのびのびと仕事をさせ、丁寧に合意形成するのが本来の政治のあり方だと思うのだが。

 今回の公文書改ざん問題の全容が明らかになっていないが、政治家と官僚間の関係がうまくいっていない表れでないか?改善が必要であることを示唆している。

 役人、公務員の職務は憲法15条には「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とある。奉仕は官邸に対してだけではならない。

 かつて官僚支配の弊害が叫ぱれ、その結果政治主導が進んだが、これほどギクシャクした関係が露わになると、政治主導の政治にも問題がある、と言う事になりかねない。
 最近は、行政の頂点には首相、官邸がいて、そこで実質的に決定しているという政治主導が基軸になっている。

 政治主導の利点は、トップと少数のスタッフ、側近の官僚で速戦即決できることにある。しかし、余程意識しないかぎり、国民の納得を包含した合理性には欠ける。その結果、行政が徐々にゆがんでいく。

 安倍政権は、官僚側と意見が合わなかった場合、強い命令や指示で押さえつけてきたが、今回の公文書改ざんをみるともはや限界なのだろう。
 
 今回の事件で傷ついた政官の信頼関係を回復させるきっかけが必要だが、現時点ではまず、森友加計学園問題をクリアにし、現状の政官の関係を明らかにしなければならない。
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森友学園問題2018(3) 佐川氏喚問(2) 結局何も得られなかった?

2018年03月28日 05時23分44秒 | 時事問題 社会問題
 国会は昨日佐川氏を証人喚問した。
 私はその様子の一部をTVで見、新聞で内容を確認した。

 佐川氏は
■首相や首相夫人の影響があったとは考えていない、と断言。
■首相は昨年2月の衆院予算委員会で「私や妻が関係していたということになれば、私は間違いなく首相も国会議員も辞める」と強調した。佐川氏は「あの言葉の影響があったとは考えていない」と述べた。
■氏は改ざんの理由や誰の判断だったのかに関しては「刑事訴追を受ける恐れがあるので答弁を差し控える」と繰り返した。
■国有地の8億円強の値引きについては適切だった、と主張した。
■質問の核心部分は「刑事訴追を受ける恐れがあるので答弁を差し控える」と繰り返した。40回以上にも及んだらしい。

 結局は、喚問は国有地の売却や文書改ざんに誰がどう関わったのかはなお分からない状況で終了した。いまとなって見れば、森友問題の核心部分は学園側の希望に沿った土地取引の背景に、政治の圧力や官僚の関与があったかどうか、であるが、これについては何ら明らかにならなかった。

 それなら国会に提出する公文書を改ざんしてまで、いったい何を隠そうとしたのだろうか??全く不明である。

 野党は関係者を更に招致して全容の解明を急ぐべきだ、と主張しているが、このようなことを繰り返していても解明に結びつくか疑問である。あの場で関わったであろう関係者の個人名を、質問者が提示して質問することがなければ、佐川氏が挙げることなど不可能である。質問者が証拠もなく実名を上げれば、そこまで追求するほどの資料は得ていないだろう。だから、初めからできないのだ。

 行政府の元官僚を、国会が証人喚問するのは異例のことらしい
 佐川氏は、国会で虚偽の答井をしていた可能性が高いから、国会の場で改めて説明を受けるという事は当然の過程だろう。特に、退職した身分であるからこういう場でしか質疑出来ない。

 証人喚問が犯罪者に対する取り調べではない。今回、佐川氏はあたかも犯人のごとくの、改ざんの首謀者であるようなイメージが作られてしまった。証人喚問で呼ばれるのはあくまでも証人であり、犯罪被疑者ではない。

 だから、喚問そのものに限界がある。犯罪被疑者の取調べにおいてすら「自分に不都合なことは供述する必要がない」と認められており、証人喚問で「刑事訴追を受ける恐れがあるので答弁を差し控える」と繰り返したのは佐川氏の権利でもある。

 過去の証人喚問のイメージは実質的メリットは無いのだが、国会として、与党として一つの通過儀礼として捉えられるような気がする。現に、官邸はこの証人喚問を機に問題の線引きをしようとしているのでは無いか?そんな印象をうける。

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森友学園問題2018(3) 佐川氏喚問(1) 国会の証人喚問とは

2018年03月27日 07時59分10秒 | 時事問題 社会問題
 森友学園問題が発覚したのは昨年2月であった。発覚当初は財務省の関与は従たるものとの印象であった。
 大きく情況が動いたのは朝日新聞が3月2日に国有地売却を巡る決裁文書が書き換えられた疑いがあること報じた以降である。
 財務省は12日、14の文書で書き換えがあった旨を国会に報告し、改ざんを認めた。数100カ所(?)書きかえられており、首相夫人や政治家4人の名前も削除されていた。

 事件の情勢が不自然な値引き問題だけでなく、財務省の公文書の扱いの方向に一変した。

 この書換えに佐川国税局長官の関与が取りざたされ、国会喚問が本日行なわれた。
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 その前に、国会の証人喚問とは何だろうか。ちょっと調べた。

 国会には国政調査権が憲法で保障されていて、事件の真相を明らかにするため、当事者や関係者に証言を求めることができる。
 そのうち、「参考人招致」は出席を拒むことができるし、虚偽を述べたとしても罪に問われない。
 これに対して「証人喚問」は正当な理由がないのに出席や証言を拒むと議院証言法で罰せられる。虚偽の証言をした場合も偽証罪で3ヵ月以上10年以下の懲役に問われる。証人喚問をした国会の委員会などで、出席委員の3分の2以上の賛成があれ偽証罪で調査をするよう告発できる。議決されれば、委員長や議長名で最高検察庁などに告発する。
 1955年以降、衆参両院でのべ約270人が証言に立った。そのうち証人の告発は1955年計16人となっている。

 法律や規則では、「証人喚問」も「参考人招致」も目的は国政に関する調査で、国会で協議してどちらにするかを決めるが「証人喚問」の意義は大きい。

 近年の主な証人喚問
 私が記憶にあるのは古くはロッキード事件からである。このときは証人にたった小佐野氏が頻発した「記憶にございません」が流行語にもなった。
 
 私は、野党側がネコの首をとったように証人喚問、喚問と大騒ぎするが、その後の証人喚問を見ていても、追求する側の論拠や姿勢が弱くてウヤムヤ状態のまま終わってしまうような印象を受けている。

 記憶にある証人喚問は、
 19****年薬害エイズ事件の帝京大教授への喚問、
 2002年鈴木宗男衆院議員の北方領土支援に関する喚問、
 2005年姉歯・元建築士の耐震偽装事件偽証の喚問である。

 はたして今回の佐川氏の喚問はどうだったのか??
 やはり、ほとんど何も有用な証言は得られなかった、と思う。
 

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