1990年5月に足利市で父親がパチンコに熱中している間に4歳女児が行方不明になり翌日河川敷で遺体が発見された事件が足利事件である。半年も後の12月に逮捕され、無期懲役で服役中に釈放された菅家氏が先日NHKのラジオ深夜便のインタビューに登場した。
菅家氏は無罪判定となる予想のもと現在再審公判中であるが、先日取り調べの様子を記録した録音テープが再生された。新聞報道で見る限り身体的な拷問というよりは精神的に追い詰められた様子が見て取れる。かなり厳しい状態に追い込められた状況をラジオでも語っていた。
氏の話を聞いていてかなり誠実な方だとの印象を持ったが、更にご本人は幼少の時からの自らの性格を、身体的にもひ弱であったが、とても気が弱く、周りの強い意見に反論できず黙ったり、納得できなくとも従ってしまう性格であったと述べていたが、聞く限りそのような印象も受けた。事件に関する詳細は私には分からないが、アリバイに関しての情報はどうなっていたのか、私が知っている範囲の情報には無く、分からないが当然アリバイ証明は出来なかったと言うことになる。しかし、半年前のアリバイを証明する事は困難である。私が生活記録を付け続けているルーツは職質の時に味わった恐怖感である。
氏が述べた性格の特徴は私自身のそれとそっくりである。私も職質を3回受けたが、自己の正当性を何所まで主張できるか自信はない。自分がもし菅家さんの立場だったらと、背筋が寒くなる。この事件の判決に大きな役割を演じた当時のDNA鑑定であった。氏を真犯人にするには矛盾点もいくつかあったとされるが、科学的新知見が優先され、それに辻褄を合わせるために疑わしい事実は次々と修飾され、氏を犯人とする事件のストーリーが仕上がっていった、と言うことである。
密室での取り調べが録音すされていたことは朗報である。取り調べの「可視化」は重要であるが、捜査当局は一部の可視化には同意しているが全面実施には抵抗が強い。
菅谷氏が犯人とされるプロセスには警察、検察、裁判官、鑑定者とかが大勢関与している。冤罪を生むと言うことは真犯人を逃した事でもあり、無実の人の人生を台無しにしたと言うことから業務上の過失を問われてしかるべきである。当時の検事は証人として出廷したが、菅家氏に謝罪はしなかった。国家権力の元で業務をしていた方にとっては個人的見解や感想を述べられないのであろう。
一人の担当検事に責任を負わせるべきではない。関与したすべての関係者が責任を問われるべきであり、場合によっては罪が問われてしかるべきだろうと思う。
私ども医師は判断がリアルタイムに要求され、時には考えるまもなく治療を開始せざるを得なくなることも少なくない。その際、間違いをおかしていることが後日分かった場合には医療過誤として刑事、民事的に罪を問われることになる。同じ国家資格でありながらこの違いは何なのか、私はまだ納得できていない。
菅家氏は無罪判定となる予想のもと現在再審公判中であるが、先日取り調べの様子を記録した録音テープが再生された。新聞報道で見る限り身体的な拷問というよりは精神的に追い詰められた様子が見て取れる。かなり厳しい状態に追い込められた状況をラジオでも語っていた。
氏の話を聞いていてかなり誠実な方だとの印象を持ったが、更にご本人は幼少の時からの自らの性格を、身体的にもひ弱であったが、とても気が弱く、周りの強い意見に反論できず黙ったり、納得できなくとも従ってしまう性格であったと述べていたが、聞く限りそのような印象も受けた。事件に関する詳細は私には分からないが、アリバイに関しての情報はどうなっていたのか、私が知っている範囲の情報には無く、分からないが当然アリバイ証明は出来なかったと言うことになる。しかし、半年前のアリバイを証明する事は困難である。私が生活記録を付け続けているルーツは職質の時に味わった恐怖感である。
氏が述べた性格の特徴は私自身のそれとそっくりである。私も職質を3回受けたが、自己の正当性を何所まで主張できるか自信はない。自分がもし菅家さんの立場だったらと、背筋が寒くなる。この事件の判決に大きな役割を演じた当時のDNA鑑定であった。氏を真犯人にするには矛盾点もいくつかあったとされるが、科学的新知見が優先され、それに辻褄を合わせるために疑わしい事実は次々と修飾され、氏を犯人とする事件のストーリーが仕上がっていった、と言うことである。
密室での取り調べが録音すされていたことは朗報である。取り調べの「可視化」は重要であるが、捜査当局は一部の可視化には同意しているが全面実施には抵抗が強い。
菅谷氏が犯人とされるプロセスには警察、検察、裁判官、鑑定者とかが大勢関与している。冤罪を生むと言うことは真犯人を逃した事でもあり、無実の人の人生を台無しにしたと言うことから業務上の過失を問われてしかるべきである。当時の検事は証人として出廷したが、菅家氏に謝罪はしなかった。国家権力の元で業務をしていた方にとっては個人的見解や感想を述べられないのであろう。
一人の担当検事に責任を負わせるべきではない。関与したすべての関係者が責任を問われるべきであり、場合によっては罪が問われてしかるべきだろうと思う。
私ども医師は判断がリアルタイムに要求され、時には考えるまもなく治療を開始せざるを得なくなることも少なくない。その際、間違いをおかしていることが後日分かった場合には医療過誤として刑事、民事的に罪を問われることになる。同じ国家資格でありながらこの違いは何なのか、私はまだ納得できていない。