福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

この一年(2)医療行政界のキーワードは「今が改革のチャンス」

2007年12月31日 18時22分50秒 | 未分類
 2006年秋、小泉政権は国民生活に大きな歪みをもたらして退陣し、9月に安倍政権が誕生した。安倍氏は前政権が残した歪みの一部を矯正しようと若干の修正を試みたものの国民感情から見れば遥かに小さく、国民の支持を失い2007年7月の参議院選挙で与野党が逆転した。結果的に安倍首相は体調を崩して政権を投げだし、福田政権と替わるなど、政治的には激変の年であった。

 医療行政の中に安部首相が提示した肯定面をさがすと、「国民が、地域の医療が確かに改善されたと実感し、もう大丈夫だと安心してもらえるよう全力で取り組む」と述べ、医療費抑制政策の部分的見直しを表明した事は大きかった。一方で2200億円の削減方針には手をつけずそのままとしたが、この辺が矛盾していた。繰り出した具体的改革案は、■リハビリの算定日数制限の見直し、■介護予防事業の「特定高齢者」の選定基準の大幅緩和」、■軽度者への福祉用具貸与禁止の見直し」、■障害者自立支援法での障害者負担増加を緩和」などであった。しかし、こんなレベルでは国民の支持を得ることは困難であり、年金問題、閣僚の不祥事もあって7月の選挙では大敗し、与野党逆転となった。

 福田総理は自ら「背水の陣内閣」と称している如く、内閣の最大の命題は来年夏頃に予定されている総選挙で何が何でも勝利して自民党が政権を死守することである。そのためには票を集めなければならず、笑顔を振りまき、対話を重視し、不本意であっても国民の視点に立った政策を繰り出してくるはずである。特に、「年金」、「医療・福祉」面は国民の不安・不満が集中し、生活に密着した部分であるからここに力を注ぐことになるであろう。C型肝炎問題でも最終的に総理の決断で全面解決に向けた決定を下したのもこのためである。消費税問題も先送りした。各方面にいい顔をした結果が次年度の国家予算に現れている。収入のアテがないのにバラ撒き的で、国の借金はまた増えていく。この解決は後日消費税アップでと考えているに違いない。

 ともあれ、今は国民運動として盛り上げられれば政府を動かすことも不可能ではない状況になっている。
 従って、われわれは医療従事者として今黙っていることは得策ではない。ドンドンと発言し、情報を発信して医療行政のあり方を改善していくべき時期である。
 こんな良い機会は滅多にないのだ。
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この一年(1)医療界のキーワードは「医療崩壊」

2007年12月30日 07時53分02秒 | 医療、医学
 この2007年の一年は自分の目から見て一体どんな年だったのか?年の暮れを迎えるにあたってザッと思い出してみた。
 2006年秋、5年余続いた小泉政権はマイナス3.16%もの診療報酬削減を置きみやげに退陣し、9月に安倍政権が誕生した。2007年7月の参議院選挙で与野党が逆転し、安倍首相は政権を投げだし、福田政権と替わるなど、政治的には激変の年であった。

  このような中で、医療界について2007年は一体どんな年であったと総括できるのだろうか。
  2007年は1月の柳澤厚労大臣の「女性は子供を産む機械」を言うバカらしい発言で年が明けたが、医療界は単年度として総括できるような状況にはなかった。敢えて言えば、「長年の国の低医療費政策の歪みが、壊滅的な医療崩壊として開花した年」、と言いうるだろう。

 すなわち、長年にわたる低医療費政策の影響により、全国各地域において地域医療体制が崩壊し、住民の生活の安全や信頼が大きく損なわれる事態となった。とりわけ、小児医療、産科医療、救急医療において顕著に悪化とされているが、決してそれだけではない。専門医療の中核的担い手である病院勤務医は、増大する業務で多大の負担を強いられ、痩弊しきって次々と病院や地域から去っている。いまやわが国の大部分の病院で、全診療科における明日の診療体制の維持を保障できない、と言わなければならないほど壊滅的状態に進みつつある。

 わが国の医療は、医療内容や効率においてWHOや諸外国から大きく評価され、注目されてきたが、医療機関や医療専門職の犠牲の上に成り立ってきたという背景まで考えれば、決して高くなど評価されるべきでなかったのだ。また、WHO等の評価を喜び、犠牲を「献身的な尊い努力とその成果」などと美化して自己満足に漬ってきたわれわれ医療関係者にも甘さがあった。また、勤務医を始めとする医療従事者の物言わずに耐える風潮が状況をここまで悪化させた。

 更に、わが国の医療供給体制は大学医局の旧態依然とした医師派遣システムによって維持されてきていたが、2004年からの新臨床研修制度の施行によって大学がその機能を失ったことが医療崩壊に大きく影響した。

 やっと国も厚労省も医療崩壊に気付いたようで政府・厚労省は緊急的避難策を次々と繰り出してきた。■医師不足地域に対する国レベルの緊急臨時的医師派遣システムの構築■病院勤務医の過重労働を解消するための勤務環境の整備■女性医師等の働きやすい職場環境の整備■研修医の都市への集中の是正のための臨床研修病院の定員の見直し■医療リスクに対する支援体制の整備■医師不足地域や診療科で勤務する医師の養成の推進、などである。

 しかし、これらは無いよりは良い程度の小手先の対策に過ぎない。
 医療崩壊が低医療費政策の歪みの成果であることを認めこの政策を改め、わが国の医師数は偏在などで不足しているのではなく絶対的に不足していること認め、医師を増加させる政策に切り換えるなどの根本的対策を早急に行わないのであれば、地域医療提供体制は一層崩壊するどころか瓦解状態に至る事になる。
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お医者さんは30年前の患者のこともこんなに詳しく覚えているのですか??

2007年12月29日 08時04分45秒 | 医療、医学
 一昨日の早朝、5時少し過ぎの出勤時、医局に向かう暗い廊下で一人の初老の入院患者が静かに歩行していた。すれ違うときにいつもの如く「おはようございます」と挨拶をしたが、その方は私を見つめて「おはようございます。もしかしたら福田先生ではありませんか? 父が大学病院でお世話になったT.Oの息子です。今はこちらで働いていらっしゃるのですか?・・・」と話しかけてきた。

 T.Oさんは昭和52-3年頃、多発性骨髄腫という病気で私が主治医であった患者である。治療に難渋し、病状が変わる度にご家族と面談して次の治療について説明し慎重に治療した。結果的には一月ほどの経過で腎不全のために死亡されたが、著しい出血傾向があったことで治療に難渋したことで、記憶に残っている患者のお一人である。

 この息子さんについての記憶は殆ど残っていないが、懐かしげな表情をされているので廊下の椅子に腰を下ろし5-6分歓談した。「自分も父と同じ腎不全でこの病院にお世話になっています。今朝は眠られずに起き出して散歩していました・・」とのことであった。しばらくT.Oさんについて当時の記憶をたどりながら思い出話をしたが、最後に、息子さんは「30年近くも前の患者の事をこんなに詳しく覚えているものですか?驚きました・・」と話され、ゆっくりと病棟の方にもどっていった。

 勿論、各患者のことをそんなに記憶に止めているわけではないが、治療に難渋したり、思いがけない経過で亡くなった患者の方々は決して忘れることは出来ない。

 話の中で若干の疑問を感じた。わが家の息子さえ着なくなったボロボロの古コートでスリッパ履き、無精ひげで生彩の上がらない格好を出勤したのに、何故30年も会ったことのない私を息子さんが私を一瞬で認識したのか?と言うことである。

 多分、息子さんは父親と同じ病気で入院したことで、当時の主治医のことも含めていろいろ回想していたのであろう。そう言う状況の所に、たまたま私が通りかかったと言うことだろう。

 それにしても一瞬で気付いたと言うことは、私が30年前とそれほど変わっていない顔つきをしていた、と言うことである。要するに、私はその当時も今のような老けた表情をしていたと言うことである。事実を笑って受け止めるしかない。
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本日で外来終了 何とかして患者を減らさなければ

2007年12月28日 09時31分45秒 | 近況・報告
 本日15:00過ぎに外来が終了し、開放感に漬った。毎週木曜午後も週の外来の終了日とのことで開放感はあるが、本日は今年一年間の外来が終了したと言うことでより一層深いものがあった。

 私は週3-4日外来に出るが、予約患者数は55人程度でそれほど多くはないが、後半はいろいろ問題を抱えた患者が並び、更に予約外の患者、人間ドックの結果説明もあるので結構時間がかかる。随分急いでいるが、終了は速くて13:30、遅いときは15:00頃になり、終わり頃になると午後のスケジュールに食い込んでいくから次第に焦っていく。一週間単位で診察患者を人数面からだけで言えば、最も多い方の部類に入ると思われる。

 本来、より急性の疾患を扱う病院の医師は入院患者の診療中心で、外来診療は従たるものであるべきであるが、日本の病院の場合、医師としての業務のかなりの部分を外来に取られ、勤務医達は疲弊している。いや、患者達も疲弊している。

 特に、私の外来はハッキリ言って医療をしているという満足感からはほど遠い内容で、中高年の方々のお相手しながら老化による苦痛、愚痴を聞いて慰め、血圧を測り、処方を出しているだけのようなもので、数人の患者を除けば別に私が担当する外来でなくとも良いし、更に言えば当院の外来でなくとも良い方々である。それでも、無理矢理、些かの社会貢献にはなっているはずだと、理屈をこねて何とかやっているが、長時間だし、その後の書類処理のことも考えると結構ストレスである。

 何とかして患者を減らさないと、と思う。そのために新年の外来からは営業用のスマイルを減らして行く積もりである。他に何か参考になるものはないかと思ったが、かつて文献で見た、民俗学で知られている小林 存(ながろう・・と読むらしい)の言う、「人に嫌われる10の秘訣」の一部を思い出したので実践していこうかなと思っている。

 その10項目とは、■威張れ■責任逃れせよ■ケチであれ■自慢せよ■他人の欠点失策を言いふらせ■屁理屈を並べろ■恩は忘れ感謝するな■独り占めせよ■約束は守るな■嘘をつけ、である。ウーン、これは3番目を除くと日頃から接遇は大事だよ、と言っている私にとってなかなか実行は難しそうである。
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秋田市の自動車専用地下道路「秋田中央道路」を通ってみた

2007年12月27日 06時53分40秒 | 秋田の話題
 秋田市の交通渋滞緩和のために秋田駅を挟んで東西を地下道路で結ぶ自動車専用道路「秋田中央道路」、約2.5Km、総事業費686億円、が去る9月15日に開通した。秋田の地方紙の記事によると、渋滞緩和の面で著明な効果がみられるとのことで、私どもの病院の近くの明田地下道西交差点の渋滞の長さが1/4程度に緩和されたとのことである。患者、職員にとっても、秋田市民、環境にとっても大きなメリットとなっているようである。

 この道路の開通は大きなニュースとなっていたが、私の通勤は南北方向だから特に直接の関連はなく、工事にまつわる諸問題は別であったが、道路そのものとしては関心が薄かった。

 12月12日は16:00から17:30の予定で秋大関連病院協議会が催され出席したが、特別講演が長引き終了したのは18:05分頃であった。予定を30分以上長引かせるような講演や会の運営はとても迷惑である。折しも、その日は18:30秋大第一内科忘年会が催されることになっており、苛つきながらいつ終わるとも知れない講演を聴き、終わると共に遅刻を覚悟しながらタクシー乗り場に急いだ。

 途中でお会いした秋田赤十字病院の院長から、自分も出席するので、と勧められ病院車に同乗させていただいた。車は私がいつも通るコースより遠回りの道に向かっている。決して急いでいる雰囲気がなく不思議に思ったが、これは「秋田中央道路」に向かうコースなのだという。驚いたことに、地下道を経由して5分も経ずに会場のホテル前に到着した。この道を通ることを思い浮かべずにタクシーで30分か、と半ば諦めていただけに本当に驚き、「秋田中央道路」のメリットを感じ取った。

 私はまだ一回しか通っていないが、総事業費686億円に見合う効果が果たしてあるか否かなど、この道路については賛否両論があっただけに何れは検証は必要であろう。

 問題はこの道路の工事に伴う地盤沈下問題で、道路近傍の某高校では亀裂やひびなどが1688カ所も確認され、補償費が7億円余に上ることが明らかになった。県の担当部署が地盤沈下の事実を16年6月に確認しておきながら3年もの間ひた隠しにし、知事も半年間沈黙してきたとのことで、県庁の隠ぺい体質がまたもや浮き彫りとなった。多額の補償費をどうするのだろうか。

 寺田知事は庁内の食料費問題に端を発した庁内の不祥事を改善することを公約にしていたが、その知事の下でなぜ再びこの様なことが生じたのかという検証と、責任の所在を明らかにすべきである。知事も在任が長すぎて鈍くなって来ているのではないか?
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