福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

表現の不自由展中止問題(2) 再開に向けての動きあるが

2019年09月30日 17時41分50秒 | 時事問題 社会問題
 慰安婦問題や昭和天皇などを題材にした作品が物議を醸し、企画展「表現の不自由展・その後」が8月4日、開幕3日で中止に追い込まれた。
 中止の理由として、抗議と脅迫、政治家の介入などなどが取りざされている。この展示会をめぐる混乱は、憲法に保障されている表現の自由に深く関連している。

 中止になった最大の理由は、匿名の脅迫、すなわち、スタッフや入場者の生命に危害が及ぶかもしれないような内容も含まれていた、ことだった。最初の3日間は現場での抗議活動や妨害がなかった、とされる。攻撃の内容には最近の日韓関係の悪化、歴史認識、表現の自由の是非に関する激しい攻撃があったとされる。

 「表現の不自由展・その後」が再開に向けて動き出した様である。 
 来場者から歓迎の声が聞かれた一方、愛知県が立ち上げた検証委員会が示した条件に関係者からは「現状で再開すべき。当初の意図と異なる形での再開は介入であり、検閲である」との反発もあり、また物議を醸している。

 展覧会などは、社会の問題を芸術的視点から可視化するためにある。だから、企画展そのものは問題なかった。

 県の検証委員会が25日にまとめた中間報告は、 
■企画展をすみやかに再開すべき
■再開にあたっては、展示方法や解脱書、プログラムの改善、追加などを条件とする。

 要するに、中止理由が匿名の不当な攻撃だつたのに、検証委員会の意見は安全確保の面よりも「不自由展の展示内容や方法に対する問題点」に向けられている。

 結局、原点に戻って安全で安心な展覧会として準備の上で再開だろう。しかしながら、会の安全確保は準備から費用の面からも大きな困難をともなう。

 ところが、文化庁は9月26日、この芸術祭に対して、既に内定していた補助金約7800万円を不交付にする、と発表した。愛知県が補助金を申請した際、審査に必要な情報が文化庁に申告されず手続きに不備があつたため、という。手続きに不備があれば訂正させた上で判断すべきであるが、その検討はされていない。文化庁の判断に批判が広がる可能性もある。 

 名古屋市長は少女像などの展示中止を要請し、一部の保守的議員もこの展示に批判的だった。
 この少女像にどんな意味があるのか? 
 この少女像から何を受け取るかは人それぞれでいいが、私は、韓国側が慰安婦の象徴として思いを込め過ぎている人形にすぎない、とむしろ滑稽さを感じている。この像に対して同じ様な感覚で我々が韓国に対峙する必要はない。無視すればいいのだ。

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表現の不自由展中止問題(1) 安全対策上、妥当だったと思うが雑音が多すぎた

2019年09月29日 17時10分52秒 | 時事問題 社会問題
 慰安婦問題や昭和天皇などを題材にした作品が物議を醸し、あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」が8月4日、開幕3日で中止に追い込まれた。
 中止の理由として、抗議と脅迫、政治家の介入などなどが取りざされている。この展示会をめぐる混乱は、憲法に保障されている表現の自由の実効性に問題を投げた。

 確かに、私はわが国は言論の自由が乏しくなって「不自由で息苦しい」状態になってきていると思う。

 展示の中止は、作家からは発表の場を、観客から鑑賞の機会を奪っただけでなく、芸術への政治介入など、予想もしなかった方向に飛び火し、様々な意見が飛び交っている。

 「表現の不自由展・その後」に関しては開催前から多くの動きがあった。
 開催に対する抗議活動は徐々にエスカレートし、恫喝と呼ぶべき電話も多かったといい、家族に危害を加えると脅された関係者もいた。結果的には中止せざるを得なかった、と思う。

 会場にガソリン缶を持って行くと脅した疑いで容疑者が逮捕されたのは中止発表の4日後。他にも、近隣の幼稚園や小学校などにガソリンをまくと予告するメールもあった。関係者はこのまま続けたら本当に死人が出るのではないかと危惧した、とすれば中止もやむを得ない。京都アニメーションの悲惨な事件を二度と起こしてはならない。

 ただ、企画展の関係者などに中止に至った過程などを十分な説明をしないまま判断したことなどの問題はあったが、それだけ緊急性があったであろう。

 ネット社会を背景に、気に入らない発言や出版物、芸術的作品に対し、攻撃の矛先を向け、封殺しようとする動きが近年強まっている。

 政治家による露骨な介入が加わった。
 ■名古屋市長が「国民の心を踏みにじる」などと展示の中止を求め、関係者に謝罪を迫った。その判断の根拠はなんだろうか?
 ■菅官房長官や文科相からも、芸術祭への助成の見直しを示唆する発言があった。その内容は、「公的施設を使い公金を使うのであれば、行政の意に沿わぬ表現をするべきではない」という発想である。ならば、行政の判断に不満があれば納税しなくても良いのか?

 表現の自由は憲法に保障されている。緊急的中止はやむを得なかったとしても、補助金の非交付など、その後の対応は到底正当化できない。政治家の発言は、自由と表現の萎縮を招き、社会の活力を失わせる。

 今回の表現の不自由展中止は各方面の表現者はもっと異議を唱えて良いし、各方面から検証されてしかるべきである。

 
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家庭菜園・園芸2019(7) 我が家の庭の花たち 台風17号に耐えて

2019年09月28日 18時07分27秒 | 季節の話題
 台風17号対策は自己評価で万全、ほとんど被害はなかった。
 ダリア以外は何も対策しなかったが、風による枝折れ、茎折れなどの被害はほぼゼロに抑えられた。

 台風後の我が家の花壇ほかの、現状である。
 来週にはさらに大型の台風18号が接近するという予想もある。その際さらにどうしようか?思案中である。




















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家庭菜園・園芸2019(6) 台風17号、準備万端でダリアの被害は限定的

2019年09月27日 18時27分19秒 | コラム、エッセイ
 気候変動の影響で雨も風も極端化の度を増している。いま起こっている災害は場所を変えてどこでも襲割れる可能性がある。秋田は直撃を受けることは少ないが、心しておかねばならない。
 
 ■昨年台風21号で関西空港が高潮で冠水し、広域で停電が起きた。 
 ■本年台風15号は首都圏を直撃し、関東一円に交通網の混乱や停電建物被害をもたらした。特に千葉県の被害が大きかった。電力会社の被害想定の甘さや医療機関の電源問題、通信網の不通による情報孤立など様々な課題が浮き彫りになった 

 昨年の台風21号の教訓が共有できていれば、少なくとも関東の自治体などは構えることが出来たのではないか。初動体制が悪かったと評価されている。
 災害対応のあり方を見直し、課題を次に生かす方策を考える必要がある。その一つ、地元の官民自らが検証委員会を作るべきである。
 今は、有識者ら第三者による検証がほとんどで当事者による検証ではない。行政、鉄道、電力事業者、医療機関など各界が独自の振り返りをし、課題を共有すれば実効ある改善につながる、と思われる。次は我が身、と考えたい。 

—————————————————————
 身近な話。
 秋田県内は9月23日、台風17号から変わった温帯低気圧が秋田沖を通過した。その影響で秋田市は中等度の強風に見舞われた。23日夕方から強が強まり始め、21時頃に強風が吹き荒れた。それでも地方気象台の発表では最大風速は21mだったという。

 私は多少の園芸と畑を作っている。
 胡瓜、トマト、ナスなど背が高くなる作物の場合は、成長を支えるためたくさんの支柱を必要とする。昨年までは、真っ直ぐな支柱だけで棚を作っていた。どんなに強化しても強風には堪え難い。今年からは真っ直ぐな支柱に、適宜大型のU字型の支柱を混ぜて丈夫な棚ができた。畑に関しては強風対策は必要なかった。

 園芸としてはダリアを中心に栽培している。
 昨年の台風21号は秋田でも強風に見舞われた。前の晩飯川病院の当直で翌日もそのまま勤務し続けたために風対策の追加ができず、夕方急ぎ帰ったときにはすでに遅しで地植えの10株が大なり小なり茎折れしていた。
 ダリアは風に弱い。簡単に折れてしまう。6月に発芽して2け月ほどで私の背丈以上になる。だから茎の断面を見ると中空でスカスカ。これでは弱いはず。
 今年は昨年の轍を踏まぬよう、15本ほどの地植えダリアに支柱を追加し、さらに根元から花の先端までビニールの紐でぐるぐる簀巻き状態にした。私として現時点での最大の対策となった。

 結果は風による茎俺や被害はほぼゼロに抑えられた。
 今後さらに大型台風が接近するという予想もある。その際さらにどうしようか?思案中である。

 
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本 渡辺淳一著「夜に忍び込むもの」集英社文庫(2) 1997年10月 テーマは不妊

2019年09月26日 12時41分59秒 | 書評
 妊娠や出産は男女ともに重要なテーマである。
 その意義が社会的には揺らいできていると感じるし、気楽に論じられなくなってきた。しかし、女性にとって、いくら社会的地位が向上し、社会進出が進んでも、生活が多様化しても、医療が進んでも、妊娠や出産は現実的な、あるいは潜在的な、永遠のテーマなのだろう。
 とりわけ妊娠できない女性にとっては厳しい現実の中を過ごしていかなければならない。勿論、私には実感はない。

 私は人として嫌いな人間はいっぱいいる。しかし、妊娠・出産・育児の面では絶対的に女性を尊敬しているが、そのことを表現するのも憚れるような変な時代になっている。

 この「夜に忍び込むもの」のメインテーマは不妊である。

 本作品の小説としてのあら筋は単純である。
 42歳の妻子ある会社経営の主人公は、夫と家庭内別居状態の37歳の女性と付き合っていた。女性から「妊娠した、いま妊娠五ヶ月、生みたい」と告げられ慌てる。当たり前のパターンである。
 主人公の堕胎の説得に女性はまったく応じない。女性の腹はどんどん大きくなる。主人公は金で解決しようと自宅を突然訪問する。そこで出会った女性のお腹はぺったんこ、妊娠などしていなかった。
 妊娠は偽装だった。前半はここまでの展開。

 後半は、不妊に悩むその女性の心境が吐露される。

 本に関しては内容を詳細に記述すべきでないが文中から若干拾ってみる。
■どうしても子供が欲しかった、
■不妊に悩み、どうしても子供が欲しかったが、夫との仲は冷え切っていた
■夫が別の若い女性を孕ませていたことが分かった。
■なぜ主人公を騙したのか?妊婦として甘えたかった。
■不妊治療の酷さ辛さを面々と吐露する。人間と言うより生殖器として扱われ、深く傷を負った。
■現代医療の非人間性、不妊治療は辛くて根気がいる。
■不妊治療で通院などとは誰にも言えない。それが辛かった。
■病院3カ所、ほとんど同じ検査と治療、数え切れないほど通院。費用も莫大。
■最初は全身チェック、何回も血液や尿レントゲン写真や甲状腺検査、内診など。
■卵管の検査で造影剤や空気を入れられ、子宮の内膜、勁管の粘液検査など。
■何回も検査検査、そのあとホルモン療法。
■不妊治療は辛い。仕事なんか続けられない。
■子供のいる人を憎んでと両立しがたい。
■社会は差別でいっぱい。男と女、学歴、未婚か否か、子供のいるかいないかなど、息苦しい世界。
■・・・・・とまだまだ続く。

 渡辺氏は、自分のエッセイの中で、当初は女性の立場からも小説を書いていたが、男である自分としてはやはり不向きであることが分り止めた。現に、女性作家によって書かれた優れた作品は多い、と自分に対して謙虚である。
 結果的に氏は男にとって都合のいい女性像を描いた。

 本書は不妊の女性が経験した不妊治療について語られているが、本書は女性作家には到底書けない内容だと思う。医師であり男性であることで、書けたのだ、と思う。不妊治療が不成功で、妊娠を諦めた女性の多くは体験として書けない内容だ、と思う。

 氏は人間の愛と性を描き続けた。「エロス」には「生きる」エネルギーとともに「死」の影がつきまとう。氏は作家としての生涯を通じて、また、医師の立場でその点を表現し続けたのではないだろうか。最近やっと分かってきたような気がする。

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