福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

本日は平成23年度の最終日 「○○年」と「○○年度」の違い

2012年03月31日 09時09分05秒 | コラム、エッセイ
 365日をどこからどこまで区切るか、各国とも異なるし、わが国内でもいろいろあって面白い。
 分かりやすいのは暦にならった1月1日の年始とする区切りだろう。慣習的にはこれが最も受け入れられているが 、「旧正月」という数え方もあり、必ずしも1月1日ではないが、こちらでもいろいろな行事がおこなわれる。新年を迎えてのリフレッシュは概して個人的感覚、文化的区切り、伝統的な区切りである。

 一方、組織的な活動、経済的活動は一般的に4月1日から翌年3月31日をその年の「年度」としている。これは、政府機関が明治時代にこの区切りを採用し、県や地方自治体も業界団体等も追従したからである。組織活動は経済活動を伴い、予算・決算・納税などの報告や申請、申告をこの区切りで受け付けているから、まず例外はない。ただ、納税は2-3月に「○○年度の」として申告するのであるが、対象範囲は前年の1月1日から12月31日の一年間である。
 教育界も3月終了、4月新学期である。しかし、秋田の国際教養大学は中嶋学長の強力なリーダーシップのもと開学以来9月入学にしており、最近、東京大学もこの意向を表明し話題になっている。諸外国の学期に合わせることで有能な学生を入学させるため、と言う。秋田にこの様な先進的考えの大学があったことはもっと知られて良い。

諸外国の状況を見れば、会計年度は日本は4月開始。米国では10月であり、ヨーロッパや中国では1月である。学校年度は日本は4月、米国や中国では9月。韓国は3月と様々である。グローバルな時代にこの様な違いは交流を複雑化している可能性がある。

 何であれ区切りがあることは良いことである。3月末の年度末、4月1日からの新年度は物理的に何ら区別がなく連続しているのであるが、学校・企業共にフレッシュな若者が往来し、社会が何となくリフレッシュされ、活性化し明るくなる様に思える。
 この時期、秋田では厳しかった冬から春への端境期でもある。4月になるとこれから暖かくなり、間もなく桜の季節を迎える・・等々から気持ちも自然と明るく軽やかになる、そんな切り換え効果もある。

 私もいろいろ目標を立てて過ごしているがそう目標通りに進むわけはない。何かの力が欲しい時もあるが、こんな時に1月の新年の区切り、4月からの新年度の区切りは自身のリフレッシュにも有用であり、新たなペースで再スタートを切ろうとする意欲にもつながっている。

 明日からまた一層時間を無駄にしない様に過ごしたいものだ、というのが年度末の本日の感想である。

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映画(38)「Death in Venice(ヴェニスに死す)」  美しい作品であった

2012年03月30日 15時59分06秒 | 映画評
 

映画 「ヴェニスに死す」はマーラーの交響曲第5番も主役の一人、と言われていたことで、制作された頃から名前だけは知っていた。それから、約40年経った先日、初めて観る機会があった。

 1971年(昭和46年)製作の伊・仏合作映画でT・マンの同名の小説の映画化。監督はL・ヴィスコンティ。主演の老音楽家グスタフはマーラーがモデルで風貌もマーラー調,これを英国の俳優D・ボガードが演じている。美少年タジオ役はB・アンドレセン。その母役はS・マンガーノ。

 時は1911年、世界各地の富裕層が避暑に訪れるヴェニス。
 そこに静養に来ていた老作曲家グスタフが、レストランで見たタジオに理想の美を見出し、次第に心を奪われてしまう。すき通るような美貌と、碧眼、ブロンドの髪、なよやかな肢体、まるでギリシャの彫像を思わせるタジオに、グスタフの魂は完全にタジオの虜になった。当時、ヴェニスではコレラが大流行し、グスタフはヴェニスを去らねばと焦りながらも、タジオへの思いに決意が鈍った。タジオの姿を求めて町をさまよううちに自身もコレラに感染し、美しい海辺で戯れるタジオの姿を見つめながら一人静かに,寂しく息絶える。

 美しい映画だった。少年タジオ役に相応しい少年が現実に見つかったことをヴィスコンティは奇跡だ,と称したと言う。確かに,妖気さえ漂っていた。もう一つの主人公はマーラー作曲「交響曲第5番・第4楽章のアダージェット」。演奏者とかの資料は見損なったが映像とマッチして雰囲気を高めた。もう一人、少年タジオの母を演じたS・マンガーノの表情が実に美しかった。同監督の超大作「ルートイッヒ」でも貴族婦人にも起用されていたのを思い出した。

 毎週通っている秋田市の映画館は、最低で二人、通常は数人から多くても20人程度の観客しかいないが、今回初めて50人ほどと大入りであった。その大部分が若い女性達で驚いた。少年タジオを見に来たのであろう。

 私はこの映画館で昨夏以降毎週欠かさずに上映作品を見ているが、この作品は「ルートイッヒ」、「マーラー・君に捧げるアダージョ」と共にベストグループに挙げるべき作品と言える。私をしらけさせる様な筋書きと俳優達の作為的な演技は無かったに等しかったのが第一の理由であり、加えて、音楽が、情景が、登場人物がこよなく美しかったからである。100年前のヨーロッパの文化的事情も若干ながら知ることが出来た。
 久々、甘美な時間を味わうことが出来た。

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宗教とは何だろうか(1)以下の詩に接した

2012年03月29日 06時15分12秒 | コラム、エッセイ
 最近、私は少しだけ英語を復習している。中高大で学び、日常でも英語に触れているのにこんな程度でしかないのか、そんな気持ちだからである。特に体系的に学びなおしているわけではないが、英語の録音や書籍を身近に置いて利用している。

 その過程で、先日以下の詩を知った。NY大学付属病院リハビリテーションセンターの壁に誰かが書いたものらしい。ネットで知られて有名になった詩だという。

「A creed for those who have suffered (author unknown)」
I asked God for strength, that I might achieve
 
  I was made weak, that I might learn humbly to obey.
I asked for health, that I might do greater things 
 
  I was given infirmity, that I might do better things.
I asked for riches, that I might be happy 

  I was given poverty, that I might be wise.


I asked for power, that I might have the praise of men 

  I was given weakness, that I might feel the need of God

.
I asked for all things, that I might enjoy life 

  I was given life, I might enjoy all things.


I got nothing that I asked for but everything I had hoped for
  Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!     
 苦しみを超えて 大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶように弱い者とされた。より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよいことができるようにと病気を戴いた。幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。 世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、神を求め続けるようにと弱さを授かった。人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと命を授かった。
 求めたものは一つとして与えられなかったが、 願いはすべて聞き届けられた。 神の意に添わぬものであるにもかかわらず、こころの中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。
 私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。

 すごく心に響く名文だと思う。これは聖書の言葉ではない。無名の兵士の作と言われている。
 
 聖書にはこの様な言葉が満ちあふれているらしい。米国を始めとしてキリスト教社会の子供達は聖書を通じてこの様な言葉に接しながら成長しているとすれば、最高の道徳教育がなされていると言って良い。が、米国は常に強さを、豊かさを求めている。米国は世界の軍事費の46%も占めている。自由と平和と富を得るためである。
 中東戦争および以降のパレスチナ勢力との紛争は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であるエルサレムなどの帰属問題が絡んでいて、軽々しくは言えないが、私には宗教が絡む戦争に思える。ユダヤ教・イスラム教などの教義も好戦的な内容ではないと思うのだが、宗教と戦争、殺戮など、現実との差はどこから来るのだろうか。

 私にとって宗教は今後追及していきたい分野である。現時点での感想を一言で言えば集団催眠状態ではないか、である。
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人事異動の季節 人事部門の業務に脱帽 ただ新聞報道は疑問

2012年03月28日 09時26分46秒 | 季節の話題
 毎年この時期は県、市町村の人事異動が行われる。
 人事異動は行政機関にとって、欠員補充、新規採用者の配属、人員整理、機構改革、降格・昇進などを含む適材の配置など複数の因子によっている、と思われるが、若手職員には多くの部門を経験させる必要があるし、人脈形成を通じての縦割り行政を少なくするためにも必須と思われる。

 もう一つ大事なのが長期間同じポストを占めることによるワンマン体制、他部門、外部機関との癒着の防止であろう。これらは公務員といえども通常の人であるだけに、時には犯罪の温床にもなる。利権に絡む金銭的事件だけでなく、組織的犯罪と隠蔽問題など公務員の特権意識がその因となっていると思わざるを得ない事件が頻繁である。最近は検察、警察がからむ事件が目立つ。

 異動対象となりうる職員にとっては落ち着かない大変な時期である。新しい部署では新たな勉強が必要になるだろうし、新たな人間関係も構築しなければならない。時には遠方への出向もありうる。また、配属された上司によって職場環境が大きく変わりうるだけに影響は全ての職員に及ぶだろう。

 中央官庁よりも地方公務員の一般事務職の方々は人事異動が頻繁な様に思える。2-3年毎の配属転換ではやっと仕事の内容をつかんだ頃に異動になるから、業務上の効率としては必ずしもベストな状態を維持出来ないことになる。

 この時期、連日地方新聞の1-3面ほどを占拠するのが、県庁、県警、教職員、更に秋田市他の異同職員の名簿である。何でこれらを新聞が取り上げるのか?と不思議に思う。公務員は公人なので人事異動に関する情報は開示すべきである。しかし、何で新聞社がこれを代行するのだろう。本来行政自身が発表すべきものである。新聞社にとって報道すべき価値があると言うなら掲載は自由だが、自治体が正式に発表しないのは片手落ちである。全戸配布の広報誌、あるいはホームページを通じて広報すべきだろう。私は新聞掲載は部課長以上で良いと思う。

 それにしても大変な人数の異動である。これらを過不足無く、間違いもなく配属を決める部署の能力及び業務は大変だろうと思う。ほぼ出来上がった状態で不都合が生じて芋蔓式に大幅な変更を余儀なくされることも少なくないと思うが、この点に関しては頭が下がる思いである。

 もう一つ驚くのは職員の多さである。異動になっただけでこれほどなのだから、県内にどれだけの人数の公務員が居るのだろうか。納税している県民一人あたり何人なのだろうか。税金の何%が人件費に遣われているのだろうか、と新聞を見て改めて思った。
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一般国民から見た21世紀の宰相達(3) 福田首相(2007.9-2008.9)

2012年03月27日 05時21分54秒 | 政治・経済 国際関係
 2007年9月安倍氏は経験不足、ひ弱さが危惧されたとおり約1年の任期で辞任した。ここで登場してきたのが福田康夫氏で、何度も首相有力候補の一人と言われながらこれまで総裁選に出馬して来なかったが、今回、麻生を破り自民党総裁に就任した。首班指名選挙では参議院は小沢氏が選ばれ、ねじれ指名となった。

 福田康夫氏は父が首相を務めた福田赳夫氏でエリート議員であった。長く官房長官を務めたが印象は薄い。記者とかへの説明も長期に担当したが、所々で相手を見下すような表情が見られ、あまり良い印象を受けていなかった。

 首相就任後の働きを項目を立てて挙げることが困難であったが、退任してからまとめてみると短い在任期間の割りに多方面の対応が目だつ。特に、岩手・宮城内陸地震発生時、リーマン・ブラザーズ破綻においては素早い対応を見せた事が注目される。
 ただ、退陣の過程については、「行き詰まった・・・」と言うことで「次の政権にお願いしたい・・・」よく分からなかった。記者会見で「あなたとは違うんです」発言が飛び出した。

 小泉、安倍、福田共に2世議員である。小泉氏にはあまり感じなかったが、後二者には党内の高い地位にもかかわらず何となくひ弱なイメージがつきまとっていた。この点は、次の麻生、鳩山も同様であった。

 以下にWikipedia、ブリタニカ国際年鑑を参照して福田氏の足跡を抄述した。福田氏についての私のコメントは別項に掲載予定。

1990年
●総選挙で初当選。
2000年
●10月森内閣で内閣官房長官。
2001年
●4月小泉内閣で内閣官房長官。
2002年
●5月31日オフレコで「非核三原則の見直し」発言、物議。
2004年
●5月7日自身の年金未納が発覚し引責辞任。内閣官房長官1289日は歴代最長。
2007年
●9月安倍首相の辞任による総裁選挙で麻生を抑え、第22代自由民主党総裁。9月25日首班指名選挙は衆院で福田、参院で小沢が指名。法規に則り福田となった。「背水の陣内閣」と命名。史上初の親子総理大臣。
●小泉改革は大きな成果を挙げたと評価し、「消費税増税無しでは財政赤字は減らせない」と発言。
●「大量生産、大量消費社会からの決別」宣言。
●11月福田と小沢との間で大連立構想が模索されたが頓挫。
2008年
●4月23日「消費者庁」新設を正式表明した。
●5月日米同盟は「アジア・太平洋地域の公共財」とし関係強化を押し出した。
●6月14日午前8時43分岩手・宮城内陸地震発生。自衛隊派遣など迅速に対応。
●7月7日北海道洞爺湖サミットで議長。
●7月9日政令を公布し、一関市、奥州市、栗原市を激甚災害区域と指定した。
●8月2日改造内閣発足。
●9月1日首相辞職表明、記者会見で「あなたとは違うんです」発言。
●9月15日リーマン・ブラザーズ破綻、その際、素早い対応を見せた。
●9月24日内閣総辞職。
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