福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

昨年は指揮者カラヤンの生誕100年(2) 東京公演を一度だけ聴きました

2009年07月31日 07時35分26秒 | 音楽談義
 私は力ラヤンには人としての興味があるが、カラヤンでなければ、と言うほどの好んでいると言うわけではない。そんな音楽家は彼を含めて一人もいない。

 私は演奏の違いが分かる方ではない。そこに存在している音楽、今、鳴っている、聴いている音楽・演奏が、演奏も録音もある程度の水準にあれば簡単に没頭できて楽しむことが出来るから、はっきり言えば演奏者は誰でも良い、と言う感覚に近い。現に、自分で楽しむためコピーや録音したCD、MDなどは曲目は書いているが、演奏者は誰だか分からないのも多数ある。

 その理由の一つは、録音などは深く集中して聴くことはなく、殆ど何かをしながら、それだけでは時間が勿体ないから音楽でも聴きながらやるか・・と言う程度の聴き方だからでもある。それに、録音された音楽は私にとっては簡便に楽しむための、曲を知るための、便利な道具であって、本命は演奏会の方に置いている。

 だから、演奏者が有名であろうと無かろうと、機会がある度に出かける。
 秋田の青少年オケ、アトリオン室内合奏団、そのほかの団体の演奏会の方がカラヤンの録音を聴くより楽しいし、聴く度に新発見がある。演奏会は前売り券を購入して心待ちにして聴きに行くのはあまり好まない。演奏会等のスケジュールはだいたい把握しているが、その日または直前に行くか否かを決める。そのため、会場に行きながら入場できなかったことも少なくない。
 カラヤンの来日講演は一度聴いた。フモンカンと言う大きな会場で1階の中央付近の、そう悪くはない席であったが、会場がでかすぎて、人も多すぎ、心から楽しめたとは言い難かったが、この目で彼を直接見る事が出来たことは良い思い出となっている。

 カラヤンに関心を持つ人なら誰でも知っている事だろうが、彼は「より良い演奏環境を得るため」にナチに入党した。本人が著書の中でこの様に表現している。このことは彼の業績を語る際にいつでも話題にされ、マイナスの印象を及ぼしているが、果たして誰が彼の行為を他人が批判できるのだろうか。私には分からない。
 そのためにカラヤンは戦後の一時期演奏活動は許されず、この間はフィルハーモニア管弦楽団を指揮して多数の録音を行った。音楽家としては最高の充電期間だっただろうし、録音技術への関心も高めた時期となったのだろう。

 演奏活動が解禁されてからは一時、ベルリン・フィル、ウイーンフィル、ミラノスカラ座、パリ管等の世界的なオケと共に活動したこともあって指揮界の帝王等と等と呼ばれた。
 彼の出世志向、政治力の結果であるとの見方も多分正しいだろうが、それ以上に、彼の才能がもたらした結果であったと私は思う。
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昨年は指揮者カラヤンの生誕100年(1) ブルックナー8番を聴き直して

2009年07月30日 08時41分14秒 | 音楽談義
 昨年は指揮者カラヤンの生誕100年で、雑誌「音楽の友」にもいろいろ特集が組まれていた。
 未読のまま積み上げてあった「音楽の友」を廃棄するために手に取った中にたまたまカラヤンの特集記事があり、2-3週間前に読んでみた。そのこともあって、先日26日の仙台出張の際、こまちの往復時間を利用してブルックナーの交響曲8番を聴き直し、演奏の素晴らしさを再確認した。

 カラヤンはモーツアルトと同じザルツプルクに生まれ、1955年にフルトベングラーの後任でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となった。カラヤンは大衆からは熱狂され、何故か一部の評論家からは酷評されたが、亡くなってからもう20年経つが今でも1982年に死去したピアノ界の奇才グレン・グールドと共に、今でもCDやDVDの売れ筋ナンバーワンだと言う。
 昨年、ユニパーサルはカラヤン生誕100年記念に400枚のディスクからなるセットを発売、ソニーも10万円でDVDボックスを発売したが殆ど完売したらしい。
 
 時の人として君臨していた方でも死去したことを機会に一気に忘れ去られる場合もあるし、終身身分を得ている人は逆に死去を待たれている場合もあるだろう。中にはしばらくは名声を維持してから忘れ去られる人もいる。「偉大な人は二度死ぬ」とされる所以である。それから見るとカラヤンはグレン・グールドと共に死してなお真価が認められるだけでなく再評価されることで未だに成長過程にある、なかなか二度目の死が来ない音楽家の一人と言えよう。

 私はCD時代にはそれほどカラヤンの録音を購入していないが、LP時代には欲しい作品があって購入を迷った際には先ずカラヤン版を選んだ。ただし、フィルハーモニア時代のは購入しなかった。1964年のベルリン・フィルとのベートーヴェン交響曲全集は今でも時折取り出すことがある。この録音以降はカラヤン版を購入して悔やんだことはない。聴く喜びを十分与えてくれる。
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阿修羅像の写真を前にして 私の願い 

2009年07月29日 14時26分57秒 | コラム、エッセイ
 去る3月から6月中旬に前、東京国立博物館で奈良興福寺の興福寺創建1300年記念の「国宝阿修羅展」が開催された。期間を通じて盛況だったという。

 この展覧会では、興福寺の文化財の中から、阿修羅像をはじめ国宝八部衆像、国宝十大弟子像、を始め1400点をこえる国宝鎮壇具や、再建される中金堂に安置される重文の薬王・薬上菩薩立像、重文四天王立像などが展示されたという。
 これを新聞で見たときには是非とも直接見たいと思ったが、その後の報道ではあまりにも混雑し、十分見れないことが分かり諦めた。会場では精巧な作りのミニテュアも販売されるとのことであった。
 いつか興福寺に行ってみたいものである。

 阿修羅像は天平6年(734)、光明皇后が母の1周忌供養の菩提を弔うために造像して以来、1300年に渡って大切に守り伝えられた。
 実に不思議な構造の仏像である。150cmほどの小型の仏像である。若者か子供の像と考えられ性別は分からない。一体に顔3面、アンバランスに細く長い腕とが6本、その顔はどちらかというと女性的で、表情は困惑であり、何かを訴えている。
 実に清楚な雰囲気が漂う、美しい仏像である。しかし、何でこの仏像に阿修羅の名が与えられたのか、疑問に思う。

 これと同じような仏像は4つの顔と24の腕を持つチベットの「カーラチャクラ父母仏立像」がある。こちらも美しいが、力強い躍動感が漂っているし、表情は明るい。しかし、構造上は当然ながらとても複雑である。

 仏像は想像力を豊かにしてくれる。私は仏像を好む。敬虔な気持ちにもなるし、心が洗われる。

 しかし、一方、私は阿修羅像を前にとても現実的な夢を見る。自分にも3面と6本の腕があったらどれだけ良いのだろうか。 全くの空想であるが、とても羨ましいと思う。顔と腕をそれぞれ別のことに分けて物事に対応できたらどんなに良いことか。時間もより有効に使うことが出来るだろうし、無理して表情を変えることも不要となり、ストレスもぐっと軽くなるだろう。

 更に、願わくば、一つの顔面の表情は苦悩・困惑でなく、カーラチャクラ父母仏立像の如くの明るさと躍動感が欲しい。更に、第4の面も欲しい。阿修羅像を後ろから見ればもう一つの顔面を作ることが十分出来そうである。
 第4の面を備えるなら、私の希望は表情の無い、ノッペラボウの顔が良い。その顔も一緒にあれば最高だろうと思う。

 新聞に掲載された阿修羅像の写真を前に、超現実的な事を考えてみた。
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「民主党政策集INDEX2009」発表  財源は?

2009年07月28日 06時33分54秒 | 政治・経済 国際関係
 民主党は23日、総選挙のマニフェストの基になる「民主党政策集INDEX2009」を公表した。今月末に発表する総選挙のマニフェストは、この政策集に盛り込んだ項目から選ばれる。

 医療関係者として無関心ではいられない。後ほど政策集もマニフェストも全文に目を通す必要があるが、マスコミを通じて得られる情報からは以下の如くの内容が盛り込まれている。
 ■社会保障費2200億円抑制撤廃し、医療費抑制施策からの転換を図る。
 ■医師・看護師らの確保に努める。地域医療を支える医療機関については入院医療の診療報酬を1.2倍にする。
 ■医師数を現状の「2.1人/1000人」から「3.1人/1000人」を目指す。そのため医師養成数を1.5倍に増やす。
 ■現役医師の有効活用策として、短時間の勤務も正規勤務とみなす制度を導入する。
■ 政府が2011年度までに廃止を決めた介護型療養病棟の削減を中止し、必要な病床数を確保する。
■ 約40万人とされる介護施設の入所待機者の解消に向け、グループホームや特養を地方自治体の計画の3倍の早さで実現する。
 ■出産時に公的医療保険から支給される出産一時金は現行で38万円、10月から42万円に増額されるが、これを更に55万円に大幅に増額する。
 ■総医療費を国内総生産(GDP)の8.1%から8.9%まで引き上げる。0.8ポイントの引き上げは、単純計算で約4兆円の医療費を増やすことになる。
■ ・・・・

 大変な計画である。少なくとも私どもが医師会を通じて主張したことのほぼ全てが総花的に盛り込まれている。医療福祉面でこれだけ並べたのだから、外交や国内の他の分野のことがどれだけ記載されているのか、興味が出てくる。
 現に教育面では高校の授業料がほぼ無料になるような計画も出している。全国の高速道路を段階的に無料化するという。

 ただ、これだけ並べられると財源はどうするのだ??
 医療費抑制政策を批判してきた私どもも驚いてしまう。しかし、現状ではこれらの政策に関しての予算規模や具体的な財源は明示されていないらしい。

 麻生総理も随分ばらまきをしていると思うが、この方針では自民党からばらまき政策ではないかと批判があがりそうである。それに、これらを読んで民主党で本当に大丈夫か、とだとかえって心配する有権者も出てくるのでないだろうか。
 
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アンチ・アンチエイジング(2)「嫌老」でなく「賢老」路線で

2009年07月27日 08時55分19秒 | コラム、エッセイ
 車やバイクでも筆記用具にせよ、長く使い込んだ道具は体の一部になったようになる。それらについている傷、古くなると不調になっていく過程やその結果としての不調にさえ愛着も沸いてくる。使う毎に安らぎを感じる。

 同じことは人生にも言える、と思う。私自身も特にこの1-2年心身共に退化しつつあると自覚している。この兆候が出てきた以上、もうこれ以上は無理しない方が良いだろう。足駄をはき、背伸びしても手が届かず、更に踏み台に上ってやっと手を届かす様なことを今までやってきたがそろそろ無理になってきたようだ。あるがままに生きる。そういう人生にいずれ切り替えていきかねばならない。

 顔のたるみ等の身体的変化は年輪・老化の証しである。全てが経年変化であるがマイナスの事ばかりではない。配憶力、体力は褒えても、感性はむしろ豊かになっていくし、自然の移ろいなどに対しても敏感になり、興味の対象も広くなる。だから、毎日が楽しい。
 私は街に出ると機会ある毎に書店に立ち寄るが、購入する本のジャンルはだんだん広がっている。本日はこまちで仙台往復したが、秋田、仙台駅の構内の書店で10冊ほど買い込んだ。政治、思想、音楽、脳生理・・等、かつては手に取らなかった領域の本も含まれる。ただ、本は買えても読む時間は何所にも売っていないから先々に向けて積み読となる。

 老化をむやみに嫌悪したりせず、かといって落胆もせず背も向けない。ここまで来ればどう悩んでも、どうしようもない。今更「アンチ」でなく、「ウイズ・エイジング」で行けば良い。真剣に「アンチ」を願うなら幼少のころからの準備が必要である。要するに、アンチは「嫌老」思想である。それよりも老いを受け入れて「賢老」路線に乗るよう考えよう。

 高齢者の方々に、自分の親や祖父母のことを思い出してみて欲しい、と私はよく言う。当時の50歳代の人たちはかなり老けていたはずだ。さらに、江戸末期に活躍した坂本龍馬等の偉人達の肖像画や写真を見ると若いのに総じて老けて見える。賢治しかり、漱石しかりである。あの頃の若者は早老だったのだ。
 
 今は90歳代でも驚くほど矍鑠としている方が多い。日本の高齢者は今更個人的に焦らなくても十分「アンチエイジング」文化の恩恵を受けている。だから、アンチを考えるより、短い残り時間を如何に生きるかの方が大事、すなわち「賢老」路線、「ウイズエイジング」路線に乗って欲しい、と思う。
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