福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

わが家の家族たちとB787

2013年06月30日 18時41分54秒 | コラム、エッセイ
 6月1日、B787が羽田・秋田便として定期就航した。
 全日空は昨年秋、今春3月16日からB787を秋田便に就航させると発表した。私はこの機の先進性について興味があって、古くから新聞記事などでフォローしていた。だから、秋田便就航と発表になったときは驚き、かつ楽しみにしていた。しかし、その後燃料漏れとかの重大なトラブルが頻発し、バッテリーからの発煙事故の後は、世界的に運行停止となっていた。

 B787は2004年全日空が多数発注したことで生産が本格化した。しかし、量産機生産体制に入ってからも強度不足、対落雷対策の不備とかで改修を繰り返し、更に試験飛行中に配電盤から出火するなどあって、全日空への納期は3年以上も遅れていた。2011年11月、量産一号機が全日空に納入され、約一年間は大きなトラブルはなかったが、昨年の年末以降次々とトラブルに見舞われた。就航する機体数が増えてきたことも関連していると思われる。
 不具合の真の原因は分からなかったがバッテリーを保護することで安全が確保されたとして6月1日から定期便が再就航出来ることとなり、国内線では最初に羽田秋田間を飛ぶ事となった。

 6月1日の記念すべき初就航便で家族の一人が来秋した。里帰り出産した長女のご亭主である。週末だけの通いパパとして当初は新幹線を利用していたが、ほぼ毎週のことなのでストレスだったのだろう、5月以降は週末に羽田発の全日空第一便で秋田に通っていた。

 この便が6月1日にB787に機種変更になった。問題なく運行されていたが、6月22日の便は出発前の点検で飛行姿勢制御のシステムの一部に不具合が見つかり、急遽別の787機に乗り換えて、彼は1時間余遅れて到着した。この不具合が発生したB787は、5月中旬に納入された新造機で、バッテリー発煙事故の後にボーイング社が航空会社に納入した一番機であった。その後は何らトラブルなく快適に飛行したという。

 長女夫婦と孫は本日10:00発の全日空機で横浜に戻った。この便もB787であった。

 長女は大の飛行機嫌いで成田-NY間は何度か往復しているが国内線は初めてだろう。3ヶ月の孫も初体験である。機は揺れもせず快適に飛行、孫も泣くことなく無事ついたという連絡があって、安堵した。

 ボーイング社が受注しているB787機はは800機ほどという。B787は今後も改良を重ねながらより安全な機体になっていくだろう。
(秋田に向かうB787 6月15日羽田空港)
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DVD映画鑑賞「下妻物語」

2013年06月29日 04時38分03秒 | 映画評


 
私の歩数計の集計は約800Kmで、日本橋を起点として海岸線を北上しているが、間もなく茨城を抜け福島に入るところにいる。茨城についてもおりに触れて地図を開き、文化や産業について読んでみた。その中で、茨城県の地名を題名にした映画作品「下妻物語」があることを知った。何かの縁である。今回はそれを取り寄せて観た。

 嶽本野ばらによる小説を原作とした作品。2004年の作。物語は茨城県下妻市を舞台にしている。この年度の映画祭で各分野の賞を受賞するなど、高い評価を受けた作品である。私はこの映画の存在はつい数日前に知った。

 この映画で、何となく分かっていたような気がしていた「ロリータ」と「ヤンキー」という言葉の意味を映像を通じて初めて知った。簡単に言えば、「ロリータ」はロココ調の少女趣味的ファッションで古き良き時代の服装のこと。「ヤンキー」とは髪型やファッションなどで、アメリカの若者の風俗をまねた、一般的には不良青少年をさしている。
  
 あらすじは他愛ない。茨城県の下妻市に住むロリータ・ファッションを愛する高校生Aと暴走族の一員の高校生Bが主役。二人はいわゆる通常の道から外れているのだが、二人 とも自分の信念をしっかり持っている。周囲に迎合しないヒロイン達は魅力的である。二人はひょんな事から知り合う。Aは優れた刺繍の腕を持っており、たまたまBの特攻服に刺繍をしたのをきっかけに、二人の間に友情が芽生え始める・・・・。後はコメディタッチのどたばた劇である。

 映像としてはロリータ役はファッションを含めて可愛く可憐である。他の登場人物、Aの両親、祖母ともにはすべて一癖も二癖もあるキャラクターに仕上げられて先が読めない行動をとる。この部分は面白いし笑わせる。一方、10名ほどのヤンキースタイルの暴走族の女子高校生役のスタッフは化粧から顔の表情、眼力まで、歪んだ表情を巧く演技している。素顔をみてみたいものである。私は暴走族やヤンキーのことなど不案内であったから、物珍しさもあってこのDVDを一気にみてしまった。



 この物語は、下妻と渋谷区の代官山が主たる舞台となっている。茨城県の内陸地方にある下妻市は人口44.000人ほどの中規模の市で、広域合併案が進められていたが、この映画のヒットで知名度が上がり郷土を大事にしようとする住民感情に影響し、合併協議会から早々と脱退した。私はこの映画の舞台が下妻市であることの必然性を知ることは出来なかったが、映画が住民感情を刺激し、政治的決断に影響を与えたことに興味を持った。

 癖の強い、騒々しい映画であったが、 十分楽しめた。
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自分の時間を得て一層貴重になった土日、休祭日

2013年06月28日 11時09分03秒 | コラム、エッセイ
 
わが国は他の先進国から働き過ぎだと指摘されてきた。
 我が国の週休二日制は、1989年から金融機関が、1992年から国家公務員が、2002年度から公立学校もで実施された。その後は社会的にも一般化してきた。私が勤務していた法人も1994年に4週5休制と呼ばれる変則的週休二日制を導入した。
 私は2011年の退職まで週休制を返上し土曜日も平日と同じ勤務としていた。休祭日も殆ど休む事はなかった。随分働いた。当時はこれが自分にとって当たり前と思っていたのであるが、振り返ってみればバカな働き方をしたものだ、と思う。

 退職後は嘱託医として勤務しているが、自分のための時間の確保を重視して勤務時間を調整している。
 この2年の間に頻回に入退院を繰り返していた患者の多くが死亡した。そのために本年度は勤務は外来中心となった。私が最後まで責任を負わねばならない方々はまだおられるが、その方々以外は主治医になる事はない。これで業務はかなり軽減された。もう元の勤務状態には戻れないし、戻らない。私はもう労力として求められる事もないだろう。

 現役の時の休祭日は私にとってはウイークデイと大差なく、それほど大切ではなかった。せいぜい嫌な外来がない日と言うだけであった。しかし、自分の時間として使えるようになってからはとても貴重になっている。その日を待ちわびている。不思議な感覚である。この時間を無駄に浪費する事など出来ない。これが勤務が全く無くなればまた変わるだろうが。

 退職後、近隣の老人病院の日当直勤務が割り当てられる様になった。
 当初は月間2回ほどであったが法人内の医師不足もあって少しずつ増えている。回数が増えただけでなく、日直+当直、または当直+日直と二日間に渡るケースが増えてきた。先週は、土曜午前中は法人の診療所を担当、夕方から当直、翌日夕方まで日直があたった。この日当直の間も自分の時間として使えるのであるが、何せ拘束感があり、動ける範囲が狭い。この日は24時間のうち17-8時間は椅子に座りっぱなしで、尻に褥瘡が出来そうであった。

 大切な週末、日当直の分担はかまわないが、大切な週末に24時間家に帰れないのはつらい。庭の草花、畠、猫など、私の帰りを待っている。
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植物から学ぶ(5) 樹木に聴診器を当てると

2013年06月27日 18時27分07秒 | コラム、エッセイ
 私もやってみた事があるが、 樹木に聴診器をあてると「ゴッー」というような音が聴こえる。確かに音は聞こえる。


 かつては樹木が水を吸い上げる音だと説明された事がある。今は否定されていると思うのだが、つい先日も幼児教育、いのちの教育を担当されている方がラジオで「樹木の音を聴きましょう。木々も生きているのが分かります・・」と、述べていた。

 実際には樹木のなかを水流音が聞こえるほど水が流れているわけではない。幹の中を流れる水は浸透圧と毛細管現象によって上昇し、流れる速度は1時間に40cm程度なので聞こえるような音は出ない。さらに、水が音を立てる機序を考えればいい。水流が比較的安定して流れているところでは音がしない。水流が音を立てるには空気が水と一緒に流れている時だけである。お腹に聴診器を当てると腸の蠕動音が聴こえるが、腸内を液体と気体とが一緒に流れているから聞こえる。樹木の中に気泡が共存することはない。だから音はしない。

 自然観測会などの時に用いるアウトドア製品のカタログをのなかにもが聴診器が掲載されいた。自然観察の一つとして、樹の幹に耳を当てて樹の音を聞き,樹の「いのち」に気づいてもらうという体験企画があったが、聴診器はこれが発端になっているようだ。
 観測会ではインストラクターが聴診器で実際に樹木から聞こえる音を体験してもらおうとしているわけであるが、自然への「気づき」が目的なのだから,何を聞いていても構わない。むしろ、知ったかぶりして聞きもしない方が気付きの芽を摘み取る。



 聴診器は身体の音を聴くときは肌に、木々の場合は木々に密着させなければならない。結構使い方は難しい。実際、樹木は堅く、円柱形だし、表面には凹凸がある。聴診器を樹木に密着させることが困難どころか不可能で、そのために以下のごとくいろんな音が聞こえてくる。むしろ面白い。  

■自分の身体から発する音、■聴診器と木の間を通る風の音、■木の葉がざわめき音、■遠くの車の音を含む環境騒音、■地面を伝わってくる近くの川の音など、■人の足音など。

 実際に聴いてもらって、「ナーンだ。がっかり・・」と言わせよう。
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医師と患者関係(21)某クレーマー(6)岩手の小泉県議が死去された


2013年06月26日 17時04分48秒 | 時事問題 社会問題
 ブログが炎上した、岩手県議会の小泉光男議員が25日、死亡しているのが見つかった。自殺とみられている。

 小泉県議は、6月上旬、県立中央病院を受診した際に、番号で呼ばれたことに腹を立て医療費を払わずに帰宅、「ここは刑務所か!」などと、自身のブログに掲載した。これに対し全国から批判の声が上がり、TVでも取り上げられた。
 本人は謝罪文を掲載してブログを閉鎖、医療費も支払った上で県議会でも陳謝している。これで一段落かと思ったのであるが、私がその次に得たニュースが県議の死亡記事で、私はニュースを見て目を疑った。

 何で死を選ばれたのか、本人の立場にはなり得ないが、私は何も死ぬ様なことはなかったのに、と思った。私はこの件はクレーマーの一例として評価し、どうあるべきだったのかについて記述した。小泉議員に反省すべき点はあったが、それ以上にネット上でのバッシングの激しさの方に注目していた。

 短文の投稿で信じられない悪意の声が多数集まっていた。気軽に「死ね」という人々、随分多かったが、彼らは何を考えての投稿だろうか。いや何も考えていないだろう。ツイッターの投稿者は思考もせず、ノリで気楽に呪詛を吐き出す。呪詛は連鎖し、数で凶暴性を増す。この無責任社会の現実を、受ける側も適正に評価しなければならない。ネット上で厳しく批判されようとも、所詮、仮想のやり取りである。県議にもそう考えてほしかった。死ぬほどのことはなかった。

 私はいじめ体罰問題で具体的な折檻や体罰が言葉の暴力よりも重視されているのはおかしいと思っている。言葉による暴力性は何故大きく取り上げられないのか。私自身のことを言えば、私は幼少の頃から小心で、常に劣等感に苛まれてきた。そのため、言葉の暴力にとても敏感である。私はつい先日まで無数の暴力的な言葉によって深い傷を受けてきた。私がそれらに反撃せずに、あるいはいじけずに乗り越えて来れたのは私を癒してくれる心の拠り所があったからであるが、究極的には度胸がなかったためである。こんな私から見れば、小泉県議に向けて発せられた悪意に満ちた声は、仮想の脅迫行為に等しいものだと思う。

 県議は積極的に自分のホームページで意見を発信してこられた様である。ネットを積極的に、有効に利用された一方で、ネットの恐ろしさについてどれほど認識されていたのだろうか。自分の意見を文章で表現することは大きな責任を伴うことでもある。また、ネット上で交わされるバッシングと実際のバッシングとは別次元のものと私は思うのだが、県議はどう考えておられたのだろうか?

 私もネットを利用している立場なので県議に親近感を持った。どちらにせよ死なねばならないほどのことではなかったと思う。ご冥福をお祈りしたい。
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