(2)2015年6月8日の記事「人口減への危機感反映」では、池上清子日大教授の「出産や子育てに男性を参加させるなどの意見を挙げ具体的な処方箋を示したうえで、「社会全体での議論なしには、前に進めない」と説いた。課題実現への具体論を期待せるなど、みやすい仕組みや社会の合意を整えることが重要だ」との指摘を伝えた。
(3)しかしながら、 8月1日の社説「人口減少を考え直す /『豊かさ』みつめる契機に」において、これまでの社説の論旨を転換させたような変化が見られる。論旨がぶれている。
まず、「そもそも「人口減少=悪』なのか」と問い直した。その上で、明治維新後は富国強兵、戦後は経済成長という目標に向けて、「無理を重ねてきた疲労や矛盾が臨界点に達した結果が、人口減少となって現れているのでは??」、「人口減少は、本当に豊かで幸せを感じられる社会をつくっていくチャンスなのではないでしょうか」との某識者の見方を紹介している。ズレている。
(4)その一方では、2015年8月8日からの連載「人口減日本/近未来からの警告」においては、「人口減少社会」がどのような歪みを生むかを身近な実例でわかりやすく報道し、人口減少に対する危機感を国民に訴えている。
豊かさの実現に伴う価値観の多様化と言うならまだしも、人口減少を前向きに、メリット面から捉えた意見への変化は唐突な感じを禁じ得ない。
確かに超長期でみれば、人口減は新たな均衡に向けた変化の始まりだが、来るべき人口減少に対する危機感が甘く、大きな違和感を覚えた。
(5)また、8月9日「政治断簡:危うい 『大きな家族のため』」において、少子化対策が戦前の家族国家的な論理につながりかねない、との朝日らしい警戒感を示しているが、核家族化という不可逆的な流れは強く、それは時代錯誤的、心配し過ぎだろう。
(6)8月13日の記事では「出産阻む要因取り除け/企業の地方移転支援を」において、増田寛也・元総務相も、『結婚したい』 『子どもを持ちたい』と「願う若者も多い」とし、「出産を阻む社会的、経済的な要因を取り除かなくてはいけない」と指摘する。
政府の調査によれば、夫婦が理想とする子どもの数は2.4人。ところが、実際の合計特殊出生率は約1.4人。両者のギャップは出会う機会の減少や経済的理由、仕事上の制約、保育所の不足など種々の要因から生じている可能性が高い、と指摘している。
朝日新聞を題材に人口減少に関する記事を検証したが、深刻さを欠く。
出産可能の女性の人口がここまで減少すれば、子育て環境を支援しても効果はしれている。そこの最も大切な論点は必死に避けているようだ。
私は若い女性を増やすことにしか解決策はないと考えていた。しかも日本人だけでは実現し得ないところまで状況は悪化していた、のだ。