私の人生があまりにも恵まれて、安易な道ばかり選んできた。
自らも望んだし努力もしたが、医学部に進学出来た事で私の人生の大部分が決まってしまった。本当に運が良かったといまでも思う。ホンの、紙一重の差、ちょっとした幸運で得られた幸運が運のよさだけであったと自認している。
この幸運が無かったらどうなっていたのか?もし、医師へ進めなかったら私はどうなっていたか?と言ったような恐怖観、それなりの苦労はあったが、地を這う様な思いをして生きてきたわけではない、子育てしたわけではない・・こんな事が長い間の劣等感、自責の念を抱く事になった。
医師として歩んだ私の道は人的にも社会的にも、最高に恵まれていた。家庭的にも恵まれていた。このギャップが逆に私の劣等感のもとになっている。
ただ、私が抱いた恐怖感、劣等感は「他人との比較によるものではない」事が自分にとって最大の救いであった。すべて自分の内面の問題であった。他人ををうらやむ事は無かった。従って、私のこんな心情に気づいていたのは、おそらく誰もいなかったと思う。
恵まれていた状況にありながら消す事が出来ない劣等感、それを乗り切るために、私は自らを苛む様な生活設定をして自らを鼓舞して来た。ただし、この事自体も今考えてみれば甘い自己満足の遊びの様なものだ、とも思う。
「こうすればもっと楽になるはずだ」と分かっている様な道は、その道に流される様に進めばさらに大きく後悔するから、自分の弱さに対し小さな闘いを挑んできた。
なぜ、徒然日記を続けてきたのか?職場のエレベーターに乗らないのか?手術した時に術後あえて鎮痛剤を拒否したのか?現役の時に処理しかねるほどの業務を引き受けていたのか?・・・・。
私は修行中と言う言葉を好む。「何にもならないムダな努力だけれど、劣等感を凌駕するためにムダな修行はない」とでも考えていたのだろう。今となればそう思うが、バカであった。
現役の最中に迎えた困難な日々が私の人生をとても豊かにしてくれた。その果実をたくさん得たからこそ、多くの事を学ばせてもらったからこそ、私の満足感はとてつもなく大きかった。しかし、心の中では別な感覚もあった。
今はもう、それほど自分を追い込む必要も無い。こんな事が過ぎ去った日々を忘れようとしている理由である。自分自身に気を使う事もなく、自由に生きられる喜びで一杯である。
自らも望んだし努力もしたが、医学部に進学出来た事で私の人生の大部分が決まってしまった。本当に運が良かったといまでも思う。ホンの、紙一重の差、ちょっとした幸運で得られた幸運が運のよさだけであったと自認している。
この幸運が無かったらどうなっていたのか?もし、医師へ進めなかったら私はどうなっていたか?と言ったような恐怖観、それなりの苦労はあったが、地を這う様な思いをして生きてきたわけではない、子育てしたわけではない・・こんな事が長い間の劣等感、自責の念を抱く事になった。
医師として歩んだ私の道は人的にも社会的にも、最高に恵まれていた。家庭的にも恵まれていた。このギャップが逆に私の劣等感のもとになっている。
ただ、私が抱いた恐怖感、劣等感は「他人との比較によるものではない」事が自分にとって最大の救いであった。すべて自分の内面の問題であった。他人ををうらやむ事は無かった。従って、私のこんな心情に気づいていたのは、おそらく誰もいなかったと思う。
恵まれていた状況にありながら消す事が出来ない劣等感、それを乗り切るために、私は自らを苛む様な生活設定をして自らを鼓舞して来た。ただし、この事自体も今考えてみれば甘い自己満足の遊びの様なものだ、とも思う。
「こうすればもっと楽になるはずだ」と分かっている様な道は、その道に流される様に進めばさらに大きく後悔するから、自分の弱さに対し小さな闘いを挑んできた。
なぜ、徒然日記を続けてきたのか?職場のエレベーターに乗らないのか?手術した時に術後あえて鎮痛剤を拒否したのか?現役の時に処理しかねるほどの業務を引き受けていたのか?・・・・。
私は修行中と言う言葉を好む。「何にもならないムダな努力だけれど、劣等感を凌駕するためにムダな修行はない」とでも考えていたのだろう。今となればそう思うが、バカであった。
現役の最中に迎えた困難な日々が私の人生をとても豊かにしてくれた。その果実をたくさん得たからこそ、多くの事を学ばせてもらったからこそ、私の満足感はとてつもなく大きかった。しかし、心の中では別な感覚もあった。
今はもう、それほど自分を追い込む必要も無い。こんな事が過ぎ去った日々を忘れようとしている理由である。自分自身に気を使う事もなく、自由に生きられる喜びで一杯である。