福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

医療の時代と死生観(8) 幼少時から死が身近にあった(3) 祈祷の手にゆだねられたことも

2015年09月03日 23時38分15秒 | 医療、医学
 私が経験した臨死体験は、実際何なのか解らない。臨死体験されたと言う方々の体験記などを見と、不思議なことにみんな似通っている。私は、死に向かうストレスの過程で一定の条件下で見る夢のようなものでないかと考えている。
 
 臨死体験は医学的には殆ど解っていないなかったが、脳の一定の個所を刺激すると患者が臨死体験に類似する現象感じることがわかった、と言う。
 ジュネーブ大学病院神経科のO・ブランケ博士は、てんかんの女性患者(43)を治療中、右大脳皮質の「角状回」部を電極で刺激したところ、その度に患者が「自分の体から抜ける」ような情景を体験したと言う。
 角状回は、体や空間の認識、論理的な順序づけを統御する部分で、ここに異常がある患者は、ズボンをはいてから下着をはいたり、手や足が体とつながっていないと感じたりする、という。

 私は臨死体験は脳の機能障害の過程で見る夢のような現象と考えていたが、それにしては、その体験談が年齢、性、地域や文化を問わずほぼ共通していることを不思議に思っていた。もしこの発見が本当なら長い間抱いていた疑問の一つが解けることになる。

 その時は祖父は本当に駄目か、と思ったらしい。その時、祖父は使用人の一人を遣わして恐山のイタコに願をかけさせたという。イタコは「約10日で回復し床離れが出来る。その後は徐々に丈夫になるだろう。それ迄の毎日、祈祷した紙切れを切って湯のみに浮かべて飲ませる様に」、と告げた。私はその予言通りのコースで回復した。 
 
 「臨死体験」も「イタコ」も余りにも出来すぎた話であるが、祖父は自分の経験から医療の限界を悟り、「自然の摂理に任せよう」と選択したのだろうと思う。当時はそれほど治療学があったわけではない。苦渋の判断だったと思う。私はそう思ってきた。

 私は医師になってからも回復が困難と思われた状況の患者には治療行為を行わず「みまもりの医療」の視点を大事にしてきた。その背景は子供の頃の経験におっている。



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