福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

いわゆる「医療否定」の考え方(3) じっくり相談出来る主治医の意見を求めてほしい

2014年01月31日 05時19分20秒 | 医療、医学
 がんは「がんもどき」と「がん」に二大別出来ない。だから、現時点で「がん」の診断のもと十把一絡げに扱われて過剰治療がされている可能性はあるだろう。たとえ過剰治療であっても患者が元気で過ごせればそれで良いじゃないか。少なくとも治療しなくていい「がん」かどうかは診断の時点で見極められない。

 近藤氏は検診の是非にも言及している。確かに検診の過剰診断を示すデータはあるが、検診で発見された「がん」の治療成果は良好である。検診の問題点はあるものの現時点で検診を全否定することは出来ない。加えて、近藤氏は「がん」の治療成績の生存曲線は人為的に操作されている可能性があるとの意見をお持ちだが、科学的な根拠はあるのだろうか。疑問である。

 「がん」の治療は個別性が大きい。がんの性質、進展度もあるが、病気を抱える患者自身の状態も千差万別である。治療をする側の専門性の違いによっても選択肢に違いも生じている。病院ではより広い視点で治療を選択できるようカンファレンスを入念に行っている。残念なことではあるが、治療によって死期を早めることになる場合もあろう。同様に放置療法により助かる命も肋からないこともありうる。私は放置療法の方が良かったとするのは、一部の患者に当てはまるだろうが、広く「がん」患者に適応するのは危険だと思う。

 近藤氏は高名な方である。著書を通じて患者に混乱をもたらしている。さいわい私が相談を受けた患者はその後、手術あるいは放射線治療を受けられたし、化学療法を受けている。私が治療可能な「がん」に積極的治療を勧め、専門医を紹介しているのは治療効果のある「がん」が確実に存在することを目の当たりにしているからである。

 近藤氏の著書だけにとどまらず、最近はかなりの医療否定本が出版されている。特に、疾病で治療を受けている、あるいは受けなければならない状況にある患者は藁をもすがる気持ちで関連書籍を買い求めて読んでいることと思う。その際、患者は冷静に読み取るのではなく、見出しや記述の良いどこ取りをして勝手に解釈してしまう危険がある。相談に来られた方々の多くはそんな状態であった。

 この問題は患者が一人で考えていても解決できない。そのためには日頃から何でも相談できる主治医に相談すれば良い。さらに不安ならセカンドオピニオンを求めれば良い。
 病を抱える患者の人生は患者のものである。だから、患者の自己決定が優先されてしかるべきである。それには正しい情報をが十分与えられていることが前提となる。
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STAP細胞(1) すごい発見 ただしネズミ、先々のことは未知数

2014年01月30日 15時51分59秒 | 医療、医学
 マウスのことであるが、特定の機能を持った細胞を弱い酸性環境にさらすことで受精卵のごとくの多能性幹細胞に若返る事を発見した。
 東京理化学研究所とハーバード大学のチームの成果でSTAP細胞と名付けたが、研究発表の筆頭著者は30歳の研究所のユニットリーダーの女性であった。

 私は第三の多能性幹細胞の発見にも驚いたが、研究がiPS細胞とは大きく隔たっていること、研究のリーダーが若い女性である方により驚いた。多分、この方は今後マスコミに登場する機会は多いと思われる。マスコミはSTAP細胞などの詳細や科学的価値などは結果的にはどうでも良いのであって、突然寵児に躍り出たリーダーについて、特に若い独身女性であることなどで、学問的分野とは別にあることないこと取り上げるだろう。リーダーが不用意に傷つけられないよう、望んでいる。

 再生医療の分野は多能性幹細胞の存在があって初めて可能になる。いままで3種の幹細胞が見つかったことになる。第一第二の幹細胞にもまだまだ解決すべき問題点は山積みである。マスコミは特にiPS細胞について浮かれ過ぎの報道ぶりである。

 最初に発見された多能性幹細胞は杯性幹細胞(ES細胞)と呼ばれるもので受精卵から作られる。従って成長すれば生命となるべき細胞を犠牲にして得られるためにヒトに応用して研究を進めるには倫理的問題があっていま研究が停滞している。

 第二の多能性幹細胞である人工多能性幹細胞(iPS細胞)は4つの一定の遺伝子を成熟した細胞の核の中に入れることで受精卵のごとくに逆戻りさせるもので、発見者の山中教授はノーベル賞を受賞した。再生医療分野での臨床応用の可能性が広く期待されている。国の研究補助もかつてないほどである。時折、血小板が明日にでも臨床に応用出来そうだとか、高齢者の失明の原因である加齢性黄斑変性症の治療に応用されるのも時間の問題とか、パーキンソン病や角膜損傷の修復にも応用可能・・、などとマスコミによって報道される。実際には臨床応用が軌道に乗るまでは越えるべきハードルは高い。 iPS細胞は胎盤には進化できないという謎の性質を持っているし、iPS細胞由来の培養細胞が移植された場合には「がん化する可能性」もあげられている。

 今回発見された第三の多能性幹細胞(STAP細胞)は生まれたばかりのネズミの、特定の細胞から取り出された。弱酸性の溶液に一定程度浸すことで若返りのシグナルが活性化するらしい。この現象は一般的にはいままでの細胞学の常識を覆すもので、英国の学術雑誌のネイチャーの評価委員も信じがたいと論文を却下したという。リーダーは約1年あまり追加実験を繰り返し、やっと受け入れられたという。一般に細胞は成熟するごとに若返り能は乏しくなっていく。だから、次のステップはどんな細胞に応用されるのか、細胞内でどんな変化が誘導されているのだろうか?研究の進展が楽しみである。
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違いが分からない(4) 食事(2)カレーと小豆の違いが分からなかった
 

2014年01月29日 09時01分55秒 | コラム、エッセイ
 私は従来は朝食抜きだったが、血液凝固阻止剤を服用し始めてから朝食を摂る様になった。
 この薬は胃腸障害の副作用があり空腹時服用には適さない。服用15ヶ月になるが幸い病気の再発の兆しなどない。次の発作があれば私が何となるか分からないから副作用があっても服用し続けなければならない。それで一日一食から二食に変更した。

 私は原則的に料理はしない。いざとなれば台所に立つ覚悟はあるがいまは必要がない。朝食は6:00amから一人で摂る。いわゆる孤食である。朝食は少量でよく、内容は淡白なのを好むが、それほど拘りがないから前日の夕食の残り物をチンして食べる。

 先日の事、カレーが残っているはずなのでそこにあった小鍋をガスのとろ火にかけ、昨夜私が食べきれなかったサイコロ状のステーキ片を数ヶ鍋に追加して暖めた。冷凍ご飯70gほどをチンして皿に盛り、用意出来たカレーソースをかけ、福神漬けを乗せて出来上がった。

 一口頬張った時点で、カレーではなく汁粉用の小豆であった事に気づいた。朝の出勤前の事でいろいろ準備もあり、台所で温まり具合を見ていたわけでなかったので口に入れるまで気がつかなかった。確かに温まって湯気を上げていたが、その割にカレーの香りが乏しいと思ったが、カレーなのだ、という思い込みがあったためかまさか別もの?とは考えなかった。

 味は・・・カレーの期待には遠く及ばなかったが、割り切って考えればそう悪くはなかった。朝食としては甘過ぎたし、皿盛りのご飯に小豆をかけ、さらに福神漬けを乗せたと言う不自然さはあったが、もともと汁粉には餅を入れるのであり、それがご飯であった、だけである。料理のバリエーションの一つと考えればあり得ない組み合わせではない。

 私の食事のコンセプトの一つに「食べられる食材は調理をして食べられなくなる事は無い」と言うのがあるから小豆ご飯は許容範囲であった。例外は小豆まみれになったサイコロ状のステーキ肉であった。どう擁護しても美味しいとは言えない味であった。肉の味と脂が小豆とが私の口の中で喧嘩していた。私はそのとばっちりを受けた形であったが、貴重な食材であるから牛さんに感謝しつつ有り難くいただいた。

 「違いが分からない人ね・・」、家族には驚かれ、呆れられた。
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違いが分からない(3)お茶、コーヒーなどの嗜好品も分からない 

2014年01月28日 05時53分45秒 | コラム、エッセイ

 嗜好品とは、一般的には栄養をとるためでなく、その人の好みによって味わい楽しむ飲食物。茶・コーヒー・酒などを指すとされるが、私はもう少し広くとらえていいのではないかと思う。人間の基本的は感覚にあげられる五感、すなわち目・耳・舌・鼻・皮膚を通して感じ取れる快感で、心理的満足感、高揚感にまで至るものではないかと思う。

 自動車のスピード感,ハーレーダビッドソンを中低速で走らせた際のエンジン音と振動、風の爽快感なども同じ様な効果が得られるが、あまり大型の装置、動きのあるものなどは嗜好品とは呼ばれない。

 一般的には食品や飲み物、香を楽しむアロマ、ペットの手触りなどの範囲になる。この分野は趣味性が強い。静かに一人楽しめば良いのに専門的知識を備え、ウンチクをたれる方などもおられる。嗜好のレベルまで入り込んでこられるのは迷惑でこのような方には近づかない様にしている。

 私の嗜好品は、というと緑茶、コーヒー程度、一部は香なのかな?酒もタバコもやらず、人付き合いも殆どない私が比較的お金をかけている分野である。ただ、私は何も分からない、すべて家内が選んだもので楽しんでいるだけ。飲みたいときにコーヒーがあり、緑茶があればそれで満足する。

 コーヒーの銘柄、産地などはいろいろ知っているが、私が何を飲んでいるのか、全く区別出来ない。緑茶は100グラムあたり3-5000円と、比較的高いのを用いているらしいが、同様に区別出来ない。私はこの分野でも味音痴である。

 家内は自分ではあまり飲まないのに、茶など私にいろいろ用意してくれる。休日などは半ば強制的に飲まされる。出勤時には500mlのガラスのボトルに茶を入れて持たせてくれる。何かで間に合わないときには病院に届けてくれる。飲みきれず持ち帰ると機嫌がが・・・などなどちょっと押し付けがましい。だから、私はいつも水腹状態である。

 要するに、私の嗜好品としてのお茶などは、無いと寂しいが、家内の買い物フリークを満足させてる意義が大きいようだ。味など分からないからどんなものでも楽しめる。味音痴は食事だけでなくこの分野でも生きている。
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いわゆる「医療否定」の考え方(2)「がん放置療法」は私もやっている

2014年01月27日 08時21分55秒 | 医療、医学
 近藤氏のがんについての考えのうち、がんには「本物」と「もどき」があるとの考えは理解出来る。ただ簡単に白黒を決める様に二大別は出来ないし、「もどき」などの名称も良くない。
 それと、治療をしてもしなくとも結果が同じと明快に言えるのだろうか。それに関する彼の論旨はちょっと難しい。それこそ一定の先入観で解釈した個人的感覚ではないか、と思う部分もある。

 がんそのものはかなり多様である。「乳がん」、「胃がん」、「大腸がん」など発生部位を診断名につけるが、同じ診断名であっても腫瘍の性格はピンからキリまである。患者にとって大事なのは「患者の人生にどう影響するか」あるが、それには「がんの悪性度」、「進展度」等の判断が望まれるが、採血や画像検査だけでそれを明らかにすることは一般的に困難である。

 近藤氏の言う「本物のがん」は悪性度が高度な群、「もどき」は悪性度が低く良性腫瘍に近似した性質のものと言い換えることが出来る。はじめからこのように表現すれば一般の方にもより正確に伝わり誤解も受けがたいのに・・、と思う。

 悪性度が高い群と低い群の間には広いグレーゾーンがある。診断時に転移を伴っていれば判断に迷うことはないが、転移を伴わない初期の腫瘍の場合には、多面的に検査しても良性腫瘍と悪性腫瘍の区別すら、クリアに決めるのは困難である。

 私の診療領域は主に血液疾患であった。血液学会の専門医、指導医は昨年返上した。近藤氏も睾丸のがん、血液領域の悪性疾患は抗がん剤で治る可能性があるので「がん放置療法」の対象から外れる、としている。

 血液領域の悪性疾患の種類は枚挙にいとまはないが、代表的なのは白血病、悪性リンパ腫、多発性骨髄腫等がある。私は診断がついたからと言ってすぐに私のもとで治療を開始する事はない。年齢を始めとする患者の背景、疾患の性格、考えられる経過、本人の希望などを勘案して他の専門医を紹介する。強い希望があって、私のもとで治療する際にも即抗がん剤だ、放射線だ、手術だなどと進める事はない。一部の患者については病気との共存の方がベターと判断して「放置療法」を選択することもある。

 私は他の領域の固形がんについてコメント出来ないが、近藤氏がの考えは受け入れ難く、一般論としての「がんは早期発見・早期治療がベスト」との考えに立っている。一部の患者については「放置療法」も選択肢の一つとなる、と考える。
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