福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

墓参り2024(2) 墓は単なる骨の集積場所なのだ 魂は「千の風」に歌われる様に自由

2024年08月13日 04時19分16秒 | 近況・報告
 数年前、何かのメモ用紙に書きつけた、「自分が死んだら盛岡郊外の福田の墓でなく秋田の生家の墓に入れてください」というメモを見つけ私はショックを受けた。家内の真意はわからないが、私は当然同じ墓に入るつもりでいた。しかしながら、私はあえてこれを話題にすることは避けてきた。背景に何を考えているのか分からず、怖くて話題に出来なかったからである。

 今回、墓参りの際、子供達と親子5人だけで話し合う機会が生まれた。主たる話の内容は相続のに関する内容であったが、子供たちから将来墓の管理をどうするか、親としてどう考えているのか??という話題にもなった。
 私自身は「盛岡郊外の墓に入るが、家内はなんと考えているか分からない。当人の希望は尊重してあげたい。しかし、墓は誰かが継承して管理しなければならない。墓をどうするかは家内と子供達の考えに任せたい・・・」、と述べた。

 家内の墓に関しては、どうしても望むなら秋田の生家の墓に入るのもよし、秋田に新しく墓を購入しても良し、と提案した。その過程で墓を維持するのは子供たちであり盛岡と秋田に分散するのは問題だろう。墓の選択は自分の好みだけでは済まないから慎重に考えてほしい、とも。

 その対話を経て家内も私と同じ墓に入ることを渋々承諾した。長い将来のことはわからないが、子供たちも当面今の墓を維持してくれるそうである。
 たまたま今回懸案事項の一件が落着した。

 ところで、墓とはなんだろうか
 墓は、遺体や遺骨を葬る場所と考えている。一般に、墓石などがあるが私が子供の頃は土を盛り上げて上に石を置いて印としていたのも少なくなかった。今は豪華な墓石が墓地を埋め尽くしている。

 我が家の墓石は1930年頃に私の祖父母によって建立されたのもので今の墓石に比較すれば極めて地味である。

 私は不遜な考えであるが、墓は先祖の遺体や遺骨の置き場、と思っている。骨に精神が宿るわけではないからあまりにも墓の意義を拡大解釈をしたくないし、豪華な墓石に価値を認めない。

 第二次世界大戦前までは、自分の所有地の一角などに墓を建てるケースも多かったが、戦後は私的な墓地は法で禁止されている。現在の日本では、火葬後に遺骨を墓に収納する方式が主であるが、土葬も法律上は妨げていない。墓地の経営には、都道府県知事の許可が必要。

 少子高齢化により、墓を継ぐ子や孫がいなかったり、疎遠だったりする家庭が増えている。このため、終活の一環として、無縁仏にならないよう「墓じまい」する人も少なくない。
 墓文化は今後大きく変化していくだろう。
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