福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

宗教とは何か2015(3) 私は仏教徒なのか、について考えた

2015年02月28日 13時53分30秒 | コラム、エッセイ
 宗教とは何か、オウム事件とは何だったのか、宗教を信じるということはどういうことなのか、私は仏教徒なのか、オカルトとは?・・・、という問いは私の中でずっとくすぶっている。

 私は幼少の頃からどちらかというと宗教的考え方、東洋的無常感に親しみを持っていた。日常生活における仏事は疑問を持たずに仏式で行ってきた。しかし、経典などは散発的に接したことはあったが、体系的に紐解いたこともない。こんな私を仏教徒と言っていいのだろうか。

 私の周辺の方々を見ていると、宗教に関しては二極化しているようだ。
 宗教家と言われる方々の大部分はおそらくは信仰を持っておられるであろう。
 それ以外の方の中では、神仏の救いを信じて普段からそれなりの行動をしている、信仰を持っていると評すべき人は稀で、大部分の人は宗教的行事を社会習慣として利用する、私と同じレベルにあるような気がする。尤も、日本では日常生活の中で宗教的立場が話題になることはその必要もないから、とても少ない。だから、私の知人たちがどんな宗教的背景を持っているかを知る由も無い。

 私が今まで会った中で、クリスチャンネームをお持ちの方は10数名はおられたが、私の目にはとても信仰を持っているようには見えなかった。

 私が「信仰を持っていた方」としてとらえているのは、僅か10名程度である。
 ▪️新潟大学の同級生の一人は敬虔なクリスチャンで、彼の日常での物事の判断、発言、医師として生きた道は、キリスト教的世界観に基づいていた、というべきか、私とは全く異なっていた。
 ▪️浪人時代に仙台で下宿していた一家4人は創価学会の信者であった。
 ▪️長く患者としてみていた中年女性の一人は真如苑の信者であった。
 ▪️輸血関連の判断等で診療に参加せざるを得なかった数名の患者はエホバの証人であった。

 これらの方々は私と価値観が違うためか、信仰上のこだわりなのか、何となくコミュニケーションが取りにくかった。いや、それ以上に、私の理解の及ばない別世界からきた人のようにさえ思えた。考え方、ものごとへの感じ方は凝り固まっており、共感は持ち得なかった。

 私をこの分類に当てはめれば、私は「信者」ではなく、仏教・神道の「利用者」のレベルである。それでもこの社会の中でなんとなく相手を信頼し、理解できるのは、具体的信仰をもたなくても、日本人の多くは「諸行無常的」な感覚をもっているし、「もののあはれ」を理解する心をもっているからなのだろう。生活習慣上、多くの方々は仏教と神道をセットとして臨機応変に利用している。これに儒教や道教の要素もまじった曖昧な「宗教観」が日本人の心理のベースにあるから、日本人は「無宗教」と言えない、ような気がする。「宗教観」は生まれ落ちた社会の生活習慣で徐々に形成されていくものみたいだ。

 この宗教に対するファジーな感覚は海外では通用しないらしい。かつて私も旅行した際に、時に宗教について問われる場合があるが、その際に「無宗教・・」あるいはそれに近いあやふやな返事はしないようにと指導を受けた。外国では「無宗教」であることは「非人間的」であることを自から表明するようなもので、その後の対応に雲泥の差が生じる、とのことであった。だから、私は海外旅行中は自称敬虔な「仏教徒」になっていた。

 私は、本日の段階では仏教徒とは言えず、「神仏利用者+α」のレベルにいるとしておこう。
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金子みすゞ名詩集 彩図社文芸部編集 2014年 571円+税

2015年02月27日 04時17分45秒 | 書評
 週一回利用する大曲駅の売店でたまたま手に取った本。文庫本でページごとの字数も少なく、帰路の新幹線で読むのにちょうどいい、と思い購入した。かつて私の本棚にハードカバーの金子みすゞ詩集はあったはずだと思って探していたが、見つからなかったことも購入のきっかけになっている。


 この本は、序に「明治36年、山口県に生まれた童謡詩人金子みすゞ。彼女の残した作品には、小さな動植物に対する深い愛情や悲しみ、そして子供の持つ独特の感性がみずみずしい言葉で綴られています。心に響く金子みすゞの詩を味わってください」。

 作者紹介欄には「金子みすゞ(1903-1930) 山口県生まれ。早くから詩の才能を開花させ、西条八十から『若き童謡詩人の中の巨星』と賞賛されるも、自ら死を選び26歳でこの世を去る。没後しばらく作品が散逸していたが、1980年代に入り全集が出版され、再び注目を集めた」、とあるだけ。解説や編集後記はなく、挿絵もない、全く、シンプルな装丁である。その分、想像が広がっていく。

 詩人金子みすゞに関してはかなり前から知っていたが、身近に感じたのは10数年前に「金子みすゞ記念館館長」の矢崎節夫氏のインタビューをラジヲ深夜便で聞いた時からである。その頃に、詩集を購入して読んだ、と記憶するが、当時は私もたただただ忙しく生活していた時期で、金子みすゞの詩に溢れている、見えないものまでをも見ようとするまなざしに感心したが、深く味わうまでには至らなかった。

 ひさびさ、金子みすゞの詩に触れたが、この小冊子に掲載されている100篇ほどのどの詩にも心落ち着くものを感じた。

 表立っては見えないものにも価値がある、無駄ないのちなどはない。そのような視点に立つ感受性は共感できる。悲しい詩、楽しい詩、どれも共感する。人や動物だけではなく、月、星、風、花等の自然界の全てが、彼女の言葉によって新しいいのちを与えられ、生き生きと共在していることを再確認できた。

 まだ私は512篇もある彼女の作品の一部にしか触れていないが、読むたぴに、自分自身を新発見できる。みすゞの詩に自分の心を映し出し、彼女の言葉を通じて自身を知ることができる。70歳にならんとするジジイが20歳の若い女性に共感出来る。これは快感でもある。私にもまだ若かった時代の感受性が残っていることかな、とも思う。

 西条八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されながら、512篇の詩と愛娘を残し、26歳の若さで自らいのちを絶ったのはなぜか。私にはわかるわけもないが、作品を読む範囲からはその苦悩の心を読み取ることはできない。
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アウシュビッツ解放70年(8) ホロコーストへの疑問

2015年02月26日 16時17分39秒 | コラム、エッセイ
 ヒトラーと取り巻きの狂信者達によるユダヤ人撲滅作戦は人類最大の犯罪の一つである。これは戦争とは直接関係ない思想によっているが、戦時下でなければ成し得ない、人類の最大の犯罪であった。
 犠牲者はユダヤ人と限らないが、その数は一般的に400万人とも600万人とも言われている。ニュルンベルク裁判は400万人と認定したが、1995年には「150万人」に改められている。また、これ以外の数値を挙げる研究家や学者もいて一定しない。

 アウシュヴィッツ強制収容所についてはそれなりに知っていたつもりであったが、2000年にポーランドを訪れ収容所を見学した。見るもの全てが信じ難い光景であった。

 何故、こんな非道な犯罪が集団的に、年余にわたって一気に行われたのか? 
 戦争という狂気の中、極限状態であったという特殊な状態にあったにせよ、戦争で発現する集団的狂気や異常心理で理解しようとしても疑問は残る。人間はどこまで非情になれるのか? 
 
 その疑問をユダヤ人の側からの視点で整理すると、現段階では以下の如くである。
▪️何故ユダヤ人はかくも無差別に、組織的に虐殺されなければならなかったのか
▪️何故ナチスはユダヤ人を敵視し、徹底的に撲滅を図ったのか
▪️何故ユダヤ人は組織的に立ち上がることなくアウシュヴィッツへの道を歩まなければならなかったか
▪️どうして世界は、特に、ナチス支配下の国々が傍観していたのか

 前二者を含め、これらの項目について私はさらに勉強しなければならないが、後二者については、特に、アメリカに亡命できた財力も知識もある亡命者の方々は祖国で展開されているユダヤ人に対する非人道的な扱いなどについて世界に情報を発信できなかったのか?と思う。私が親しんでいる音楽家も多数亡命しているが、そのような動きをしたという話に触れたことはない。時代柄無理だったのだろうか。

 連合国側の指導者達はドイツで展開されている悲劇に全然気づいていなかったのか? 日独伊同盟を結んだ日本は特派員も派遣していたと考えられるが、国としてどの程度情報を得ていたのか?
 ユダヤ人への迫害の歴史はを遡るとすれば、キリスト教がユダヤ教から分離する時代に到達する。そんな長い歴史がありながら、受けてきた差別や迫害についてユダヤ人が一斉蜂起した、という話は聞かない。ユダヤ人が厳しい環境の中で、宗教的にはまとまり、財をなし、学問的にも、文化的にも成熟したが、私の目には一方的に放浪し続けてきた弱々しい民族のような思えてならない。
 ユダヤ人は居住地の文化とか人間関係に溶け込まずに遊離していたことがその土地の政治家の悩みの種になっていたとされている。そんな文献を探すのには事欠かないが、このことがもつ意義は小さくないだろう。
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インフルエンザ流行2015(4) 秋田県の施設内感染状況

2015年02月25日 19時09分18秒 | 医療、医学
 県内の老人福祉施設や医療機関で、A香港型インフルエンザの集団感染が相次いでいる。10人以上の感染が確認された施設、医療機関は17日の段階で77施設にも達している昨シーズンの合計が50施設だからこれを既に大きく上回っている。

 県内の医療機関、老人福祉施設では1月以降、集団感染により散発的に死者が出ている。
 新聞報道によると、老人福祉施設では井川町で10人以上が感染し1人が死亡。大館市と秋田市では計50人余りが感染して3人が亡くなった。医療機関でも鹿角市と大館市で計70人以上が感染し、6人が死亡した。これらの死亡者は、新聞で年齢が明記されている方は88歳、96歳、97歳で、他の方々も80-90代と記載されており例外なく高齢者である。

 以下に私の感想を述べる。

▪️老人保健施設、老人病院等で集団感染が多いのは虚弱老人を集めているためで、感染拡大のコントロールは困難である。
 狂牛病の蔓延、養鶏場での鳥インフルエンザの蔓延などは類似の個体を一箇所に詰め込んでいるためである。稲作における病虫害の蔓延も同様である。

▪️老人保健施設、老人病院等にウイルスを持ち込ませないのは不可能。
 家族の見舞いの禁止も事実上実行困難。面談室面会でも危険。施設のスタッフも通勤してくる以上、感染防御は困難。特に幼児、学童がいる家庭では感染の機会は高い。スタッフがウイルスを持ち込む可能性は高い、と考えられる。

▪️熱なし、軽い鼻水程度の症状の職員に対して「まさか出るはずはない・・・」と思いつつも大事をとって行った簡易検査で陽性者が出ることも稀でない。しかも、ワクチン接種済みのスタッフであった。検査をしなければ分からなかったし、感染後時間が経っていない場合は検査しても陰性で、後日陽性になることもある。インフルエンザの早期診断はこのように困難である。したがって、スタッフからの感染も防ぎ難い。

▪️ワクチン接種は入所者、スタッフともに行うべきであるが、種々の理由で出来ないこともある。スタッフといえども強制はできない。
 
▪️ワクチン接種は重症化を防ぐとされるが感染予防効果は乏しい。入所者が50名ほどの某老人保健施設では入所者全員と20-30代中心のスタッフ全員にワクチンを施行したが、共に4割近くが発症している。

▪️インフルエンザワクチン接種は重症化を防ぐとされるが、それも限界がある。死亡された88歳、96歳、97歳、80-90代の方々には効果が乏しかったと思われる。

▪️推奨されているマスク、うがいには予防効果はほとんどない。スタッフ、訪問者とも手洗い、着衣交換が必要。

▪️抗インフルエンザ薬の治療効果、予防投薬の効果も虚弱高齢者には効果が乏しい。しかも、抗インフルエンザ薬予防投薬は保険診療対象外であり、病院、施設の費用で行われるが理不尽である。少なくとも感染が蔓延しつつある施設等では公費で行われるべきである。ちなみに、タミフルを1日1カプセル10日間内服費用は一人6,570円である。50人も予防投薬したら、持ち出しは大変な額になる。

▪️病院、施設等では感染まん延を防ぐために隔離などのための余剰のスペースが必要である。

▪️中規模、小規模の病院では感染者の入院を断っているとされるが、地域の中核病院ではその様な患者の選択はできない。重症化しつつある場合、感染者であっても入院させねばならない。

▪️病院、施設等では感染まん延を防ぐためにの指針もある。いかに対策しても高齢者の死亡は防ぎ得ない。管理者から情報を公開する必要があるが、対応上、大きな過誤や判断ミスがなければ、メディアの前で陳謝する必要はない。

▪️圏内では下火になりつつあるが、インフルエンザの流行期はまだまだ続く。病院、老人保健施設ではまだまだ気が抜けない状況が続く。
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目の輝きとは何か(4) 目元の小道具(2) メガネ

2015年02月24日 17時46分26秒 | コラム、エッセイ
 人は情報を80%ほどを目を通じて得るという。人間の祖先は弱い視力は大変な問題だったと思われる。その間、財力や金力を持つ人は若者を雇ってしのいでいた。実際にメガネの発達段階を見ると実用的メガネが発明されたのはそれほど古いことではない。

 メガネの歴史を調べてみた。
 キリストと同時代を生きた古代ローマの修辞学の権威セネカは、用いた素材はわからないが、球体に水を入れて字を拡大しローマ中の書籍を読み漁ったとされる。しかし、メガネの発見には結びつかなかった。 
 13世紀の英国の哲学者ベーコンは水晶かガラス越しに見れば字を見るのに有効だと言い続けたが、これもメガネの発達には結びつかなかった。13世紀の終わりになって読書用の拡大レンズが発明され、14世紀には原始的なメガネが利用されるようになった。15世紀に近視用のメガネが発明された。18世紀にはベンジャミン・フランクリンが遠近両用メガネを発明した。コンタクトレンズは1887年にスイスで発明された。

 メガネの実用化は目だけでなく顔の外観を変え、ある種の主張を持つようになった。太い黒ぶちのメガネは利用する人を荒々しく放漫に見せた。太い丸ぶちのメガネは目を見開いた凝視の表情を作った。濃いサングラスは目が表す多くの情報、繊細な心理的な変化の反映など、を除去してしまう。

 このようにメガネは顔や目の表情を大きく変える作用がある。芸能人など、冗談で奇抜なメガネを着用することもあるが、最近の傾向は細ブチの、あるいはフチなしメガネが好んで用いられている。その方が目の表情を隠すことなく、より自然に伝えるからである。また、レンズの改良も進み、かつてのような厚手のレンズは姿を消した。今はメガネは目元を、顔を演出する重要なアイテムとなっている。

 日本人は一般的に近視率が高いとされている。
 ある統計では40歳以上の日本人の41.8%が近視だという。これを世界の同年齢者で見ると、アメリカの黒人は21.0%、白人は24.8%、オーストラリアは14.4%、インド28.2%、中国21.8%という。この統計によると、やはり日本人の近視率はすごく高いことになる。
 さらに、日本人の子供達の近視率は増え続けている。文科省の学校保健統計によると、ここ5年間で小学生が25.6%から29.9%へ、中学生では47.7%から52.6%へとまだ増加しているという。

 だから、メガネは目元や顔を演出する重要なアイテムとして、特にわが国ではその意義は小さくない。
 最近では、メガネ着用者が減少しているように思われる。
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