福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。



歌謡曲の魅力(8) 藤圭子 好きな歌手の一人だった

2013年09月30日 05時33分53秒 | 音楽談義

 今年の6月下旬から私は録りためた歌謡曲に索引を付けるために集中的に聴いている。私は音楽はジャンルを問わず好きであるが、好みに順番をつければいわゆるクラッシックと言われる分野が第一ではあるが、それと同じほど歌謡曲が大好きである。

 私の録音ライブラリーには5.000曲ほどの歌謡曲が蓄積されている。そのインデックスを作っているが、3/4の作業が終わった。ながら作業であるが、ここ数ヶ月は連日歌謡曲漬けと言っていい。藤圭子の歌も時折登場しており、楽しんでいた。

 そんな中、8月22日、歌手藤圭子の悲報を聞いたときには驚いた。私が知っている歌謡界に関するニュースはラジオ深夜便で紹介される短い解説程度が主である。だから彼女に関しては宇多田ヒカルの母、在アメリカと言う事くらいしか知識がなく、てっきり今でも現役で歌っていると思っていた。62歳、新宿で自死した、と言う事は理解の外であった。

 新聞紙上から得た事であるが、どの紙もほぼ共通で「波乱の生涯に幕を下ろした・・」との記述があり、それにも驚いた。

 「新宿の女」でデビューしたのは1969年、黒い大きな瞳、京人形のような美しい顔立ち、殆ど笑顔を見せる事なく、暗い雰囲気でドスのきいた声で振り絞るように歌った。歌に怨念を、すごみも感じたが、私はその暗く静かな雰囲気に魅了されていた。美しい女性をリストしてみて、と問われれば必ず数番目には挙げるだろう。

 岩手県一関市生まれだとの事も知らなかった。貧しい浪曲師一家に生まれ、幼少期から苦労の連続だった。目の不自由な母の手を引き、生活のため錦糸町や浅草のネオン街を15歳のときから流していたと言う。

 家庭も崩壊、長い孤独の果てに、死を選んだらしい。その辺の事は殆ど知らない。彼女の表情はレコード会社のイメージ戦略によるものと言う。どこまでが虚像で、どこからが実像か、私には分からない。
 実像としての彼女には殆ど興味はないが、虚像としての彼女の歌を、姿を、表情を、私は決して忘れる事はないだろう。
 芸名なので敬称は付けなかった。遅まきながら心からご冥福を祈りたい。
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消費税増税2013(4) 消費税と社会保障改革

2013年09月29日 08時17分00秒 | 政治・経済 国際関係
 財務省は先月、6月の時点で国の債務が1.000兆円突破したと発表した。

 安倍首相は明後日に正式に消費税増税を発表する予定と言うが、こんな状態で消費税増税と社会保障改革、財政再建を成り立たせる事は可能なのだろうか。きわめて難しい舵取りが要求される。

 私は政治の世界にアカデミズムがもっと入り込まなければならないと思う。党利党略の事を中心に駆け引き考えている政治家に経済運営の力があるとは思いがたい。官僚がそれを支えているのだろう。が、官僚の姿は見えない。経済評論家と称する方々、学者と称する方々、もっと表に出てきてほしいと思う。

 今回、消費税を上げるか否かの判断材料を得るために安倍首相は有識者60人に意見聴取をしたと言う。7割が賛成であったとの事。勿論、賛成反対の比率だけの問題でなく、どのような意見を提言出来たか、が重要である。ところで、人選はどうやったのか。誰が選んだのか?

 消費税増税に関して3党合意で法が成立したのであるが、党首会談等で進められたのであり、まだ、まともに国会で議論が行われていない。先の参議院選挙でも消費税を上げるベシと明快に主張した候補者は少なかった。にもかかわらずスルスルと決まった。最終決定は安倍首相で良いのかもしてないが、我が国の国会はこれで良いのか? 

 民主党政権の時に野田首相は社会保障制度の破綻を防ぐためと国民に説明してきた。だから、国民の多くは社会保障のためには増税止むなしと考え、消費税が上がれば社会保障は充実するだろうと考えているのではないだろうか。しかし、この理念は安倍政権のもとで揺らいでいる。

 GDPの2倍以上の財政負担を抱えながら、毎年3兆円もの負担が増える、年金、医療、生活保護等の諸問題もあり、社会保障制度は将来的に持続不可能なレベルに達している。
 社会保障制度国民会議は、低所得者に配慮しながら自助努力を中心に公的制度への依存を減らすと言った、現行の制度の範囲の中での改革を提言している。前からヤルヤルと言ってきた抜本改革、これはどんな内容になるかはなかなか予想は出来ないが、国民に大きな発想の転換を迫るものになるだろう、は今回も先送りになった。

 過ぎたことであるが民主党の野田前首相は「消費税増税分はすべて社会保障に使うことを国民に約束したい」と繰り返し強調していた。これで3党合意が進んだ。時の各党の責任者は野田、谷垣、山口氏であった。
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消費税増税2013(3) 国の債務1000兆円突破 国民、政府とも危機感欠如?

2013年09月28日 18時10分07秒 | 政治・経済 国際関係
 財務省は先月、6月の時点で国の債務が1.000兆円突破したと発表した。何ら危機感無く、淡々と。

 この債務の実情ははっきり言って我が国のGDPの2倍以上の負債であって、この現状はやはり無視できないと思う。
 10年以上も税収は右肩下がり、一方、歳出は右肩上がりだからこうなるのは当然である。歴代の政権ともに財政再建を口にしながらも、次々と国債を発行し、赤字予算を組んできた。次年度の予算は史上最高の99兆円に及び、また債務を増やす。過去の時代はまだ余裕があった。今は経済再建は待ったなしと言っていいのではないか。

 財政再建に今後も目処がないとすれば、生活者である国民は国家財政が破綻したときの姿を思い描くしかない。このままでは何れ国への信頼が失われ、国債の価値が下がり、大量に売られ、大暴落しかね無い。そうなると国家は国民の生活と安全と財産を守るという国の義務を果たす事が出来なくなる。社会保障も狭められる。食料すら輸入が難しくなる、治安も乱れる。

 日本の場合はギリシャの債務とは違うのだ、と強調されているが、基本は同じである。国債がまだ売られていないから表面化していないだけ。国の財政規模が大きいだけに全世界の経済に与える影響はギリシャの比、リーマンショックの比ではない。経済のクライシスはある日突然来るのだ。

 私は小心者だからかなり心配している。
 しかし、国民には切迫感・危機感が殆どない様に見える。日本の国債はほとんどが日本人の投資家、銀行、保険会社等のが所有しており、投資家はそう簡単には国債を手放す事はない、と甘い発想を持っているようだ。しかし、国債の価値が下がり始めれば投資家は篤志家ではないから国債を手放し、次の投資先を探すことになろう。

 消費税増税、この経済の中での実施は両刃の刃になる。しかし、三党合意がある以上、今更人の意見を聞いてどうするのか。知識人からの意見聴取は三党合意の前に聞くべきだったのだ。消費税は真の経済上の論争でなく、政争の道具として扱われ合意された。政治ってそんな物だ。
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品川正治氏が死去された

2013年09月27日 04時32分25秒 | 政治・経済 国際関係

 元経済同友会代表幹事・専務理事で、全国革新懇談会の代表世話人をつとめた品川正治氏が8月29日にお亡くなりになった。享年89歳。

 私は氏の講演を2回聴き、3冊の著作を読み、深く感銘を受けた。氏の講演と著作は私の戦争、近代日本の歴史を学び直したいと言う気持ちを後押ししてくれた。

 2009年9月13日私は東北医連総会で福島にいた。午後、特別講演として品川正治氏の「戦争・人間・憲法9条」があった。医師会関連の総会の講演になんで憲法9条か、と正直思ったし、品川氏のお名前にも初めて接した。
 氏は実にゆっくりとした話しぶりで話し始め、どうなる事か、と思ったのであるが、5分、10分と聴いているうちにぐんぐんと引き込まれた。戦争の現場を直接体験した方でなければ話せない、実にリアルな内容であった。会場は物音一つしないほど静まりかえった。

 次いで9月19日、今度は秋田県県児童会館で「秋田九条の会」主催の同氏の講演を再度聴講した。
 戦争の悲劇を繰り返してはならない戦争への思いが、ひしひしと伝わる講演であった。現在の憲法に対しては、護憲を支持する立場、改憲を訴える立場など様々であるが.氏の語る内容は、そのような論争をはるかに超えた高い次元で平和の曹さを訴えていたと感じた。ロビーで著書が販売されており私はこの本を購入、目の前でサインも戴いた。




 品川氏は九条の会の趣旨に賛同し、財界活動の一線を退いたあとの10年余は、憲法九条の『死守」を訴えた。05年自民党が改憲案を発表した後の活動は目覚ましかった、とのことである。
 残念な事ではあるが、ご高齢である。心からご冥福をお祈りします。
 
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誕生日のプレゼントのために初めて花を買った

2013年09月26日 16時06分11秒 | 近況・報告
 9月24日に病院からの帰路、町の花屋に立ち寄り花を購入した。荷物運びのために家内と花屋に入ったことは何度もあるが、一人で花屋に入るのも初めて、自分の判断で花を買ったのも初めてである。

 当日は家内の誕生日だった。私も何を考えたのかその日の心の動きを覚えていないが、今年は誕生日のために花を買わなければなるまい、と思ってしまった。41年目の心変わりであった。

 誕生日の贈り物としてどんな花が相応しいのかも分からず、通りすがりの花屋に入った。
 いろいろな花がある。値段もピンからキリまである。決めかねて店内でうろうろしていたら若い男性の店員が傍まで来たが何も言わずに引っ込んだ。声をかけてもあまり見込みがないと思ったのだろうか。確かに、その時は私も決めかねて店を出ようかと迷っていた。次いで店のオーナーと思われる70歳ほどの男性が奥から近づいてきて温和な表情で「何かお探しですか・・」と声をかけてくれた。これで助かった。
 
 奥で私を見ながら声かけのタイミングなどをはかっていた様だ。確かに私の場合、何かを買おうと商店に入り品定めをしているとき、基本的にそっとして置いてほしいと思う。頻繁に声をかけられると買う気が萎えてしまうからであるが、今回は絶妙であった。

 で、4千円ほどで購入した。何と言う花かも知らなかったが、ともかく買えた。40分ほど歩いて帰ったが重かった。調べたら「からんこえ」という、私にとって初耳の花であった。

 家内の一言は「最初で最後になるかもね・・」と意味深の返事であったが、表情はまんざらでもなさそうであった。同じ事は私も考えていた。

 翌日、玄関先から花が無くなっていた。自分が勤務する病院の玄関に飾ったと言う。マ、良いか。その方が良いかも・・と思った。
(飯川病院の玄関先に鎮座している「からんこえ」)
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