福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

高齢者コインバス事業 本日からキャッシュレスになった(2) が、問題も・・

2022年10月02日 05時27分24秒 | 秋田の話題
 秋田市の高齢者バスが昨日から高齢者コインバスカード(AKiCA)払いが可能になった。とても便利になった。
 私はここ数年買い物は、新幹線の切符、DIY店を含めクレジット払いとしており、ちょっとオーバーに言えば現金払いはこのバスだけになっていた。しかも、クレジットカードはSuicaの他数種用いているが、それらをいちいち提示しなくともiPhoneに入力しておけば会計時に店頭の機器にタッチするだけで事足りていた。

 ところが、秋田市のAKiCAは機能的にはSuicaカードがベースになっていて、従来用いていたSuicaカードと機能的に競合することがわかった。また、iPhoneにカード機能を取り込むこともできないために利用時にカードで直接バスの機器にタッチしなければならない。チャージは現金だけ、という問題もある。

 私は昨日、なんとかもっと便利に用いられないかといろいろ検討したが、AKiCAカードをiPhoneの背面にくっつけた場合、結果的に従来から用いてきたSuicaが優先し、AKiCAカードが機能しないことがわかった。私の工夫を実際にバスに乗って2回確かめてみたが、結局ダメであった。AKiCAなら200円で行けたのであるが、一般のSuicaで520円支払った。この差額は秋田中央交通にはいささかのメリットになるだろうから「ま、いっか・・」、である。

 ならばどうする?
 クリアファイルでAKiCAカード用のケースを自作し、それをコイル式のキーホルダーにつけて靴ベラと共に胸ポケットに入れることにした。コイルを引っ張るとすぐに出てくるから便利で、紛失する可能性も小さい。現時点での到達点である。これでしばらく使ってみる。
(AKiCAカード、靴ベラのセット 破れないように金属のリングをつけてるのがミソ)
 

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高齢者コインバス事業 本日からキャッシュレスになった(1) これは便利!!!

2022年10月01日 05時07分39秒 | 秋田の話題
 秋田市では高齢者コインバス事業がある。
 2011年(平成23)10月、満70歳以上の市民を対象に「コインバス資格証明書」を提示すると、市内の路線バス、マイタウンバスに一回の乗車あたり100円で乗車できる制度が発足した。
 この事業は2013年(平成25)年10月に満68歳以上の高齢者に引き下げた。

 秋田市は「エイジ・フレンドリーシティ」構想を掲げ、高齢者対策にも力を入れている。ならば、高齢者に分かりやすく「高齢者に優しい秋田市」と日本語で表示すれば良い。
 高齢者コインバス事業は高齢市民がどの路線でも100円で乗れる制度は分かりやすく、久々のヒット政策だと思う。路線バス業績は長期にわたって低迷を続けている。市では年間約1億円弱の負担金をバス会社に支払い、乗客確保に努め事業維持に努めている。

 この制度開始後1年間で、バスの年間利用者は、中央交通が9.1%(約70万人)、マイタウン・バスも4.3%(約8千人)増えたという。

 確実に利用客は増えている様だが、地域の交通維持は重要である。
 高齢者がこの制度を利用し、行きたいところに気軽に行けるようになる意味は大きい。高齢者は、運転免許を返納した私も含め、移動の手段が乏しい。自転車は危険、タクシーは高額である。バスは廉価で安全であるが距離によっては片道500円程度になる。これは結構大きい。だから、コインバスは高齢者にとって救いになる。高齢者の鬱や認知症、孤独死等にも間接的に効果があるかもしれない。

 私にとってのバスは片道350円、これが100円。当初は市に負担をかけるのではないかと思っていたが、折角の制度だし、一人でも多い方が市の為にもなる、と逆に考えて2013年に認定書交付を受けた。その恩恵をずっと受けてきた。

 秋田市のバスは本年3月からSuicaによるキャッシュレス払いが可能となったが、高齢者コインバスは本日から適応になった。贅沢言うわけでないが乗車一回ごとに100円を用意するのは車内で落とすこともあり、結構大変である。だからとても便利になる。


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動物たちとの交流(3) 空腹のハトやコイを見て考える

2022年09月30日 16時24分25秒 | コラム、エッセイ
 人間は、顔や頸部にある表情筋で、意識的に他者にその「感情」を伝えることができる。意識しなくても感情の状態は自然と顔に現れる。

 表情筋をもつ動物としては「類人猿」しか知られていなかった。その後の研究で、ラット、イヌ、ネコなど、多くの哺乳類が表情筋を持っているらしいことが示唆されている。これが科学的に感知されて体系化されれば、動物の感情をより深く知ることができるだろう。

 こうした私の考えはまったく科学的ではないが、 人間だけが感情を持っているのではない。そのことは言いたいし、一部の科学者も認めている。 そもそも感情とは、動物を特定の行動に駆り立てる心の動きのことである。飢えや渇きは感情ではないと思うかもしれないが、行動に突き動かす心の状態である。 

 恐怖のような原始的な感情は特定の行動を促す。 だとすれば、昆虫からチンパンジーまで実に多様な動物が何らかの感情をもっているという考えも、それほど受け入れ難いものではない。 動物達の感情は原始的かもしれないが、高度な感情をもつ人間の視点で軽視してはならないだろう。

 動物の感情に関する研究の進展を望みたい。

 私はここ何年も通勤路である秋田市内を流れる旭川にかかる久保田新橋から食パンのミミを小さく切った餌を撒いている。最近は家内も興味を持ったらしくパンの購入や裁断に一生懸命である。20-40cmほどのコイが30匹ほど集まって喜んで食べてくれる。あの様子は喜んで、としか表現できない。与える側も嬉しくなる。

 もう一箇所、千秋公園のお堀のコイにも与えるが、同様に喜んで食べてくれる。
 ここではドバトや野生化した伝書鳩も20羽ほど集まる。ハトたちはかなり空腹状態にあるようだ。本当はハトへの餌やりは禁止されているが、コイへの餌をこぼしたふりして与えている。空腹のハトが必死についばむ様子、奪い合う様子を見てとても人ごととは思えないから、である。
 
(私の手にまで登ってくるハト 袋の中にパンがある)

 気がついてみたら、私は人間だった。当たり前のことなのだが、他の動物を見ていると当たり前には思えない。
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動物たちとの交流(2) 動物たちは何を考えているのか? 研究の進展を望む

2022年09月29日 09時06分54秒 | コラム、エッセイ
 動物の精神生活を探る科学研究は進みつつあるがまだまだ異論も残る。
 「 人間以外の動物の思考や感情を知ることは不可能に近い。だから 動物の行動を見て、その源に主観な感情があると考えるのは、ただの推測であって、 科学ではない」と言うのは、米カリフォルニア工科大学の神経生物学者D・アンダーソン。彼はマウスやショウジョウバエ、クラゲで感情と関連した行動を探っている。研究対象が悪いのではないか??私は思う。

 人間以外の動物を対象にして悲哀や共感と言った感情を調べるには「研究対象の動物を擬人化している」という批判をかわさなければならない。
 そのためには、 動物の行動から引き出した結果を実験で検証しなければならないと、米アラスカ・パシフィック大学の海洋生物学者で、タコを研究しているD・シールは話す。 氏の研究対象も適切でないのでは??私は思う。

 擬人化が科学的な思考に対する冒涜だとれば、動物にも感情があるのでは??と思っている私の方に問題がある??と言われるだろう。 

 私は、動物の気持ちが伝わってくるような文献や動画、それに私が飼っている動物の姿を見ると嬉しくなる。 

 ペットとしての代表格であるイヌ・ネコには喜怒哀楽があると飼い主の誰しも思っているだろう。
 それ以外では、たとえば、 以下を見ると自然と顔がほころんでくる。
————————————————————————————-
◉動物園のスイギュウがひっくり返ったカメを必死で助け起こす動画
◉雪の積もった斜面をすべり下りたバンダがもう一回斜面を登ってすべった動画 
◉バナナを食べようとしたさるが、バナナを水路に落として、呆然とする表情
◉カラスが何度もすべり台で滑っている動画

以下は自分の経験
◉水槽の中の比較的大型の魚たち、金魚、コイ、タイガーオスカーなどが見せる空腹時の攻撃的表情。給餌後に見せる安堵の表情。
◉水槽の水交換時、水深が浅くなるに伴ってみせる比較的大型の魚たちの恐怖の表情と水深が戻った後の安堵の表情
◉飼い馬が見せる各種の表情。馬の感情は耳鼻、顔に現れた。
◉・・・・・

————————————————————————————-
 地球上で人間と共に生きてる生物たちが、本能に従って餌を獲る、種族保存の行動をする他に、悲喜こもごも日々を送っているのではないか??と思うだけで、何だかとても幸せな気分になる。

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動物たちとの交流(1) 動物たちは心があるのか? 何を考えているのか?

2022年09月28日 06時06分09秒 | コラム、エッセイ
 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」 
 これは川端康成著「雪国」の冒頭で、何かにつけて私が思い出す名文である。さりげない文章であるが、短歌や俳句にも匹敵する広がりを感じる。この名文には無限の発展性を感じる。
 私は、今、この文章を「ほぼ無意識であった乳幼児期の長いトンネルを抜けると、私は人間であった・・・・。」と表現したい。私は気がついてみたら人間だったのだ。しかもどこよりも素晴らしい日本に、しかも良い時代に生まれていた。

 このことに関して私はなんら選択などしていない。あえて言えば、父親の体から放たれ母親の卵子に向かって必死に移動し、同僚に打ち勝って私だけがうまく受け入れられたことぐらいであっただろうか。この当たり前の自然の織りなす事実に対し、私は自分が持って生まれてきた強運に対し深い慄きを感じざるを言えない。

 要するに、私は他の生物たちと何ら変わらない。気がついてみたら、たまたま人間であって、かつ私だったのだ。生まれてハッと気がついたら、私だった。だから、別の何かでもあり得たのだ。だから、他の生物と同格なのだ、と思う。

 そんなことを背景にしてきたわけではないが、私は幼少の頃からいろいろな動物に触れ親しんできた。生き物たちに対して優しい子供だった。遊びとしての殺生はなかったわけではないが、早々にやめた。動物から学んだあり方、生き方も少なくない。

 特に半世紀も前に死んだ初代のネコには感謝しきれない。安易な比較は自然の摂理に反することになるが、同時期に数年間飼育していたウサギと比較すれば雲泥の差があった。
 初代のネコからは「悲しみ」「喜び」「共感」などの心の動きを感じ取っていたからである。「何で、お前は人間でないのだ・・・」、私は何度も何度も話しかけた言葉である。

 最近では、「多くの動物には人間と同じくらい複雑な心の働きがある」という動物学者ドゥ・バールの見解を受け入れ始めた行動学者も出てきた。「違うのは、 人間は感情を言葉で表現できること。自分の気持ちについて話せること」、と彼はいう。

 こうした新しい見方が広く受け入れられたら、 私たちは動物との接し方や動物の扱い方を根本的に見直すことになるだろう。 「人間以外の動物にも感情がある、昆虫にも感性があるということになれば、動物をもっと倫理的に扱うべき存在となる」とドゥ・バールは話す。私もこの意見に賛成である。


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ガス器具交換にまつわる雑感(2) 半導体等の流通不足 医療・自動車関係はまだ不足

2022年09月27日 18時03分13秒 | コラム、エッセイ
 世界中で半導体不足が長期化している。 
 医療機器に関しても問題は大きい。

 半導体生産不足、流通に関与している因子は以下の如くと考えられる。
--------------------------------------------------------------------
◉パナマ運河での日本国籍貨物船の座礁。
◉COVID-19の世界的流行で生産量の低下。
◉COVID-19の中国のゼロコロナ政策による生産低下。
◉COVID-19でテレワーク等で在宅時間が増え、ゲーム機やパソコンの需要増。
◉COVID-19で感染防止で車を買う人も増えた。
◉3月には福島県沖で震度6強の地震でメーカーの工場が被災し生産停止。 
◉・・・・・・・・
--------------------------------------------------------------------
 最近は、世界的に景気が低下し、半導体の生産流通は改善傾向にある。スマートフォンやパソコン (PC) などの出荷減による半導体需要の鈍化が大きな要因で問題は大きい。
 ただ、自動車に関してはまだしばらくは、車を完成させられない状況が続きそうだ。

 世界の医療機器産業でも半導体不足の影響が長期化している。 
 非先端品の納期は1年ほど、一部半導体の供給は1年半以上も遅れていた。
 医療機器に使われる非先端半導体の製造ラインの生産は、儲からないために先端品のラインに比べて設備投資が遅れてきた。
 医療機器は調達面で不利な状況にある。自動車関連メーカーなどと比べると需要が乏しく、購買力が劣り供給は後回しにされているらしい。

 車の動作制御に使うマイコンは平均納期は依然として高止まりしているものの、2月から6月にかけ納期は短縮した。一方で、電気の制御に使うパワー半導体はEV向けなどで需要に供給能力が追いついておらず、構造的な需給の不均衡は解消に至っていない。

 車が買いにくくなっている。新車の値段も高くなった。品薄に加え、車に使われるアルミニウムやニッケルなどが値上がしている他に電子部品が足りず、作れる台数が減っている。
 新車を注文してから納車までに、3カ月から半年ぐらいかかることが多くなっている。最近、長女宅で車が必要となり新車を購入したが、納期まで5ケ月を要し、価格も随分高くついたようだ。

 新車が手に入らない影響で、中古車が値上がりしている。 中古車は普通、新車より安いが、今は新車なみの値段の車もある。車をほしい人が増えたが、新車が手に入らない。その影響で出回る中古車が少なく、車全体の回転が乏しくなっている。

 半導体不足はまだ続くようである。
 一般論としては知っていたが、私がその影響を受けるとは考えていなかった。我が家では居間の石油ストーブと風呂釜が耐用年限を越えていて故障しても修理できない。
 騙し騙し使っているが、これからの季節、故障されると困る。
 ひたすら幸運を祈るだけである。


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ガス器具交換にまつわる雑感(1) えっ17年も使っていたの??

2022年09月26日 06時24分26秒 | コラム、エッセイ
 我が家のガス給湯器、「 リンナイRUX-V1610SWFA-E」、が9月19日に全く予兆なく機能しなくなった。特に器具の外観には変化が見られない。
 私はこんな時にファイトが出る、とは言っても、相手は高熱を発する器具で、構造的にも器具内の中のガードもしっかりしており、私が手をつけられる部分はほとんどなく原因は不明であった。
 そのうちに器具に警告が出た。No36であり、使用説明書にはこの番号はない。多分重大な障害が生じているのだろう。

 早速、9月21日購入元の東部ガスKKに点検を依頼した。その点検結果は単純なものであった。「原因は特定できないが長期使用(17年間)による劣化のためでしょう。通常の寿命は10年程度です。発売後8年以上経過しているために故障部品の交換は不可能、器具全体の交換が必要」、とのこと。

 この器具は我が家として2台目である。その頃の記憶を辿ってみて、私はせいぜい5-6年程度の使用か??と考えていたが、前回の交換から17年も経っていたのかと改めて時間経過の速さに驚いた。確かに購入記録を見るとその通りであった。

 日常使用する器具だから早く交換しなければならない。同社製の同機能の器具を希望したところ入荷までには3ヶ月は必要だろうとのこと、であった。いま電子部品を用いる製品は軒並み流通が落ちているという。他にも湯を得る方法はないわけではないが、3ヶ月ものんびりはしていられない。

 代替方法はないかと申し出たところ、パロマ製の同等品なら会社に一台あり、すぐに納品可能とのこと。「良い時に故障しましたね」、と逆に褒められた。
 早速、翌日設置してもらい事なきを得た。
 対応は実に迅速であった。

 請求書を見たところ、器具の定価は163.000円、工事費その他35.080円であった。実際の請求額は値引きが約90.000円もあり、消費税込みで119.000円であった。

 担当者に、需要と供給のバランスから見て値引きが多過ぎるなどの意見は述べたが、会社としての方針でその内容は分からないとのことであった。

 今はあらゆる機器はマイコンで制御されている。
 半導体の供給不足で製品が完成できずに品不足にあるとは聴いていたが、実際はどうなっているのか、日本の種々の製品の生産や価格がどうなっているのか??改めて疑問を感じた。
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季節の話題2022(26) 台風14号 我が家のダリア対策 被害なし

2022年09月25日 05時08分44秒 | 季節の話題
 先の「台風11号」は、秋田県に9月6日昼過ぎに最接近し、昼頃から夕方にかけて強風をもたらし、6日午後9時に北海道沖で温帯低気圧に変わった。台風は日本には直接上陸はしなかったが、接近に伴って、九州や西日本の一部の地域では強風による被害、交通機関にも影響が出た。
 私のダリアは秋田への接近が予想以上に早く、対策が間に合わず数本にダメージを受けた。

 それから2週間後、9月18日、今度は「台風14号」が列島を縦断し、秋田にも暴風雨で多少の被害をもたらしたが、20日午前、東北沖の太平洋で温帯低気圧に変わった。

 「台風14号」は「伊勢 匹敵するかそれ以上」とされ、「過去最強」だった勢力は、中国大陸の高気圧の影響で、九州最接近前に勢力が落ち始め、上陸後は一気に衰退した。

 気象庁が上陸前に命に関わる災害を想定した特別警報を出したこともあり、直撃した長崎市、九州地方で近くのホテルへ住民が避難する動きもあり、「事前の防災対応が被害の軽減につながった」と評価されている。

 1959年に5.000人以上の死者・行方不明者を出した「伊勢湾台風」は上陸事前の時の中心気圧が929ヘクトパスカル(Hp)。
 「台風14号」は南の海上で最盛期に910Hp、最大風速55m。最大瞬間風速は70mにまで急成長し、強さのカテゴリーは一番上の「猛烈」に該当。勢力を維持したまま上陸するとみられていた。

 変化が表れたのは18日未明。 中国大陸上空にある高気圧から台風に乾いた空気が予想以上に入り込み雲がばらけ始めた。台風は暖かい海面から供給された水蒸気が凝結し、雲粒になるときに放出される熱をエネルギーとして発達する。上陸すると一般的に見て衰退する。

  18日後1時半ごろに通過した鹿児島・屋久島で930Hpを観測し、衰退の傾向がはっきりと出た。鹿児島市付近に上陸した18日午後7時ごろの気圧は935Hpで、観測史上4番目だった。
 「台風14号」は九州に上陸後、山陰・北陸を北上、勢力は急速に衰えた。

 「台風14号」に関して「最大級の規模」が予想されたが 「情報が大げさ、騒ぎする!!!」などとの批判もあった。しかしながら、力がどう衰えるかの予見は困難。その判断は難しく、不確実性がどうしても伴う。台風対策が以前より多くとられ、交通機関の計画運休、ホテルなどへの避難などが人的被害の軽減をもたらした。

 私も逐次ニュースを確認しながらダリアの被害をどう防ぐか5段階ほどの対策を練っていて、20日早朝、激しい雨に打たれながら2段階に当たる対策を施した。
(互いを連結したレベル2の対策 さらに風の状況に応じ、連結棒補強、花毎の簀巻き作成、株や花毎にネットを被せる、などの対策を考えていた)

 結果的に被害は全くなく溜飲を下げたが、それは対策が優っていたという訳でなく、台風の急速な衰退に依っていた。
 ただ、今後のダリア対策に道が開かれたことは確かである。
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辞世の句(6) 和歌・短歌(4)  辞世の歌は五感、自然への畏怖、無常感からなる

2022年09月24日 06時15分47秒 | コラム、エッセイ
 今回、私のメモとかにある辞世の句を列挙した。その句ある言葉は以下の如くであった。
――――――――――――――――――――――――――――-
 糸瓜 夢 枯れ野 水 氷 かすみ 白魚 花山椒 別れ 西 世の中 行く道
昨日 今日 風 花 鳥 死 望月 ほととぎす  もみぢ葉 ふるさと
山川 山河 瀬の音
――――――――――――――――――――――――――――-
 分類しきれないが、底辺にあるのは自然現象の観察と、畏怖、無常感なのではないか、と思う。

 日本人の自然観と言えばはなはだ平明なようで、よく考えてみるとその実態がよくわからない。
 日本人がその環境「日本の自然」を如何に見て、如何に反応するか、ということである。われわれは通常は、便宜上自然と人間とを対立させ両方別々の存在のように考える。これが現代の科学的思考と言われるもので長所も短所である。しかしながら、この両者は実は一つの有機体を構成しているのであって究極的には独立に切り離して考えることのできないものである。

 人類も、あらゆる植物や動物と同様に長い長い歳月の間に自然の懐に育まれてその環境に適応するように育て上げられて来た。例えば、青い空を見ればなんとなく快適で気分も明るくなる。森林の中ではなんとなく爽やかになる、などなどである。

 辞世の句にある自然の観察は自然に対する争いでなく 同化と言っても良い素直な感情である。                                         
                         
 自然観を考えるとき日本人の宗教心についてもちょっとだけ触れなくてならない。日本の宗教を「宗派宗教(創唱宗教ともいう)」と「自然宗教」の 二つにわけるとわかりやすい。宗派宗教とは、特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人々がいる宗教のことであり、教祖と経典、教団によって成立している。 

 これに対して後者の「自然宗教」 とは、教祖や教団を 持たず、先祖たちによって無意識に受け継がれてきた宗教観のことを指す。日本人の心の奥底には自然宗教が存在している、と考えたい。たとえ「無宗教です」という方でも敬虔な気持ちになる場所がきっとあると思う。日本人の宗教観についてはいつか考えてみたい。
 
 今日、宗教的思考が、科学の介入によって薄れている。これは自然を客観的にとらえ、自然を人間と切り離してしまったからである。科学の発達とともに、人間の欲求も膨らむ一方で、傲慢さ尊大さが増大し、人々は自然に対して利己的になった。科学に人間の傲慢さを諌める”教え”がないからである。知的欲求から科学がうまれ、それが今まで宗教が信秘性をもって語っていたものをいとも簡単に合理的に解明してしまった。万能と信じていた神を疑い、かつて謎につつまれた神秘性を持つものに畏れを抱く気持ちを持たなくさせてしまった。

 そういう視点で見た時、辞世の句には素直な自然観が感じられる。
 だから好きだ、と思う。

 今、情報が重視され、それらの多くはヴァーチャルな手段を介してもたらされる。しかも、スマホなどの、ひたすら便利な道具でそれほど苦労しないで得られる。
 私はそのようなものを介さないで五感を駆使して自然の姿から情報を収集したいものだ。
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辞世の句(5) 和歌・短歌(3)

2022年09月23日 06時20分34秒 | コラム、エッセイ
 先に続き辞世の句をランダムに列挙する。

 辞世の句には美がある。いや、美を求める芸術、絵画や音楽、優れた文学作品にも、辞世の句ほど切羽詰まってはいないが、私は死の影を感じとる。
 だから、作者と共感できるから、私は鑑賞し、読み、味わうのだ、と思う。
 
―――――――――――――――――――――――――――――
◉何ごとも 夢まぼろしと思ひしる身にはうれひもよろこびもなし(足利義政) 
◉五月雨は 露か涙か不如帰 わが名をあげよ 雲の上まで(足利義輝)
◉極楽も 地獄もともに有明の 月ぞ心にかかる月かな(上杉謙信 )
◉残しおく そのみどり子の心こそ 思ひやられて 悲しかりけり(荒木たし) 
◉利休めは とかく瞑加のものぞかし菅丞相になると思へば(千利休)

◉つゆとおちつゆときへにしわがみかななにはのことは ゆめのまたゆめ(豊臣秀吉)
◉散りぬへき とき知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ(細川ガラシャ)
◉嬉しやと 二度さめて一眠り 浮世の夢は 暁の空(徳川家康)
◉曇りなき 心の月を先立てて 浮世の闇を照らしてぞ行く(伊達政宗)
◉ほととぎす 誰も一人は淋しきに 死出の山路に われを誘へ(徳川光圀 )

◉あふ時は かたりつくすとおもへども わかれとなれば のこる言の葉 (大石主税)
◉形見とて何か残さむ春は花夏ほととぎす 秋はもみぢ葉(良寛)
◉ふたつなき 道にこの身を捨小舟 波たたばとて 風吹かばとて(西郷隆盛)
◉今日もまた 胸に痛みあり死ぬならば ふるさとに行きて死なむと思ふ(石川啄木)
◉この世をばしばしの夢と聞きたいおもへば長き月日なりけり(徳川慶喜)

◉知りぬべき ことは大かたしりつくし 今何を見る 大空を見る(与謝野寛)
◉年々に わが悲しみは深くして、いよいよ華やぐ いのちなりけり(岡本かの子)
◉今日もまた すぎし昔となりたらば 並びて寝ねん 西の武蔵野(与謝野晶子)
◉たまきはる 命済みつつありむかう山川の瀬の音の静けさ(北原白秋) 
◉国のため重きつとめを果し得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき(栗林忠道) 

◉故郷の 乙女の千人針抱きしめ 春の盛りを大空に散る(橋正豊次) 
◉池水は濁りににごり 藤なみの影もうつらず 雨ふりしきる(太宰治)
◉春の日の 草をしとねの夢さめず はや梧の葉に秋の風吹く(谷崎潤一郎)
◉散るをいとふ 世にも人にもさきがけて いるこそ花と吹く 小夜嵐(三島由紀夫)
◉友みなの いのちはすでにほろびたり われの生くるは火中の蓮華(川端康成)
―――――――――――――――――――――――――――――


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辞世の句(4) 和歌・短歌(2)

2022年09月22日 03時19分41秒 | コラム、エッセイ
 「論語―泰伯」に出て来る「鳥のまさに死なんとするやその声悲し。人のまさに死なんとするやその言うところ善し。」がある。孔子の弟子である曾子の言葉。
 人それぞれの人生は固有の完成品。辞世の句も同様で、私の拙いコメントなど不要。

 以下は、私のメモにある辞世の句の一部である。
 一つ一つ味わい深いが、ランダムに列挙だけしておく、
―――――――――――――――――――――――――――――-
◉願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ (西行)
 
◉恋しくば 南無阿弥陀仏をとなうべし 我も六字の中にこそあれ (親鸞)

◉何事も ゆめまぼろしと思い知る 身には憂も喜びもなし (足利義政)

◉そうかんは どこへと人の問うならば ちと用ありて あの世にと言え (山崎宗鑑)

◉あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし (大石良雄 )

◉我ゆくも またこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば (東条英機)

◉さらばなり 苔の下にて我またん 大和島根に 花薫とき (東条英機)

◉この世をば どりゃお暇に線香の煙とともに 灰さようなら (十返舎一九)

◉石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ (石川五右衛門)

◉手をのべて あなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が (河野裕子 )

◉海ならず ただへる水の底までも 清き心は 月ぞ照らさむ(菅原道真)

◉もみぢ葉を 風にまかせて見るよりも はかなきものは命なりけり(大江千里)

◉手に結ぶ 水に宿れる月影の あるかなきかの世にこそありけれ(紀貫之)

◉かへるべき 梢はあれどいかにせん 風をいのちの身にしあらねば(平維盛)

◉極楽は 十万億土とはるかなり とても行かれぬ わらじ一足(一休禅師)
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辞世の句(3) 和歌・短歌(1)

2022年09月21日 09時13分43秒 | コラム、エッセイ
 人は死を前に最も敬虔な気持ちになると思う。
 人は生まれながらにして差別を持って生まれる。社会的には貴賎貧富、老若男女、健康不健康などなどあって、生きるのが辛く、悩みは尽きないのが人生であるが、死は全ての者にとって平等である。
 それが私が人間を観察するとき、語るときの最後の砦でもある。

 さらに、人はどんな死に方をするかも予測できない。死が直ちにくる場合、比較的時間がある場合など様々である。
 「死は時を選ばず、時を待たず、死は前からばかりではなく、ゆっくりと気づかぬように後ろからも迫ってくる」。
 そのことは虚弱な幼少期を過ごした私の実感でもあり、私の人生観でもある。

 人はその死に臨んで社会的な鎧を脱いで裸になる。何一つ持っていけない。だから死に臨んで発した言葉には裸の人間性が現れ、嘘や意地や誇張もない。その人の本当の姿が表現される。だから私は辞世の句など、賢者が最後に発した言葉が好きだ。

 当ブログは恐れ多くも吉田兼好の徒然草から表題を借用している。
  「徒然草のメインテーマ」は「死生観」である。所々に兼好は死生観をちらつかす。

 その兼好法師の辞世の句は以下である。
 ◉かへり来ぬ 別れをきてもなげくかな 西にとかつは 祈るものから  (兼好法師)

 師は「徒然草』第七段で、「四十に足らぬほどにて死なんこそ、 めやすかるべけれ」と述べている。 人生五十年よりさらに短い四十歳が目標だった、という。死亡時推定年齢は七十歳であるが、はっきりとしない。彼が生きた鎌倉時代、庶民が四十歳まで生きるのは容易ではなかった。軽い風邪でもあっけなく命を落とし、至る所に餓死と病死のむくろが転がっていた。鴨長明の方丈記の中にこの辺の事情が詳しく描写されている。

 死は日常の中に当たり前のようにあった。だから、兼好法師を貫いていたのは、世捨て人に共通なのであるが、無常観だった。

 だから、「生きているということを、日々楽しまないでよいものか・・・」と述べ「死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや(第九十三段)」と言っている。「一瞬一瞬、人は生きている。その一瞬、一瞬を、二度と帰らぬものとして楽しみ充実させるのだ」と。
 このことは、以下の句にも共通する。

 ◉おもしろきこともなき世をおもしろく  (高杉晋作)


 人は誰でも、いつかは死が訪れることは知っている。だが、その死が、予測していない時にときに、突然やってくる。
 ◉つひに行く 道とはかねて聞しかど 昨日今日とは 思はざりしを  (在原業平)

 もう一つ。

 ◉風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残を いかにとやせん  ( 浅野長矩)
 これは私が最も気に入っている句。江戸城松の廊下抜刀し、即日切腹となった。風に誘われて散る桜は名残り惜しいが、それよりも、切腹して散っていく自分が残念でならない・・・。

 切腹の命が下って数時間、いろいろ考えるべきことがあっただろうがその間に作り上げたなんて信じられない。
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辞世の句(2) 俳句(2)

2022年09月20日 01時42分21秒 | コラム、エッセイ
 俳人・斎藤 玄(1914年8月22日 - 1980年5月8日)の辞世の句も良い。氏は句集『雁道』で蛇笏賞受賞の知らせを患の床で聞き、授賞式を待たず、65年の生涯を閉じた。
 以下の3句は、歿後その句集に黒枠にかこまれて発表された辞世の句。
◉死期といふ 水と氷の 霞かな
◉白魚を すすりそこねて 死ぬことなし
◉死が見ゆる とはなにごとぞ 花山椒


 私が日常から本を読んだ際に出てくる辞世の句を見つける度に拾って嬉々としてメモにためてある。今後もっと増えることを期待している。
 その一部。

辞世の句(2)    俳句(2) 
 俳人・斎藤 玄(1914年8月22日 - 1980年5月8日)の辞世の句も良い。氏は句集『雁道』で蛇笏賞受賞の知らせを患の床で聞き、授賞式を待たず、65年の生涯を閉じた。
 以下の3句は、歿後その句集に黒枠にかこまれて発表された辞世の句。
◉死期といふ 水と氷の 霞かな
◉白魚を すすりそこねて 死ぬことなし
◉死が見ゆる とはなにごとぞ 花山椒


 私が日常から本を読んだ際に出てくる辞世の句を見つける度に拾って嬉々としてメモにためてある。今後もっと増えることを期待している。
 その一部。

◉月も見て われはこの世を かしくかな (加賀千代)
◉来世は 待つべからず 往世は追うべからず (荘子)
◉人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原 (葛飾北斎)
◉ああままよ 生きても 亀の百分の1 (小林一茶)
◉動かねば 闇にへだつや 花と水 (高杉晋作)
◉腹痛や 苦しき中に あけがらす (山岡鉄舟)
◉鼻水や 鼻の先だけ 暮れ残る (芥川龍之介)
◉おもしろき こともなき世を おもしろく(高杉晋作)
◉浮世の月 見過ごしにけり 末2年   (井原西鶴)
◉梅で呑む 茶屋もあるべし 死での山(大高源吾)
◉白梅に 明るよばかりと なりにけり(与謝蕪村)
◉動かねば 闇にへだつや 花と水(沖田総司)
◉世ハ森倫太郎トシテ死セント欲ス(森鴎外)
◉湯豆腐や いのちのはての うすあかり(久保田万太郎)
◉・・・・・・

 俳句の辞世句は世界が広がりすぎて味わうのが困難なこともある。
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辞世の句(1) 俳句

2022年09月19日 06時46分12秒 | コラム、エッセイ
 私は歌心などほとんどなく自分で詠むことはないが、読んで味わうことは好きである。
 その中でも、特に辞世の句とされる作品には作者の人生が込められており、心惹かれるものがある。

◉糸瓜(へちま)咲て 痰のつまりし 仏かな(正岡子規)
 これは子規の死の10余時間前に詠んだ俳句である。
 正岡子規 1867年10月14日- 1902年9月19日没(享年34歳)で、本日が命日である。彼の命日は獺祭(だっさい)忌あるいは糸瓜忌といわれる。
 獺祭とは、獺(かわうそ)が獲物の魚を土手などに並べる習性があることから、知識人が書籍を部屋中に広げて思索にふけるさまを獺祭と呼ぶ様になり、子規自ら自身をそれになぞらえたとされる。

 私もかつては作文するときに文献や書籍を床に広げて作業したことがあるが、最近は文献書籍を全て電子化してiPadで読むから、4台のiPadを机上において参照しつつiMacで入力する。時代の進歩なのであろうが、進んだのは道具だけ。頭は縄文にとどまっている?

 子規の命日を獺祭忌と呼ぶのは小説家・太宰治を偲ぶ日を「桜桃忌」と呼ぶのと同じである。

 近年、子規に関する評論や伝記が相次いで刊行され私も若干所持している。
 子規は僅か36年で死去した。子規の生きざまと死にざまは、一段と鮮かに回顧される。
 この俳句が、永年病患に蝕まれ、死を10余時間後に迎える人の作品か、と訝しく思われるほど見事である。

 上記を含め、3句詠んだとされセットで取り上げられる。
◉痰一斗 糸瓜の水も 間に合はず、
◉をととひの 糸瓜の水も 取らざりき

 それにしても、これらの出来は素晴らしい。わが身を仏と言い切って死の向うから眺めている。

 この作品と同様、芭蕉の辞世の句、
◉旅に病んで 夢は枯れ野を 駆け廻る も素晴らしい。

 辞世の句は味わいがある。


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コンビニ雑感 芥川賞村田沙耶香氏の『コンビニ人間』を読んで 

2022年09月18日 10時33分38秒 | コラム、エッセイ
 第155回芥川賞(2016年)は村田沙耶香氏の『コンビニ人間』であった。氏は現役のコンビニ従業員であり、この作品からコンビニについていろいろ情報を得ることができた。もうあれから6年も経った。時間経過の速さに驚く。

 私は滅多にコンビニを利用しない。歩行通勤時のトイレ借用が主である。コンビニのトイレは清潔でとてもいい。コンビニで何かを積極的に購入することは稀であるが、トイレ使用の礼を兼ねてちょっとしたものを買うことはある。私はコンビニの存在と機能の便利さに助けられている。
 今の若者が住居を探す際、近所にコンビニがあることを最も重視するのだ、と言うがその考え方がわかる。

 コンビニは名前が示すように、閉店時間を気にせず気軽に利用できるのが一番いいところである。しかし、従業員の確保を含め関係者の苦労を思うとそうとばかりは言っていられない。24時間オープンをやめた店舗もあるようだ。私と共に働く看護助手の一人はコンビニで時折バイトもしているが、実際には客の少ない夜間帯にこそやるべき業務が多い、と言う。

 私がコンビニを訪れる時間帯は日中が多いために店内はあまり混んでいない。せいぜい数人、時に十人程度の客がいるに過ぎない。早朝とか夕方に側を通ると勤め帰りのサラリーマンや学生たちでけっこう混んでいるように見える。

 弁当などを購入する方にとってはコンビニは便利なんだろうな、と考えるものの、私は今のところ3食食べられる環境にあり、私は購入したことはない。

 何気なく店内を見回してみて奇妙な点に気がついた。
 すなわち、客に「若い男性の客が多い」こと。女性がいても若い女性である。客筋がスーパーやデパ地下とまったく違う。私も年に何回か家族の買い物に付き合ってスーパーなどに入ることがあるが、そこは主婦、中高年者が多い。

 スーパーなどとの客層の違いは価格が一般的に見て若干高いこと、扱っている品数の違いに由来する。だから自然と客層が違ってくる。コンビニはすぐに食べられる食品を扱っているし、スーパーは料理用の食材を中心に扱っている。だから主婦層がいないのだ。
 
 コンビニは便利さを求める男たちの、若者の世界なのだ、と思う。

 男たちの一部は女性客のいない店内で黙々とマニアックな官能本を手にして静かに笑みをもらす。最近はこのような書籍にはビニールが被せてあり、店舗で見れる本は少ないようだ。ひょっとしたら、男たちは女性客が少ないからこそ安心してコンビニに足を運ぶのかもしれない。店内に漂う空気はあくまで静かで、ゆっくりふわふわ。コンビニは男好みの空間なのである。

 時に、コンビニの前に座りこみ、飲みものとタバコを手にして話しこんでいる若者たちがいる。十人近くの若者がたむろしていることもある。 小心者の私は、この若者たちの前を通り抜けるのが怖い。 ジジイ狩りにでもあうのではないかとびくびくしながら、まさか日中にはありえない・・・、と虚勢を張って彼らの前を抜けて店の扉にたどりつく。 やはり、コンビニは男たちの世界である。

 コンビニの従業員の対応はすべてがマニュアル通りで味もそっけもない、と言われるが、決して不自然ではないのはすごい。おそらく毎朝の打ち合わせどきにミニ訓練を受けているのだろう。
 
 コンビニは、スーパーとはまったく違う存在でなればいけない。そうでなければコンビニの存在価値は乏しくなり世の中からはじき出されてしまう可能性がある。現に、短期間で閉店するコンビニも少なくない。
 どこの業界も厳しい。


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