福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

新聞考2021(2) メディアの信頼性がネットで障害されている

2021年04月10日 04時27分13秒 | 時事問題 社会問題
 メディアの信頼性が下がり続けている。
 正確なニュースを報じ、民主主義社会のインフラとなるべき報道機関が信用されなくなっていることに、どう対応すべきか、これは重要な問題である。なんとなれば、情報を受け取る側が何を信じていいのか分からなくなるからである。これは恐ろしいことである。

 ここ数年、フェイクニュースに関しての話題が多い。フェイクニューとは、まるで本当のニュースのように装ったデマ情報。デタラメをニュースのように仕立てているから一見真偽の程がわからず、信じてしまう人は驚くほど多い。

 日本にいると実感できないが、昨年の米大統領選の終盤では、ニューヨークタイムズやワシントンポストなどの主要新聞やテレビよりも、フェイクニュースの方がより頻繁にフェイスブック上で拡散していた、とされる。従来のメディアが信頼を失っている証座である。

 日本でもマスメディアに対する信頼性は下がっている。新聞通信調査会が2008年から毎年実施する「メディアに関する全国世論調査」では、NHK、新聞、民放テレビ、ラジオの信頼度が、いずれも過去最低となった。

 また、総務省の「平成27年 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」によると、全体ではテレビ62.7%、新聞68.6%と高い信頼度を保っているが、若い世代ほどその数字は下がり、テレビは30代で47.3%、新聞は20代で58.9%となる。ネットや雑誌はそれよりも圧倒的に低い。


 いまの10~20代は新聞を読まず、ネットのニュースしか読んでいない。だから、ネットの実態を知らないからマスメディアに対して不信感を持っているのだろう。

 なぜ、メディアは信頼性を失っているのか??
 視聴者が知りたいことを報じることが、業績を伸ばす近道。これがメディアの現実であり、危うさでもある。しかしながら、メディアは民衆が好まない嫌な内容であっても伝えなければいけないことは伝える、という姿勢を貫いてきたことが信用されてきたルーツであった。

 その信頼性が、ネットの登場で崩れて来ている。

 ネットは、
 ■ ネットには新聞やテレビで報じられていないことが出ている。
 ■ 新聞やテレビが報じない真実、という見出しで「新聞やテレビのマスメディアは隠している」という誤解が広がり、ネットの方が信頼できると感じる人が増えている。
 ■ 週刊誌や雑誌の影響力はそれを読んだ人にとどまる。しかし、ネットでは双方向だから個々人の不信感が増幅しシェアされる。
 ■ 自分で裏を取る確認作業もせずに、ネットに情報を流す。それを見て「ネットがいち早く伝えている」と捉える人がいる。
 ■ かつてはメディアの競争相手はメディア業界内だけであった。しかし、ネットではあらゆる組織や個人にまで広がった。
 ■ ネットは報道やメディアにとってマイナス作用しか持たない訳ではない。あらゆる個人が情報発信できるようになったことで、「情報の民主化」の面もある。他方、ネット情報の中に不正確なものやフェイクが大量に混じっている。

 ネットについては上記のような特徴を捉えておく必要がある。

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新聞考2021(1) 新聞の将来は厳しい

2021年04月09日 06時13分56秒 | 時事問題 社会問題
 私は毎朝の習慣として新聞を数紙読む。いや習慣というよりも貴重な情報源として積極的に資料として利用している。

 東日本段震災・原発事故後4−5年は地域の事情を知るため最高で6紙を購読していたこともあったが時間的に追いつかず、現在はやむなく朝日、日経、さきがけの3紙に絞っている。これらは有料の電子版にも加入しているから1.3万円/月程度と決して安くはない。信頼おける情報には対価を払う必要がある。

 毎朝、記事内容をざっとチェックし、選び、切り抜く。電子化してデータとして残し活用する。

 新聞は日本と世界の現況、政治・経済・社会・市民生活を要約して報道している。
 新聞は単にニュースを報道するだけでなく、各紙がそれぞれ明快な立地点を有している。
 それに全面的に賛同するか否かは別にして、各紙の立場は明快である。だからその論評や主張には一本筋が通っており、安心して読むことができる。慰安婦問題、歴史認識問題、集団的自衛権や安保法制の問題、憲法改正問題、原発問題、沖縄の問題などは、新聞ごとに報道のスタンスが大きく異なる。取り上げるニュースの切り口や論評が異なるだけでなく、「某紙では大きく扱っている出来事を、他紙は掲載すらしていない」という極端なケースも珍しくない。

 一方、ネットにはツイッターなど個人発信の情報と意見があふれている。こちらは明確な背景、基盤を持たないから、即ち、筋の通った骨格がないから信頼度が低い。ちょっとした切っ掛けで注目され、異常なほど増殖して、いくらでも変形するし、時にはすつと消滅もする。だから、私はネットの情報は背景がしっかりし、出所が明快で信頼おけるもの以外は見ることはない。

 近代国家は立法・司法・行政の三権から成る。それに対して報道機関が第四の権力と呼ばれることがある。国家の運営に及ぽす影響力が大きく、三権を批判する機能があるからだ。
 今の日本は行政府の力が異常に強く、立法府と司法府はその前にひれ伏していると思われる事象は少なくない。そういう時こそ第四権力である報道機関の真価が問われることになる。

 日本の新聞発行部数は、2000年の5370万部をピークに減少が続いており、2015年には4424万部にまで落ち込んでいる。その後のデータは入手していないが傾向は変わっていないと思われる。そして、新聞は世帯普及率も右肩下がりが続いている。単身世帯では、もはや新聞を取っている人の方が少数派である。

 新聞離れの最大の理由が、インターネットの普及であることは明らか。ネットのニュースサイトは、世界中の情報がリアルタイムで知れるうえ、料金も無料という強烈なメリットがある。新聞は有料で、速報性という意味ではインターネットに勝ち目がない。

 私は活字媒体が好きで、中でも新聞の比重が極めて大きい。
 ただ、そんな私も新聞が将来的にも生き残って行くには、批判に耐えうる立派な企画、記事を掲載するしかない、と思う。
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モノクロとカラー(3) 個々人は果たして同じ色調で見ているのか?

2021年04月08日 11時17分22秒 | コラム、エッセイ
 色調を区別し難い方々がいる。色覚異常とされ、先天的に異常と各種の疾患によって後天的に生じることもある。かつては色覚異常者に就業規制を敷く職種が多く、小学校の頃から健康診断には色覚異常検査が行われていた。

 実際には「一部の色が区別し難いだけで日常生活にはほとんど影響がない」と、すべての色覚異常者がこれらの就業規制に該当するわけではないことがわかり、規制がゆゆくなってきた。かつては医師なども不適格業種とされていた。色覚異常の安易な考え方は人権侵害であった。

 日本の小学校:1994年以降は1回だけ、2003年(平成15年)より色覚検査を定期健康診断の必須項目から削除し、希望者だけに色覚検査を実施している。
 雇用者による制限:2001年に履歴書の記載が廃止された。
 大学への入学制限:1993年廃止。
 会社への就職制限:雇い入れ時検査を課しているところもある。

(色覚異常の考え方:日本医師会のパンフレットより一部)

最近の就業規制(地上自治体などで基準か異なる場合もある)
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異常なし      自衛官(航空) 潜水艦乗組員 鉄道運転士 航空管制官
          海上保安庁(航空)
勤務に支障なし   海上保安官 皇室護衛官 入国警備艦 パイロット
個別の基準     海技師 小型船舶操縦士 消防士
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 人間者は網膜上に3種の色センサーがあるが、犬・ネコ・ネズミ・豚などの研究の対象になった動物には2種の色センサーしかない。だから、大体の色はわかっても人間ほど細かくない。赤と緑の識別に弱点があるようである。我が家の猫7匹の溜まり場にフェルメールの「デルフトの眺望」のレプリカが掛かっているがまるで感心を示さないのはそのせいか。

 この人間の色覚は冬には感受性が異なってくるという研究もある。北欧や、秋田も含めて冬季には「動きたくない、眠い、人と会いたくない」といった症状が出る人が多く、「冬季うつ病」と言われる。こうした人は冬季間には光の感じ方が鈍くなっている、と言われる。
 先天性色覚異常の約300万人うち、実生活上困難が生じているのは125万人とされている。しかし、白内障・緑内障・糖尿病性網膜症どの病気、怪我などで1000万人ほどいるとされる。したがって、誰もが色覚異常になりうるとも言える。

 色覚異常の治療は困難であるが、色覚に訴えず判断ができるようにユニバーサルデザインが採用されつようになってきた。色覚におけるバリアフリー化である。

 その前に、私は各人の色調の感受性はかなり異なっているのではないか、と思っている。科学的証明はない様であるが、各人が薄い色調のサングラスをかけているようなものでないだろうか。画家たちに見えている世界は我々とは異なっているのではないか?と思う。
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モノクロとカラー(2) 写真 モノクロの情報量は意外と深い

2021年04月07日 09時26分10秒 | コラム、エッセイ
 2018年、富士フィルムはモノクロのフィルムと印画紙の発売を中止した。1936年からの製品だと言うが今は需要が減ってしまったのであろう。

 デジカメではカラーからモノクロへの変換は簡単にできる.
 だから、多くの人には問題ないのだろうが、電気的変換には飽き足らずモノクロフィルムの醸し出すゴツゴツした質感を惜しむ声は小さくない。
 私は中学生の頃カメラを持っていたが、カラーフィルムは高くて買えず当時の写真は全てモノクロだった。

 今はカラー写真が当たり前で、モノクロの黒から白への「明暗情報」のみで表現される像がむしろ新鮮に映る。

(私が撮った写真のうち最も大切にしているうちの一枚 三毛ネコ 昭和35年頃撮影)

 ざっと考えればカラー写真とモノクロは「色」があるか否かの違いであるが、モノクロ写真から改めて「色」という要素の重要さを実感できる。
 興味深いのは「色」が無くなると、逆に「色」が豊かになるという経験である。それまでの経験の中で体験したそれぞれの「色」を見る者が自由に思い浮べるからである。すなわち、モノクロ写真は見る者に自由を与える広い容認力がある。
 仏像を撮るときにいかに頑張っても金色の色調が出せないときには暗闇の中で仏像をモノクロで写せば、見る者には素晴らしい金箔の仏像として見えることもある。

 映像の基礎を築いたのは、サイレント映画やモノクロ写真であった。そして今もなおモノクロ写真は独自の芸術的価値を持っている。モノクロ写真は過去のものではなく、現代においても人びとの美的感覚に訴える魅力がある。

 カラー写真は表層的な描写を味わう気軽さがある。
 モノクロ写真はレトロな物、昔ながらの風景などを被写体とするといい雰囲気になることが多い。山岳写真にも向いている。それ以上に、身近な被写体としては人の顔がモノクロに向いている、と思う。

 私が所持している山岳写真集のかなりがモノクロのアルバムである。
 また、有名な木村伊兵衛のモノクロのポスター「秋田美人」も素晴らしい。
 山岳写真からは地上の様子から地中の様子までも類推できるし、モノクロの顔写真には被写体となった方々が過ごしてきた人生すらも伺い知ることができる、ような気がする。
 少なくとも私にはそう思えてならない。

 カラー写真の場合、主題やイメージそのものよりも色に目が惹かれがち。
 モノクロ写真は「純白」と「漆黒」、「無数の段階のグレー色調」しか存在しない。写真の良しあしは「被写体」と「光の取り込み」、「構図」によって決まる。

 カラー写真が当たり前の時代に育った人たちが、モノクロ写真にどのような印象を抱くか、確かめて見るのも面白いかもしれない。

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モノクロとカラー(1) TV の場合  画面がうるさいカラーTV

2021年04月06日 09時26分10秒 | コラム、エッセイ
 時は昭和30年代中頃、それまでは娯楽といえばラジオであったが、やっとTVが普及し始めた。

 当時のTVはブラウン管の白黒。14インチが定型で、価格は10万円前後。公務員であった父親の給与の2ケ月分以上とかなりの高額であった。 私が中学三年年の時に、風呂敷に10万円を包み、それを腹巻きのように巻いて自転車で16Km離れた盛岡の電気店に買いに行った。 汗びっしょり、紙幣の大部分も汗で濡れていた。「子供が一人で現金でTVを買いに来た!!」、と店の人たちもびっくり。TVは翌日に届いた。

 テレビの創成期に育った私は、物珍しさから興味があったが決してTVを好きになれなかった。当時、NHKの「ジェスチャー」や日曜夜の「シャボン玉ホリデー」、アニメ「鉄腕アトム」など楽んだが、進行に無駄が多く時間がかかる割に得られる楽しみは少なかった。

 これは今でも同じ感想で、私の感覚では1時間番組は15分程度にまとめられる。映画も同様。TV、映画は時間の無駄という意識感覚が取れない。

 日本では1960年にカラーTVが本放送開始、1968年頃から大量生産で値段が下がり、1973年にはカラーTVの普及率が白黒TVを上回った。初期の頃は、画面にほんのりと色が付いている程度であったが、新しい時代の到来に興奮した。

 トリニトロン方式だのシャドウマスク方式などの論争もあったが、今やTVの形やサイズは多様化し、高解像の8K対応TVも一般向けに発売された。

 TVを見ながら食事を摂るのが普通になり、家庭内、家族間の話題や人間関係も様変わりした。かつては家族全員が家庭団欒の主役と脇役であったが、今はTVが主役。しかも、個々人が自分の部屋で独りで別々の番組を見るようになっている。これでは家族間で行われるべき子供たちへの指導、コントロールはできない。思春期を迎えた子供達と、親とのコニュニケーション失われ、親は子供たちのことをほとんど知らないようになった。

 過去ばかりを振り返ってはいけないと思いつつも、白黒TVの前で熱中したことや初めてカラーTVを見た時のことが懐かしく思い出される。

 TVのカラー化によって情報量は明らかに増えた。だけどちょっと質が違う。私が新しく抱えた悩みは、自然を写した画面は不自然に美しすぎる印象で入り込めない。スタジオ収録番組は登場人物、舞台やセット、背景が全体に派手になって、見てて苦しい。アニメはコンピューターグラフィックスの影響で派手派手、画面に閃光が走り、辛い。 

 私はセピア色が好きなんだが、そんな画面なんて誰も見ないだろうね。
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私の近隣にJR東日本「泉外旭川駅」オープン(2)

2021年04月05日 09時26分10秒 | 秋田の話題
 秋田市は奥羽線秋田ー土崎間に新駅、「泉外旭川駅」を設置した。新駅設置は穂積現市長が初当選した2009年から掲げてきた公約の一つ。

 実施費を盛り込んだ予算が2018年2月に議会で承認され、2019年1月に国土交通省東北運輸局が設置を認可し、21年3月開業の運びとなった。

 秋田-土崎間7.1Kmは東北6県の県庁所在地の中で、中心駅との駅間距離が最も長く、沿線側の住民や施設にとって鉄道利用不便区間地域となっていた。
 高齢化の一層の進展を見据え、車依存からの脱却を図る意味でも新駅は周辺住民の悲願だつた。 

 新駅は秋田駅から約4Km、泉地区、外旭川地区とも住宅地のど真ん中に位置する。その意味ではいい場所を選んだ、と思う。

(外旭川側と泉側を結ぶ東西通路の外旭川側の入り口 スロープがあり自転車を曵いて往来できる)

 市の試算では1日当たりの乗客数は2118人で、開業から50年間の経済効果が48.3億円。総事業費は20.5億円。地元要望設置駅のため事業費は全額市の負担となった。

 重い財政負担を理由に市民からその必要性について賛否の声も寄せられたが、市民アンケートでは賛成が泉・外旭川地区住民76%、市内全域では62%と賛意が優位であった。全域での賛意が意外と高く、私は些か驚いた。 

 重い財政負担だったから、新駅をどう活用するかは市の重要課題となる。市には新駅設置の効果が及ぶような手だても講じる必要がある。

 サッカーJ3プラウブリッツ秋田の本拠地となる新スタジアム建設や大型ショッピングモールの誘致も取りざたされている。スタジアムは人口27万余の秋田市に15.000人収容できる施設を、100億円もかけて作る意義はない。現在の観客動員数はせいぜい2.000人に過ぎない。現状の計画では私は賛成できない。
 大型商業施設に関しては誘致賛成である。

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私の近隣にJR東日本「泉外旭川駅」オープン(1)

2021年04月04日 07時01分09秒 | 秋田の話題
 JR秋田支社奥羽線の新駅「泉外旭川駅」は、3月13日のダイヤ改正日に開業した。また、男鹿線と五能線の全編成を新型車両に切り替えることも明らかにした。
 外旭川の住民有志は13日夜、新駅開業を祝う花火50発を打ち上げ、新駅開業に尽力した方々の労をねぎらった。
 泉外旭川駅は県内で20年ぶりに開業した無人の新駅で、隣の秋田駅、土崎駅までの所要時間はそれぞれ4分程度。1日に奥羽、男鹿線計76本が停車する。秋田市の試算によると、1日の乗客数は、県内最多の秋田駅に次ぐ2118人を見込む。

 (秋田駅まで4分 この空の広さが秋田の魅力の一つ)

 男鹿線では今回のダイヤ改正を機会に全ての車両を新型の蓄電池電車「EV-E801系」にする。これでディーゼル車は引退することになる。男鹿線は電化工事なしに、車両のEV化で電動化することになる。

 泉外旭川駅は無人駅で、開業当日券売機の前には朝から行列ができていた。

(駅の看板と待合室)

 秋田市は新駅を新たな交通結節点と位置付け、鉄道とバスの連携強化を図る方針で泉外旭川駅は泉側と外旭川側にそれぞれバス停が設置された。
 市は21年度から5カ年計画の「公共交通政策ビジョン」を策定中。路線バスの運行頻度を適正化し、タクシーも含めた公共交通網の整備を行い、郊外部や公共交通の空白地域で移動しやすくする仕組みを検討する。

 JR秋田支社は3月25日、「泉外旭川駅」の乗降客数が1日当たり1000人程度で、現時点では試算の4分の1ほどにとどまっている。
 現時点の利用者が市の試算を大幅に下回っていることについて、市交通政策課は学生が春休み期間であり、「開業したばかりで多い少ないの評価はできない。市としては周辺の交通網の整備などを進め、駅利用者の増加につなげたい」としている。

 私は往路はバスで通勤している。そのための歩行を含む所用時間は40分、運賃は100円。往路を泉外旭川駅を利用すると歩行時間は同じ40分で運賃は190円。ちょっと利用し難いが便利になったことは確かで、時間帯を見ながら適宜利用したいとは思っている。
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私の日々のルーチン作業(2) 私の人生はなんなんだ!!!と時に思う

2021年04月03日 18時06分26秒 | コラム、エッセイ
 私の日々のルーチン作業は(1) に示した通りである。
 情報収拾作業は私の知識欲も満足させてくれるから、大きな喜びにつながっている。それは良いとして、その後のスキャナーによるPDF化、分類作業は結構時間がかかり辛い作業である。
 さりとてこの一連の作業は私自身の興味に関わってくることだから、生きるためエネルギー源になっているのだから、誰かに代行させて良しとできるものではない。全ての工程を自分でやるしかない。

 起床後、まず1:00-3:00am頃に前日収拾した新聞や書籍などをスキャナーでの取り込みを行う。分類作業や徒然記述などは適宜時間が空いた時に進める。
 新たな情報の収拾は7:00頃から飯川病院で始業前に行う。

 私は生きている世界はとても狭い。興味を持っている世界は狭く、世間知らずである。だから、連日の新聞をチェックする作業は知らなかった世界を、知らなかった人物を知るのに有用で、とても楽しい時間である。

 そうはいってもこの一連の作業にはかなりの時間を使っている。
 1日も休まず、という作業だからそれをやりながら時には「私の人生はなんなんだ!!! もっと有意義は時間の過ごし方があるのではないか・・?」と時に思う。

  さいわい、私は連日生活記録をつけているし、徒然日記の中にミニ随想も書いているから、過去の日に何を考え、何をやって過ごしたのかは比較的詳細に再現できる。決して無駄に、無為に過ごしていたとは思えないが、何か大きなことを失った人生でなかったかと思わないわけではない。

 少なくとも人と接触することはなかった。

 何かを選択することは何かを失うことでもある。
 毎日を平穏に、時には疑問を抱きながらも、ほぼ満足しながら過ごしている私にとっては、今更何か新しいことに踏み出すというよりは、淡々と継続しながら過ごすことを、自分の修練の一方法になっているのだ、と無理やり納得するしかないのだ、と思う。

 私が存在したということは家族以外にとってはもう意義がない。私が蓄積した情報やデータは誰かが意図的に消去しなければ電子的に残ることになるだろうが、私以外に必要なデータではなかろう。機会があったら自分で消去して旅立つのが良いかもしれない。

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私の日々のルーチン作業(1) データの蓄積と分類

2021年04月02日 18時06分26秒 | コラム、エッセイ
 私は自分に課した日課、作業を机に向かってコツコツ進めるのが好きである。

 早朝1:00-2:00からスタートし、19:00の帰宅までの間、診療時間、読書、園芸とかの外の仕事以外はほとんどパソコンに向かってデータ入力やデータへの名称付け、データの分類に割いている。そう入っても、体力不足の最近は午後に1時間ほどの微睡を取っている。

 現在,収集しているデータは主に以下がある。
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(1)連日、処理もほぼ連日
 ■ 新聞の切り抜き。
 ■ 雑誌などの有用記事の切り抜き。
 ■ 学術、専門誌等の有用記事の切り抜き。
 ■ 書籍の裁断。

(2)連日、処理は週一回程度
 ■ 録音データの蓄積。
 ■ 音楽関係録画データの蓄積。

(3)連日は難しい。
 ■ 日常生活の記録。歩数計のチェックと記録。
 ■ ミニ随想記述。
 ■ ・・・・・・
———————————————————————————————-

 私がこれらのデータを収集し蓄積しているのは、生来からのガラクタ類の収集癖を背景にしているが、脳機能の低下のために記憶として蓄積できないためである。私は記憶として残すのを諦めた。文章や画像、録画データ等の情報を電子化しハードディスクに収める。ハードディスクは2重に3重にバックアップを取っている。

 小川洋子の「博士の愛した数式」 という作品には80分しか記憶が保てない博士が出てくるユニークな作品である。記憶力が薄れてきた私は身につまされ、感心して読んだ。
 この作品にあるほど私の状態は酷くはないが、記名力が乏しいことは似たようなところがあり共感できる作品である。

 (1)のグループは毎日50項目くらいずつ増えていく。新聞は3紙に目を通し、専門誌は今は3冊くらい。書籍購入は週5冊程度か。
 重要な記事、興味ある記事を裁断し、スキャナーで電子化する。新聞書籍はすべて廃棄する。
 ちょっと油断しているとどんどん溜まり処理が困難になる。記事を収集しているときには項目をチェックする程度であまり深くは読まない。項目の名称をつけ、分類した後に必要に応じて詳しく読むことが多い。
 名称付け、項目分類は自分なりの一定の形式に収めないとのちに検索をかけたときにうまくピックアップされない。

 一連の作業は ■記事裁断 → ■スキャナーによりPDF化 → ■名称つけ → ■内容別に分類 → ■ハードディスクに収納

 (2)のグループは、蓄積そのものは自動で行われ、週一回ほどまとめて分類処理する。1日4時間分ほど録音・録画が録られており、週30項目ほど増えていく。

 (3)のグループは連日と思っているがどうしても2−3日遅れてしまう。

 もうこんな生活は20年以上進めている。かつては、信頼して蓄積したパソコンソフトが突然販売中止になったり消滅したりしてかなりのデータを失ったが、今は殆どをPDF、JEPGで記録している。



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新年度(2021)スタート  今年度就労予定とコメント 

2021年04月01日 05時17分13秒 | 近況・報告
 本日は新年度スタート日。
 本日から私の就業契約も改訂になった。変更は一部のみ、昨年度とほとんど同じ。
 今年は明和会からは声がかからないかも、と思っていたが、本年度も嘱託医師として、また、飯川病院の応援医、ボランティア医として働くことになった。

 以下が今年度予定されている勤務スケジュールである。飯川病院の午後の勤務が(火)から(水)に変更になった。これで終日フリー日は無くなった。
 ただし、いつまで続くかは不明。

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午前 午後
 月曜 健康クリニックドック診察、結果説明      飯川病院勤務。
 火曜 中通総合病院外来。               飯川病院ボランティア。
 水曜 (飯川病院ボランティア)           飯川病院勤務
 木曜 (飯川病院ボランティア)           飯川病院勤務。
 金曜 大曲中通病院      大曲中通病院

 土・日曜日・祭日 月1-3回飯川病院日直または当直
平日に月1-2回飯川病院当直
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 上記の勤務時間以外は、適宜読書などで過ごしている。
 飯川病院ボランティアの時間帯には木々や花のケア、散水なども含まれる。

 せっかく時間に余裕ができたのに、最近は体力・気力の低下が著しい。
 心肺機能、四肢体幹機能の低下も自覚する。

 日々、時間を無為に過ごすことはまだないが、その日充実感に乏しかったとしてももう気にしないようにしている。
 「無の境地」に至る過程??
 イヤイヤ、「ボケ老人の境地」への進行過程と思う。まあ、どちらでもいい。自然に任せる。

 こう考えてから心身ともにとても楽になった。惰眠も楽しんでいる。
 余生である。余生とはいつ途切れてもいい状態。旅立つ準備は必要だが、「明日も、明後日も生きる・・・」、と考えるから窮屈となる。
 
 新年度初日、こんな私にとっても新しい気分でのスタートになるから節目というものはいいものだ。
 
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秋田県の話題;人口減(2) 文明と人口

2021年03月31日 05時29分14秒 | 秋田の話題
 国は少子化対策として出生率向上を問題にしてきた。
 若い女性の数が少なくなった現在、出生率の目標値をあげるならば2.0以上に設定しなければならないが、事実上不可能な数値である。
 出生率でなく出生数を目標に掲げた秋田県の少子化対策の方が理にかなっているが、ここに至ってはやはり実現不可能である。

 何で人は子供を産むのか?何で産まなくなったのか?人口問題はそこから考えなければならない。

 わが国の人口問題の推移を思いつくまま挙げてみる。
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▪️人類は生物としての繁殖能・種の保存能のもと、新生児多死の時代を多産で乗り越えてきた。

▪️社会化と共に、種族・部族の維持繁栄のため多産傾向が一層強まる。農耕文化の発展とともにマンパワーが必要になった。

▪️蓄財が始まり、貧富差が生じた。血筋を重視した家族、家の概念が生じた。上層階級は血筋維持重視となり、下層階級は労働力としてマンパワーが必要となった。

▪️明治以降は富国強兵策を掲げ、国家による意図的な出産・育児・教育政策が画策され、人口が急激に増加した。農業生産力の増大、工業化による経済発展と国民の所得水準の向上と生活の安定、公衆衛生水準の向上等で、人口は増加の一途となった。

▪️国は、人口問題を抱え、将来は経済的に窮乏していくと考え、外に食料、エネルギーを求める大東亜共栄圏構想を打ち立てた。しかし、実現はできなかった。

▪️戦後、従来の価値観の否定と民主化があった。第一次ベビーブームが起こり、朝鮮特需で落ち込んでいた経済は急速に復興を遂げた。

▪️ベビーブームによって生まれた子どもは10歳程度でも労働力となり家庭を支えた。中学卒業後は田舎から都会の工業地帯に大量就職した。日本経済を支え、仕送り等で田舎を潤した。この頃は子供が多い家庭ほど親にとって見返りがあった。
 子供一人あたりの養育期間は15年間程度と短かった。

▪️日本は高度成長期を迎え、国民全体が経済的に余裕が生じた。家庭内の人間関係は変化し、より孤立性となる。子供は高校進学が当たり前となり、家庭内での労働力として当てにならなくなった。子供達は家の手伝いもしなくなった。
 子供の養育期間は18-19年程度。

▪️子育ては夫婦単独で、主に母親が担う。社会資源が乏しい中、妊娠・出産・子育、教育を含め、女性・母親の負担が増大。成長とともに教育費の負担が増大した。大学進学率は高まり、塾や予備校も含め教育費は子育て費用の中心となる。子供は1-2人程度。教育費の一部にするために母親がパート勤務などに出るようになった。出生率は1.3程度で改善なし。
 子供一人あたりの養育期間は22-24年程度と延びた。

▪️子供は結婚を機に親と別居。家庭が持っていた養育・介護、世代間の生活協力等の機能が崩壊。子供から親に対する経済的援助は期待できず。親にとって子育ては無償の労となった。

▪️日本経済は低迷。今後も、長期的には低成長時代を迎える。低成長時代の背景には少子・高齢化の果たした役割は小さくなかった。
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 この少子・高齢化の現実は文明がもたらす自然の摂理である。時代が悪い、世の中がおかしい、と言っても仕方がない。まず。現実を認め対策を考える必要がある。

 日本の将来に向けての国力を維持するには人口減問題にどう対処するかにかかっていた。人口問題に詳しい有識者達は半世紀も前から将来の日本の姿を予想し、主張していた。
 しかし、その声は小さく時の政治家達には伝わらなかった。

 日本は右肩上がりの成長をなしとげ、経済的・物質的豊かさを享受して来た。
 日本の将来に少子・高齢化がからんでいたのに、為政者たちはその自覚は乏しく、不可逆的事態を迎えてしまった。
 子育て世代に対する社会保障の重要性が認識されて、慌てて視点を移し始めたのはここ1-2年であるがそんなことでは出世率は改善しない。

 日本人の日本人による人口維持能力は、出産可能女性の絶対数が減少してしまった今となっては、すでにその機会は失なわれてしまった。

 改善策は、国内にはない。移民に対する捉え方にかかわっている。
 移民政策は、島国日本の文化にとって文化の崩壊につながりかねずなかなか踏み切れない問題であるが、人口問題に関しては忌避してはいられない重要課題である。
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秋田県の話題;人口減 (1)

2021年03月30日 08時41分16秒 | 秋田の話題
 県人口は今年1月に95万人を割った。2017年に100万人を割ってから3.9年で約5万人減ったことになる。近年は年間約1万4千人のペースで減少が続いている。

 2019年の出生数は4.696人、5.000人を割ったのは明治以降の統計開始以来初。1969年には18.056人も生まれていた。

 県の政策として、出生数対策をやってきた。
 ■ 2009-13年元気創造プラン第1期 出生数目標8.000人 実績は6.177人
 ■ 2014−17年元気創造プラン第2期 出生数目標6,100人 実績は未達成
 ■ 2018−21年元気創造プラン第3期 出生数目標6.000人 実績は未達成

 2010年少子化対策局設置、秋田結婚支援センター設置、全国有数の子育て世帯への経済支援で全国有数の支援内容になった。しかし効果を上げていない。
 結婚支援の強化、保育料や医療費の助成の拡充などに積極的に取り組んできた。

 急速に進む本県の人口減少、少子高齢化にいかに歯止めをかけ、地域での県民の暮らしをどう持続していくのか。

 その戦略や政策を示すことが何より求められているが、県の施策では効果を上げるのは困難だと思う。補助金によって出生率をあげることは困難である。

 出生率は文明の成熟とともに低下するのは歴史的に認められる現象である。だから、出生率を上げることではなく、子供を産める若い生産人口を増やすしかない。さらに直截的に言えば、機能する子宮を増やす以外に道はない。これは極めて困難な道である。

 人口減少に特効薬はないと諦めてしまえばこの傾向はさらに加速する。

 最善の方法は、若い人たちが秋田で生活できる様、生活環境、秋田の経済力を高めることしかない。
 産業振興策の役割は大きい。自動車や航空機産業の集積が進んでいる。とはいえ現状では若者にとって十分とはいえないし産業振興策はどこの県でも力を入れている。秋田は決して条件に恵まれているとは言えない。

 私は、農業の振興策が秋田の地にあったベストな方法と思う。
 離農を防ぎ、県内外から農業希望者を呼び込む。東日本大震災と原発事故の避難者はまだ数万人いるが、その中から農業就農者を募集する、などなど。
 さらには外国人にも就農の機会を与える、のもよかろう。
 
 人口密集地で拡大するコロナ禍を機に東京一極集中を見直す動きもある。
 リモートワークの普及により都会の企業で働きながら地方移住が可能な時代。県がこの新しい移住スタイルを積極的に支援するのも良い。
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季節の話題2021(10) サクラ(2) 盛岡の「石割桜」は私の気力のルーツの一つ

2021年03月29日 04時47分24秒 | 季節の話題
 JR東日本の月一回リニューアルされる車内誌「トランヴェール」に浅田次郎氏が巻頭随想を書いていたことがある。

 古い、ある号に南部盛岡について小文を書いていた。
 「盛岡の町、それは岩手山、南には早池峰。北には姫神山。北上川と中津川の合流する先に不来方のお城、ああ、なんと美しい町なのか・・」、「盛岡の桜は、石ば割って咲く」と石割桜を表現し、「盛岡の町並み、自然、風景は日本一である・・」、などと記載していた。
 また、ある号には北国の大学に進学するために、上野駅で夜行列車に乗り込む娘を、悲しい思いで見送る父親の心象を描いた小文もあった。名文として記憶に残っている。娘さんの進学地は多分盛岡であった、と思われる。

 彼に南部盛岡を舞台にした作品があることをその小文から知った。随想を読みつつ浅田氏がどの様に南部盛岡を表現しているのかいたく興味を感じ購入した。文庫本「壬生義士伝(上下巻)」である。

 その作品には、盛岡訛りの言葉がふんだんに盛り込まれている。江戸幕末のころの一人の脱藩武士を中心とした人間模様が語られる。しかもその当時のことを回想する語る場面がでてくるから新しい時代、と言っても明治だろうが、そのころの南部盛岡についても自然、風物が豊かに表現されている。語りの部分が典型的な盛岡弁で語られているところにある。私自身が子供の頃つかってきた言葉が次々と出てくる。半ば忘れかけていた懐かしい言葉が、言い回しが、語尾が、・・・次々と。

 私がもし盛岡近郊出身でなければ読まなかったと思う。方言を豊かに盛り込んだ小説は少なくないが基本的には読むのは嫌。方言を書き込んだ作家の中では三浦哲郎氏の作品はいい。「忍ぶ川」、「白夜を旅する人々」等々だけは集中的に読んだ。彼の場合は津軽弁だからまだ読めた。最近の作品は若竹氏の「オラオラで一人で・・・」は読めた。



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 盛岡市の官庁街のど真ん中、盛岡地方裁判所の庭先に「石割桜」と呼ばれる江戸彼岸がある。周囲21mの花崗岩の割れ目に落ちた桜の種から発芽したのか?その割れ目を広げながら成長した。1922年に天然記念物に指定された。推定樹齢は300−400年。幹周は4.6mの巨木。

 私の子供の頃は、樹勢が弱っていつ枯れるかの話題が新聞紙上を賑わしたが、有能な樹木医たちの関与で樹勢を取り戻した。
 開花は4月中旬から。
 
 (盛岡市HPより借用)

 毎年12月には「石割桜」の防寒対策が行われる。100本以上の吊り縄で枝が雪の重さから守られ、幹には厚くコモが撒かれる。開花シーズンと同様、盛岡市民は暖かい眼を向ける。「石割桜」は市民の温かい目で生かされている感じがする。

 私が中学高校の頃、冬場を除き、樹勢が衰えた「石割桜」の脇を通って自転車通学していた。片道16Kmとハードであったが、「石割桜」の生きる姿を心配し、私は力を得た様な気がする。
 「石割桜」は私の気力の拠り所の中の一つである。尊敬している、といっていいかも知れない。 
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季節の話題2021(9) サクラ(1) 日本特有の文化

2021年03月28日 17時53分43秒 | 季節の話題

 「願はくは 花の下にて春死なん その如月の 望月のころ」  西行
 これは私の最も好きな歌のうちの一つである。ここに出てくる花はサクラのことである。
 なんとしっとりとした寂寥感を伴ううたであろうか。
 サクラといっても今盛んに咲き始めたソメイヨシノではない。ヤマザクラの一種を歌ったのであろう。
 最近、森山直太朗の歌「さくら」は、春の別れと出合いの風景に、舞い散る桜のイメージを重ねた曲で、若者を中心に支持され大ヒットした。
 西行から800余年、サクラは日本人の心の琴線に触れ続けている。いや、むしろ近年の方が強いインパクトを与えている。

 わが国ではサクラの開花は真の春の到来を告げ、日本全体明るくする。日本全体が活気づく。 
 秋田でも間も無く開花が始まる。今年はとりわけ早く咲くらしいが、市内の名所の一つ千秋公園のサクラ祭りはCOVID-19にて昨年に続き今年もお預けである。

 私は自他共に認める人混み嫌悪者。だから、サクラは一人で徒歩や自転車で近隣のサクラを楽しむ。

 サクラはその特徴から簡単に擬人化される花である。こんな花は他にはない。
 咲きかた、散りかたを含め、人生のあり様に容易に重ね合わせる話題に事欠かない。

 クローン化したソメイヨシノが咲き始めた江戸末期から観桜の文化が一層発達した。ソメイヨシノが日本国中に広く植えられたのは1960年代からであるが、地域の花が一気に開花し一気に散る様は擬人化を推し進めた。

 日本人はどうしても人と同じ、という画一性を好む民族でがある。その画一性が好まれる要因の大きなファクターであろう。この民族性が種々の問題を醸し出している。
 私が嫌なのは軍国主義下の時代、国民のナショナリズムの高揚に、兵士の戦意の高揚に用いられた歴史である。サクラが歌われた軍歌、とても嫌だ。もちろん、サクラには罪はない。

 桜は代表的なものだけでも300種類はある。山桜も珍重したい。それによって多様なサクラ文化が楽しめることになる。
 ソメイヨシノの普及で画一化していったサクラのイメージ、もっと多様なサクラも楽しめばいいように思うが、生活圏の中で知れらを味わう機会は得られない。

 「満開のサクラと群木下で」、「飲酒など」、「大勢が群れる」と言う楽しみ方は世界のどこにもない文化とされる。私は真の春を迎える喜びの現れ、と捉えている。

 サクラについて蓄積した情報を検索して勉強したいと思っても、「桜」と入力すると安倍首相の「桜の会」の話題が多数ヒットする。不快である。
 
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季節の話題2021(8) 秋田の雪(7) 過疎の雪国の避難施設の一つが閉所

2021年03月27日 05時57分20秒 | 秋田の話題
 今年は県内は記録的な大雪が続いた。
 雪との闘いに悲鳴を上げている市民が大勢いた。ましてや過疎の田舎は高齢化と高齢者単独世帯で住めなくなっている。
 寒冷で、豪雪の地域ではもはや高齢者が自力で冬を越せるレベルの環境ではない。

 県内の高齢化率は現在の高齢化率は約38%、1人暮らしの高齢者世帯は約32%を占める。
 本来、田舎は農業を中心に、多世代が同居する大家族制の生活様式でなければ成り立たないものである。家族が一団となって農作業を手伝い、冬には雪と対峙し、生活の仕事を分担し乗り切ったものだ。

 人口が減少した今は、まばらにある高齢者の住宅を維持するための道路の雪よせも大変、在宅介護も大変、とても非効率的。地域ごとの共助組織があるが、そのメンバーすら高齢者である。
 住民は日用品の買い物もできない日が何日も続く。高齢者の生活はいずれ立ち行かなくなる。

 この厳しい状況に対しては、豪雪期だけでも高齢者を収容する施設を作り、集中的にお世話してはどうだろうか?
 多分高齢者は自宅の生活にこだわり、是としないだろうが、徐々に発想を転換していかねばならない。

 この様な施設が県内にあった。
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 秋田県北部の大館市にある「こぶしの家」が今月末に閉所することになった。
 老朽化のため維持費の高騰が主たる理由である。1998年設置以降、これまでの利用者は述べ130人。最後の入居者は4人で平均年齢83歳。
 「こぶしの家」は旧営林局の保養施設であった。和室6部屋があり共同の食堂や浴室もある。
 入居期間は11−3月、経費は3食食事付きで7.5万。管理員や調理員の世話で生活してきた。入居者は決して不自由だから入居するのではない。
 春になり雪が消えると自宅や田畑などが心配となり、家に戻って作業を始めるという。

 築37年の建物は雨漏りなどで、修理費がかかり閉所を決めた。
 今後は市の補助を受け大館市内の養護老人ホームが同様の業務を提供するというので機能的に消滅するわけではない。よかった、と思う。
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 私は県内にこの様な施設が何カ所あるか、不勉強にして知らない。ただ。今後はさらに必要な時代を迎える、と思う。

 また、私が子供の頃は岩手県の過疎の田舎では冬季間だけ開校し、生徒が教師他と集団生活する冬季分校があったが、今はどうなっているのだろうか。
 
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