福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

本:外山滋比古著「新聞大学」扶桑社新書 2016年11月(1)

2019年03月16日 17時39分38秒 | 書評
 私は毎朝の習慣として新聞を数紙読む。いや習慣というよりも貴重な情報源として資料集めが主たる目的である。

 まずは見出しを見て記事を選び、重要とわかれぱ切り抜く。切り取った記事は電子化してデータとして残し活用する。コンピューター上で検索をかけて抽出し、まとまつた記事をまとめてもう一度精読する。

 新聞は日本と世界の現況を要約している。
 ネットにはツイッターなど個人発信の情報と意見かあふれている。こちらは明確な背景、基盤を持たないから、即ち骨格がないから信頼度が低い。ちょっとした切っ掛けで細部から発生し、ひたすら増殖して条件次第でいくらでも変形するし、時にはすつと消滅する。生物でいえぱ粘菌に似ている。
 
 新聞は粘菌と異なる。
 近代国家は立法・司法・行政の三権から成る。それに対して報道機関が第四の権力と呼ぱれることがある。国の運営に及ぽす影響力が大きく、三権を批判するのは機能があるからだ。
 今の日本は行政府の力が異常に強く、立法府と司法府はその前にひれ伏している。そういう時こそ第四権力である報道機関の真価が問われるのだろう。

 日本の新聞発行部数は、2000年の5370万部をピークに減少が続いており、2015年には4424万部にまで落ち込んでいる。そして、新聞は世帯普及率も右肩下がりが続いている。単身世帯では、もはや新聞を取っている人の方が少数派である。
 新聞離れの最大の理由が、インターネットの普及。ネットのニュースサイトは、世界中の情報がリアルタイムで知れるうえ、料金も無料という強烈なメリットがある。新聞は有料で速報性にも乏しく、速報性という意味ではインターネットに勝ち目がない。
 新聞が生き残って行くには批判に耐えうる立派な企画、記事を掲載するしかない。

 こんな中、著名な思索家である外山滋比古氏が2016年に新書「新聞力」を上梓した。
 

 氏は1923年生まれの91歳。お茶の水女子大学名誉教授、文学博士。英文学のみならず、思考、日本語論などさまざまな分野で創造的な仕事を続け、その存在は、「知の巨人」とも称される。

 私は読書が好きで、中でも新聞の比重が極めて大きい。だから新聞に関する評論等が出版されると読んでみる。本書もそのうちの一冊である。

 外山氏は新聞について、【毎日届く】、【脳力が上がる】、【学費ゼロ】、【自宅でできる】、【最新の情報満載】を新聞の特徴に上げ、年齢にかかわらず、誰でも何処でも学べる最良のテキストという。この特徴を生かして学べば大学の教育に匹敵する、と氏は言う。

 新聞大学は、毎日、標準的日本語の散文を提供してくれる。それに親しんでいれば散文に対する目が自然と養われる。それだけでなく、理知的なものの見方、考え方を身につけるようになる可能性は大きい。
 ボケ防止にもなる。
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日本の食文化の崩壊2019(7) 称賛!!! 飲むおにぎり

2019年03月15日 16時40分37秒 | コラム、エッセイ
 つい先日、日曜大工品購入のついでに家人と一緒に秋田市北部にある大型のスーパーに行った。食品を扱う店舗を訪れるのは数ケ月ぶりだろうか。

 「食べたい食品、惣菜、お菓子などあれば何でも買って・・」と言われ、30分ほど別行動でウロウロしていたのであるが、食べたいと思う食品を一つも選べなかった。むしろ、大量の食品・食材に圧倒されて、此処は自分の来る所ではない、との感を新たにした。
 いつか環境が変わって自分が主体的に食事を考え用意したりする様になれば状況が別だと思うが、そのような環境が来るとは今の所考えていない。

 私は食事に対してほとんど興味は無い。もちろん、生きるためには食事摂取は欠かせない。当然腹も減る。菓子も時にはつまむ。

 今のところ、私は食事に関しては何ら考えることもない。特に希望も出さずに、当たり前と思われる食事を不自由無く食べることができる。

 自宅で摂る食事は、朝食はサラダのみ、昼食は飯川病院の検食で副食のみ、夕食は家族が用意してくれるものを100%そのまま感謝を持って受け入れる。3食通して主食は、特に米飯は滅多に摂らない。日本の食文化を米食と考えれば、私の食生活は崩壊している。
 外食は嫌いでめったにしない。

 TV、新聞雑誌その他で、食品、美食、グルメに関する情報が凄い。ちょっとうがって言えば、「日本人は食べることにしか興味がないのか??」、「世界中の食品を食い尽くすのでは??」とまで思っている日本人の食を考える(1) 日本人は食べることにしか興味がないのか?。

 先日訪れた大型のスーパーで食べたい食品を一つも選べなかったが、一つだけ興味ある製品を見つけた。

 ラミネートテューブ入りの「飲むおにぎり」である。
 
 (飲むおにぎり梅こんぶ 比較として飲むアイスも並べて見た)

 手軽に栄養補給ができ、簡単に食べられる。カロリーは200kcal摂取できる。
 面倒くさがり、料理には出来る事であれば手を染めたくない私にとっては候補になるべき食品の一つになりそうで試しに一つ購入してみた。

 群馬県にあるヨコオデイリーフーズが3月1日から一般発売した2種のうちの一つ。1年程度の常温保存が可能。保存食、非常食としても良さそうである。
 海苔風味、磯の香り、梅干しの酸味、十分美味しい。五分ほどに砕いた感じの米の固形感があり、噛んでも噛まなくてもいけるが、消化のことを考えれば噛むのがいい。
 あえて中身を出さないほうがいい。

 通常、おにぎりは「食べる」のであるが、モノグサの私にとっては結構面倒である。ボロボロこぼれるし、時には手を汚す。

 ともあれ、「飲むおにぎり」を企画した企業の発想力、製品化した熱意には脱帽である。
 家族が留守とかの時には有用とおもう。我が家でも購入しておきたい。
 
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徒歩通勤(3) つい先日、和歌山を通過して三重に入った

2019年03月14日 17時37分51秒 | 徒歩通勤 ウォーキング
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。間も無く6年になる。
 歩数計「新・平成の忠孝」で歩行実績を積算している。
 伊能忠敬が歩いた海岸線をたどり、東京を基点に、東北、北海道、日本海側の海岸線を経て、九州、次いで四国一周、9月22日再度本州に戻り岡山県、兵庫県日本海側を経て12月13日大阪に、1月7日和歌山県に到達、つい先日三重に入った。

 この時点で歩数計「新・平成の忠孝」が故障したが、新品の代替品にデータを移すことが出来たので計測を再開した。

 平成13年3月から本日平成31年3月15日時点までの積算データ
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■歩行開始後 2.171日目、5.95年。
■総歩数 Σ2.059万歩 (平均9.484歩/日)。
■歩行距離 Σ16.479Km(平均7.59Km/日)。
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 大阪・和歌山通過のデータ、今回は2県をあわせて集計。
 大阪に入ったのが12月13日、和歌山から三重に入ったのが3月15日。
■大阪の海岸線は160.26Km、和歌山県は506Km。あわせて666.26Km
■大阪・和歌山通過の通過所要日数 92日。
■一日平均歩行距離 7.24Km。
■現在の位置 日本一周目標の90%終了。
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 最低1日10.000歩を目標にしていたが、兵庫県通過中は9.000歩と、大阪・和歌山通過中は9400歩と目標に大きく不足した。

 今年は寒さは厳しかったが降雪量はとても少なかった。大阪・和歌山を通過している間は我が家の除雪機の稼働は3回のみであった。だから、降雪期で歩行出来る機会は少な目だったが、徒歩通勤は不可能ではなかった。
 しかし、体調不良のために自信なく、中心をバス通勤にした。さらに、天候や業務の都合で自分でボロ・レガシーを運転して出かける頻度も増えた。年末になってからは凍結した道路が転びやすい私にとって危険なことも預保通勤を躊躇した間接的理由である。
 
 通過した和歌山県は訪れた記憶はない。地名の多くはNHKのど自慢開催地として、高校野球甲子園大会の代表校を通じてである。
 串本町は本州最南端に位置し、1890年(明治23年)9月16日夜半 - 旧 大島村樫野埼沖でオスマン帝国の軍艦エルトゥール号が座礁し沈没した遭難事件が発生し、住民が必死で救助に当たった史実についてはかつて調べたことがある。


(大阪、和歌山付近。引用フリーの地図から引用した)

 いま歩き始めた三重県の海岸線は948Kmと長い。
 天候はまだ不順で寒い日が続く。積雪は完全に消失した。しかしながら、私の体調は今一つである。1日8Kmの低ペースにして、6月中に通過出来れば良いと考えている。
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徒歩通勤2019(2) 歩数計新・平成の伊能忠敬が故障したが、データ復活

2019年03月13日 07時02分51秒 | 徒歩通勤 ウォーキング
 私は2013年4月7日に伊能忠敬に5000円で弟子入りし、師が歩いたルートを私も歩き始めた。弟子入りの費用は商品名「新・平成の伊能忠敬」という歩数計の購入費用である。

 この歩数計は伊能忠敬の弟子になって日本地図の完成を目指すというゲーム器で、30gと軽く、本体は一見ちゃちであるが、3D加速度センサーを採用しているなど精度は高い。だからちょっと高い。
 伊能忠敬が歩いた海岸線にそって日本一周するゲーム機で、日本の海岸線の総距離は19044.18Kmとセットされている。1日1万歩では日本一周するのに7-8年かかる。歩数計機能としては一日ごとの距離・歩数等の表示と、累計表示および現在歩行中の都道府県の簡易地図が表示される。

 (伊能忠敬の徐行コースと各県ごとの距離 東京を出発し和歌山県中部に達した時点で故障した)

 この「新・平成の伊能忠敬」は私がこまめにデータを確認しなくても自動的に蓄積してくれる。私は毎日のチェックを楽しみにしている。

 私は「継続は力なり」という言葉が好きである。自分で評価しても目標を掲げた計画を中断したり頓挫したりすることは比較的少ない方だと思う。紛失もせず、ほとんど欠かすことなく足首用のフットバンドの中に入れてつけていた。

 これで歩数を計測し始めてから約6年、2140日目、2059万歩、16475Kmの段階で、和歌山県を中ほどまで過ぎた時点でついにこの「新・平成の伊能忠敬」が故障した。内部のコンピューターが狂ったらしく、データの蓄積がダメになった。電池を交換したり、いろいろ刺激を与えたり、分解して埃を取ったりしてみても改善しなかった。

 購入してから約6年も使用しているし、当然保証外である。品物を諦めるのは簡単であるが何としても蓄積したデータを生かすことはできないか?? 
 ダメ元でも、と製造元に問い合わせたところ、「チェックしないことにはなんとも言えません・・」と実にそっけない対応で、不快な感じも抱いたが、背に腹は変えられない。検討を申し出た。
 約1週後にメールにて返事が来た。「雨かアセの影響で基盤に腐食あり、修理は不能であるが残っているデータを新品に読み込むことは可能、費用は送料込みで4700円」とのこと。
 私に取って理想的な返事であった。蓄積データが生かせるなら言うことはない、直ぐに修理を申し出た。

 それで、3月10日からデータ蓄積を再開した。

 この間、約1月は同社の他の歩数計で歩行距離を蓄積していたが、Σ95.324Kmであった。これは別扱いとして最後に加算しようと思う。
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原発事故からまる8年

2019年03月12日 18時24分34秒 | 時事問題 社会問題
 ■東電福島第一原発の現場
 東電福島第一原発は、数年前は全身防護服を着用して、かつ、車中からしか取材できなかったが、今は普通の作業服で立ち入りできるグリーンゾーンが敷地の96%になった、と言う。がれきの撤去や樹木の伐採、地表をモルタルなどで覆うことで放射線量が低くなった。
 2,3号機の間も普段着と使い捨てマスクで取材できるとのこと。

 といっても、1-3号機の原子炉には、溶け落ちた燃料デブリが残る。先日、遠隔操作の装置で2号機のデブリに少し触ることができたとはいえ、全部を取り出せるのかどうか、わからない。廃炉への道のりは険しい。
 炉心を冷やす注水や地下水の流入で、放射能で汚染された水が増え続けている。浄化装置で処理しても放射性物質トリチウムが残っており、貯蔵タンクの数は増え1千基に迫る。
 貯蔵タンクは一部は錆が出て内容が漏れて居るのもあると言う。こんな状況の中再び地震が起こったらどうなるのか??
 政府・東電は21年にデブリの取り出しを始める計画だが、夢ばかり語っていてもしょうがない。チェリノブイリに準じた方策は考えないのだろうか??

 ■再稼働を進める日本
 原発事故の甚大な被害、後始末の困難さを知ったいま、日本は原発に頼らない社会をめざすべきである。
 福島の事故後、古い原発を中心に21基の廃炉やその方針が決まった。だが、日本が脱原発に向かっているわけではない。

 安倍政権はいまでも原発を重要な基幹電源と位置づけ2030年に総発電量の20-22%をめざす。「原発ゼロは責任あるエネルギー政策ではない」と述べた。
 破綻した核燃料サイクル政策も捨てていない。経済性のなさから欧米の多くの国々は撤退したが、安倍政権は青森県六ケ所村に2.9兆円かけて建設中の再処理工場を動かし、使用済み燃料からプルトニウムを取り出す方針を変えていない。

 一方、日本はプルトニウムの蓄積量が多すぎて世界の顰蹙を買っている。プルトニウムを使用するプルサーマル原子炉で消費するしかないが今その方法は壁に当たっている。処理する方法がないのにプルトニウムが溜まっていく。
 さらに使用済み核燃料の処理方法も決まっていない。にも関わらず使用済み核燃料も溜まっていく。

 福島の事故で原発の安全対策費が増えてコストが上がった。一方で太陽光や風力などの再生可能エネルギーは技術革新でコストが下がっている。世界の総発電量のうち原子力発電はかつて17%、現在10%ほど。対照的に再エネは25%近くになった。原子力から再エネへ、時代は大きく転換しつつある。その舵取りに貢献したのが皮肉にも福島の事故であった。

 ■日本のエネルギー政策
 ドイツや韓国のように原発からの段階的な撤退を決めた国もあれば、米英のように再生可能エネルギーの台頭で原発の比重が下がった国もある。原発大国フランスも原発依存度を大きく下げる方針だ。国が後押ししてきた中国やインドでも、再エネの伸びが原発をしのぐ。
 日本のエネルギー政策は見直す必要があろう。衰退していく原子力の延命に大きな資源を割き、次代を担う再エネを二の次にする。そんな姿勢では、時代の大転換に取り残されてしまう。
 原発を減らす一方で化石燃料に頼るとするなら、環境問題、温暖化、電気の高コスト化は避けられない。
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東日本大震災・原発事故からまる8年 復興計画はこれでいいのか疑問??

2019年03月11日 17時47分53秒 | 時事問題 社会問題
 東日本大震災からまる8年、各地で鎮魂・追悼他の関連行事が行われている。平成としてこの日を迎えるのは最後となる。

 人的被害の最近の統計は以下の如く。

(朝日新聞の記事から一部引用。災害関連死以外はここ数年数値はほぼ横ばい状態)

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 岩手、宮城県などの被災地も再建に時間がかかつている。生活基盤の再建は一段落したが、多くの地域でコミュニティや産業の再生に問題を残している。
 岩手県大槌町などのように、区画整理で新たな居住地を造成したものの、戻る被災者が少なく、空き地か目立つ。
 日本全体が少子高齢化する中、地域の事情はもっと厳しい。将来的に街が成り立つか住民のコミュニティが形成されるか、私は先行きは厳しいと思う。

 新聞社の社説等は復興のペースを緩めず、生活や産業の確かな再建につなげなければならない、などど前向きな意見がつづく。
 復興については現場の住民の希望が第一であることは論を待たないが、秋田の地から見ていると、これ以上の成果が期待できるのか・・??私には疑問に思える。

―――――――――――――――――――――――――――――――-
 福島の復興はなお不十分である。東電の原発事故が重なつた福島県ではなお4万人以上が避難を続けている。

 原発事故に伴う避難対象地域は事故直後に比べ、面積では1/3に減つた。だが、立ち入りが禁止されている帰還困難区域が双葉町、大熊町など7市町村に残つている。政府はその一部を22年度までに除染を終えるとしているが、住民がどの程度戻れるかの実効性は不透明。多分期待出来ないだろう。

 すでに建難指示が解除された地域ですらも明暗が分かれている。
 15年秋に解除された楢葉町では商店や金融機関、小中学校などが再開し、これまでに住民の5割が戻つた。しかし、今後のことを考えれば街としての機能、住民間のコミュニティの構築は困難でないだろうか。

 原発に近い富岡町、浪江町では住民の帰還率は1割に届かない。帰還希望者が戻れるように、行政や商店街などをコンパクトに集約しながら生活基盤の再建を急ぐべき、との意見もあるが、私の目で見た感想を無責任に言えば、再建は無理だと思う。

 避難生活が長期化し、元住民で帰還を諦める人も年々増えている。避難者は高齢化して行く。こうした人には、帰還に夢を持たせるよりも、避難先での生活再建が軌道に乗るよう支援を進める方が理にかなって居ると思う。

 産業の再生はムリだろう。

 私は被災者、避難者に夢を持たせ、問題を先送りするよりも発想の転換が必要な時期に至ったと考える。
 ちなみに、私は2011年以降、毎月収入の約20%を岩手県の復興資金として送り続けている。目立たない貢献であるが、私にとって東日本大震災は風化していない。
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本:長野丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの戦い 福田ますみ著 新潮文庫 2019年(2)

2019年03月10日 03時09分36秒 | 書評
 本書はノンフィクション作家福田ますみ氏の事件に関する膨大な資料、裁判傍聴を丹念にひもとき、当事者への取材を重ねる中で、「教育現場で生じたの現実」を明らかにした。
 ただ、やはりこの様な事件の調査を読むにあたり、読者が注意すべきは、著者の視点はどこにあるのか、どこまでが真実で、どこに著者の推論があるのかなどを含めて、あえて「本当なのか?」「事実なのか?」と、若干距離を置いて読む事は必要であろう。
 事件に関連した関係者ならまだしも、一般の読者は批判すべき資料もない。それでも100%内容が真実なわけではないだろう、という視点は失うことのないよう一定の距離は置くべきだろう。

 モンスターペアレントという言葉はずいぶん広く使われるようになったが、その実態はどのくらい知られているのだろうか。

 その様な人に触れたのは私は3回ほどある。
 一度は私が大学生の時、東京昭島市のスーパーの店内で、昨日購入した食肉にクレームをつけてきた20代後半の主婦、5歳ほどの子連れであった。最初は担当の販売員が丁寧に対応していたが次第に激昂、店長を呼べ、土下座して謝れ・・・とエスカレートした。どの様に収まったか忘れたが、岩手の片田舎からでききた私は、「東京という所は恐ろしい所・・」との印象を持った。

 病院の管理を担当する様になってからは直接対面したクレーマーだけでも数件、文書とかでやり取りしたのを含めると数10件以上におよぶ。対面の場合には、何を言っても無駄、ひたすら罵詈雑言を聴きながら興奮が収まるのを待つしかなかった。程度の差こそあれ、本事件の母親のような、常識が一切通じないタイプの、攻撃性をあらわにする人間は思う以上に多く実在する、というが私の実感でもある。不思議な組み合わせであるが子連れでクレームをつけてくる両親、母親が多かった。子供は共通して無表情、無言であった。普段からこのような親の反応に慣れ、自己防御しているのかもしれないと思った。

 長野丸子実業「いじめ自殺事件」を巡る全ての訴訟は終了し、母と弁護士の主張は完璧なまでに退けられた。
 しかし、学校関係者は自分たちの主張は通っても、むなしさや割り切れなさが残った、と言う。その理由はひとえに時の経過である。事件に対し一致団結して長い時間を費やし勝訴し、やっと汚名が注がれたと思つた時、世間はすでに事件を忘れており、裁判結果に注目されることはなかった。
 マスコミも初期にこそセンセーショナルに報じるが、判決にはたいして紙面を割かない。母親側に立つて一方的な報道を展開した新聞などはなおさらで、あえて避けている様にも見える。その結果、この事件は、第一報の通りの「学校側に問題があるいじめ自殺事件」として人々の記憶に漠然と刻まれたまま風化した。
 結局、メディアの報道によってもたらされた「社会的制裁」は晴れることはなかった。

 注意しなければならないのは、「モンスター母の虐待行為や狂気じみた言動」だけではない。もっと恐ろしいのは「マスコミが弁護士や母親の話を鵜呑みにしたこと」、「著名なノンフィクション作家が雑誌などに事実誤認の評論したこと」も上げなければなるまい。
 終章 「加害者は誰だったのか」は参考になった。
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本:長野丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの戦い 福田ますみ著 新潮文庫 2019年(1)

2019年03月09日 10時21分03秒 | 書評
 学校におけるいじめ事件は後をたたない。未だに多数の事例が報道されている。
 私は、いじめ事件、虐待事件等に関心を持っており、事件の新聞記事や雑誌等の記事を収集してきた。しかし、一般的に手に入る情報は充分でない。しかも、報道は最初から「学校側に問題」、「隠ぺい体質」などの前提のもとで報道されている様に思われることから、その解釈は慎重を要すると思われる。

 最近は、優れたドキュメンタリー作家達が埋もれた事件、奇異であった事件、冤罪事件等を追いかけて著作として発表している。私はこれらをできるだけ読んで各々の事件を考えなおしている。読む前と後ではかなり印象が異なってくる。 

 丸子実業高校バレーボール部員自殺事件は、部員間のいじめ行動、というのもおこがましいような冗談とも取れる程度の軽微な行動から端を発しているが、性格異常の母親、マスコミ報道、弁護士、評論家、県会議員、ネット上の書き込みとかによって異常なほど増幅され、母親vs 学校で互いに訴訟し合う特異な経過をたどったケースである。

 丸子実業高校バレーボール部員自殺事件は、当時1年生の男子部員が2005年に自宅で自殺した事件。
 生徒の母親は自殺の原因がバレーボール部でのいじめにあったとして校長ほかバレーボール部員等を長期にわたって責め続けたのち告訴、バレーボール部員等もこの母親の異常行動によって精神的苦痛を受けたとして逆提訴した。2009年長野地裁判決では、母親の主張は退けられ、逆に母親がバレーボール部員等に損害賠償を支払うように命じた判決が確定した。

 生徒は2005年に丸子実業高校に入学し、バレーボール部に入部。上級生が生徒の声真似をしたり、クリーニング店からついてくるビニール製ハンガーで頭を叩いたりした、と言う。生徒と母親との関係の方が問題で、それが主たる原因と思われる原因でその後不登校気味になり、またクリニックでうつ病と診断された。診断書は学校を責める有用な手段となった。
 生徒の出席日数不足を理由に出席を勧める文書が届いた直後、生徒は自殺した。この事から母親は好調を殺人事件として提訴した。それを支えたのは人権派と言われる弁護士であった。

 一方、家庭内の問題として、母親の生徒に対する虐待、ネグレクトが疑われ、生徒を幼少期より半ば育児放棄し「死ね」と罵倒し続けていた。自動相談所も母子分離を考えていた矢先であった。

 この事件は全国ネットのTVニュースやワイドショーでも報じられた。
作家の福田ますみ氏は詳細な聞き取り、資料の分析、裁判傍聴の結果から、本事件をまとめ、これらは「異常な母親」、「配慮欠くマスメディア」、「弁護士」、「県会議員や評論家・・・など」によるミスリードで事実がねじ曲げられた
とし、この経過を書籍として上梓した。

(モンスターマザー 長野丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの戦いの表紙)
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医師の定年(3) 最近の自身の状況(2)

2019年03月08日 17時03分52秒 | 医療、医学
■手先の動き、上肢の動き
 手先、上肢は自由になめらかに動かないといけない。診察時にギクシャクしているようでは患者は心配になる。

 私は2003年秋アキレス腱断裂でひと月ほど車椅子で診療したが、スタッフの協力もあり入院外来などなんとか遂行できた。問題はなかった。
 2012年の脳梗塞では意識回復したら言語障害、右半身麻痺状態となっており、私も医師として復帰できないと覚悟したが自然と回復した。1週後には復帰した。
 下肢と違い上肢の障害は診察時に何かと支障をきたすだろう。

 近年、私の後輩が脳出血、脳梗塞を発症して休業を余儀なくされている。同じマヒの経験者として無事の復帰を願っている。

 医師は記録作成が重要である。パソコンであろうと自筆であろうとカルテ、不自由になると紹介状の作成時を書くことができない。
 今のところ、私は不自由を感じていない。脳梗塞の再発防止には気を使っている。

■腰痛 ネコ背
 医師は、一般的に検査、手術、血管確保、超音波検査など、すぺて腰を曲げてする仕事が多い。内科医でも大なり小なり違いはない。これを何十年と続けていると、やがて腰痛持ちとなり、腰を守るためにネコ背となる。ネコ背は高齢医師を一層老人臭くさせる。
 私も例に漏れない。日常の診療には支障がないが、ベットサイドで患者に静脈確保、気管カニューレ交換、胃ろうチューブ交換等の処置をする際の中腰は辛い。

 私もネコ背になりつつあるが座学中心の生活が拍車をかけたと思っている。椅子の肘掛によって右肘には褥瘡ができかかるほどである。
 今のところ、決定的不自由さは感じていない。

■歩行 
 とにかく年とともに、歩幅が狭く、前かがみとなり、歩く速さも遅くなる。私は今の所10Kmほどの距離なら歩くのは苦にならないが、若い方が階段を登ってきたこときは傍に寄って道を譲る。とても同じ速さでは登れない。歩行時の姿勢は高齢医師のイメージ維持のためにも大事だと思う。

■服装・外観 
 一般的に高齢になるにつけて服装がだらしなくなる。私は若い時から服装には無頓着、興味がなく、自分でもだらし無い人生だった、と思っている。軽装、スリッパ中心に通してきた。学会発表でスリッパで壇上に上がったこともある。
 かつて医師会長を務めた後輩から「場に見合った服装することは相手に対しての最低限の礼儀である・・」とのお説教を受けてから若干は意識するようになった。全くその様に思う。
 引退後には若作り、服装に注意するつもりでいたが、私には無理ですぐに昔に戻った。今は日常は作業着を着ている。とても気に入っているが、外来に出るときは患者に対して失礼にならぬよう着替えしてから出る。

 散髪はきらい。白髪が伸びてイメージが悪くなるから隔月ほどには散髪する。ひげは伸ばしっぱなし、カミソリを当てた事はない。マスクで隠している。私が担当する患者には、こんな私に見切りをつけて他院に行って欲しいがその効果はない様だ。
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医師の定年(2) 最近の自身の状況

2019年03月07日 18時32分23秒 | コラム、エッセイ
 最近の自身の状況をまとめてみる。この作業を通じて私が医師としてまだ通用するのかを考えてみる。

■年齢では決められないが・・・
 私の知り合いの内科医(87歳)は十分な蓄財があり、息子も孫も既に医師として名を成している。そんなことを聞いた後で私は「そろそろにしては??」と言ったが、それでも彼は今なお県の山奥の小さい診療所で診察及び住診を続けている。
 年齢と体力年齢は必ずしも一致しないし、蓄財の有無は関係無い。生きがいなのだろうか?村や患者のことを考えれば止められない、という。

 私ならどうする??仕事に生きがいなど感じない。答えは簡単、その歳まで生きているはずがない。
 私は外から見た様子に比し自身で感じる体調は良くない。脳梗塞がきいている。ふらつくし、記憶がダメになった。
 私の信条は「朝の笑顔、夕べの尸」。生きているという偶然がそんなに長く続く筈がない。

■視力
 私の視力は危機的状況にある。私んカルテは緑だ、白だとカラーがいっぱい。緑内障、白内障、眼底出血などなど。加えて近視乱視老眼。視力も悪くピンぼけの中で暮らしている。メガネでかなり矯正できるが、あえてその世界を楽しんでいる。最近ほとんど運転もしないがメガネは運転の時だけ。診察時も用いない。
 ピンぼけの世界は、すれ違っても誰だかわからずストレスが無い。

 読書を好み、新聞、文庫本、医学書・・、パソコン画面など、ほとんどの時間何かは見ている。時間があれば1日に文庫本一冊程度は可能である。目から12cmの距離で焦点が鮮明に合う。だから読むのに不便はしない。拡大鏡も不要。新聞や文犀本の文字、医学書の文字をほぼ自由に読める。日進月歩の医学と共に歩むには、毎日の読害は必要不可欠だ。
 パソコンはなるだけ大画面にし、滑車をつけて目のそばまで動かせるようにしている。
 
■聴力
 手を耳のうしろにあてがい、患者の訴えを聞くようでは、患老の方から逃げ出す。すべて診察は対話から始まる。聞き間違いは困る。だからと言って同じ質問をするのも考えものだ。ボケ老医師と言われかねない。
 診療上では私は今のところ不便していない。音楽も十分楽しむことが出来る。
 それどころか世の中の喧騒に悩んでいて、ノイズキャンセリングヘッドフォンを手放せない。
    
■言語能力
 人間、年とると、とかく言葉がはっきりしなくなる。患者は間きとりにくくなる。年寄りの場合はどっちに問題があるのかわからないが、若い患者から「ハア??」と聞き直されるようでは要注意である。説明内容がどんなによくても、患者は離れて行く。
 私は4年前に脳梗塞発症、意識喪失した。意識回復後二日間ほど言語障害、右半身麻痺となったが自然に回復した。見舞いに来た次男は「親父は医者としても、人としてももうダメだね・・」と宣った。ヤブ医者め!! 人間にはウンと言う理屈以上のものがあるのだ。非科学的世界に真実はあった。謙虚になってほしい。
 自分の言葉で意思を伝えられないということの恐ろしさをじっくり味わった。ちょっと言葉に詰まることもあるが、これは病気というより加齢だろう。

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医師の定年(1) 「外来に出ると患者が減る、病棟に上がれば患者が重症化する・・」

2019年03月06日 02時47分07秒 | 医療、医学
 定年退職とは一定の年齢に達した人を強制的にクビにすることである。業績だとか、まだまだ頑健である、とかは関係ない。判断の材料は年齢だけである。欧米には年齢のみで機械的に働く権利を召上げる考え方は無い、と言う。日本では近年労働力不足から定年に対する考え方が変わりつつあり、定年後の再雇用の制度が広がりつつある。

 法人化して状況は変わったが、国立病院機構や公立病院は定年制が敷かれている。私は私的病院の勤務医だったから多少事情は異なるが、65歳で退職し、嘱託医として繋がっているが、やがて完全退職の日が来る。それも間もなくの様である。先日打診があった。
 私は急性期の患者を扱う高機能の病院には高齢の医師は不要と思ってきたし、そう発言してきたので淡々と受けよう、と思っている。

 勤務医を首斬るのは定年制であるが、クリニックの医師には定年はない。然し、だからと言って「永久」ということはない。「生涯現役」というのは言葉としてはいいが、死ぬまでということで無く、「その時期は、自ら判断する・・」と責任と覚悟を伴わなければ虚しい言葉であり、医師としては危険であり、周りも迷惑する。

 いつ退くかは厚労省でも保健所でもない。自分自身の状況を自分で判断して限界を感じたときである。それは認知症を含めた健康状態の場合もあり、もう一つは自分ではまだまだと思っていても、高齢医師の所には自然に患者がよりつかなくなり、経営が成り立たなくなる。「従業員の生活を守るために続けている」とこぼす医師も何人か知っている。
 ただ、最近は診療所を早めに閉めて高齢者施設に勤務するクリニックの医師も増えたように思う。

 では、どんな時に患者が来なくなるのだろうか。

 私を例にして考える。
 私は午前は総合病院の嘱託医をして週4日勤務し、午後は家内の補助としてある病院で3日間勤務、3日間ボランティアとして、週末は日当直医の一人として手伝っているが、彼女は、私が「外来に出ると患者が減る、病棟に上がれば患者が重症化する・・」などと辛辣なことを言う。半分冗談、と受けとめている。
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私の収集癖(3) 新聞スクラップ vs 新聞休刊日が楽しみ

2019年03月05日 09時35分37秒 | コラム、エッセイ
 日々、私が情報を仕入れるのは第一に新聞である。

 最新の情報満載、こんな貴重な資料が自宅まで毎日届くと考えると勿体ないほど貴重な存在である。
 私が新聞に親しんだのは「毎日小学生新聞」だったと思う。だから新聞には親しみとこだわりがある。親が私にくれた最大のプレゼントの一つだったと言って良い。
 その後も、今日まで新聞購読をほとんど欠かしたことはない。

 後々まで参考になる記事はスクラップ帳などに貼って保存していたが、本格的に始めたのは1985年である。スクラップブックは書架を二つも占拠した。また、目的の記事を探すのが困難で、切り抜きそのものを保存する方法では限界であった。

 1997年頃にヒュレット・パッカード社のペーパーポートというスキャナーを購入し、約8年近く用いた。2005年富士通からScanSnapのMac対応機が発売された。こちらの方が将来性がありそうなので早速乗り換えた。
 記事の電子化作業は簡単であるが、読み取ったドキュメントは日付と時間だけの名称になるために、適宜内容に応じた名称をつける作業が必要である。これが大変であるが、検索をかけると15年分の読みたい記事が一瞬にして目の前に並ぶ。これは壮観である。

 東日本大震災後は、福島・宮城・岩手の地方紙も取って6紙購読といたが、2013年からは4紙に、2017年には3紙とした。現在購読しているのは「朝日」、「秋田さきがけ」、「日経」である。

 連日新聞からだけでも40-50枚の記事が出る。そのほかにも医学論文、雑誌などの記事も保存の対象にしているから一日100枚になることもある。多分ハードディスクには1997年以降の20万枚ほどのPDFデータが保存されていると思う。私にとっては時間をかけて作り上げた宝物であり、三重にバックアップを取り、自宅、病院に保存している。
 電子データはスクラップ帳とは異なり、その気になれば一瞬に処分できるから気が楽である。が、逆に一瞬に消してしまう危険もある。

 新聞記事は近年大きく様変わりした。おそらくインターネットの普及で速報性から、じっくり読ませる資料的記事に主眼を写しているからであろう。この傾向は私にとっても大歓迎である。

 連日、名称付けと分類の作業に追われる日々で手を抜けない。
 仕事が混んできたりすると未処理のドキュメントが数日分貯まることがあり、追いかけられる。

 そんな時の救いがたまに来る「新聞休刊日」である。新聞好きが新聞休刊日を楽しみにするなど矛盾しているが、年に10日間ある「新聞休刊日」のスケジュールを眺めながら名称化と闘っている。

 私の人生のかなりの時間を紙媒体の電子化とその名称つけに費やしている。されど今までの蓄積を考えるともう止められない。
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NHK「のど自慢」2019(2) 高度の歌唱力が聞けたチャンピオン大会

2019年03月04日 18時20分02秒 | コラム、エッセイ
 「のど自慢」は日本全国をめぐって歩くが、放送スタッフは各地に3日前から集合して準備を重ねるという。だから、司会者などのレギュラーメンバーは年間半分ほど地方出張していることになる。スタッフ達にとっては私生活を含めて大変な負担だと思うが、考えようによっては魅力的とも思える。
 でも、働き方改革の視点から見て問題ではないだろうか。放送スタッフを2チームに増やして交互に担当させてはどうかと思う。

 番組の始めに数分間開催地の紹介がある。この番組ならではの企画で、地域の特徴や産業、特産品など手身近に紹介される。地域の紹介もあることから開催地の自治体も積極的に協力しているようだ。
 私は旅行など大嫌いだから日本の各地方のことは殆ど知らない。この番組を通じて日本各地の名称、所在地などを知る。時々地図を開いて本格的に確認しながら見る。

 一方、私は伊能忠敬の業績を追いつつ日本の海岸線を歩行する歩数計を使い、バーチャルで旅行している。日本橋をスタートして本日まで約6年、2162日、総歩行距離16413Kmに達し、数日前に三重県の海岸線に到達した。各県境を超えるたびごと各県の地図を広げてその県について勉強するが、その大部分の地名はこののど自慢の開催地で知った、と言っていい。だから、私にとっては単に歌番組というわけではない。地域の勉強を兼ねている。

 一応、誰でも出られる視聴者参加番組ということになっているが、本選出場は狭き門で、選ばれた250組ほどが前日の予選に臨み夕方までかかって20組が選ばれる。歌がうまければ出られる、というわけではなく、出場者は性別、年齢、グループ出場なのかなども考慮されてバランスよく配分されるから、結構狭き門である。

 本選で歌う時間は約1分で、この短さがいい。素人の歌は上手くても下手でも、またパフォーマンスもじっくり見せられるのは辛い。
 玄人はだしの歌も良いが、親子、ジジババ孫のデュエット、お年寄りのナツメロ、職場の仲間達のコーラスなどなど、さらに出場者のエピソードなどの話題をも楽しめる。老いてなお、声に張りのあるお年寄り、観客を巻き込んでのパフォーマンス、どれを取っても魅力がある。週一回のミニお祭りと考えれば楽しめる。出演する中高校生の力量は総じて素晴らしい。

 年に一度行われるグランドチャンピオン大会、今年は3月2日夜に生放送で放映された。
 毎回ののど自慢から生まれる40数人の中から、歌唱力を中心に厳正な審査(VTR審査)の上12~15組程度が、「NHKのど自慢チャンピオン大会」に進出し、その年の日本一のチャンピオンと優秀賞2組が決定する。

 これがのど自慢に出場した素人なのか?と思わせる様な、玄人はだしの歌唱が展開された。

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NHK「のど自慢」2019(1) 毎週の「のど自慢」は楽しい番組

2019年03月03日 03時08分57秒 | コラム、エッセイ
 昨日夜、年に一回の「のど自慢チャンピオン大会」が放送された。その時間帯は飯川病院の当直だったので観れず、翌日夕方、各種のデータ整理を進めながら録画で観た。

 私は「NHKのど自慢」が大好きである。この番組は1946年開始から70年以上続いてきた超長寿番組である。
 「NHKのど自慢」の放送がある日曜の昼、自宅で過ごせる日は多くはないが、家にいる時は正午の12:00時になると自然に茶の間のTVの前に陣取る。休日の定番となっている。日直とかで家にいない日は録画し、夜に、あるいは後日みる。

 心地よい鐘が鳴り響き、20組の素人の個性ある歌声が聞こえてくる。この番組は、司会者の「明るく楽しく元気よく・・」の言葉で始まる。私はTVは殆ど見ないがこの「NHKのど自慢」と19:00からの「NHKニュース」だけは可能な限りリアルタイムで観る。

 私は3-6歳の頃から、鉱石ラジオで、のちには5球スーパー真空管ラジオでほぼ毎回聞いていた。当時は「しろうと演芸会」とかと呼ばれていたように思う。歌謡曲、民謡、歌曲と部門が分かれていた時代もあったように記憶している。

 なんで私がこんなにこの番組が好きなのか?? 
 私は小学校3年の頃に、村に巡回してきた子供バージョン「NHKこども音楽会」なる番組に出場した。自ら出たのではなく学校からの推薦であった。何を歌ったかも忘れたが、私は11番目に登場し、最初の合格の鐘を鳴らしヤンやの喝采を受けた。賞品はお菓子の詰め合わせであった。2週ほど後にラジオで放送された。

 当時、私はちょっぴり歌が上手で、小学校の校庭で遊んでいると校長から声がかかり、職員室で歌を披露していた。私の十八番は「長崎のザボン売り」であった。
 更に、盛岡の私立の中高一貫校に進学したが、ある日、音楽の授業で突然指名され、教師のピアノ伴奏で「追憶」を歌わせられた。教師はいたく感心し「お前、うまいじゃないか・・」と評価してくれた。これ以降、恥ずかしがり屋の私は人前で歌を披露することはなくなった。このふたつのエピソードは心の中に生きている。
 そんなこともあって、私は「NHKのど自慢」に親しみを感じているのだろう。

 この番組はずっと大きな変化がないような気がする。このマンネリ感がいい。通常はマンネリは嫌われるが、この変わらない安心感がいい。
 昨年から出場枠を中学生に広げたが、250組ほどから選ばれた20組の出場者が自慢ののどとパフォーマンスを披露する。中には驚くほどの歌唱力を示す出場者もいる。それ以上に、出場者の屈託のない笑顔がいい。合格の鐘が鳴った瞬間、出場者が司会者と抱き合う場面もある。司会者は体力がいる。
 グループ出場者で合格した場合、放送後に人数分のトロフィーが渡される、という。

 45分の生放送であるが、本放送終了後ではアトラクションとして、チャンピオンが再度歌うことが恒例となっており、ゲストも2曲ほど歌うという。

 合格の鐘を鳴らす鐘奏者はいま4人目の秋山氏。氏は、東京芸大出身で、帝国劇場オーケストラや東京交響楽団、藝大フィルハーモニーなどに所属した打楽器のプロ奏者だという。

 毎年12月の最終日曜日の午後には「NHKのど自慢 熱唱熱演名場面」と題して1年間に放送された熱唱の名場面を総集編として放送している。これもなかなか良いが、これほどしっかり観ているのに各場面の記憶がほとんどないのが私にとっては不思議である。




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私の収集癖(2) 電子データは名称化と分類が必須

2019年03月02日 05時33分18秒 | コラム、エッセイ
 私の収集癖は、好きな木工細工の材料として、材木、木片、木箱など集めている。ガレージの2Fの物置にかなり溜まっている。これらは必要に応じて探しに行くとすぐに見つけることが出来る。

 以下は、古くは2008年以降、徐々に電子して収集している。
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■蔵書・書籍、医学論文や文献のうちの大部分。
■新聞スクラップのすべて。 
■CDの音楽データは昨年一年近くかけてMP3化した。
■ラジオ深夜便、毎晩3時間分録音。
■N響定期公演を中心とした音楽関連、文化歴史関連の映像データは2015年以降録画。
■一日の歩数、歩行距離の蓄積を含む自身のHPのデータ蓄積。
■備忘録、日常生活のメモ、など。
■・・・・・。
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 これらのデータを書籍のまま、あるいは録音テープやMD、CDとして所持するとすれば私の居住空間の大部分を占めてしまう。
 上記の電子データは弁当箱程度のサイズのハードディスクに余裕を持って収めることが出来ている。

 電子化は紙媒体のものを変換するのはちょっと手間がかかるが、映像データ、音声データは今の電子機器を駆使すればそう困難では無い。
 
 収集品の電子化の目的は、物理的空間占拠の縮小にもあるが、主たる目的はパソコンの検索機能を利用して、瞬時に目的のデータを探し、データを有効に活用する事にある。

 電子化しなければ、CDにしろ書籍にしろ、録音録画データにしろ、自分の手で探し出すことはまず無理である。

 形あるものなら場所をとるが、収納するときに若干配慮してあれば、探し出すのは比較的簡単で、その気で見れば一発で分かる。
 電子化したデータは場所は取らないが、電子化データは「2019年03月07日01時19分22秒」と電子化した時間が残るだけ。これが日々、大体50項目ほど蓄積されるから油断していると全く元の内容が分からなくなる。こうなると地獄である。だからできるだけ早く適宜名前をつけ、分類する作業が必要である。

 これが実に大変な作業で、連日私の貴重な時間のかなりを占拠している。しかし、今更やめられない。やめたら電子データの利用はできなくなる。
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