福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

台風24号の塩害 2004年以来の経験

2018年10月17日 13時39分38秒 | 季節の話題
 県内の沿岸部で、街路樹や公園の木々などの葉が枯れ、落葉が急速に進んでいる。本年10月上旬に日本海を北上した台風25号の塩害とみられる。
 秋田市近郊の山々の紅葉は毎年美しいが、今年はいつもと違う、紅葉が楽しめない秋になりそうである。

 秋田市保戸野にあるミニ公園の一本のいちょうの木は例年は見事な黄金色に輝くが、今年は無残な姿を晒している。私は雨さえ降らなければ毎日徒歩通勤していてこの公園を通過する。葉が黄色に色付くのを毎年、毎朝の楽しみにしていたので今年の姿はとても残念である。


(本年10月18日の姿。比較の為に11月6日まで待ちたかったのであるが無理と考えた)

(2017年11月6日の姿)

 見ると西側に面した方の木が無残な様子である。
 本年は気温が異常に暑く、日差しも強く植物にも色々影響を及ぼしたが、西側に面した方だけこれほど変化したのはやはり台風25号の塩害なのであろう。県内でも海に近い地域ほど葉が落ちた、というニュースもある。

 塩害は、強風に吹き上げられた海水の塩分が植物の葉などに付着することで起きる。被害は風向き、風が続いた時間に左右されるという。台風24号は雨量が少なく風が強かったため、植物に付いた塩分が雨で流れなかったことも被害が拡大した一因ではないかと推測する。

 リンゴやナシ農家では強風によってひどいところでは50%もの落果があり、パイプハウスが吹き飛ばされたり破壊されるなどの被害がでた。落ちなかった果実も塩害の影響を受け売り物にならないと嘆いていた。大豆、花栽培農家、稲作農家、野菜栽培農家も塩害があった、という。
 私の畑は収穫を終了しており問題なかったが、ダリアの葉っぱは塩の影響を受け、一部の株では元気が無くなった。


 我が家では毎日落ち葉掃除が大変である。今落ちているのは汚く汚れ、枯れてしまった葉っぱである。
 我が家でもいろいろ影響はあったが、甚大な被害を受けた農家のことを考えると比較にならない様な、ホンの小さな出来事に過ぎない。

 1991年9月28日に本県を通過し、強風によって農林業に甚大な被害を及ぼした台風19号も忘れることが出来ない。
 2004年8月の台風15号による塩害は沿岸だけでなく内陸まで広範囲で確認された。その時は40mにも及ぶ強風や雨による被害だけでなく、フェーン現象と高潮によって、海水を含んだ霧雨を沿岸、内陸までまき散らし、私も初めての植物の塩害を経験した。

 今年の塩害は私にとって2回目である。
 
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多様性の疎外が表出した事件(9) 障害者雇用水増し問題(2)

2018年10月16日 08時01分17秒 | 時事問題 社会問題
 一般論として障害者を雇うことによって、企業業績が下がるだろう、と言われているが、東京大学の大学院 特任研究員 長江氏の調査では、必ずしもそうではない。一方、障害者雇用の有無によって株価には差が出るとされている。
 障害者を雇うことによって企業の効率性が低下するという誤解は広く浸透している。

 企業・組織は100人の従業員がいれば、加えて2人の障害者を雇わなければならないことになっている。その為には人件費が一人あたり20万程度とすれば40万円掛かりましになる。未雇用の罰則的納付金は一人当たり5万円だから、ふたり分で10万円、だから雇用しないで納付金を払うほうが企業としては月30万円経済的には有利である。納付金払うほうが楽ということで、積極的雇用が進まない、とも考えられる。

 私は現役時代には秋田市、および郊外にある企業の数社の産業医をやっていた。いずれの企業でも車椅子の従業員が何名か雇用されていた。その会社では傷害者も仲間によく溶け込んで仕事をしていた。従業員の中に障害者が混じっていることは一見してわかった。

 官公庁の障害者雇用水増し問題が今まで明らかにされてこなかったのは何故なのだろうか??

 27の国の行政機関で計3.460人も障害者数を雇用していたことになっていたが、車椅子使用者とか、外見からわかる、あるいは機能的に多少問題があるように見える障害者は恐らくはじめから雇用の対象外にしてたために居なかった、と言うことであろう。

 そのために、診断書や手帳を確認することもないまま障害者として採用していた、と言う。だから、障害があるといっても誰が障害者雇の採用であるか判断できない程度の軽症者が多く、中には採用されてから無理やり障害者雇用に組み込まれた健常者もいる、といわれる。

 要するに外見から分かるような機能障害者ははじめから雇用対象外だったということ。これでは障害者雇用法の意味が完全に失われる。
 国が自ら決めた法を守っていないのは死刑制度にもある。法では死刑決定後半年以内に執行と決まっているが、そのように執行された例は近年には無い。

 今後の障害者雇用を円滑にするには、
 (1)非採用の場合には行政機関にも納付金を求め,しかもより高額にし、障害者の雇用が企業側にメリットになるような機構を作る必要がある。
 (2)雇用した障害者に雇用をチェックする任を担わせてはどうか。これで障害者雇用への監視はより性格になり今回のような事態は再発しなくなると考えられる。
 (3)雇用される障害者の障害のレベルを再検討する。
 これらのチェックでうまく機能するようになる、と思われる。

 
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多様性の疎外が表出した事件(8) 障害者雇用水増し問題(1)

2018年10月15日 16時24分48秒 | 時事問題 社会問題
 8月下旬、厚労相は障害者雇用の推進を担う筈の行政機関のうち、33行政機関のうち27機関で、計3460人を障害者数に算入し、雇用条件に辻褄を合わせていた、と発表した。

 障害者に対する差別観の現れと捉えられてもしょうがなかろう。
 
 国の指針に対する省庁の理解不足や解釈の誤りが原因で、障害者手帳や診断書による確認を怠っていたためで、雇用率を高く見せる意図はなかったと各省庁では説明している。

 またまた、嘘の積み重ねである。本当にそう言い切れるのか。なんとなれば、私的企業ではしっかりと条件を読みとって実行している。私は、並居る企業不正と同じ扱いにすべき重要事項である、と思っている。森友加計問題で嘘を積み重ねた経産省の実態と似ている。この辺は徹底的に解明すべきだ。

 厚労省の集計では、国の行政機関で働く障害者は昨年6月1日時点で約6900人、障害者の雇用割合は2.49%で、法定雇用率2.3%を達成しているとしていた。実にその半数以上が誤魔化しの雇用で、実際の障害者雇用は1.19%だった。
 
 外務省では8割以上、国税庁では7割以上が不適切に算定していた。

 民間企業は法定雇用率に達しないと、ペナルティ的に一人あたり5万円の納付金を課せられ、且つ、正しく算定しているかの調査も受ける。こうしたチェック体制を受ける仕組みは省庁や地方自治体にはない。

 「自己に甘く民間にキツイ」という公務員の実態の現れである。

 障害者雇用を促進すべき立場にある国の機関が、初めから障害者を雇うつもりは無く、不適切な算定を続けていた省庁は、障害者雇用の意義をなんと考えていたのだろうか??数字の上で法定雇用率さえ達成すればいい。そんなおざなりな意識が、問題の根っこにあったのではないか。

 いや、私は初めから障害者との共生の意識がなかった・・と読む。
 健常者は、私の意見では、「障害者の立場になって物を考えられないという障害をもつ」集団だからである。

 法定雇用率を遅くとも来年末までに達成するよう、各省庁は計画をつくるという。障害者雇用への向き合い方を「量(%)」だけでなく「質で共存する」の二面から、見直さねばならない。当然関係者の処分も行うのだろうね。
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様性の疎外が表出した事件(7) 「新潮45」廃刊 残念なことである

2018年10月14日 04時35分01秒 | 時事問題 社会問題
 自民党の杉田水脈衆院議員が7月18日発売の月刊誌「新潮45」に「LGBT支援の度が過ぎる」とのタイトルでLGBTカップルに関し投稿し、「子どもをつくらない」から「生産性がない」と持論を述べた。
 子どもがいなくとも国民としての活動は出来る。だから、この発言の趣旨は取るに足らない暴論に近いが、彼女が何を考えているのか、どの程度のレベルの議員であるか、自ら明らかにしたことは評価出来る。私はこよくぞ言ってくれた、と考えている。

 最近、我が国では言論の自由がなくなってきている、と危惧している。
 一つ一つの発言にあまりにも意味のない批判が生じてしまうから、怖くて発言出来ない。自由の萎縮である。個人的なバッシングが展開されるのは困るが、個々人の自由な発想は、例え世間一般の大多数の意見と異なっていても許されて然るべきである。いや、だからこそ発表する必要がある。

 私は意見をはっきり述べる、あるいは表現する人を好む。何も言わない人は何を考えているか分からない。私にとっては嫌で怖い存在である。

 「新潮45」はよくぞこの意見を掲載してくれた・・と思う。恐らく他の書籍は取り上げなかったにちがいない。
 よく政治家は舌禍の責任を取らされるが、多分本人にしてみれば政治家の信念を述べたのであり、結果は不本意なのだろうと思う。そんな場合、「新潮45」に弁明の意見を掲載してもらってはどうか。

 更に「新潮45」は9月号に「何がおかしいか・・」と言う表題で7人の論考を掲載した。これにもLGBT当事者や支援者のほか、作家や文化人、書店などから抗議の声が上がった。だからと言って休刊するなんて・・。休刊に至った経緯は不透明だ。

 言論機関の責任放棄でないか??議論の可能性をみずから閉ざしてしまった。疑問は尽きない。

 出版不況のなか、「新潮45」の実売部数も最盛期の約57.000部から約10.000万部に落ち込んでいた。これでは経営上で廃刊の候補になりうる。意外とそっちの方の理由の方が大きかったのではないか??

 言論の公共性とは何か、その分野でメディアが果たすべき役割とは何かを考え評価したい、と思う。
 「新潮45」そのものを購入したことはないが、新潮45編集部編さんの「殺人者はそこにいる13事件」などの単行本は5冊以上持っていて好んで読んできた。

 雑誌ジャーナリズムは、時に社会のタブーに切込み、発想の柔軟性、多様な企画力などで、社会に、出版界に足跡を残してきた。私はその点は評価したい。
 例えば、死刑囚をはじめとする受刑者の投稿を取り上げている雑誌「創」がなければ、彼らの声は社会に届くことはなかった。

 「新潮45」はひねくれた特集が多かった、だから存在価値は大きかった。
 廃刊は残念、と思う。
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家庭菜園・園芸2018(8) 冬を迎える準備にはいる

2018年10月13日 17時09分21秒 | 季節の話題
 私の家庭菜園・園芸など大したことをやっていないが、今年はきうり、トマト、ナス、枝豆、ネギ、落花生を栽培した。10月に入ってネギを残し全て抜きとり、マルチカバーをはがして畑は終了した。あとは適宜夕食時のメニューにあわせてネギを抜きとるだけである。

 今年の収穫は、きうりがほとんど失敗に近く、いつもなら食べきれないのであるが20−30本しか取れなかった。農家の方に聞くと並作だったり壊滅状態だったり、様々であった。はやり気候のせいだ、と嘆いていた。
 
 トマト、ナスは平年並み。
 トマト好きの家内の弁では形は悪いが市販品より美味だと高評価であった。
 枝豆は豊作であった。盆過ぎから毎晩、茹で湯を沸かしてから畑に出て3−4株ずつ抜き素早く処理すると、ブランドの市販品より甘く、優っていた。

 落花生は私は初めて栽培した。外からは成熟度など全くわからないので恐る恐る抜き取ったら根には市販のピーナツよりひとまわり大きな繭型の実が連なっていた。一部をそのまま茹で、一部は乾燥後にフライパンで炒ってみたが、両方とも私は美味しく感じた。来年はさらに挑戦するつもりである。

(落花生 思った以上の数の実が取れた 実の形がいい)

 ネギは植え付けに失敗、そのために成長に合わせて土盛りできなかった。だから白い部分は15cmと市販品より半分近く短いがずんぐりと太く成長、鍋にするとシャキシャキと歯ごたえ良く、甘い。

(元倉ネギ ずんぐりと太い)

 我が家の庭の一隅には、桃、梅も植わっている。まだ少量しか取れないが春の楽しみである。来年あたりからリンゴが実をつけそうで楽しみである。

 秋の収穫で楽しみなのは栗と柿である。栗は見事なサイズで茹でて食べたり栗ごはんにした。
 これからは柿の収穫になる。渋柿を焼酎で晒し、一部は干し柿にする。届かないところの実は野鳥やカラスへプレゼントにする。これも楽しみである。

(栗の枝の上方にたわわの柿の枝が伸びる)

 今はカエデの葉が落ちる。掃けども掃けども一夜明けると庭が落ち葉で黄色くなる。あと2−3週間葉っぱとの対話になる。大変だが、こんな作業を繰り返しながら、私は冬を迎える心の準備を進めていく。

(一夜明けた落ち葉の状態 私は集めて庭の隅で腐葉土を作る)

 これからの季節、外での作業に割く時間がドット少なくなる。それ分、机に向かっての作業時間が増える。これからも至福の時間になりそうだ。
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家庭菜園・園芸2018(7) ダリア(3) いまがピークの見どころ

2018年10月12日 08時18分23秒 | 季節の話題
 昨年までは南隣の農家の方から4ムネ分畑を借用してダリアを育てていたが、今年から自宅の庭の一角にスペースをつくってそこに植えた。我が家に接していたとはいえ疎遠で時々見るだけであった。今年は昨年までよりは100倍も(?)頻回に観察し、鑑賞している。

 8月の段階での開花の様子は先に記録した。

 今朝の段階での各花の様子。8月の段階のときより一層大きく育った。

 今年は花が咲いても途中でしぼんだり、変色したのが多く、これは昨季までは経験しなかったことでガッカリしたが、大曲の外来に通院し、花や野菜作りについて私を指導してくれる方からの情報では、「今年は日差しがあまりにも強烈で気温も高い為に花自体が日照障害を受けている」という。予防策として日差しを遮るシートを用いればいいし、多分これから開花する分は改善が期待できる、とのことであった。

 あれから約1月経過し、丈もさらに大きく成長し、花もみごとに、多数、美しく咲いた。
 毎朝、夜が開けるのを待って会いに行くが、実に美しい。なんで花は美しいのか?改めて考えたくなった。

(南雪原・駞偉大・夢舞台)
(南雪原)
(駞偉大)
(名称未確認)

 ダリア栽培育成のきっかけは家内であったが、作業の主役はほとんど私である。家内は週に何回か、切り花として飯川病院の玄関先に飾っている。私の心は穏やかでは無いが、より広くみんなの目を楽しませていると考えれば納得せざるを得ないか。

 ネギを除いて野菜の収穫をほぼ終え、外仕事としてはダリアの世話に大部分の時間と労力を割いている。だから、思い入れも一入である。
 私のダリア歴は今季は4季目。今年は日照の影響で花が薄汚い時もあり、21号24号と2回の台風の強風で多くの枝が折れるなど順風とは言えなかったが、みごとに持ち直し、毎日私どもの目を楽しませてくれている。

 まもなくダリアの季節は終わる。寂しくなる。
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幼児の虐待死(5) なんとなく期待している「母性」「父性」とは何か(2)

2018年10月11日 18時05分46秒 | 未分類
 私は3人の子を育てた。私に十分な「父性」が備わっていたか家内に確認したこともないから正直自信はない。私も子育てにはかなり参加してきたと自負しているが、子育て担ってくれた賄いの石井さんに言わせると「役立たず」、「ダメおやじ」の域にあるらしい。

 私の「父性」は小学校1年から高校卒業まで共に過ごした一匹の雌ネコの子育てを介して教わった。
 彼女は生後半年から、衰弱し始めた12歳の年齢まで妊娠出産を繰り返した。私は約10年間で20回ほど出産と初期の子育てに付き合わされた。私にも弱みがあったから世話せざるを得なかった。

 出産が近くなると彼女は私につきまとって離れなくなる。母屋から離れた小屋の棚の中段にワラや古着を使って産床を作ってやり、私はその側でおにぎり持ち込みで産み終わるまで付き添った。離れるとついてくる。全部産み終わると彼女は子ネコの体を舐めたり授乳したりと母親としての忙しい日常が始まるから産床から離れられない。その時点でわたしは解放された。
 彼女の子育てはひたむきそのもの。私は出産の度にその責任感の強さに感動した。巡りめぐって私に育児における親としての責任感を植え付けられた。

 「父性」が先天的なものではなく「母性」と同じく後天的学習から得られるという考え方に賛同する立場であるが、私の場合の父性の形成は13年間共に過ごした一匹のネコの子育てを通じて養われた、と言っていい。

 さらに、私が子どもたちにその気持ちを純粋に持続的に感じることが出来たのは、賄いの石井さんの助けを十分に得て自分の精神状態をうまく保てたからだと思う。

  「母性」に関しては胎動などを通じて徐々に体得するものと思うが、私には女の気持ちを理解できない。
 私たちが子どもを育てていけるのは、知識と理性があるからである。
 そしてその理性を保つことが出来る環境にたまたま恵まれてい、と思われる。

  私が無防備に寝ている子に感じるいとおしさは、父親だからではないだろう。より強い力があるものが感じとる「守ってやりたいと言う感情」だろうと思う。対象は他人の子でも良いし、子ネコでも良い。自分の子であればさらに男親としての責任感が加わる。
 
 子を守りたいと思う気持ち、子をいとおしいと思う気持ちは、後天的に備わるものだろう、と私は思う。
 だから、子供虐待事件の実態を見るときに、親としての成長過程に問題を感じ取るし、また、子育て環境に経済的な、マンパワーに一定の余裕がなければ、子は危ない環境に晒されると思う。

 従って、年々増加傾向にある幼児虐待を防ぐには、情操教育、子育て世代への経済支援、子育ての社会化が必要である。
 今の日本ではこの全部が欠けている。 

 政治を担うものの、社会を見る感受性に問題がある、と思われる。
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幼児の虐待死(4) なんとなく期待している「母性」「父性」とは何か(1)

2018年10月10日 18時20分45秒 | コラム、エッセイ
 全国の警察が通告した幼児虐待件数は今年上半期で過去最多の3万7113人に上った。
 その内「身体的虜待」は6792人、「育児放棄」は3795人だった。

 本年3月、大阪で一歳の女児が泣き止まないと26歳の父親が毛布でぐるぐる巻きにしてクローゼットに押し込めて放置、死亡すると言う事件が発覚した。母親は外出中だったという。
 一見、いたいけな子どもを虐待するのが父親が多い感じであるが、最も多いのは実母で被害者の年齢は小学生が最多である。

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参考(1)虐待被害者の年齢は
■ 0-3歳未満18.8%■ 3歳-学齢前24.7%■ 小学生35.2%■ 中学生14.1%■ 高校生等7.2%
 
参考(2)加害者の割合
■ 実父29.0%■ 実父以外の父6.2%■ 実母57.3%■ 実母以外の母0.8%■ その他6.7%
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 幼児虐待の例を見ると、一般的にあるものと漫然と期待されている「母性」、「父性」って本当にあるのか??疑問に思って来る。

 「母性」、「父性」とは何か。私の立場から考察してみる。

 辞書には、女性の母親としての性質。母として自分の子を守り育てようとする本能的特質とされる。狭義には未熟な状態で誕生し、一定期間保護者の養育なしに生存できない生物の雌親に見られる養育行動の原理とみなされる本能のことで。色々な生き物に見られる子どもを守り育てるための本能的行動を指す言葉である。
 
 ただ、この本能は下等な生物の方が決定的に強い様に思われる。自然界であるかはわからないが、人工飼育されたパンダなどの哺乳類が育児放棄する例は稀ではない様である。

 より下等な昆虫や鳥類などの生物の場合は、その存在意義がが種の保存にあるために、遺伝子の中に本能として強く位置付けられているのだろう。そのために命を落とす場合も少なく無い。

 より高等の生物の存在は種の保存という意味づけは少ない。だから、少子化が生じてくる。
 人間の育児行為は、遺伝子に刷り込まれた本能的な行動というよりは成長過程で学習して体得すると考えられている。その様な体験や教育を受ける機会は、長い成長過程で得る機会が多く、通常の環境にいる若者の大多数が知識としては持っている。

 また、妊娠期間も長く、その間に個々人に即した教育やアドバイスが得られる。それらを通じて一般的に「母性」「父性」的知識と感情が備わっていく。知識として、新生児は弱い存在で十分の庇護がないと育たない脆弱であることの認識が基本になっていると思われる。

 「母性」の意識の発達には妊娠中の胎動から自然と深くなっていくし、「父性」は妊婦の体の変化、行動の変化を通じて庇護する感覚を通じて深くなっていく様に思われる。

 だから、この間の、親になる者の環境、すなわち両性間の関係、家族関係、経済状態、社会状態などに応じてレベルが異なってくる。
 要するに、私は「母性」「父性」本能ではないと思いたい。だから虐待などが生じうる。
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幼児の虐待死(3) 子供はかわいい存在ではないのか 「かわいい」論

2018年10月09日 16時08分18秒 | コラム、エッセイ
 「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」。ノートに書かれた幼い文字、文章を新聞で読んだとき、本当に5歳児が書いたのだろうか??と私は驚いた。頭から離れない。両親に対して、強い憤りを感じる。

(1)幼児の虐待の実態を調べた。
 全国の警察が半年ごとに集計している児童虐待の通告件数は今年上半期で過去最多の3万7113人に上った。昨年同期より2割も多い。警察庁は「社会の関心が高まり、通報や相談が増えた」としている。
 「心瑶的虐待」が全体の約7割を占め,「身体的虜待」は6792人、「育児放棄」は3795人、「性的虜待」は111人だった。
 保護者らを摘発した事件は641件で、そのうち殺人や傷害、暴行など身体的虜待が516件で約8割を占め、被害にあった幼児19人が亡くなった。

 幼児虐待の多くは密室内で行われるから発見が困難。
 背景として私は先に以下の要因を挙げた。

■産後うつ、
■社会保障が貧困、
■シングルマザー問題、
■母子家庭、
■父子家庭問題、
■望まれない、祝福されない妊娠出産、
■子連れのシングルマザーが新しい男性と関係ができた場合。
■・・・などなど

 幼児の虐待死を防ぐには、子育てシステムとしての教育と社会の改変が必要である。政治の重要性は言を待たない。

(2)子供はかわいい存在ではないのか?
 「かわいい」という言葉は今や国際語になって「Kawaii」結構通用するようだ。漫画やイラスト、アニメ映画等を介して日本の「かわいい」文化が浸透しているが、その単語が意味する適当な言葉が無いためにそのまま「Kawaii」が通用している。和英辞典を引いても「Cute」「Adorable」程度しか無く日本語の意味する「かわいい」のほんの一部にすきない。日本語の「かわいい」の意味もずいぶん変遷した。輸出された「Kawaii」は極めて幅広い文化的な意味を包含する。

 私がいま問いたいのは古い日本語としての「かわいい」である。
 広辞苑によると、もともとは保護してあげたくなる「不憫」なこと、あるいは「小さく美しいこと」などを意昧した。「かわいく幼いこと」は、無垢ゆえに誰からも攻撃されない存在を意味する。欧米の宗教画に見られる天使の無垢さと共通する。だから、接する者の方が憐みの気持ちになり謙虚になる。

 これは多くの人に共通の感覚であるはずだ。しかし、実態は必ずしもそうでは無いようである。

 虐待の背景には、人間的情感の発達問題、経済問題、夫婦間あるいは男女の関係が影響するようだ。

 人間の母性、父性とは本来備わってもいる情感だろうが、結構脆い者だ、と思う。

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新潟大学医学部46会同級会2018(2) 会とわれらの健康問題を中心に感想

2018年10月08日 17時38分23秒 | 近況・報告
 昨日10月7日は新潟大学医学部46会同級会であった。

 2003(H15)年から同級会の出席記録は残している。今年は13回目の出席となる。

 最初は消極的参加であったが、2005年家内が病気をしたので、その後の出席は家内の生存報告のため、と理由づけしたが、2012年には私が腸閉塞、脳梗塞と連続して発症し手術を受けた事もあって、その後の会は我ら夫婦の生存報告を兼ねた出席となっている。

(1)同級会とわれら夫婦の健康問題

 勿論、因果関係はないが、同級会の前後にわれら夫婦は体調を壊す。

 ■ 2005年9月に家内は大腸ガンの診断を受け、犬山市で開催された同級会から戻ってすぐに開腹手術をうけた。すでにリンパ節の転移が認められた。
 私は院長を拝命して日が浅く、部屋の引越しや病院の創立記念の祝賀会で過緊張状態で過ごした為に激しい腰痛に見舞われた。MRIでヘルニアが認められた。犬山市の同級会の頃は若干改善していたが、長年の希望であったモンキーセンターの見学は興味半分、辛さ半分であった。

 ■ 2012年の同級会は秋田で開催された。その後に私はクロスバイクで転倒、腹部を強打、そのためか内ヘルニア嵌頓による腸閉塞発症、腹腔鏡手術を受け、さらに数週間後心原性脳梗塞を発症した。幸い双方とも後遺症無く経過した。

 ■ 2014年新潟・佐渡での会は、その直前に家内の再発が判明、10月初旬に手術を受けたために出席出来なかった。

 ■ 2017年洞爺湖の会直前に私は右側鼠径ヘルニアの手術を受け、若干残る痛みとともに参加した。
 家内は元気な姿を報告した後、間も無く再発が見つかり、12月下旬に6回目の開腹手術を受けた。

 ■ 2018年新潟の会。前回以降の経過報告。今のところ二人とも健康上で新しい問題点は生じていないが・・・。

(2)新潟の往復に私は初めて自らグリーン車を選んだ 老化が原因か??
 今回の往復は、13:00秋田発「いなほ」、帰路は8:21新潟発「いなほ」。家内が多忙というので最短の時間で旅行した。

 私は今回初めて自らグリーン車を選んだ。この年齢になるまで何度かはグリーン車を利用したことがあったが、いずれもやむなくの利用であった。

 今回はなぜか初めから普通車を選ぶ気持ちは無かった。
 何らかの心境の変化をきたしている。
 もっとも大きな理由は、もうそれほど生きられないから費用をケチってもしようがないと思うこと、人の顔とか頭を見たくない事、混雑する車両に乗りたくないこと、それに「いなほ」の席は2:1の3列シートで前席、隣席との間が広く各席ごとに仕切板があって他人の姿がほとんど見えない事、だった。通路を挟んで座ると最高である。

(「いなほ」のグリーン車。座席の配置に余裕がありゆったり過ごせた。黄色、青、茶中心の色調なのになんでグリーン車と言うのだろうか)

 昨年は洞爺湖からの帰路、新函館北斗発「はやぶさ96号」で客席はガラガラであったがあえてグランクラスを初体験し、へーこんな車両もあるのかと感心した。
 グランクラス車両はわれらを含めて3名だけで快適であった。

 ただし、ケチな私はもうグランクラスを利用することはないだろう、と昨年の感想に綴っているが、この一年間で考えを変えた。また乗るかも知れない。

 家内はしょっちゅうグリーン車を利用しているし、横浜在住の娘一家も盛岡までは頻回にグランクラスを利用するらしい。この年になってやっと彼らに一歩近ずけた、ということか。
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新潟大学医学部46会同級会2018(1) 特急「いなほ」無事動いた

2018年10月07日 10時49分00秒 | 近況・報告
 本日10月7日は新潟大学医学部46会同級会で、1年ぶりに新潟に来ている。

 2003(H15)年から同級会の出席記録は残している。今年は13回目の出席となる。

 最初は家内の付き添いという名目で消極的参加であったが、意外と楽しいので以降はほぼ皆勤状態にある。2005年家内が病気をしたので、その後の出席は家内の生存報告のためと理由付けたが、最近では我ら夫婦の生存報告を兼ねた出席となっている。

 2012年は秋田、2013年は開催なし、2014年 佐渡、2015年 松島、2016年 月岡温泉郷、2017年 洞爺湖温泉郷であった。

 今年の同級会は隔年に行われる新潟の番。産婦人科クリニック院長のO氏を幹事に、現在のANAクラウンプラザホテル新潟で開催された。

 私は旅行嫌いである。それでも学会、医師会活動で各地を訪問したが、現役を退いてからは旅行といえばこの同級会のみとなった。

 折しも台風24号が日本海を北上、熱帯低気圧となり風雨のピークは過ぎたが当午前も風が強く、羽越線が不通で出席が危ぶまれた。
 台風といえば2004年の犬山市の会は台風22号襲来で急遽中止になり、翌年に延期された。また、2006年の新潟の会は悪天候で羽越線が4時間も遅れ一次会は10分間だけの参加になったことがあった。

 午前11時過ぎになってネット情報に羽越線が通常運行になったとの表示が出たので急遽13:00の「いなほ」に新潟に向かい、定刻に到着した。

 会場となった「ANAクラウンプラザホテル新潟」は萬代橋の近くにあり、かつては「ホテル新潟」であった。なぜか宿泊がセットになっておらず一瞬焦ったがなんとか一室確保できた。値段は特別料金を請求された。

 記念撮影の後、17:00から会食を中心とした宴となった。出席者は新潟近傍、1部関東在住者を中心に25名で、10名の直前キャンセルがあったと言う。私も昼頃まではキャンセルを考えて待機していた。

 開会の辞は、キャンセルせずに秋田から駆けつけた、という意味で私にまわってきた。みんなの笑顔が見れただけで充分と述べ、乾杯した。料理は見事なものであったが、直前キャンセルは影響しなかったのか、心配になった。
 余興として大学腎研究所の元教授O氏のサックスの演奏があり楽しめた。余興のレベルは超えていた。
 
 物故者はお一人だけであった。我らの仲間はなかなか死なない。100人中5−6人か?

 みんな嬉々として笑顔に溢れ、元気な様子であった。これが同級会の良いところである。尤も、元気でなければ出席しないだろうと思うから、まあ当然でもある。

 出席者の近況報告があった。ゴルフ、ペット、孫の話など、ハワイ大学に留学したとか、ポルシェで走っているなど。内容は様々でも利害関係は無く、肩が張らなくていい。
 私はいつもなら一杯のビールで泥酔して中座するのであるが今年は料理がうまそうだったからソフトドリンクで一次会は粘った。今回も席の周囲の数名と声を交わしただけだったが、とても楽しかった。

 翌日は家内の仕事が混んでいるということで8:21発の「いなほ」で帰秋することとした。

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本 ドキュメント死刑囚 増補版 篠田博之著 ちくま文庫 2015(2)

2018年10月06日 01時59分43秒 | 書評
 著者の篠田氏は学生運動に参加し、左翼リベラル的な立場で雑誌制作に携わってきた。月刊紙「創」の編集長であり、活動として獄中からの犯罪者と年余にわたって面会し、文通を繰り返し、「創」に犯罪者の生の意見を発表する場を与えるなど、異色の雑誌編集を続けている。
 本書はその活動をまとめた一冊であるが、各受刑者との対話の中でも「創」についてのやりとりが頻繁に出て来る。著者は各受刑者とかなりの信頼関係を得ていたようで受刑者の本音が各所に見られる。

 最終章で著者は「罪と罰」について以下の項目に分けて考察を展開する。
 この部分に割いた紙面はそう多くないのが残念な気がした。
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(1)死刑囚にとって死とは
(2)死刑囚と家族になること
(3)無期懲役と死刑
(4)黒子のバスケ脅迫事件
(5)事件に向き合う
(6)罪を償うとはどういうことか
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 本書のポイントをいくつか。

■著者は犯行・裁判・生い立ちなどの問題点を洗い出し精神鑑定の結果を紹介しつつ、犯行の背景を分析している。
■死刑囚の心に踏み込み、取材を重ねているので、受刑者の死刑についての考えの一部が理解できる。 
■人が怪物化していく過程の気づきの困難さ、それを押し戻したり矯正することが如何に困難であるか。気がつけば犯罪者の家族となり生活環境が一変する。
■家族関係の希薄さは確かに犯罪の温床となることは事実のようだ。
■親、親族の死などを機会に幼児などへ偏愛的性向が生まれる、こともある。
■孤独感、金銭トラブルと殺意の増悪。
■幼少期に受けた虐待、世間から阻害された経験は犯罪の濃厚な誘因となる。
■いかなる背景があっても、犯罪は犯罪。死をもって罪を償うべきとの考え方はあり、死刑制度は必要とも取れるが、死刑囚にとって死刑の意義は各人各様である。
■反省もない状況でただ、絞首されるケースもあり、死刑制度の意義を考えさせる。
■犯罪は社会に対する問題提起の一つとも取れる。必死に生きて行くなかで、うまくいかず、社会から疎外され、耐えられなくなって冷静な判断がつかずに犯罪をおかしてしまう。死刑囚を通じて社会悪を徹底して分析することにこそ裁判や死刑制度の価値がある。
■裁判過程でそれらの解明なきままこの世から死刑囚を抹殺するのは、国家として無責任でないか。
■裁判過程において当事者の声はほとんど常識的な裁判用語で置き換えられてしまい、被告の心が離れて行く。
■底なしの憎悪、悪意むき出しの手紙などを手を加えず示している。
■凶悪犯罪に社会はどう対処すべきか。著者の持論を展開。
■死刑制度による抑止力は、多くは無力のようだ。むしろ死刑そのものが目的となり犯行がエスカレートする場合もある。
■死刑囚になってからの更生は、困難のように見受けられる。
■死刑制度に賛同している者に、その先の世界を示すヒントを考える能力はないようだ。
■死刑が有効で重い処罰と考えるのはほとんど思考停止でないのか?著者はそう締めくくった。
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本 ドキュメント死刑囚 増補版 篠田博之著 ちくま文庫 2015

2018年10月05日 17時38分22秒 | 書評
 法務省は1018年7月、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した全13人の死刑囚の刑を執行した。

 特異的な死生観を持つ日本人において、死刑の位置付けは微妙である。その為に死刑反対論者は少ない。日本人は死ぬ事に、単に死ぬこと以上の意味を持たせる。いや持たせすぎる、と私は思う。

 私の考えでは、死刑は犯罪者に安息を与えることでもある。また、自分から死刑を望む人たちもいる。私は死刑反対論者ではないが、最近、死刑とは一体何なのか、資料や本を集めて学んでいる

 本書はその内の一冊。2008年の同名の著作に大幅に加筆して増補版として再発行された。著者の篠田氏は日本の編集者、ジャーナリスト。月刊「創」編集長、創出版社長。「日本ペンクラブ言論表現委員会」副委員長。月刊『創』は死刑囚の手記等を頻繁に取り上げている。

 以下の事件で死刑判決を受けた死刑囚について記述されている。
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■宮崎勤 幼女連続殺害事件
■小林薫 奈良女児殺害事件
■宅間守 附属池田小事件
■金川真大 土浦無差別殺傷事件
■林真須美 和歌山カレー事件
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 上記の5人と接見・文通を繰り返した著者の記録である。

■宮崎勤は幼年時から手に障害を持っていたこと、家族関係が希薄の家庭に育ち好きだった祖父の死で何かが爆発し犯行に至ったらしい。幼女4人を殺めたが本人に少女の連続殺害の意識は乏しく、自分とは異なる主体が起こした事件であるかのような態度に終始し、被害者家族と自身の家族の生活を崩壊させたまま処刑を受けた。反社会性人格障害と判定。著作に「夢のなか」。

■小林薫も父親と不仲、一人の幼児を殺害したが残虐さから厳罰化が望まれ、本人も死刑判決を受け入れた。ただ、本人は殺人ではなく「睡眠薬が原因の過失致死」と主張し続けたが、裁判で主張しなかった。雑誌「創」に手記発表。早期の死刑を望み、執行された。反社会性人格障害と判定。

■宅間守の場合は、8人の幼児が犠牲になった。背景は「果てのないほどの社会、人々への憎悪」である。担当の弁護士すら無能と罵り、危害を加えんとする恫喝の言葉の数々。処刑を受けた。反社会性人格障害と判定。獄中結婚したが、早期死刑執行を望んだ。

■金川真大の場合は、2人殺害。自殺がわりの殺人行為。死刑判決を受け、早期の処刑を望み、事件後5年で処刑を受けた。 死刑を望む犯人に対する死刑執行に何の意味があるのか?と問い掛けている。

■林真須美の場合、4人死亡。状況証拠のみから死刑判決。林は一貫して無罪を主張している。

 著者の仕事に敬意を表したい。
 著者の持論は本書の最終章で展開されている。


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ふるさと納税2018 やっと見直しの緒についた

2018年10月04日 07時07分27秒 | 時事問題 社会問題
 今回の内閣改造で閣外に去った野田総務相が先月中旬、ふるさと納税制度の見直しを表明した。
 過度な返礼品を送っている自治体へは税制優遇の対象から外す方針だ。やっとここまで来たか、と思う。

 総務省は17年4月に、返礼品の金額を寄付の3割以下にすることなどを要請した。これもバカな要請であったが、今年9月時点で全国の約14%の自治体が従っていない。地元の特産物以外の商品を送る市町村も多い。私は返礼品の金額を寄付の1割であっても多すぎると思っていたが、今回は強制力を伴う。やっと改善されそうである。
ふるさと納税2017(1) 何か変ですよ
ふるさと納税2017(2) 私は返礼品などいらない 

 これを機に同制度の本来の趣旨を再確認し原点に戻して欲しい。

 ふるさと納税は今年で10年になる。当初、年間の寄付額は100億円前後で推移していたが、2013年度ごろから増え始め、17年度は3653億円だった。
 寄付が増えた最大の理由は高額な返礼品で、自治体間で納税額を増やすために返礼品競争が過熱した。

 17年度に全国で最も寄付を集めた大阪府の某市は、肉やビール、宿泊券など1千種類以上の返礼品をそろえ、返礼率も最大で5割にのぼるという。もはや、ネット通販、カタログ通販的様相を帯びている。
 こうした自治体がある以上、優遇税制を見直すのはやむを得ない。

 納税は「教育の義務」「勤労の義務」と共に国民の3大義務として憲法に定められている。国民として果たすべき最重要課題である。
 それなのに、国・自治体が半ば国民の義務を「サービス券」や「オモチャ扱い」にした。それに納税者が踊らされている、と思っている。

 総務省は、税制などの専門家、地方団体の当事者らから意見を聞いて課題を洗い出した、と言うが、あるべき姿に戻すことも独自に決められないのだろうか。

 過度な返礼品以外にも、ふるさと納税には様々な批判がある。例えば富裕層に有利な点だ。所得が多い人ほど税金の控除額が増えるからである。

 ふるさと納税が日本の寄付文化を育んでいる面もある、との考え方もあるが、私は是としたく無い。自然災害の被災地には、返礼品がなくても多額の寄付が集まっている。
 私も岩手県には7年間月収入の約20%を送り続けているが、毎月知事名で礼状が届くだけである。それで不満は無い。何かその他が付いて来たら私は寄付をやめる。

 ふるさと納税はその名の通り、故郷や気になる地域を個人の自由意思で応援する制度である。
 今回の見直しで寄付額が減ったとしても、それが正しい道である。

 蛇足ながら、今の日本は、企業の不正の頻発などをみると社会全体が腐って底が抜けたようだが、ふるさと納税にもそれを感じざるを得ない。
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多様性の疎外が表出した事件(7) 杉田氏の投稿は評価できる 新潮45の休刊は残念

2018年10月03日 08時11分09秒 | 時事問題 社会問題
 社会の変化を受けて自民党は2016年5月にLGBT等の性習慣について、「性的志向、性自認の多様な在り方を受け止め合う社会を目指す」との基本方針を公表した。
 だが党内には伝統的性的考え方、家族観が根強く、上記の方針にもかかわらず不用意な発言して反発を招いた中堅から年寄り幹部の発言も多い。

 自民党の杉田水脈衆院議員が7月18日発売の月刊誌「新潮45」に「LGBT支援の度が過ぎる」とのタイトルでLGBTカップルに関し投稿し、以下の持論を述べた。
 この発言の内容は取るに足らない暴論に近いが、彼女が何を考えているのか明らかにしたことは評価出来る。

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■「子どもをつくらない」から「生産性がない」。
■「税金を使う行政支援は疑問」。
■「なぜ男と女、二つの性だけではいけないのか」。
■「同性婚を認めれぱ、兄弟婚や親子婚、ペット婚や機械と結婚させろという声も出てくるかもしれない」
■「例外を認めてあげると、歯止めがきかなくなる」。
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 これに対し、党内外から「ナチの優生思想だ」、「人権意識を欠いた記述だ」と批判が上がっている。共産党の小池書記局長も会見で「無知、無埋解、悪意に満ちた偏見で悪質な発言」ときびしく非難した。      
 杉田氏は「ゲイだと名乗る人間」から殺害予告のメールが届いたとして赤坂署に被害届を提出した。

 杉田氏の寄稿に対し、LGBTの当事者や識者からも批判の声が上がる。

 私はこれに対して杉田氏はよくぞ言ってくれた、という視点で考えている。

 最近、私は我が国では言論の自由がなくなってきているのではないかと危惧している。
  
 変わった発言があると、特に政治家など、有名人の場合はすぐに批判や反論が展開され、いわゆる炎上状態となる。結果的に「発言を削除します・・・」、「発言を撤回します・・・」となる。実に口が軽く、尻も軽い。
 私は「発言内容の削除・撤回は認めるべきではない」と思う。「訂正」ならいい。その上でしっかりと機会を得て弁明すれば良い。なぜならば発言の背景には個人個人それなりの理由があるはずだ。個々人の意見は決して常識的な立場から押しとどめてはならない。むしろ言いたいことがあればその機会を与えるべきと思う。
石原環境相の「金目」発言:発言は修正すべきだが、撤回させてはならない
慰安婦問題2014(1) 朝日新聞の記事取り消しは許しがたい暴挙
丸川環境相の発言:間違い発言は修正すべきだが、撤回させてはならない

 同じことは文書でも言える。森友・加計問題では、特に前者では文書の改ざんが100け所近くも見つかっているが、文書の場合は不都合なところが生じたら消し去るのではなく日本線を引いで訂正すればいい。その際、訂正した原本は残したまま改定版を出せば良い。

 私は違った意見でも意見をはっきり述べる、あるいは表現する人の方を好む。それなりに付き合い方は難しいが、何も言わない人は何を考えているか分からない。私にとっては嫌で怖い存在だからである。

 自分と違った意見がでても神経質に反応すべきでは無い。寛容の気持ちを持って当座の怒りは押さえよう。じっくりその気持ちを熟成させてからじっくり反論すれば良い。
 その意味では新潮45の休刊は残念である。
 


 
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