文字文明以前、当時も庶民たちは生活に追われながらも力強く生きてきたと思われるがその実態はほとんど残されていない。
当時、医療もなく病気になった際には祈ることしかできなかった。親族とかによる介護はそれなりにあったと思われるが衛生思想も技術も道具もほとんどなかったと考えられる。
したがって、治癒の望めない病人や虚弱老人は常に「社会のお荷物」でその実態は悲惨なものと考えられた。
数少ない資料からの集計では「金持ち老人の記録は皆無」だ、という(柳田)。
老人遺棄に関して記述のある39社会中、18社会で老人遺棄を実施したとの記述がある。
老人殺しは44社会中、「頻繁にある」が11社会、「時として存在する」 が11社会であった(シモンズ 1945年)。
柳田國男の『日本の昔話』(全106話)には、老人を取り上げた話は28話。金持ち老人の話は皆無で、働く老人の話は17話。さらにその中で老夫婦共働きは4話。
生業が分かる15話中、●苗代の見回りが1話、●畑仕事が1話、●山で畑仕事が3話、●竹・薪・柴木を刈るなどの山仕事が7話、●川で雑魚捕りや山で鹿狩りが1話であった。
別集計では、約73%が山仕事であったという(大島ひかる)。
昔の庶民の老人の特徴は予想するに「餓死直前」ほどの貧しさであったと考えられる。
飢餓、貧乏、孤独、自殺、殺老、棄老、食老などなど・・
一方、お伽話や民話として残っている言い伝えによると、一部の高齢者は一見幸せそうに見える。
(ネットの画像から合成した)
これらの話から推定できることは、当時の老人たちは押し並べて苦しい生活の中で「ありえないような夢を抱きながら、貧しい現実を生きていた・・・」ということ。
今伝えられているお伽話や民話は「ありえないような夢」を具現したもの、と言いうるが、これは明治時代に子供達の教育用に編纂し直したものだ、という。
現代でいえば、なけなしのお金で買った宝くじに特等を期待するようなもの。人の心理はいつの世でも夢を追っている。微かな希望でも夢がなければ生きられない、それが人生なのだ、と思う。
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