福田の雑記帖

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医療の時代と死生観(14) 自然宗教感の衰退で「いのち」が語られなくなった

2015年09月14日 17時37分22秒 | 医療、医学
 古代人にとって人間より強く、人を殺すことができる強いもの、あるいは人間よりも長く安定しているものは全て神であって、神にも魂が宿っている、と考えた。

 私は日本人の宗教観を理解する時にこの自然宗教がベースになっていると考える。しかも、その恐れとその救済の対象は『いのち』である。自然宗教とは文字どおり自然発生的であって、いつ誰によって始められたのかもわからない。特定の教祖などいない。教義もない。あくまでも自然的に発生し、無意識に今に至るまで続いている宗教観のことである。

 自然宗教的な考え方は現代まで日本人の心の中に連綿として続いている。

 自然宗教は、しかしながら、儒教、仏教等の創唱宗教が我が国に伝わってきたことで神道として分類されてしまった。その時点で自然宗教的面影を失ってしまった。以来、神道・仏教・儒教は互いに影響を与えあい、為政者、宗教学者によって互いに主導権争いも繰り広げられた。
 
 神道と仏教はミックスされた状態で1000年以上も続いていたが、江戸時代、徳川幕府は仏教を保護して民衆教化の手段として利用し、一方、為政者たちは教養を重視する儒教を尊重していた。神道は神仏習合によって仏教の陰に隠れ影が薄くなった。

 一方、江戸末期には神道の復権を学問的に集大成しようとする動きも生じた。この面で秋田出身の平田篤胤の功績は大きい。平田の考え方は「日本が万国の本源であり、あらゆる面で優れており、天皇が最高の存在である」、と主張し「廃仏思想」と「尊皇」をもとに民族としてのアイデンティティーを高揚させる思想につながった。

 結果として徳川幕府は崩壊して明治維新を迎えた。明治維新のスローガンは「尊皇攘夷・王政復古・敬神・祭政一致」であり、神社行政が整えられていく。明治政府は日本を近代国家にするために神道を利用した。
 平田の考え方はオーバーにいうとナチのヒトラーの考え方にも通じ、明治以降経験した日清戦争、日露戦争の勝利もあってナショナリズムの高揚に結びついた。

 しかし、日本人が持っている自然宗教感は「いのち」に対する原始的な畏怖に対するものであり、人為が複雑に介入した神道という名でまとめられるものではないように思われるが、江戸から明治にかけてすっかり様変わりした。
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